会いたいなんて言ったところで会えるわけもなく
会いたいなんて言ったところで会えるわけもなく
誰もいない部屋の中で、手に乗せた白い貝殻に向かって話しかける。
「明日には話を終わらせて帰るよ……じゃあ、また。おやすみ……うん、俺も……そりゃあ、俺だって会いたいよー、なーんてね。はははっ」
貝殻から聞こえてくる「待て」という声を無視して貝殻を握り潰す。パキッという細い骨が折れるような音がして、すぐに跡形もなく貝殻は消え去った。こちら側から強制的に話し終えたい時は、物理的に破壊するしか方法がないのはなんとかして欲しい。人間同士で遠く離れた場所の相手と会話出来ることが奇跡のような稀な能力だとしても、便利さに慣れてくれば不満も出てくる。
握り潰した右の手の平を見る。何も残ってはいない。欠片のひとつでも残ってくれたらいいのに、影も形もない。
隠している感情がある。誰にも気付かれずに奥底に隠しきれている恋慕の感情は、一人きりの時に表に滲み出てくるようになった。
「会いたいよ」
そう呟くだけで頑張れる気がする。会いたい。遠くにいる大切な存在に会うために様々なことを我慢出来る。秘密裏に関係を持っている男の他にも、団長たちに、十天衆の皆に、大勢の団員たちに、星屑の街の子どもたちにも、早く会いたい。昔は一人でもなんだって出来たのに、今は短期間一人になるだけで誰かに会いたくなる。食事だって誰かと一緒に食べた方が美味しく感じる。味気のない食事が何日も続くと気分も徐々に下がっていく。
滞在先として借りた部屋の椅子に腰を下ろす。体が重い。背中を丸めてテーブルに突っ伏し、頭を抱える。予定通りの日程で話を終わらせた。
交渉の結果は現状維持だった。
補給の為に協力もしてくれるし、情報もある程度は流してくれる。今回はそれ以上を求めて交換条件を提示したが、首を縦には振ってもらえなかった。
空の世界では、安全に短距離で移動出来るルートの情報を持っていれば持っているほど有利に物事を進められる。危険な空を横断可能なルートの情報は貴重な金属や宝石よりも価値が高い。一人の人間の命の価値よりも高く評価されることだってよくある話だ。秘匿性を守る為に消される人間だっている。
今も貴重な空図と引き換えに、天星剣王たる俺自身を求められた。
永続的に配下になれというものではなく、夜を共にしろという提案は妥協なのか打算なのか本気で望んでいるかどうかもわからない事柄だ。天星剣王は安売りしていないと強く断ったが、内心では一晩程度で手に入るなら安い買い物じゃないかとも頭の中に過ってしまったのも事実だ。かといって十天衆の頭目がそんなことを了承してしまえば、他の十天衆の価値も下がってしまうから受ける訳がない。身内の数が増えれば増えるほど考えなくてはならないことが増える。何事もそう簡単にはいかない。目に見えて手の届く範囲だけでも守りたい。胃の辺りがキリキリと悲鳴をあげる。ラドリスの国の王たちのように流れ者でも人間として扱ってくれる権力者の方が希少だ。まぁ、あの国とも長く付き合った結果、思いもよらぬ方向で小さな遺恨が残ってしまったのだけれど。結局のところどこへ流れてどれだけ善行を積んでも異端でしかない。あの国の蒸し焼き料理が恋しい。今食べたとしても、以前と同じように手放しに美味いとは言えるかは定かではないが。一人きりでの食事なら尚の事だ。誰かと一緒に笑って食べられたらいい。大勢で食卓を囲んだ記憶を思い返す。あまり多くはない温かい記憶を、これからどれだけ増やせるだろうか。あとどれだけの時間が残っているのだろうか。
期待していた新しい空図は手に入らない。大きな収穫もなく帰還する。特にこれといって訪れた周辺の環境に異変はなかったし、新たな脅威も見つからなかった。平和であって欲しいのに、平和だと己の価値が著しく下がる事実から目を逸らす。
何もかも上手くいかなくて、思考までもが悪い方向に向かっている。お偉方との話し合いの最中に標神が起こり得る最悪の未来を見せてきたのも思考の負荷でしかない。
