遠く離れたキミと 後編(シエテ視点)
遠く離れたキミと 後編(シエテ視点)
幼く真っ直ぐなあの子のことが心配で、何かあったらすぐに助けてあげたかった。
有事の際には今回のように六竜が迎えに来てくれるだろう。それでも、六竜が関わるほど大きな事件でなくても駆けつけてあげたい。特異点というだけはでなく、一緒にいればいるほど大切に思っている。周囲を照らす不思議な子だ。
団長は十天衆全員の希望でもある。俺でなくても他の誰かがきっと助けるだろうが不安が消えない。特異点としての宿命を目の当たりにしたせいかもしれないし、俺を見ている標神の存在のせいかもしれない。せめて連絡が取れるだけでもと考え、能力を持っていそうな相手に声をかけた。
それが最大の過ちだった。あの男には関わらなければ良かった。要注意人物として、これまで通りオクトーやサラーサに目を光らせて貰っていればよかった。断られた時点で引けば良かったのに、どうしてもと頼み込んだのは俺の方だ。全てが自業自得だ。
「そう自分を責めてばかりも良くないよ? いいじゃない。毎日こんなに平和なんだから、ほんの一瞬くらいは寄り道したってさぁ」
煩わしい言葉は無視して、テーブルの上に置いた白い巻き貝を眺める。どんな過酷な場所で悲惨な場面を見ても、すぐに明るくて平和で穏やかな日常に戻ってこれる魔法の道具だ。一度は返したが、またすぐに持たされた。あの時、強引にでもルピを渡して受け取らなければ関係は断てていたのに、そうはしなかった。
貝越しにロベリアの独特な挨拶や相槌を聞いているとなにもかもがどうでもよくなる。過去に自分自身の幸せの為に何人もの命を奪った男だ。何人どころか、何千人という単位で破壊したらしい。団長によって救われ、今はもう殺しはしていない。俺から見ればただの陽気で好き勝手生きている青年だ。自分本位なところに救われている。シエテには決して出来やしない生き方の片鱗に触れるだけで、すり減ってしまった心を和ませる。自分よりも最低な人間を見て安心しているだけ、そう思っていた。とんでもない思い違いだ。
「何度も忠告したけど、俺も本当は反対だよ。あんな男。……でも、君の寂しさを埋められるのはあいつみたいだし、こればかりは仕方がないね」
世界をより良くする為に、世界を破壊しようと試みた男が何か言っている。俺からしてみればどちらも変わりない。今は大人しくしているから見逃しているだけだ。俺の周りは団長たちを除けばそんな人間ばかりで、今更なにも特別な感情は湧かない。
巻き貝を手にとってベッドの上に寝転がる。仰向けで天井を見上げ、胸の上に貝を抱く。普通の貝とは違い、魔術で作られた貝は多少の衝撃では欠けることもない。鞄の中に入れていて命拾いした時は本当に驚いた。単なる偶然で、貝がなくとも命に別条はなかったかもしれない。それでも感謝の念を抱いてしまった。
不安定な時に支えに感じていた。ロベリアには特別な感情を持っていることは伝えていないはずなのに。全部が全部、一方的に想っていただけだったのに。
「好きになってしまったんだろう? 向こうもその気なんだし、観念したらいいのに。後で後悔するよ」
遠く離れて言葉を交わすだけでいいと思っていた。一度だけ、思い出として一緒に食事をしたいとほんの少しだけ欲張ってしまったのがいけなかった。気持ちが漏れ伝わってしまっていた。
目と目が合って、唇に触れられて、キスをして、そのまま……。
「いやぁ~、でもメシに誘いに行った先で食べられちゃうなんてねぇ」
「うるさいよっ!」
あれこれ一人で喋っていた標神が口元だけ笑いながら消えていく。
好きだと思っていた相手に迫られて断る方法を知らなかった。拒めばよかったのに相手を目の前にしたら思い出が欲しい気持ちの方が強くなってしまった。好きな相手に求められるなんて、死に際に思い出すこととして最適じゃないか。
それなのに今、最低最悪の惨めな気持ちで自室のベッドに横たわっている。腰も関節も鈍く痛むし、胸もお腹も痛い。
誰か一人に心を奪われて為すべき事に支障をきたすことになったら、俺という存在の価値が無くなってしまう。団長がいれば世界はなんとかなるだろう。だからといって無責任に幼い子どもに全てを背負わせるのか。背負わせようとして酷く後悔したじゃないか。
「ロベリア~~っ」
つい、こんなにも悩ませる男の名前を呼んでしまう。無意識に頼りにしてしまっている。
「サリュ、シエテ! 呼んだかい?」
「わっ!?」
胸の上で巻き貝から声がして、驚いて上半身を起こす。
「くはっ、驚かせてしまったな。キミが呼べば繋がるようにしておいたんだ」
