撫でる
撫でる
オレからしてみれば大したことはないが、周囲が心配する程度の負傷をした。騎空士をしていればよくあるちょっとした事故だった。
依頼をこなしているとぽつぽつと雨が降ってきた。予報では晴天が続くはずで、すぐに降りやむだろうと先を急いだ。だんだんと雨足が強まっていき、ついには土砂降りになってしまった。撤退しようと団長が口に出し、引き返す道中で魔物が現れ交戦が始まった。足場の悪い環境での戦闘に慣れていない新人の団員の足が縺れ、それを庇おうと前に出た団長の更に前に出た。太い骨の折れるイイ音がして、団員の悲鳴と、団長がロベリアとオレの名前を呼ぶ声とで素晴らしいアルモニーを感じた。勿論、録音することは忘れていない。故意には作り出せない偶然の産物は正しく天然物と呼ぶに相応しく、非常に満足のいく出来だ。回復魔法の使える団員が近くに控えていたから怪我もすぐに治った。恩人が無事で好ましい音も回収出来てメリットしかない。他の団員が怪我をしようがしまいがどうでもよかった。
「偉いじゃないか。よく頑張ったねぇ」
なのに今、暖かい室内で褒められながら頭を撫でられている。
撫でているシエテは子供の面倒をみることもあるらしく、慣れた手つきで髪型が崩れないように毛の流れに沿って一方向に向かって優しく手を動かしていてそれがとても気持ちがいい。子供扱いされる謂れはないが、悪い気はしないので黙って受け入れる。幼い頃、パパとママもよくこうして撫でてくれていた。パパとママ以外に頭を撫でてもらうことはなかったから、大人になってもこんなに良いことだとは初めて知った。
団長もよく動けていたと思う。称える為にも頭を撫でてあげようと手を伸ばすと避けられた。
「団長、頭を撫でるだけだ。少しだけ止まってくれ」
「やだよ、シエテならまだしもロベリアはいや」
「団長ちゃん、ロベリアも頑張ったんだし、少しくらいは撫でさせてあげなよ」
シエテの一声のおかげで、不服そうだが体を傾けて頭を差し出してくれた。団長の頭に手を置いて親愛の気持ちを込めてぐりぐりと撫でてみる。
「ちょっと、痛い痛いっ!」
すぐに撫でていた手を跳ね除けられてしまった。
「うーん、思ったより力加減が難しいな」
「うーんじゃないよ、頭が割れるかと思ったよ」
そんなに力を込めたつもりはないが、親愛よりも頭蓋骨を感じたい気持ちの方が強く出てしまったのかもしれない。やり取りを見ていたシエテが大きな声で笑う。
「あははっ」
「シエテのせいだからね!」
「ごめんごめん。ふふっ」
団長に睨まれて謝るが、笑いを堪えきれないようで肩を揺らしている。
「ロベリア、シエテのことも撫でてあげて」
「ウィ!」
返事をしたはいいが、手を伸ばすのを躊躇してしまう。団長には力が入ってしまって失敗したが、シエテが撫でてきた要領を思い出して撫でれば成功するはずだ。彼の撫で方は心地よかった。
シエテの髪の流れは複雑でどう撫でたら正解なのか今すぐには判断が難しい。向かって右側頭部を後ろに向かって撫でればいいのかと、迷った末に頬に手を伸ばして、耳やもみあげの辺りを指先で撫でてみる。力を込めずに指先で触感を味わうように滑らせる。
「……や、やめてよ」
手首を掴まれて止められてしまった。そんなに下手だったのか、シエテはこちらに背を向けてしまった。怒っているようで耳が赤くなっている。
団長がにやにやした顔で失敗を嘲笑うのが悔しくて、絶対に撫でる技術を上達させると心に決めた。
そうと決まれば、まずは撫でられてみようと艇の共有部に陣取り、通りすがりの団員に頼んで撫でてみてもらった。団長を庇った話が広まっていて協力的な団員が多い。だが、シエテに撫でられるよりも心地が良いと思える人はいなかった。髪型が崩れてしまうことも多い。頭がもげるかと思うこともあった。他人の頭に触りたくないと断られることもあった。簡単そうに見えてなかなか奥の深い動作なのかもしれない。
徐々に通りががる人が減ってきて、とうとう一人になった。撫でられるのはもうやめて次は撫でる練習をしようかと思っていたところに、一匹の動物がやってきた。