昨晩、業務連絡として短時間だけロベリアと会話をしたのが致命的だった。疲れてしまっていたから声が聞きたかった。空腹時に少し食べたら余計に腹が減ってしまった時のような、非常に情けない気持ちになっている。
それでも人前では絶対に弱音は吐きたくない。帰る前に、一人のうちに、全てを吐き出しておきたい。
「あぁ、会いたいなぁ」
弱音ではなく願望が口から滑る。テーブルに向かって呟いた言葉は、一人きりの部屋の中に大きく響く。
何も得ることは出来なかったが、五体満足で帰れる。
会いたい。全てを吹き飛ばしてくれる男に。吹き飛ばすどころか更地、いや、下手すると島ごと消してしまうかもしれない。そんな想像をして、鼻で笑う。想像しただけだ。あいつは無意味な破壊はしない。団長の為に約束を守り続けている。
今は上手く付き合っているが、同じだけ想い合っているかと言われると上手く言い表すことが出来ない。一晩を切り売りするように言われただけで、ロベリアが嫉妬や怒りを覚えてくれるかどうかなんてわからない。これが逆の立場で、彼がそんなことを言われたとしたら――。
「会いたいよ、……ロベリア」
暗く重たく腹の底から沸き立つ、よくない感情を振り払うように名前を呟く。
冗談には冗談で返してくれる。予想外なことばかり言ってきて、些細な悩みなど全て頭の中から吹き飛ばしてくれる。そんな居心地のいい相手の良い部分ばかりを思い出す。次に会ったらいつもより優しくしよう。自分と同じだけの気持ちは求めない。ただ、会いたい。会って互いに下らない話をして、短い時間でも熱を分かち合いたい。
「サリュ、シエテ!」
元気な声がして、貝殻を探す為に顔を上げる。視線の先にこの場所にいるはずもない相手の姿が目に写った。驚きのあまり思わず立ち上がる。座っていた椅子が床に倒れるが、何の音もしなかった。
最後にグラン・サイファーが停留していた空域から、今いる空域には簡単には来られない。それに具体的な滞在先は誰にも伝えていない。なのにロベリアがベッドの上に座っていて、なんてことないようにウインクをしてくる余裕を見せている。
一瞬だけ体が硬直し、喉からヒュッと乾いた音が鳴った。会いたいと、名前まで呟いていたのを聞かれていたかもしれない。真っ先にそのことが気になってしまう。
「どうしたんだ。そんなに驚いた顔をして」
ロベリアも立ち上がり近づいてきて、肩を軽く叩かれる。ロベリアのトワレの香料と鉄の臭いの混ざった独特な香りがして、幻影でも幻覚でもなく確かにこの場所に存在していることを実感する。
「な、んで」
引きつった喉から声を絞り出す。よほどなさけない顔をしているのか、ロベリアがこちらを見て笑う。
「くはっ! 全空一の天才魔術師にとってこのくらいは簡単なことだ。ポンッとしてパッと……」
「いいや、それが出来るならもっと前にしてるでしょう。何か条件があるんじゃないの」
そこそこ長い付き合いになるがこんなことは初めてのことだ。ロベリアはこの国には来たことはないはずだ。六竜クラスでないと空間移動は出来ないものだと油断していた。こいつは時折、人間の力では不可能なことをやってのける。まだ隠していた魔術があったなんて。
「キミの荷物にタワーのカードを忍ばせておいた。あぁ、心配しないでもタワーの同意は得ているさ」
ロベリアの胸元の宝石が赤くチカチカと光っている。視線を向けると両手で隠した。タワーの同意は取れていなさそうだが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「タワーじゃなくて、俺の同意を求めてよ」
どうして秘めていた手の内を明かしてまで、わざわざこの場所にやってきたのか意図が読めない。嬉しいはずなのに責めるような口調になってしまった。
「シエテ、キミが言ったんだろう。出発前に本当は離れたくないと。昨日の夜だって、会いたいと、確かに言っていた。それに、今だって……」
どこからかクラポティを取り出した。自信のある表情からも、俺の発言を録音していたのだろう。言い逃れはできない。
