嵐の後、静かな夜
嵐の後、静かな夜
この命も、この世界も、続いている。
対峙した相手は、いまだかつてないほど強大な存在だった。フェニックスによって予め決まっていたのであろう結末が奇跡に感じる。
マントは酷く汚れていて、鎧は胴の部分が大きく削れており、また大掛かりな修理に出さないといけない。防具を直している間に普段愛用している腰に差した剣の手入れもしておきたい。やるべきことは山積みだが自室に戻った。今日はもうこれ以上何もしたくない。もう慣れてしまった標神の小言に似た忠告や、嫌味か労いか判断し難い言葉も聞き流す。
すぐに眠れるような部屋着に着替えて椅子に腰を下ろし、綺麗に治りきった脇腹を擦る。多少なりとも油断したことには違いない。出来ることならば斬り伏せずに話し合いで解決したかった。己の甘さを反省しながら、大きく息を吐き出した。
ドアが軽快に小気味よく叩かれる。訪ねてきた相手が誰だかはわかっている。返事をするのも億劫で黙ったまま小さく息を吐いた。鍵は開けているからすぐに入ってくるだろう。
「サリュ、シエテ」
予想どおり、何も言わずともロベリアが部屋に入ってきた。ラフなパジャマ姿で髪も軽く流しているだけでセットはしていない。その格好で廊下を歩いてきたのかと、言うだけの気力も今は残っていなかった。
公にしてはいないが親密な関係の相手だ。人前では節度をもった距離感を保っているからか二人の仲について誰も触れてこない。お互いにやりたいことが多く、あまり時間が合わないが、タイミングが合った時だけ短い逢瀬を繰り返している。そろそろ来る頃だとわかっていて、こうして横にならずに座って待っていた。
部屋に一歩入って立ち止まり、こちらの顔を見つめた後に床に並べた防具に視線を動かして顔を顰めた。すぐに背後にまわって抱きついて、寄り掛かるように体重をかけられる。子供が甘えるような仕草だが図体がでかいから重たい。疲れた体には地味に堪える。
「話があるなら座りなよ」
椅子に座るように促すと、従順にもすぐに体を離してくれた。椅子を引いて距離を近づけてから座る姿を眺める。
いつもならこちらが聞こうが聞くまいが言いたいことがあればべらべらと一方的に喋り続けるというのに、黙ったままなのは珍しい。じぃっと顔を見つめられて、頬を撫でられる。
「あぁ、まるで……、嵐の後の砂浜だ」
それがどんな色かは知らないが、酷い顔色だとでも言いたいのだろう。自分でも自覚はある。とっくに傷は塞がっているし痛みもないが血を流し過ぎた。それでも一晩安静にして寝れば治る。安静に出来るかどうかは互いの気分次第だ。久しぶりに再会した恋人との逢瀬を楽しむよりも、ゆっくりと眠りたい気持ちが強い。だからといって帰って欲しいとは一欠片も思っていない。側にいて欲しい。
「そう思うのならいい子にしてよね」
「いい子にしていたさ。キミが帰ってくるまでずーっと、ね」
予定よりも帰還が遅かったことを責めているのだ。後ろめたさはある。だからこそ体を横にせずにロベリアが来ることを待っていた。あまり頭も回っていない。帰ってきたという言葉もまだだった。
「ただいま」
そう言って微笑みかけると、嬉しそうに笑い返してくれる。
「おかえり、シエテ。ほら早く、いい子に寝る前のお話をしてくれよ」
気を遣っているのか腕を引かれてベッドに寝かしつけられた。狭い一人用のベッドに並んで寝転がると自然に腕と腕がくっつく。
長い長い話を始めた。フェニックスとの騒動と、そして、縁のあるラドリスの国のことを。話す順番はめちゃくちゃで、どうしても話したくないことは口にはしなかった。それでも時折、相槌や鼻で笑う声が返ってくる。言いたいことを全て言い切り、話が終わる頃にはロベリアは瞼を閉じてゆっくりと息をしている。
「……めでたし、めでたし」
話を締め括るが、この結末が本当にめでたいのかはわからない。
6000年ぶりに出会った家族が次に会うのが遠い遠い未来で、まるで神話のような年月が流れた先のことだ。縁のあったラドリスの国は第一王子と騎士団長を失った。サブリナはセオドリクの死をまだ引き摺ったままでいる。十天衆の抱える問題も浮き彫りになった。様々な思惑が混ざり合う中で、もっと上手く立ち回れたかもしれない。
「なるほど、な」
眠っていなかったのか。ロベリアはパッチリと目を見開いてこちらを向くと口元を緩めた。
「世界を破壊して、作り直して、また破壊する時には別の音がするのか? そうやって満足する音を追求しているのかもな」
深刻な話題だったというのに、随分と楽しそうに、弾むように話す。言っている内容は全く理解が出来ない。
「ロベリア、お前、フェニックスの考えがわかるの?」
「くはっ、鳥の気持ちなんてわかるわけないだろう。オレの個人的な感想さ」
隣で笑う男は、神や神と同格の相手だろうと物怖じするような神経はしていない。欠伸を噛み殺しながら犬のような仕草で頭をくっつけてきた。くせっ毛が首元に当たって擽ったい。
こいつも、強者の立場の人間だ。ある程度は望んだ結末、自身の幸福を己の力で選び取れる。
「強者が選択肢を持っていることは、不公平だと思う?」
「何を言ってるんだ。力を持った者が物事を選択出来るのは当然のことだろう」
