関係を終わらせる
関係を終わらせる
一杯だけ付き合って欲しいと誘われて、近頃よく話しかけてくる男の部屋に入った。男は殺しをやめてそこそこの期間が経過しているくせに常に微かに血の臭いが残る元大量殺人鬼ではあるが、割り振られた部屋の中は綺麗に使われていて甘い良い匂いがする。部屋を見渡すと、直前まで香が焚かれていたようで窓辺の香炉からたゆたう煙が消えていった。
「なんかロベリアの部屋って感じ」
テーブルの上に白い巻貝が2つ並んでいて、壁にはいつも着ているローブが掛けられている。
見たままの感想を口にすると、部屋の主が笑った。
「くはっ、オレの部屋だからね。次はキミの部屋にも招待してくれよ」
「うーん、まぁ、考えておくよ」
何故かこの男は俺の部屋に来たがる。部屋には特に何もないから来られても困る。それとなく断り続けて、それなら部屋に来て欲しいと言われてつい頷いてしまったのが今日だ。
部屋は広くない為、ベッドの上に座るように手を差し伸べられた。誘導に従ってベッドの端に腰掛ける。
用意されたグラスに酒が注がれていく。そこそこ値の張る美味い酒だ。この酒が好きだと言ったのを覚えていてくれたのかもしれない。いい友人関係を築けていると少し浮かれながらグラスを受け取ろうとした瞬間、ロベリアの手がブレて酒が溢れた。
「オーララ、キミがオレの部屋にいる喜びで緊張してしまったようだ」
「大丈夫? 飲む前からその調子じゃ先が思いやられるよ」
零れた酒も、頭の方も心配だ。団員が部屋に来ただけでそこまで緊張するだろうか。本気で言ってるとしても大袈裟だ。
ロベリアがテーブルを拭いている最中に、ほんの小さな水音がした。
「さあ、改めて乾杯しよう」
ロベリアが「サンテ!」と言って、グラスとグラスを合わせてカツンと音を鳴らす。乾杯をしても二人ともグラスに口を付けず、相手の様子を窺っている状況が数秒続いた。渡された方のグラスをテーブルの上に置き、よく見ると一部分にだけ細かな泡が立っている。
「今、これに何か入れたでしょ」
グラスの不自然な箇所を指を差してみせた。
ロベリアは目線を逸らしたまま、俺の持っていたグラスの中身を混ぜるように回し始めた。ふぅと大きく溜め息を吐いてからこちらを真っ直ぐ見る。
「ウィ、入れたよ! キミの体の為に手に入れたんだ。さあ、飲んでくれ」
グラスを押し付けられてウインクをされる。ここまで正直に入れた、飲め、と主張されると押し切られて口を付けそうになるが確認を続ける。
「いや、飲んでくれって言われても、訳のわからないものは飲みたくないんだけど」
露骨に怪しい。健康の為ではなく、体の為というのも引っかかる。
「くはっ、以前はもっと上手く入れれたんだ。キミの前だとどうしても緊張してしまって上手くできなかった。次は絶対にわからないようにするから……」
「いや、だから何を入れたんだよ」
にっこりと満面の笑みを浮かべて微笑みかけてくる。
「男同士のセックスを円滑にすすめる薬だ」
「は?」
言っている意味がわからない。そんな薬は聞いたことがないし、わざわざ薬を盛る意図もいまいちピンとこない。
「持ってた方がいいだろうと勧められて買ったんだ」
「いやいやいや、怖い。誰に? なんで? 飲ませて無理やりってこと?」
思わず距離を置き、部屋のドアへの動線を確かめる。ベッドの上に座らせたのも下心ありだったのか。剣拓でどうにでも出来るが、帯剣してくればよかった。後悔しても遅い。
「ノンッ! それは違う。今からそういう雰囲気になるから、その時にキミの気が変わらないうちに最後まで出来るようにするだけだ。害はない。説明書もちゃんと読んだ。勧めてくれたのも団員だ」
必死過ぎて怖い。団員に勧められる状況は想像もつかないが、絶対にないとも言い切れないのがこの団だ。
説明書とやらを出させて読んでみるが、本当に行為をスムーズに進めるための特別な薬らしく、意識を失わせたり強引に高揚させるような効果はないようだ。こんな都合のいい薬もあるもんなんだなぁと感心してしまう。
「でもさぁ、今からそういう雰囲気にならないでしょ」
ベッドに腰掛けているが、ロベリアは椅子から移動して今は床に正座している。よく考えれば少しずつ近づいてきている。全く油断ならない奴だ。
「なる! これから口説く予定だったんだ。キミが薬に気付くから流れがおかしくなってしまっただけで……」
