沼落ち
沼落ち
団長がオレの話を全く聞いてくれない。いつも話の途中で恥ずかしがって何処かに行ってしまう。ただでさえ二人きりになるのが難しいというのに、団長の照れ屋さんっぷりには困ったものだ。
「うーん、ロベリアさんの話したいことだけを話すんじゃなくて、話を聞いてあげるのはどうでしょうか。きっとあの人も喜びますよ」
キッチンで焼き立てのクッキーを齧りながら軽く世間話をしているだけのつもりだったが、作業しながらも相槌を打っていたルリアは真剣な顔をしてアドバイスをしてくれた。
「オレの話を聞いて欲しいんだが……そうか、団長もオレに話がしたいということか」
それならそう言ってくれればいいのに。仕方がない。今回はこちらが折れてあげよう。そうと決まれば団長の元へ行きたいが、最近は特に警戒しているようで近寄ることすら難しい。
「ふふっ。じゃあ、このクッキーを届けて貰えますか?」
オレが悩んでいるのをお見通しのルリアが、クッキーとお茶の入ったポットをトレイに乗せて手渡してくれた。クッキーは一晩置いた方が食感と音はよくなるが、焼きたての香りはまた別の良さがある。オレとクッキーがやってきたら団長も喜ぶに違いない。
「ウィ、任せてくれ!」
団長の部屋をノックするとビィがドアを開けてくれた。書類仕事をしている団長はこちらをチラリと見てため息を吐いた。
「ルリアに持ってきて欲しかったな」
またしても団長はオレが来たことに照れている。オレの方が少し大人な分、リードしてあげよう。
「団長、オレに話したいことがあるんだろう?」
「ないよ」
「ノンノン、キミのことはよ~くわかっているさ。さぁ、聞かせてくれ」
椅子に座って、クッキーを齧りながら話を促す。ビィがクッキーに手を伸ばして食べ始めると、団長は手を止めてこちらを向いた。
「めんどくせぇから休憩がてら何か話をしてやれよ。クラポティ兄ちゃんも満足したら帰るだろ」
「えぇ……うーん、じゃあ、この前スモウォーをした話でいいかな」
アルバコアになった時の話はややこしくなりそうだし、と訳のわからない前置きの後に団長が語り始めた話はなかなか興味深いものだった。アウギュステ周辺の出来事はおかしな話ばかりだ。
スモウォーという競技の技であるツッパリや四股を踏む音は、上級者が繰り出すととてもイイ音が響くという。肉体と肉体がぶつかり合う時に発せられるという音にも興味がある。団長とオレの肉体が奏でる音なんて最高じゃないか。まぁ、だからと言ってスモウォーとやらは全くしたいとは思えない。服を着ていない人間とぶつかり合うなんて嫌過ぎる。
騒動の説明の中で一部分だけ団長がなにを言っているのかよくわからないことがあった。稽古を受けるメンバーにシエテとナルメアの両者がいてくれたからいいが、これが片方だけだったら甘やかされ沼にはまるかもしれなかったという。とても危ないところだったらしい。二人の顔を思い浮かべるが団長の横で何がそんなに楽しいことがあるのかというほど笑顔を浮かべている姿しか見たことがなかった。何が危険なのかさっぱりわからない。アウギュステには海だけでなく沼もあるのだろうか。
後半そのことに頭を取られていたのと音の話題がなくなって話の内容が入ってにていないが、どうやら団長の話は終わったようだ。
「まぁ、こんな感じだったんだよ」
「そうか」
「スモウォーの良さ、わかった?」
「あぁ、団長の声はイイ声だ」
アレグレスな声はリトムも素晴らしい。録音もしたから寝る前にまた聞ける。とても有意義な時間だった。
「今の流れで感想はそれだけ?」
「ウィ!」
「帰って。もう二度と来ないでよ」
「そ、そんなっ」
次はオレの話を聞いてもらおうと思ったのに、クッキーもお茶もなくなってしまったらもう用はないと追い出されてしまった。
クラポティで先程のやり取りを聞き返す。どうやらオレの返答が気に食わなかったようだ。
団長をより深く理解する為に、理解出来なかった部分の沼を調査することにした。アウギュステに移動するとすぐに沼がないか聞き込むが、誰に聞いても海しか知らないと言われてしまった。
別の方向から調べるしかないかとナルメアとシエテを探し始める。
接点のないナルメアが普段どこにいるのか皆目見当がつかない。小柄なドラフ女性を探すには艇の中は広すぎる。
その点、シエテはあまり艇にいないが、いる時は白いマントと個性的な髪型が目を引いてすぐにわかる。運の良いことに今日は丁度シエテがいる。目立つ場所にいることが多い相手を探すのは簡単だ。すぐに甲板を歩いているのを見つけて距離を置きながら足音を消して追う。どうやって声を掛けるか考えながら後をつけ続けると、人のいない倉庫の近くまできてシエテが急にこちらを振り向いた。
「それで、なにか用?」
尾行していたことがバレていた。嫌がられるかと思ったが、シエテは気にしていないようでいつもどおりにやけた顔をしている。
シエテとは一対一で話をしたことがない。あまり好かれてはいないことは確かだ。時折、探るような目でこちらを観察してくる。沼について聞いても答えて貰えるかわからない。
