酔って舌を滑らせる
酔って舌を滑らせる
賑やかな酒場の隅、木箱と酒樽の陰で死角になった席に、同じ団に所属しているシエテと二人横並びに座って酒を飲み交わしている。青い瞳が不躾にこちらの動きを見つめてくる。負けじと見つめ返すと、にんまりと微笑みかけられ、遠慮せずに料理を食べて酒を飲むようにと勧められる。
顔見知り程度の相手に飲みに行こうと誘われて快諾すると、驚いた表情をしてから今から行こうと直ぐにこの席が設けられた。なんでも誘っても断られる可能性が高く逃すまいと即座に実行したという。食事代は全額相手持ちだと聞けばそう悪い条件ではないというのに、どうして断られるのか不明だった。
そして今、断られる理由がわかった。へらへらとにやけ面で、やたらと年下だの団員として後輩だのと言って誂ってくる。やたらと探るような目で見てくる。相手に探られながら食事をするのはスリリングだが、座り心地が悪い。
これまで目立たないようにして身を潜めていたというのに、十天衆の頭目に目を付けられたのは失態といえる。相手の知名度よりも団長と付き合いが長く仲が良い保護者のような存在というのが問題だ。邪魔に感じた時に不慮の事故で艇から降りてもらう訳にもいかない。どうにかして懐柔出来ないかと慎重に探りを入れているが、のらりくらりと距離を取られて全く手応えが感じ取れない。
若いのだから食って飲めと勧められて料理と酒を口にする。この店は何を注文しても美味く、ついつい食が進んでしまう。誘ってきた相手はオレよりも先に腹が満たされたようで先ほどから酒ばかりを口にしている。
「本当によく食べるね。それに野菜も食べてえらいねぇ~」
話題は最初だけ団長たちの話やオレ自身を調査するような話ぶりだったのに、先ほどからずっと好きな食べ物の話題だ。揶揄する言葉も減って心から楽しんでいるように見える。何の目的で連れて来られたのかわからなくなってきた。美味い食べ物は好きなので、こちらとしても悪くない状況だと思ってきてしまっている。
酔いが回ってきてからこの男の話し声は心地よく感じる。座っている場所も落ち着いて飲める上に、ちらほらとグラスが割れたり人が殴られたりする音がしてきて退屈しない。酔いもまわってきて、段々と相手のペースに飲み込まれていってしまったのか、ついついタワーについても話してしまった。
目の前の相手も意外なことにオレに近い状態らしい。少しだけ似ているね、と言った後に顔を顰めている。どうやら酔いで口を滑らせてしまったのはお互い様のようだ。
オレにはいつだってタワーが側にいて、仮想世界で思う存分に幸福を追求出来る。目の前の人物にも己の視界を常に共有している存在があり、星の海というここではない場所と繋がっているという。それがタワーと同じ星晶獣なのかは、慎重に言葉を選んで曖昧に話しているから詳しくはわからない。深く知る必要を感じられず、それに相手も知られたくはなさそうだった。酒の席での与太話として明日には忘れてしまっていそうな話題だ。
「それなら、キミもオレと同じように、幸福な日々を送っているんだな」
偶然出会った似た境遇の同士に笑いかけると、ものすごい勢いで否定されてしまった。
「いやいや、ぜんっぜん違うよぉ?」
相当不満が溜まってようで一方的に喋り始めた。オレが口を挟めない程の勢いで話しかけてくる人物は珍しく、面白いので黙って話を聞くことにした。知られたくはなさそうだったのに話が止まらない。
どうやらタワーとは違い、嗜好の合わない厄介なタイプの存在らしい。素直でなく捻くれていて嫌味ったらしく他人を信頼せず、まるで今よりも若い頃の自分自身を見ているようでいたたまれない気持ちにもなるという。出て行ってもらいたいが、放っておくのも心配で見放すことも出来ないと、相槌を打つ間もなく次々に不満を漏らした。
やはり、オレのタワーは最高の相棒だ。時折、反抗はしてくるが他人に愚痴を漏らすほどの不満はない。
幸福を噛み締めながら酒を飲むのは最高の気分だ。酒が美味いかのように、トレビアンと小さく呟く。シエテは言いたいことを全て言い終えたのか頭を抱えて黙り込んでしまった。暫く周囲の音を楽しんでいると、再び口を開いてぽつぽつと弱々しい声で話しかけてくる。