口を尖らせてこちらが悪いように言ってくるが全てこいつが悪い。だいたいこれから口説くからスムーズにセックスできる薬を先に飲ませておくってなんだそれは。そっちの順序の方がよっぽどおかしいだろう。
「シエテ、オレはキミにとって悪くない相手だと思わないか?」
いつの間にか足元まで移動してきていたロベリアが脚に縋る。咄嗟に剣拓を出して威嚇するが効果はないようだ。
「うーーーん」
「悩むくらいには望みがあるってことだね」
「どっちかがやめたくなったら終わりにできる……セフレってこと?」
「……セフ? ああ! なんでもいいから今晩キミを抱きたい」
上目遣いで見られるとそう嫌な気はしない。
性欲は薄い方だ。剣を振るっているうちにそういう欲求はなくなるし、朝起きて昂っていても一度抜けば終わりだし、人を斬って興奮するということもなかった。人を斬り殺すのは剣を振った結果でしかない。それを何かを見出すことはない。
だからお互いの性欲処理だけの関係でいいからどうしても肉体関係を持ちたいと言われてもピンとこない。目の前の相手は剣先をちらつかせても引く気はないらしい。後腐れもなく試してみるには丁度いい、どうにでも出来る相手だった。
どうしても抱きたいのだという。こちらは能動的にどうこうしたい欲求はないから、受け身で寝ていればいいのなら難しいことはなさそうだ。
実のところ夜の営みに全く興味がない訳ではない。性欲が薄くとも体験してはみたい。出来る自信がなくて避けたこともある。途中でやっぱり無理なんてわかったら、普通の人間じゃないみたいで恐ろしかった。
目の前の男を見る。視線が合う。同じ性別で子供が出来る心配もなく、同じくらいの体格で一方的に抑えつけられることもない。清潔感があるのも悪くない。なにより眼差しが真剣で、なにをそんなにも必死になるのかわからなくて可笑しくなってきた。
「はははっ」
笑いながらベッドに倒れ込む。視線が熱すぎて、見られた部分から体中に熱が広がっていく感覚がする。
「……いいよ、しても」
「くはっ、本当に? いいのかい? トレビアン! 信じられない!」
そう言いながらすでにベッドの上まで来てこちらを見下ろしている。息を荒げながら首筋に吸い付き、徐々に下に降りていく。きちんと体は反応して、薬の効果なのか痛みや苦しさもなく、総合評価は悪くない。むしろ良い。
ロベリアの体から仄かに甘い匂いがするのを嗅ぎながら行為に耽けていった。
熱が落ち着いて頭が回り始めてきた。思い立ったことを聞いてみる。
「ねぇ、薬は補助するやつだけど、香が気分を高揚させるやつだったんじゃない?」
ロベリアは部屋に入った時に感じた甘い香りを纏っていた。ロベリア本来の肌や汗の匂いと混ざった香りは、嗅ぐと腹の奥がぐつぐつと熱くなっていく感覚がした。
「ああ! ムーディーな気持ちになるとは言われたが、効果があったなら買って良かった」
全く悪気もなく、むしろ良かったと満足そうにしている姿を見て、こういう奴なのだと改めて実感する。こんな碌でもない相手なら、簡単に関係を終わらせられると安堵して眠ることにした。
「シエテ」
こうして甘ったるい声で名前を呼ばれるのも悪くない。
クッキーを焼いたから一緒に食べようと誘われた。部屋に来たいと強請られて、断る理由もないかと頷く。セフレが部屋に来るということはそういうこともするのだろう。特に準備という訳でもないが寝具を整えて予備も用意しておく。
クッキーとティーセットを持ってきたロベリアを部屋に入れてやると、セボンだのトレビアンだの言って浮かれているので原因を聞いてみる。
「なんかいいことでもあった?」
程よい温度の紅茶を飲みながら、こちらを見つめるロベリアに問いかけた。
「ああ! シエテが部屋に入れてくれるなんて!」
「いや、別に意味はないよ。誰かを招くほどの部屋でもないから断っていただけだからね」
「それに今回は気付かれずに薬を飲ますことに成功したんだ」
得意気な顔で言うが、言っている内容が物騒だ。
「……この紅茶?」
口にしていたカップをテーブルに置く。怪しい動きはなかった。カップは空だったし、ロベリアも同じポットから注がれたものを飲んでいるから完全に油断していた。
「くはっ、よく当てたね」
「いや、これしか口にしてないし」
用意されたクッキーをつまむ。大きめでナッツとチョコチップが入っていて食べ応えがありそうだ。