即答された。迷いが一切ない。この話題を問いかけ、議論する相手には不向きだ。俺だって強者が優位なことが道理だと思っているからこそ、今はノブレス・オブリージュの精神で行動している。ロベリアはこの手の話題で悩みもしない。似たような立場にいても理解し合えない部分ではあるが、ほんの少しだけ羨ましくもある。ロベリアはなんでもタワーに話す。一人で抱え込まない。
「……そう、だね」
明日にでもウーノに会いに行こう。団長と剣の稽古もしたい。それから近い将来、十天衆の他の面々の考えを確認しよう。やるべきこと、救うべき相手は尽きない。
「オレはオレの幸福を追求しているだけさ。キミもそうだ」
全ての人間が同時に幸福になることは不可能だ。各々が幸福を求め合ったら世界は破綻してしまう。
「ねぇ、もしも俺の幸福とロベリアの幸福が対立したら、」
「全力で勝ち取るだけだ」
急に体を動かし、覆い被される。言葉の途中で言い切られてしまった。
力強い肉食獣のようなギラギラとした視線と目が合う。抵抗せず見上げたまま目を離せない。肌がヒリヒリと刺激を受け、剣と、狙うべき急所の位置を意識してしまう。ロベリアと各々の幸福を賭けて衝突すれば互いの肉体は勿論、周囲一帯も無事ではすまない。下手すれば島ごと崩壊するだろう。
きっとそれは脳が壊れてしまうほど愉しい。使命を忘れてしまう。そんなことは、出来ない。
「えぇー、譲ってくれないのぉ?」
にっこりと笑っておねだりすると、ロベリアも目を細めて頬を緩めた。
「……いつも譲っているだろう。またタワーに馬鹿にされてしまう」
ロベリアは大げさに肩を竦めて口を尖らせ、再びベッドに寝転がった。小さなベッドが軋む。
「本当にロベリアとタワーは仲良いよね。シエテお兄さん、嫉妬しちゃうよ~」
「くはっ、心にもないことを。それよりも団長の音を近くで聞けなかったのは残念だな。大活躍だったんだろう。オレもその場で聞きたかった。どうしてオレのいない所で珍しい能力を使うんだ。どうにかして再現出来ないだろうか。前回の古戦場最終日の団長の音も、最高だったぜ。さっきも聞き返していたんだが、あぁ、思い出しただけで全身の細胞が震えてくる……んんっ、トレビアンッ!」
「へぇ~」
段々と舌の調子が戻ってきたロベリアの相手が面倒になって、つい生返事をしてしまう。
今回のような反則ともいえる強力な手段をとらないといけない事態は避けたい。団長への負担も気に掛かる。また地道に情報収集を続け、いつか来るその時に備えないといけない。いつまでも見守っていられるとは限らないのだから。ぐるぐると思考が駆け巡っていく。
「まさか本当に妬いてるのか。キミが? くはっ、恋慕とは違うと言っているだろう。ほら、今日はもう寝よう。アドゥマン、モンシェリ」
額に唇を落とされて、チュッという音が部屋に響いた。肩まで毛布を被せられて部屋の灯りも小さく絞られる。
薄暗い中でも笑顔を浮かべてすこぶる機嫌が良いのがわかる。ロベリアの顔を眺めていると、目元を手で覆われて視界が真っ暗になった。目を瞑ると強い眠気を感じる。このまま眠ってしまうと悪夢を見そうな予感がして、名前を呼んだ。
「ロベリア」
「まだ、何か言いたいことがあるのか?」
酷く優しい声が返ってくる。よほど寝かしつけたいのか胸の上を優しくぽんぽんと叩いてきた。幼い子供にするような扱いをされてむず痒い。
「ははは、もうないよ。いや~、好きだなぁ~って」
大切にしてくれているのがわかる。あの自身の幸福を優先しているロベリアが、だ。わかりやすい形で押し付けられる愛情を、こうして受け入れる日がくるとは思ってもいなかった。
「そう思うなら怪我なんてせずに早く帰ってきてくれ」
「傷口なんかもうとっくに跡形もなく塞がってるよ。見る?」
腹を見せる為に毛布を捲ろうと腕を動かすと、素早く手首を握られた。目元を覆う手が外れ、目を開く。室内は小さな灯りと窓から差し込む月明かりに照らされていて、互いの姿がよく見える。思ったよりも近くにある顔は真剣な表情ですぐに目と目が合う。ロベリアの緑色に煌めく瞳が左右に動いた後に、背中を向けられてしまった。
「それは……明日の夜、じっくり確認しよう」
さっきまであんなに機嫌が良かったのに素っ気ない。
「ロベリア♡」
広い背中に向かって、とびっきり媚びた声をかける。ロベリアが欲求を抑えていることに喜びを感じる。
「ノン、今のキミには興奮しない」
「えぇ~、ひどいなぁ~」
こちらを見ない背中に抱きつくと熱く、己の身体が冷えきっていたことに今になって気がついた。背中に頬をつけると気持ちがいい。徐々に体温が上がっていく。目を閉じると、とろとろとした眠気に包まれる。
「ロベリアって本当にあったかいよね。今日はよく眠れそうだよ」
夢と現実の合間で独り言を呟く。返事は期待していない。返ってきたとしても既に眠りの淵に立った脳は、言葉を受け止められない。
「……そんなことを言うのはキミくらいだ」
重たい瞼を上げる力も入らない頃、温もりに抱きしめられる。祈るような優しい声を近くに感じる。
「ボンニュイ、シエテ」
星の海に揺られて沈んで溶けて輪郭がぼやけていくような心地よさを感じていると、耳元に「よい夢を」という声が聞こえた。すぐ隣にいる温かい存在を感じ取る。曖昧になっていた自分の体の形を取り戻してから、意識を手放した。