確かに言った。離れたくない、会いたいと、不満げなロベリアを宥める為に言った。言ったからといってずっと一緒にはいれない。俺には俺にしか出来ない、やらなくてはいけないことがある。会いたいだなんて、相手を宥める為に仕方なく口にしたと思うようにしていた。
「あー……言ってた、かも? でも、気分を盛り上げる為に言ってただけで……」
本心から言っていたとは認めたくない。照れくさい。はぐらかして有耶無耶にしたいのに、そんな小細工が一切通用しない相手だ。煮えきらない態度に痺れを切らしたのか、手に持った貝殻を差し出される。受け取らずにいると耳に当てようと押し付けてくる。うっすらと、甘えた声が聞こえる。自分のことながら鳥肌が立つ。
「わかった、わかったから。言った。会いたいって言ったよ。聞かなくていい。壊されたくなかったら再生しないで」
「わかってもらえたなら、それでいい。残念だがあまり長くは滞在していられない」
満足そうに頷いて軽快に指を鳴らし、貝殻をしまってくれた。
「いちいち録音するの止めてもらえる?」
「オレの癖なんだ」
「知ってるよ」
目と目が合って、手と手を重ねる。顔を寄せ合い、唇が触れ合ってすぐに離れた。物足りないがここで羽目を外すことは出来ない。ロベリアも長くは滞在していられないと言っていた。
抱きしめ合って肩に顎を乗せる。ピッタリとはまって、温かくて、気持ちが穏やかになっていく。
「ははは、ロベリアは本当になんでもありだねぇ」
「くはっ、見直したかい?」
耳元で聞こえる笑い声が擽ったい。
「そうだね、思わず惚れ直しちゃったよ」
息を飲んだ音がした。体を離して顔を見ると、照れているのかすぐに口元を手で隠した。目元や耳が赤く染まっているところまでは隠せていない。ロベリアの緑色の瞳が揺らぐ。こんなに動揺する姿は見たことがない。
すごいことを言ってしまったのだと、じわりじわりと自覚していく。
「く、くはっ、くはははっ、キミが酒も飲まずに好意を口に出すなんて……来てよかった」
ロベリアは大声で笑って、すぐにいつもと変わらぬにやけた表情を取り戻したのに、小さく息を吐くと疲労の色が伺えた。いくら優秀な魔術師でもかなりの距離を移動したのだ。ロベリアだって俺と同じく人間なのだから限度があるのだろう。
「これだけのことをしてくれたんだから、俺だってそれくらいは言うよ」
好意を表す言葉なんて冗談めいた言い方をするか、酔った勢いか、それこそ情事の間でしか言えない自覚はある。
「タワーが今回だけだと言うから、もう出来ないのが残念だ」
不貞腐れた顔をしてぼやいたが、こちらを見てすぐに笑顔で頬を緩めている。世界の危機ならまだしも、なんでもない時に気軽にしていいことではない。そう、こんななんでもない、ただいつもより気が滅入っていたくらいで来てもらえるなんて思ってはいけない。
俺が会いたいと言ったからわざわざやって来たのだと改めて認識すると、酷く落ち着かない気持ちになる。指先がそわそわと今すぐにでも剣を振り回したくなるような衝動を抑えて、とっておきの魔法に心からの言葉を返すことにした。
「好きだよ、ロベリア」
思ったよりもずっと小さくか細い声が出てしまった。素面で言うには気恥ずかしいが、嘘偽りない気持ちだ。ロベリアがこちらのことをどう思っていようが、愛おしいと思う気持ちには関係がない。
もっと顔を赤くして照れるか、トレビアンと大きな声で喜ぶかと予想していたのに、眉を寄せて神妙な顔つきになった。
「……オーララ、これは、天変地異でも起こるんじゃないか。ちゃんと無傷で帰ってきてくれよ」
ロベリアの縁起でもない言葉に同意するように、胸元の赤い石がゆっくりと瞬く。面白くなくて頬を抓り上げた。
帰ったらなにか美味しいものを食べに行こうとデートの約束をして笑顔で送り出すと、手早く荷物をまとめて力強く部屋から出る。一分一秒でも早く、仲間たちの元に笑顔で帰りたい。
楽しい未来を思い浮かべながら余裕のある笑みを浮かべて、背筋を真っ直ぐに伸ばして歩き出した。