「皆の者、そんな人の子よりもイーウィヤを撫でるのじゃ! って一人しかおらぬではないかー」
長い毛が生えていて、丁度いい練習台になりそうだ。鷲掴みにして持ち上げると背中を撫でてみる。
「なんじゃこの抱え方は。撫で方もなっとらん。離すのじゃー」
腕に爪を立てられて逃げようとするので、逃げられないように力を強める。噛みついてきたが気にせず撫で続ける。
「なにしてるの?」
背後からの声に驚いて思わず手を離してしまった。動物はするりと抜け出して声の主、シエテの足元に巻き付いた。
「この男がイーウィヤのことをいじめるのじゃ~」
「ロベリア、団員をいじめちゃだめだよ」
そう言って動物を抱えあげると、椅子に座って膝の上に乗せた。丸まった動物の背中をシエテが撫でる。動物からはゴロゴロという耳障りな鳴き声があがった。
「ノン、いじめてなんかいない。撫でる練習をしてたんだ」
「こやつは猫の扱いが下手すぎる。臭いも最悪なのじゃ」
「ははっ。香水か、イーウィヤの場合は得意な属性とかも関係があるのかねぇ」
シエテの手の平に体を擦り付けながら話す姿が癪に障る。
「シエテ! そんな不格好な毛の塊よりオレを撫でてくれ」
「毛の塊じゃとぉ? なんじゃその態度は」
「うるさい。キミの音は不快だ」
「ふんっ、ならとっとと去れ。イーウィヤはもっともぉ~っと撫でてもらうからの~」
近くの椅子をシエテの座る真横にずらして座る。膝の上で図々しくも丸くなっている動物を退かそうと押すが、爪を立てて抵抗してくる。
「ほらほら喧嘩しないで」
シエテが片手で動物を撫でて、もう一方の手で俺の頭を撫でてくれる。気に食わないが手を引くと、向こうも爪を収めた。
肩と肩が触れ合っている箇所が温かい。シエテは機嫌がいいようで柔らかい声で、なんだか懐かしいなと小さく呟いた。オレも動物も聞き取れているが黙ったまま撫でられ続け、長閑な時間が流れる。
撫でていた手がゆっくりと止まった。肩に重みを感じ、小さな呼吸音がする。どうやらシエテは眠ってしまったようだ。
脚を尻尾で軽く叩かれた。動物が得意気な顔をしてこちらを見る。
「ふふんっ、これぞ猫による癒やしのパワーじゃ!」
シエテを起こさない為か、直接頭の中に声を響かせて話しかけてきた。シエテが眠ったのは自分の手柄だと言いたいのだろう。本当に苛立つ毛の塊だ。弾き飛ばしてやろうかと構えたところで、一足先に音もなく去っていった。
これでこの場所にはふたりきり、独り占めだ。どんな顔で眠っているのか見たくて少し体を動かすと、シエテの体がびくりと震えてすぐに目を開いてしまった。
「ごめん。少し寝ちゃったみたい」
照れくさそうに笑う顔を見て、頬に手を伸ばして親指で撫でる。
「ロベリア、その触り方は恥ずかしいからやめてよ」
そうは言われても手を止めたくない。人を撫でる時の気持ちの根源がわかった気がする。
「オレはキミのことが好きなのかもしれない」
「は?」
徐々に赤くなっていく顔を見つめていると様々な衝動が溢れてくる。耳の奥深く、体の中からいつもとは違った幸せを感じる音が鳴り響く。
「くはっ! ノン、いいや、確実に好きだ。ジュテーム、シエテ」
「それって本気で言ってるの?」
肩から腕に沿って手を滑らして、動物の毛の付いた太腿を払う。防具や服越しではなく直接触れたい。全身余すことなく、内臓まで全てに触れたい。
「もっと撫でたいし、撫でられたい。それから壊したい。つまり、そういうことだろう」
吐息がかかる距離まで顔を寄せたところで、人が近づいてくる音が聞こえてきた。シエテも気配に気がついたのか手を払って立ち上がりこちらに背を向けた。
「……俺の部屋、来る? 撫でるだけならいいよ」
返事を待たずに歩き出していく背中を慌てて追いかける。シエテの部屋に着いたらまずは赤くなっている耳に触れて、なんという言葉を囁こうか。期待で心臓が高鳴る。
それは、生まれてからこれまでに聞いたことのない音だった。