「そ、そう」
音声が繋がってしまった。一昨日までなら嬉しく思っていただろう。昨日で関係性が一気に変わってしまった。俺が食事に誘いに行ってしまったことをきっかけにとても気まずいことになった。
「昨日は……いや、今朝までとても楽しい時間だった。今も録っていたキミの声を聞いていたんだが、こうして話ている時の方が良いな。直接聞くのが一番だけど、ね」
「音を記録する魔術を使ってたの?」
「ウィ、勿論だ。キミとはなかなか会えないだろう。それよりも今からそっちに行く」
「なんで?」
情事の音声を記憶しているだなんて、今から脅迫でもされるのだろうか。不安と同時に、わざわざ会いに来てくれるのを嬉しく思ってしまう。さっきまで痛いところばかりだったのになんともなくなってしまった。
「直接聞くのが一番だって言っただろう?」
ロベリアはマイペースだ。突然の行動に冷静に対応出来ない。なんとか時間を稼ぎたい。
「待って、今は……」
なにか適当なことを言おうとした矢先にドアが軽快にノックされた。
いくらなんでも来るのが早すぎる。誰か別の訪問者で、それを口実にロベリアを追い返したい。追い返せなくとも対策を取る時間を稼ぎたい。顔を合わせて、また肉欲に溺れてしまうなんてことはしたくない。
急いでドアを開ける。
「サリュ!」
「い、いらっしゃい」
願いも虚しく満面の笑みを浮かべたロベリアが立っていた。六竜のように空間移動も出来るのかと思うくらいに到着が早い。
「来るの早かったね」
「ウィ、キミが呼んでくれたから」
しれっと言ってくるが僅かに息が乱れて薄く汗をかいている。
前髪の一部が額にくっついてしまっていて、指先でそれを払ってやった。
「廊下を走っちゃ危ないよ」
この男にとっては音もなく走ることくらい簡単なことなのだろう。
「ノン、走ってはないさ……会いたくて向かっていたら、キミが呼んでくれたから足が勝手に素早く動いてしまったんだ」
視線が熱い。緑色の瞳がこちらを射貫くように見つめてくる。
最初は露骨に面倒だという顔で適当にあしらってきたのに、こうしてわざわざ部屋に来て笑顔を見せてくれるようになった。
好きだ。常識はずれで自分勝手で、こちらの予想を軽々と超えてくる。自由で、自分とは真逆の生き方をしてきた男が、好きでどうしていいのかわからない。
「ジュテーム。好きだよシエテ、愛してる」
強引に距離を詰められて唇を塞がれる。軽く何度も啄まれて、物足りなくなった頃に舌を捩じ込まれる。息が苦しくなる直前に唇が離れてもう一度優しく啄まれる。
「どうして、お前は俺の欲しいものをくれるんだ」
まるで心の中を覗かれているような気分だ。どうしていいのかわからず迷っていれば言葉をくれて、強引に完璧なキスを与えられる。
ロベリアは首を傾げて目を瞬かせる。口元に手を当てて無言のまま眉間に皺を寄せると、パッと一瞬で明るい笑顔に戻った。
「ああ、そうか。オレのしたいことがキミの欲しいものなのか」
一人で頷いて納得しているが意味がわからない。
「くはっ、まさかこんなに早いなんて」
なにがと問う前に唇を吸われる。両肩を掴まれて目の前にロベリアの顔がある。鼻と鼻が触れ合う距離で視線を合わせて詰め寄られる。
「シエテ、オレのことが好きだと言ってくれ。それで全て解決するんだ」
懇願されてもそんなこと言える訳がない。それに、俺の抱いている感情が漏れていて、それを感じ取って行動していたのではないのか。そうでなければ昨夜の出来事はなんだったのだろう。
「……言わなくても……わかってたんじゃ、ない、の?」
暫くの間、沈黙が続いた後にロベリアの口角がぐっと上がる。
「ウィ、勿論わかってたさ! 言って欲しいが今じゃなくてもいいんだ。顔を見合わせていない時の方が言いやすいこともあるだろう? その時に言ってくれないか?」
それもそうだ。顔が見えていない方が話しやすい。抱きつくと思ったよりもずっと体格が良くて力強く支えられる。首に顔を埋めると喜んでいるのか独特の笑い声が耳の近くに聞こえる。お互いの顔は見えない。
たった二文字を言うのに時間はかかったが、顔を見合わせずにいれば言い難いことも言える。ロベリアが、だからキミはオレの予想よりいつも早い、と耳を赤くしてボヤく。
触れ合った部分が熱い。言えないこと、伝えていないことが多くあって、いくら距離を縮めても二人の思考は遥か遠くかけ離れている。なんの間違いなのか、偶然にも深く噛み合ってしまった。
今更、元には戻れない。開き直って自分から唇を重ねて、押し倒した。