ハロウィンの夜
ハロウィンの夜
青白い顔で口から血を流した幽霊騎士が、珍しくて美味しい菓子を持っているという情報は、仮装した子供たちに瞬く間に広まっていった。キラキラと光る剣を持っているから見つけやすいとどんどん集まってくる。
この日のために作った格好良いおもちゃの剣を自慢したかったのに、お菓子の魅力には勝てなかった。可愛い衣装の小さなお化けたちはお菓子を渡すとすぐに去っていってしまう。
配るお菓子は余ってもいいからと多めに用意していたのに、夜というにはまだ早い時間には全て無くなってしまった。両手を上げて空になった袋を見せて何も持っていないとアピールをしながら艇に戻る。グラン・サイファーのキッチンに行けば配る用のお菓子を分けてもらえるかもしれない。団長がマカロンとドーナッツを大量に溜め込んでいるのを見かけたことがあるし、何かしらのお菓子があることだろう。
お菓子のないハロウィンの道のりは平穏ではない。もっとお菓子を用意しておいてよという苦情を受けたり、威力の低い水鉄砲やクラッカーの音を浴びせられたり、仮装用の剣や鎧にお化けのシールを貼られたりしながらようやく艇まで戻ってこれた。
幽霊の仮装なのだから、お行儀は悪いが建物の屋根の上を歩いてもよかったが、ハロウィンを楽しむ人々がとても楽しそうだからそうはしなかった。こどもたちの笑顔が溢れる平和な時間を目にすると日頃の苦労が報われる思いだ。
足取り軽く艇内の廊下を歩いていると、祭りには相応しくない鋭い殺気が背中に刺さる。慣れてない人間なら動けなくなりそうな容赦のなさに思わず顔を顰めた。
「……ロベリア」
振り向かずに名前を呼ぶと殺気は消えて「くはっ」という特徴的な笑い声が聞こえた。素直に呼びかけてくれればいいものを殺気で挨拶してくるとは相変わらずいい性格をしている。
恋人は必要ないけど一人寝が寂しい日もある。そんなタイミングが偶然一致して何度か性欲処理をしたことのある微妙な距離感の相手だ。お互いに隠し事が多く、その中のひとつとして二人の交流関係を混ぜ隠している。本当は目を合わせるだけで意思の疎通が出来る程度には仲が良く、ハロウィンの準備期間はお互いの部屋を頻繁に行き来していたとは誰にも知られていない。
歩みを止めずにいると、黙って付いてきている。何も言ってこないから目的がわからない。キッチンには常に人がいるから連れ立って行きたくはない。仕方なく立ち止まって振り返った。
「何か用?」
ロベリアは普段のローブ姿で、パンプキンヘッドを脇に抱えている。クリスマスは黒いサンタの帽子と付け髭だけでブラックサンタだと言い張っていたから服装はあまり重視しないようだ。今まで被っていたのか髪の流れが少しだけ乱れていて、前髪を指先で弄って気にしている。こっちは専用の剣と鎧を用意して、肌に青白い粉をはたき、血糊まで使って全力で仮装してるというのに気楽なものだ。
「ハロウィンの夜の用事なんて一つしかないんじゃないか?」
手を差し出されるが、そう言われても渡すお菓子を持っていない。それを悟られないよう自然な足運びで目的地をキッチンではなく部屋に向ける。自室に置いた鞄の中にお菓子が一つだけ残っていたはずだ。面倒な事態を避けるためにも、トリックオアトリートと言われる前にお菓子を補充したい。
「くはっ、冗談さ。そんなに怯えないでくれよ。キミらしくもない。無防備な相手にお菓子を強請って悪戯なんかしないさ」
余裕ぶったにやけ面が苛立つと言われたことがあるが、実際にそんな表情の人間と対面すると気持ちがわかる気がする。にやにやとこちらを見て笑っているロベリアを見てそう思う。