「俺の、一面みたいなものだから、別の存在として認識しないでもらえるかな?」
静かに揺れる瞳と、視線が合った。言っている意味は理解出来ないが断る理由もない。敵意のないようにゆっくりと慎重に指を近付けて目尻を撫でる。ほんのりと指先が湿った。
「ちがっ、これは、泣きたい訳じゃ」
酒が入って感情が昂ぶったのが原因だろう。他の誰にも言えない話だ。オレだってタワーとのことを恩人である団長にだって全てを話していない。それを、何をトチ狂ったのかこの男は酔っ払ってオレに打ち明けてしまった。それだけ何かに追い詰められていたのかもしれない。今日の食事代は支払ってくれると言っていた。慰めの言葉の一つくらいは送ってもいいだろう。
「他の連中も上手くやっているのは、そうだな、そう、半々くらいさ!」
適当に話を作りがら空になった二つのグラスに酒を注ぐ。当然のことながら、他の十賢者と呼ばれる連中と契約している星晶獣の話をしたことはない。皆、単独で動いていて仲間意識はない。共通の知り合いのいる他人だ。カイムとはよく依頼で一緒になるが、何故かハングドマンが前に出てきてあまり喋らせてもらえない。
そもそもシエテの話の内容そのものには正直あまり興味がない。目まぐるしく変わる呼吸や鼓動の音や、聞いたことのない声色が聞ければそれでいい。シエテが何かに取り憑かれていようが二重人格だろうとオレには関係のない話だ。
言葉を誤魔化す為に肩を叩くと、驚いたように目を見開いた。その表情があまりにも間が抜けていて可笑しくて、我慢出来ずに笑ってしまった。怒られるかと思ったが、目尻を下げて微笑み返してくれた。目の周りが赤らみ、とろりと蕩けていて完全に酔いが回っているようだ。
虹彩が晴れた空の色をしていて美しく、ひしゃげて潰れたらどんな音がするのか気になって目が離せない。
「ははは、ロベリアって思ってたよりもずっといいやつだねぇー」
あんなに憤ったり泣きそうな顔をしたりしていたのに、今度はにこにこと笑って酒を飲み続けている。並々注いだグラスがもう空になってしまいそうだ。酒を注いでやったのはよくなかったかもしれない。水を貰おうと視線を逸らした瞬間、距離を詰められて顔と顔とが近付く。酒精の匂いに人間の身体の臭いが混ざって情欲を煽る。目の前の存在を壊したいと強く願うと同時に、シエテの表情が消えた。瞳の色が先ほどよりもずっと暗く深く変わっていく。二人の周囲の空気だけが重力を増し、口を開くのが相手よりも遅れた。
「はぁ……血のこびりついた臭いがして、最悪の気分だ。吐き気がするよ」
ビリビリとした殺気を浴びせられる。研ぎ澄まされた剣の切っ先で、音もなく全身を突き刺されたような感覚だ。目の前にいるコレが、つい先程シエテの言っていた存在なのだろうか。
「くはっ! 確かに、これは、苦労しそうだ」
眉間に皺を寄せて睨みつけてくるが視点が合っていない。ゆらゆらと体が揺れている。
「だいたい、どうしておまえみたいなやからとさけなんてのんでいることやらぁ~……」
喋りながらテーブルに突っ伏して眠ってしまった。なんてことはない。体は一つしかないのだから、あれだけ酒を飲み続ければ屈強な剣士だって酔い潰れてしまう。
赤く色づいた耳の縁を撫でる。白い皮膚の下を流れる、熱い血液の温度を感じ取る。強い命の音がする。耳を寄せようと顔を近付けて、吸い込まれるように額に唇を落とした。幸福を追求する時とは別の欲求が勝ったことに驚いて口元を隠す。口の端が、はしたなく歪むのを抑えきれない。誰かに見られている訳でもないが、誤魔化すためにグラスを手にして酒を飲む。無防備に眠る姿を眺めていると喉が渇いて酒がより一層美味く感じる。
シエテが何かに取り憑かれていようが二重人格だろうと何を背負っていたとしても、関係がない。オレが欲しいと思う感情に変わりはないのだから。
グラスの中身を全て飲み干すと舌を舐めずる。
「……いずれ消えてもらわないと、な」
欲しい玩具の付属品が、邪魔くさいと心底思った。