転がっていくものを堰き止めることは難しい
転がっていくものを堰き止めることは難しい
「……オーララ」
目を大きく見開いて、隣にいた私にしか聞こえないくらい小さく感嘆の声を上げた。まだまだ私も若い身ではあるが、旅で多くの人と出会う機会が多く、人が恋に落ちる瞬間というものを何度か見たことがある。正に今がそれだった。意外な人物が更に意外な人物に心を奪われる瞬間に立ち会ってしまった。
咄嗟に思ったのは嫌だなぁ、だった。それはどちらに対して思ったのかわからない。2人が仲良くなることが好ましく思えずに口を開く。
「シエテはだめだよ」
だめ。そうだ、シエテはだめだ。シエテは十天衆の頭目で、全空で一番強い剣士で、剣神を従える天星剣王なのだ。私の剣の師匠の一人でもあるし、本人に直接言いはしないが兄のような存在だ。ロベリアが独占していい人ではない。
目線は一点に固定されていて瞬きすらしていない。こちらの言葉も聞いていないのか反応がない。腰に向かって拳を叩き込む。
「うぐっ。どうしたんだい団長」
ようやくこちらを向いた。
「どうしたんだいじゃないよ。話、聞いてた?」
少し考えるような仕草をして出てきた言葉に嫌な予感が強まる。
「……彼はシエテと言うのか」
いつもだったら録音するからもう一度殴って欲しいだとか言うくせに、シエテの名前を気にするのか。再び視線が動く。つられて私もそちらを見ると、シエテと目が合った。笑いながら大きく手を振ってくるから手を振り返す。
こちらに向かってくるようなので、ロベリアと接触させないように指示を出す。
「ロベリアは部屋に戻って」
「ウィ、団長の言うことには従うよ。彼にはこちらから接触しない」
「うん」
そんなやり取りをして数日後、私は衝撃的な光景を目にする。
ロベリアとシエテが楽しそうに話をしている。接触しないと言っていたのにどうしてこうなったのか。
「ちょっと、ロベリアに話があるんだけど」
問いただす為にロベリアを呼ぶ。
「ああ。……シエテ、また今度教えて欲しい」
「いいよ。じゃあ、またね。団長ちゃんも」
また、と互いに気軽に言い合うのを聞いて嫌な予感が深まる。この2人は既に何度も会話をしているのではないだろうか。
ロベリアは機嫌良く鼻歌まで歌い始めた。
「なんで一緒にいたの? 接触しないって言ってたよね」
「くはっ、こちらからは接触してない」
「はぁ?」
「団長が不自然な対応をするから、シエテが心配してオレに接触してきたんだ」
確かに、シエテならそうするだろう。害がないか近寄って確かめる。
「シエテは声も素敵だ。なにより親切だった。魔物の討伐について不安があると言ったらいろいろ教えてくれたよ。ああ、そうだ。次の島でシエテが好きなパフェを食べに行ってくる」
なにが討伐に不安だ。まだ壊れないでくれよと言ってなぶり殺しているじゃないか。意外にも後方からサポートするのも上手くやっている。
「だめって言ったじゃない」
「彼に危害は加えない。そういう意味のだめじゃないのか?」
違う。ロベリアが危害を与えることは全く心配していない。シエテは強く、容赦がない。そういう意味のだめではない。恋愛感情を抱いてシエテを困らせるのはやめて欲しいし、2人が付き合うなんてことになったら嫌だという意味だが一切伝わっていない。
「……シエテのこと、どう思う?」
「さっきも言ったが、親切な人だと思う。違うのか?」
ロベリアは何を言っているのかわからないという困ったような顔をしている。そうか、わかっていないんだ。過去を隠さず話してくるが、恋人がいたという形跡はない。もしも過去にそういう存在がいたら恋人の音を聞かせようとしてくるだろう。恋愛感情がわからないならそのまま友人として、シエテからまともな人間関係を学んだらいい。
「うぅん、親切な人で間違ってないよ。シエテはみんなに優しいから迷惑かけないように。パフェを食べに行く時は、誰か他に何人か誘って行ってね」