「お菓子を持ってないせいで散々な目にあってきたばかりなんだよ」
こいつの口から出る「悪戯しない」という言葉なんて全く信用ならない。これ以上近づかれないように、シールまみれのおもちゃの剣の先を向ける。格好良いでしょうと見せびらかした時とは変わり果てた姿を見て、ロベリアは口の端を上げて更に笑みを深めた。
「それは面白そうな話だ。ゆっくりと聞かせてくれよ……キミの部屋で、ね」
じっとりと獲物を舐め回すような視線を感じる。まだ街に戻ってハロウィンのイベントを楽しむでいたのに、こちらの都合などお構いなしのようだ。誘いに乗るかほんの少しだけ気持ちが揺らいだが、きっぱりと断ることにした。
「お話はまた今度ね。お菓子を渡したらすぐに出て行ってくれないかなぁ」
「ノン、それは難しい相談だな」
ロベリアがパチンッと指を鳴らすと紙袋が出てきた。受け取ると甘い蜂蜜とバターの香りがする。
「これは?」
「オレのお気に入りのパティスリーの焼き菓子さ」
まさか、ロベリアからお菓子を貰えるとは思ってもいなかった。子供たちには気分が乗れば適当に飴でも配るし、それよりも団長たちからお菓子を貰うのが楽しみだと言っていたから、てっきり仮装してお菓子を貰う側の意識が強いのだと思っていた。予期せぬプレゼントに心が揺れる。
「キミは人に与えてばかりだろう。これはオレからのご褒美だ」
労わるように頬を撫でられた。いつの間にか肩が触れ合うほど近くに寄っている。口から流れるように付けた血糊を親指で拭われる。
「ありがとう。じゃあ、今からお菓子を補充して一緒に配りに行くのはど……ぅんっ!?」
指先の動きが優しくて完全に油断していた。両手を取られて唇を塞がれてしまう。中が空洞のかぼちゃが廊下を転がる音がした。舌が捻り込まれるのを受け入れて絡め合わせる。舌だけでなく歯列も口蓋も全部舐め回されて息が出来ない。ようやく唇が離れて耳の中にトレビアンと小さく囁くように注ぎ込まれる頃には、膝が震えて廊下の壁に寄りかかっているのがようやくだった。
酸素の足りない脳で考える。用意したお菓子を配り終えてしまうほど参加したのだから充分ではないか。街の雰囲気も楽しんだ。ハロウィンに参加している団員の数は多く、俺一人くらい戻らなくても支障はない。今宵はもう、まっすぐに立って子供たちの前を歩けそうにない。
ロベリアの乱れた前髪に指を絡める。緑色の瞳はこちらを映して動かない。瞬きの度に長い睫毛が揺れる。俺からの言葉を待ってくれている。
「今からどうするか、ロベリアが決めていいよ。ほら、お菓子も貰っちゃったし……」
「メルシー!」
パチンッと指を鳴らす音がして一瞬で部屋の中に移動した、のだと思う。ベッドに押しつけられて額と額がくっつけられてロベリアの顔しか見えない。緑色のギラギラとした光る瞳から目が離せない。奪い合うように唇を合わせている合間に、器用にも仮装の鎧が剥がされていく。額や唇の周りに青白い粉が移ってしまっているのがなんだか可笑しくて吹き出してしまって、我慢出来ずにお互いに笑い合ったのは一瞬のことで、またすぐに唇を寄せ合う。
身に纏うものが何もなくなり、ロベリアと体を重ねることに夢中になって意識が朦朧としている中で、不意に尋ねられた。
「シエテ、トリックオアトリート?」
そういえばハロウィンだった。すっかり頭の中から抜け落ちてしまっていた。