「クッキーは割って音を楽しみながら食べてくれ」
「屑が床に落ちると嫌だから普通に食べるよ」
「んー、それは残念だ。しかし、キミが齧り付いて割れる音も素晴らしい! トレビアンッ!」
言っている意味がわからないが、部屋に入ってからずっと浮かれている。
「あのさぁ、普通に飲むからわざわざ飲み物に入れなくていいよ」
「は?」
「ヤるんだろ。薬は自分で飲むから渡して。俺が持ってる」
「なっ、シエテ、キ、キミ、せっ……積極的だな」
顔を赤く染めて恥ずかしそうにしているが、何を今更言っているのだろう。
「セフレなんてそんなもんじゃないの」
「う、うん……?」
薬はとても便利だ。二人で会う時は飲んでおいて、なんの苦もなくスムーズに受け入れられる。これがあるから気軽に出来る。
ロベリアの瞳を見つめながら唇を重ねる。深い緑色は見ていると心が安らぐ。安らぎを感じるのは、緑は自然の色だから、風を司る色だから、ただそれだけのことだ。
このところセフレの様子がどうもおかしい。
話しかけてもなにか考え事をしているようで上の空なことが多い。黙っているのは苦手だと言っていたので、悩みがあるなら聞くと声をかけてみたが、自分でなんとかできると力なく笑うだけだった。悩みがあることは確定している。なのに言ってこない。まぁ、所詮セフレだし、相談相手にはならないということか。毎回ヤることはヤるくせに。面白くない。
行為の内容もがっついた感じではなくなって、時間をかけてゆっくりと触れてくる。おそらく飽きてきているのを言い出せないのだろう。ここらが引き際なのかもしれない。薬も今日で使いきった。
先に言われるのは癪に障る。こちらから言い出すしかない。タイミングもよく明日から暫くの間は艇から降りる予定だ。時間を置いた方がお互いに気も楽だし、言うなら今日しかない。
「ロベリア」
名前を呼ぶ声が、少し震えたのは気のせいだ。関係を終わらせてもまた前に戻るだけだから大した問題ではない。そもそも親しくもなんともない相手だった。
「なんだい?」
呼ばれると嬉しそうな顔をするから、何か勘違いしそうになる。
「今の関係を終わりにしよう」
ロベリアは驚いたように目を見開いてから、にっこりと笑った。
「くはっ! オレもそれを言いたかったんだ」
ほら、やっぱりな。汗をかいた肌だけではなく、内臓まで冷えていく感覚がする。背中を向けて毛布を被ると毛布ごと抱きしめられる。
「シエテ、体が冷えているね」
触れる肌が熱い。体温が高く汗ばんでいてしっとりしている。気持ちがいいのに、全部おしまいだ。名残惜しく感じてしまわないように酷くして欲しい。
「……そう思うなら温めてよ」
「ウィ、任せてくれ」
ロベリアの手の平から熱が発せられ、当てられている腹部からじんわりと温まっていく。そういう意味で言ったのではないが、もうセフレではないから抱かれることもないのだと実感してしまう。
体が温まってくると眠気が強くなり、すぐに意識を手放した。
朝、目が覚めるとロベリアはベッドからいなくなっていた。再び体が冷えていく感覚から逃れる為、手早く着替えて艇を後にした。
数週間ぶりに戻ってきたグランサイファーはいつもとなんら変わりがなかった。多少は感傷的になるかもしれないなどと不安もあったが、それは全くの杞憂だった。セフレとの関係を切ったくらいで何を恐れていたのか。そもそもなんともない相手を選んだのだから平気に決まっている。
いつもどおり団長に挨拶をすると「新しい部屋はロベリアに聞いてね」と言われてしまった。新しい部屋ということは、今まで使用していた部屋は使えないということだろう。どういうことか聞きたかったが、団長が他の団員に声をかけられて去ってしまったため詳細はわからない。
なんとも思っていなくても、ロベリアに聞くのは気が進まない。他の団員に声をかけようと一歩踏み出したところで腕を掴まれた。
「おかえりシエテ、2人の愛の巣はこっちだ」
手を引かれるのを振り払って問いかける。
「どういうことだよ」
「恋人同士は部屋を同室にしてもらえるんだ」
それは知っている。恋人同士でなくとも親子や仲の良い友人グループで同室になっている団員もいる。
「恋人同士ってなんの話だよ」
再び腕を掴まれて引っ張られる。ロベリアはどこか急いているようだ。
「くはっ! オレたちは体だけの関係を止めて結ばれただろう」
「えっ?」