「ウィ、ウィ」
しっかりと聞いてないだろう生返事が返ってきた。ぼんやりとシエテがいた方向を見ているロベリアが、恋心に気がつかないようにと願う。万が一気が付いたとしても、きっとシエテなら大丈夫だろう。
私はわかっていなかった。わかっていたつもりだった。シエテがこれまでどうやって生きてきたのか、どうして十天衆の皆から少しだけ距離を置かれているのか、何も知らなかった。シエテが自分のことを話すことは殆どなく、きっと誰も知らない。聞いたところで冗談を言ってはぐらかされてしまう。もしかしたらシエテ自身もよくわかっていないのかもしれない。
そう、だからシエテからまともな人間関係を学べる訳がない。
ロベリアが浮ついていることが増えた。幸せいっぱいですという顔が腹立たしい。シエテを見かければ大きく手を振って駆け寄る。大きな犬みたいに纏わりついて頭を撫でられている。それらの光景を見ると、もやもやと重たい嫌な気持ちがする。
ビィとルリアが私の異変を感じ取って心配した顔をするので、気分転換にシエテに剣を教えてもらうことにした。剣を振うのは気分を切り替えるのにぴったりだし、シエテが目の前にいれば二人の関係がこれ以上進むこともない。剣を打ち合っていると徐々に気分も晴れていく。
シエテは、私の目標は、今日も変わらず強い。
シエテとの剣の稽古が終わり、ルリアが用意してくれたタオルで汗を拭く。シエテも顔と首元を拭いている。少し下を向くと首の後ろ、髪と鎧で普段は見えない肌が晒された。白い肌に真っ赤な噛み跡と痣が付いている。
「シエテ、なにそれ」
「えっ、なになに珍しい虫でもいた?」
すぐに首元を正して隠してしまったが、誰かに付けられた痕跡がはっきりと見えた。暴力的な事跡に一人の人物が思い浮かぶ。
「……それってロベリアに噛まれたの?」
「そうだよ」
なんでもことのように軽く肯定するシエテに疑問を抱く。
「どうして」
「どうしてって、あいつがそうしたがってたからかなぁ。そんなに心配しなくてもすぐに治るよ」
「そうじゃなくて、ロベリアは何もわかってなかったのに……」
シエテは眉を下げて困ったような顔をしている。
「うーん。団長ちゃん、シエテお兄さんだって誰かに愛されてみたいなぁって思う時だってあるんだよ」
「だからってロベリアはないでしょ」
「どうしてそんなに拘るかなぁ……あっ、ひょっとしてロベリアのことが好き、とか?」
「それはないっ!」
私の強い否定に対して、安堵したようにそっと息を吐いた。それだけでわかってしまった。シエテだってロベリアのことを少なからず想っている。
どうしてこういう時だけシエテのことが好きなんでしょって言ってくれないのだろう。鈍いのか、それともそういった話題を避けているのか。
私だって恋愛感情としての好きとは違うが、シエテのことが大好きなのに。私だけでなく他の人たちだってシエテのことが好きなのに。全くわかっていない。わかりやすいロベリアの好意だけが伝わって、私たちの好意はほんの僅かしか伝わっていない。そうじゃなきゃ愛されたいと思う訳がない。シエテはみんなに愛されているのだから。
「あぁー、もうっ!」
もやもやした気持ちを振り払うように剣を構え、大きく振るう。
「団長ちゃん、もう少し続ける?」
穏やかに微笑んでいるシエテに向かって剣先を向けた。
「お願い」
迷いを断ち切る為に何度も何度も剣を振り下ろす。一度動いてしまった人の心は止めることは難しい。
剣と剣がぶつかり合った分だけ、私たちは分かり合えていたと思っていた。兄のような存在から卒業するよりも先に、別のところに行ってしまったことが悔しくて許せないのは、私の甘えた部分なんだって思い知らされてしまった。
幸せそうに顔を寄せて話す2人を遠くから見つめる。2人とも、私に気がつくと手を振ってくる。きっと私に何かあれば全力で助けてくれるだろう。
それでも、あともう少しだけ、私のお兄さんでいて欲しかった。