少し親交を深めてからの方がいいかもしれない。確か、団長はシエテだかナルメアだかどちらかと二人きりで風呂に入ってスモウォーをしたと言っていた。スモウォーには興味はないが、風呂だけなら簡単なことだ。お人好しそうだから何度か頼み込めば行ってくれるだろう。
「一緒に風呂に行かないか」
「えっ、裸の付き合いってやつ? ……まぁ、いいよ」
意外なことに全く警戒せずにすんなりと受け入れられてしまった。
「ほ、本当にいいのかい?」
「他に誘える人がいないんでしょ。仕方がないなぁ。それで、どこに行く?」
場所のことなど全く考えてなかった。以前、アラナンやガイゼンボーガが大きな風呂のある施設の話をしていたような気がするが、興味がなくて覚えていない。
「そうだな。オレは詳しくないから教えて欲しい」
人任せ過ぎたかと思ったが、シエテは目を輝かせて上機嫌に肩に手を回してきた。
「それならシエテお兄さんに任せてよ!」
どうやら教えたがりの性質らしい。このタイプの相手は楽だ。全てを任せて、感謝だけはこまめにしてこちらは最大限楽をさせてもらう。
「メルシー、シエテ」
早速、感謝を伝えると、にこにこと人の良さそうな笑みが返ってきた。この調子ならすぐに団長の言っていた沼の情報も知れるだろう。
信じられないほど急速に距離が縮んでいく。こんなにすんなりとオレのことを受け入れてしまって大丈夫なのか、こちらが心配になるほどだ。何か企んでいるのか疑ってしまう。
シエテは風呂でもどこでも距離が近い。それが不快ではないからこちらからも近付いた。
「お菓子食べる?」
「お茶飲む?」
「ご飯食べに行く?」
「酒飲みに行こう」
「街に出掛けようよ」
誘われること全てに頷く。それだけで何故か感謝されてロベリアは本当にいい子だねと褒めてくれる。なんならその辺に立ってタワーと仮想世界でシミュレーションしているだけで褒められる。シエテが困っていることに手を貸せばそれはもう褒めちぎられて頭も撫でられる。最ッ高に気分がいい。
ベッドの上でマッサージを受けながら考える。海の匂いのするアロマも焚いてくれて、部屋の中はいい香りがする。淹れてくれたお茶は今日も美味かった。茶菓子も手に入れるのが難しい限定品で、オレにだけ食べさせてくれると言っていた。なんなら口まで運んで貰ったくらいだ。
このところ毎日が楽しくて幸せだ。シエテ以外にも肌艶が良いだとか、動きのキレが良いと褒められる。タワーにも、最近のロベリアの破壊は鮮やかな手法で目を見張るものがあるとまで言われた。
どれもこれもシエテのおかげだ。シエテといると幸福だと感じる。もっと一緒にいたい。柔らかな洗いたてのタオルケットに包まれるような心地の良さにうっとりと浸っていると、不意に目的を思い出した。
「……そうか、これが沼か」
はまると戻れない底のない沼のようだ。
団長の言っていた意味を知ろうと調査の為に近づいたのだった。甘やかされ沼にはまるという意味がよくわかった。
「なぁに?」
このままではいけないという気持ちが、優しい問いかけの声にかき消される。声のした方にすり寄ると頭を撫でてくれる。とても気持ちがいい。この状況を手放すなんて勿体無い。シエテがこうして甘やかす相手はオレがいい。シエテだってこの状況を喜んでいるに違いない。
「なんでもないさ、次はオレの番だ」
「本当に? いいの?」
「ウィ、遠慮しないでくれ。オレがしたいんだ」
マッサージには自信がある。体の固くなったり歪んだ場所を流れに沿って押すと、正しい位置に元に戻ろうとする力が働いて破壊の時に似たイイ音がする。特に老人が大きな音を出すからやり甲斐があるのだが、シエテも相当体を酷使していてバギッという珍しい音が鳴る。音と同時に漏れる微かな呻き声も悪くない。素晴らしいアルモニーだと感心しながら体重を掛けてじっくりと解していく。
「あっ……あぁっ……うぅ……んっ……」
血行が良くなってきた効果で肌がほんのりと薄桃色に色付いていく。美味しそうな肌だと顔を寄せ、汗の香りを吸い込んだところで動きを止めた。今、オレは何をしようとしたのか。
沼に沈むだけでなくその先に情欲を感じ取ってしまった。シエテの白い肌は何度も見ている。嫌悪感など一切ない。むしろ好ましい。吸いついて、噛み跡を残したい。
けれど、いくらなんでもそれは道を踏み外して……いるのだろうか。二人が幸せならそれでいいに決まっている。
シエテがオレのものになると思うと感慨深いものがある。労わるように優しく撫でると、すぅすぅと小動物のような寝息が聞こえてくる。
「くはっ!」
これからもっと楽しく幸福な毎日が訪れるのだ。
うとうと微睡んでいるシエテの横に体を滑り込ませると、すぐに抱き寄せられて頭を撫でられる。まるで飼い犬のように可愛がってくる。甘ったるく愛し合う恋人たちのようになりたいが、それは急がなくてもいい。だってシエテはオレのことが大のお気に入りなのだから。今だってこうしてオレの目の前で無防備に眠ってしまうほど信頼してくれている。
沼にはまるのはいいことだ。警戒しなくても大丈夫だと団長にも教えてあげよう。その時は、くれぐれもシエテ以外の沼を探してもらわないといけない。
この沼はオレ専用だから。