視界がぼんやりとしている。目の焦点が合っていない。うつ伏せになってベッドに押さえつけられてる状態で問われても、蕩けた脳ではすぐには答えられない。繋がったまま腰を抱えられ、尻を上げた状態にされた。まだ続くのだと思うと全身に甘い痺れが走る。返事を急かすように下腹部とその奥を同時に押されて思わず目を閉じる。
息を整えてから瞳をうっすらと開けると、真っ白なシーツが湿気を帯びて青や赤のしみが出来ているのが微かに見える。肌にはたいた粉も血糊も汗と涙で流れ落ちてしまったのだ。もう部屋の中からお菓子を見つけて渡す余裕なんてない。
「……もっと、悪戯してよ」
「ウィ! キミの望むままに」
体勢のせいで顔は見えないが、どんないやらしい顔をしているかは簡単に思い浮かぶ。
悪戯しないだなんてやっぱり嘘だったし、ロベリアの悪戯とやらは体力的に余裕のある時にならまた付き合ってやってもいいくらいには悪くはなかった。
ハロウィンの夜が終わった翌日、もう昼に近い時間に目覚めた場所はロベリアの部屋だった。
さらっとした肌触りの真っ白いシーツから起き上がるのは名残惜しかったがいつまでも寝ていられない。カーテンを開けて日差しを浴びてから水を飲むと空腹を感じる。
ロベリアは椅子に座ってテーブルに肘をついて一連の流れをにやけ面で黙って見ている。空いてる椅子に座り、テーブルの上に昨日貰ったお菓子を開けて食べ始める。一つ食べてから話しかける。
「あー、ぐっすり眠ってたみたい。ロベリアの部屋に移動したのに気が付かなかったよ」
悪戯に成功した子供のような顔をしているからこちらも降参するように言ったのに、目を小さく見開いてからなんだか困ったような顔をしている。
「昨日は最初からオレの部屋だったろう」
「えっ?」
向かっていたのは俺の部屋だった。ロベリアもそれは分かっていただろう。距離としても俺の部屋の方が近かった。なのにわざわざロベリアの部屋に移動させてずっと顔を寄せて周囲が見えないようにしていた。
見つめ合った先の背景の天井が、自分の部屋かロベリアの部屋かなんて見分けがつかない。昨夜は特に激しく求め合ったせいで部屋の中の様子まで確認することが出来なかった。お互いしか見えていなかった。部屋の中の匂いだって似たり寄ったりだから気が付かなかった。
焼き菓子を齧りながら睨みつけると、労わるように髪を撫でてくれる。
「お互いに一回ずつ選んだろう?」
確かに、どうするか決めていいと言って、ロベリアは自分の部屋に移動して睦み合うことを選んだ。なのにこいつは俺がお菓子を渡せない状況だったのにお菓子か悪戯かを選ばせてきたのだ。それでにやけていたのかと思うと憤りよりも恥ずかしさの方が優って顔を逸らしてしまう。室温が上がった気がする。
「お菓子を選んで貰った袋を叩き返せば良かったなぁ」
そんなことを言っても遅い。このお菓子は俺が貰ったご褒美だから誰にもあげたくない。全部自分だけで食べたい。悔しいけれどかぼちゃが使われた焼き菓子はとても美味しい。食べる手が止まらない。
「どちらにせよ結末は同じさ」
ロベリアが楽しそうに笑っている。少しばかり悪戯が過ぎるだろう。服の胸元を掴んで乱暴に引き寄せる。チュッと音を立てて頬にキスをしてやると大喜びでトレビアンだのジュテームだのと騒ぎ出した。甘い匂いのキス一つで簡単に力関係を思い知らすことが出来るのだと思えば、他のことは目を瞑ってやってもいい。
最後の一つになった焼き菓子をゆっくり味わうように食べ終えると、誰にも会わないようドアの外の気配を確かめてから一人で廊下に出た。ハロウィンの賑やかな気配は跡形もなく、澄み切った風が対流している。恋人同士ではないのだから別れを惜しむ必要もないのに酷く物寂しい気がして顔を顰めた。