「シエテもオレと同じ気持ちでよかった。オレたちの部屋に帰ろう」
どうしよう。何を言っているのか理解出来ない。
既に部屋が同室になっているということは、関係を周囲に知られているということだ。今から違うというのも無理がある。しかもヤることはヤっていて、証明されると非常に困る。
「何を勘違いをしていてセフレだなんて言葉を使っていたのか。キミを傷つけないように間違いを伝える方法が思い浮かばなくて……」
やっぱり言っている意味がわからなくて、頭が痛くなってきた。いつもそうだ。こいつの言っていることは順番がめちゃくちゃだし、訳がわからない。セフレがセックスフレンドの略だとわからずに返事をしてたということなのか。そんなことがあるのか。どこまで本気で言っているんだ。
混乱している間にもどんどん歩みを進めていく。
「シエテが間違った関係を終わらせてくれたから本当によかった。オレたちは愛し合っているのだから、恋人同士だろ?」
「……愛し合ってたっけ」
情事の最中にそういう言葉を口にすることはあったが、それ以外ではそんな会話をした覚えがない。
「くはっ、久しぶりに聞くシエテの声は心地良いな。オレはなんて幸せな男なんだろう。さぁ、早く部屋に行こう」
今、酷く誤魔化された気がする。
「なにをそんなに急いでるんだよ」
「オレが部屋の移動を頼みに行っている間に何も言わずに出ていくから……とても心配したよ。オレが言葉足らずだった。だからオレがキミのことをどれだけ愛しているか、わかってもらおうと思って」
笑顔が恐ろしく感じる。
ロベリアが足を止めて、ドアが開かれる。広めの部屋に大きなベッドが一つ。いつか嗅いだ甘ったるい匂いがする。入るとすぐに鍵をかけられて、もの凄く嫌な予感がしている。
「ね、ねぇ、話し合わない? お互いに言葉が足りてなかったよね~」
マントの留め具を弄られながら穏便に解決する方法を探す。
「今更? なにを?」
ロベリアの言葉が思考を削り取ってくる。恋人同士なのかどうかと真面目に話し合うのか、ロベリアと? 誤解なんだと団長に泣きつくのか? セフレのつもりで遊んでいただけだと団員たちに言うのか?
「えっ、えっと……」
これが武器を使った武力勝負なら絶対に勝てるのに。色恋沙汰だとするとどうしたらいいのか。何も思い浮かばない。
「確かに、言葉は足りていなかったかもしれない。だからこれからは毎日愛を囁くよ」
抱き締められていい香りに包まれる。この匂いが好きだ。他にいろいろと考えないといけないのに、もう薬はない、なくなったと言って新しく用意してもらえばよかったという後悔が頭の中を埋めていく。
「オレは最初からずっとキミを想って行動していた。シエテはどうなんだ?」
ロベリアのことをどう思っているか、ずっと考えないようにしていた。セフレだから深く考えたらいけないと目を背け続けた。いつだって関係を終わらせられる、どうしようもない奴だと思い込むようにしていた。
悔しいけれど負けを認めるしかない。甘やかされて、愛されて、逃げ道がなくなってしまっている。
「でも、もうあの薬もないし、お前の望むようには出来ないよ」
ロベリアの、くははっという特徴的な笑い声が広い部屋に響いた。
「シエテ、心配は要らない。あの薬はなくても大丈夫だ」
「でも……」
「何回していると思ってるんだ? とっくにオレを受け入れる形になっているよ」
答えられない。数えきれないくらいの夜を共にしている。
近づいてくる唇から逃げられない。ぺちゃぺちゃと舐められながら緊張で顔が引き攣る。そんな心配など必要ないくらい、薬なんかなくてもスムーズに受け入れてしまった。ロベリアの言うとおりに、受け入れる形とやらになってしまっているのか。自身の体のことながら恐ろしくなる。
これからどうなってしまうのか不安が過り、背中を向けて目を閉じる。体温が下がっていく感覚がし始めた。
「シエテ」
「……なんだよ」
強引に抱き寄せられる。背中に触れる肌が熱く心地よい。
「ジュテーム、愛してるよ」
とびきり甘く耳に注ぎ込まれる言葉に、返す言葉を持ち合わせておらず返事が出来ない。黙っていると嬉しそうに笑い出した。
「くはっ、言っただろう。毎日愛を囁くって」
言葉を求めている訳ではないのが伝わってきて少しだけ気が楽になってくる。触れられている場所からじわじわと体温が戻っていく。
関係が終わって、別のものに変わってしまった。