万全にならない
万全にならない
今、団内にとても気になる人物がいる。気になって夜も眠れないくらいだ。そのせいで寝不足の日が続いている。仮眠から目覚めると監視用のクラポティを再生して動きを確認する。どうやら部屋を出て艇の中を移動したようだ。欠伸を噛み殺しながらその人物を探す。甲板の上でやっと見つけた。触覚のような髪の毛を揺らし、なにかを呟きながらふらふらと歩いている。
「オーララ……」
思わず声が出てしまった。これは酷い。黒い靄を全身に纏い、青白く透けた人型を背負っている。そう遠くない場所から息をひそめる生き物と星晶獣の音が微かに聞こえる。ドス黒い魔力が監視しているような気配も感じる。
一体、どこから手を付けたらいいのか。この男はどれだけ執着されているのだ。今日も酷い状態だ。
グランサイファー内にいる団員は信用できる。シエテに下卑た視線を向けて狙う者も空の上なら簡単には近づけない。大きな出来事は何も起こらないだろうと仮眠を取っていた数時間の間に見事に悪化した。
甲板の上から落ちてしまいそうな足の運び方をしはじめたので、駆け寄ってマントを引っ張った。ふらついている間に脚にまとわりついている黒い靄を音の衝撃波で蹴散らす。
「えっ、なになに?」
引っ張られた本人は何が起こったかわかっていない。たった今、覚醒したようで辺りを見渡している。
「突風が吹いたようだ。ゴミがついている。目を瞑って」
頭から背中にかけて手を振って靄を払う。目を瞑っている間についでにいろいろと吹き飛ばした。
「取れたよ」
「ありがとう」
念のために魔術がかけられていないか目と目を合わせて確認する。空の色をした目が煌めいている。両手で顔を掴み、下瞼を下げて眼球を見るが特に問題はなさそうだ。ただ、寝不足なのかクマができていて、頬がひんやりと冷たくなっている。
「体が冷えているね。室内に入った方がいい」
体温の低下は身体の機能に影響を及ぼす。少しでも体温が戻るように頬を撫でていると徐々に熱が戻っていき赤みを帯びていく。
流石に空の下に落ちたら救いようがない。落下物の危険もある。まだ室内の方が安全だといえる。
「そ、そうだね」
真っ白い肌に充分に血の気が戻ったところで手を離した。
シエテが腰に差した剣が何か言いたそうな気配がしたので睨みつける。余計なことを話されるとそれだけ室内に入るのが遅れてしまう。無駄口を叩く暇があればもっと積極的に持ち主を守れと強く言いたい。
「天司に珈琲を淹れてもらうというのはどうだい」
一番安全そうな場所を勧める。食堂でもいいが時間帯によっては非戦闘員しかいない。
「いいね。……よかったらロベリアも一緒に行かない?」
シエテの背後で何かが反射して光った。まだ残っていたらしい。誘いを受けている場合ではない。一刻も早く片付けなければ。
「オレは少しばかり野暮用があるんだ。また今度誘ってくれないか」
「そっかぁ。じゃあ、また今度」
シエテが背を向けて艇の中に入ろうと扉に手をかけた瞬間、頭上に何かが落ちてくるのが見えた。
「シエテ!」
とっさに飛びついて庇うように転がる。重たい金属の塊が甲板に刺さった。
魔術師に体を張らせないで欲しい。体の上に乗っかった形になったシエテはすぐにどいてくれたが、顔色が青くなったり赤くなったりと忙しなく顔色を変えている。
落としてきた相手に苛立つ。二度と関われないくらいに壊してやる。
「……なんかさぁ、最近こういうの多いんだよね」
先に起き上がったシエテが手を差し伸べてくれた。ありがたく手を掴んで起き上がる。手を握ったまま金属の塊を足蹴にして退かせると、扉を開けてシエテを中に押し込む。
「自覚があるのなら、誰かに相談して解決したらいい」
「そうだね、ごめん。ありがとう」
申し訳なさそうな声を聞きながら扉を閉め、タワーを呼び出した。
きっと、オレが助けずともシエテは今の落下物を避けられたのだろう。でも見過ごすことが出来なかった。調子が狂う。どうしてこんなにも放っておけないのか。心臓の辺りが酷くざわつく。
「タワー、団に関わる物や人は傷つけずに、他の全てを破壊し尽してくれ。キミなら出来るだろう?」
艇の上空を積乱雲が覆い、甲板の上を強い風が吹く。ほんの数分だけの急な悪天候が去ると空には晴天が広がった。
シエテを守ることになったのは、ちょっとした好奇心がきっかけだった。
すぐに壊れそうな音を纏っている男だと気になって後をつけた。壊すのは禁じられているが、壊れるところを見届ける分にはなんの問題もない。全空一の剣士が壊れる音を聞けるなんて幸運にもほどがある。
暴漢に狙われたのを鮮やかな剣捌きで返り討ちにしたのは爽快で面白かった。騎空士にはよくある光景だが、圧倒的に強い者が弱者を蹂躙する様は見ていて興奮する。シエテも暴漢たちも壊れこそはしなかったがそこそこ満足していると暴漢のおかわりが続いていき、段々と飽きてきた。逃げる暴漢の中でも元気そうな奴の骨を折って遊んでいると、この騒動の原因がわかった。どうやら十天衆の頭目が弱っているという噂が全空中に広まっているらしい。やはり有名になるのはリスクが高い。
欠伸を噛み殺しながらそろそろ帰るかと考えていたら、見たことのない巨大な生き物が参戦してきた。人間相手には手加減していたのか、対象が魔物や異形に変わってからは容赦なく斬り捨てている。飛び散る血飛沫や体液、悲鳴の中で立ち回る姿は美しさを感じるほどだ。そのうち怨霊のような実体のないものにまで狙われて目が離せなくなった。次はどう追い払うのかとわくわくしながら見ていたが、粘液の塊に足を取られて大きく体勢を崩したところでタワーと共に割って入った。
誰かに負けるところなど見たくはない。壊される音を聞くではなく、この手で壊したい。できるなら万全の状態のシエテを壊したい。シエテのことを狙う連中は目的の邪魔だ。
何かよくないものを吸ってしまったのか、意識が朦朧としているシエテを回収すると部屋まで送り届けた。それからずっと回復するのを待っているが、万全の状態になるどころか悪くなる一方で、幸福の音の蒐集から遠ざかっている。シエテが誰にも相談せずに一人で抱え込んでいるせいだ。
元気になって笑うシエテを壊す。そんな妄想をしながらタワーと共に力を振るう。
掃除に時間をかけたつもりはないが、天司のところやシエテの自室の付近で気配を探ってみても、シエテの姿が見つからない。安全な場所で珈琲を飲みながら座っていてくれたらどれほど安心出来ただろうか。足早に移動していると食堂の方からシエテの声が微かに聞き取れた。どうやら他の団員たちに身の回りで続いている不審な出来事を相談しているようだ。ようやく外部に助けを求めてくれた。これで事態は解決に向かうだろう。
食堂の中には入らずに周囲に危険がないか探っていると自分の名前が出た。思わず会話の内容に聞き耳を立てる。
「それはロベリアが怪しいんじゃないか」
「いやいや、ロベリアが助けてくれてるんだよ」
すぐにシエテが否定するが、集まっている団員たちの意見は違った。
「好感度を稼ごうとしてるとか」
「遭遇している頻度がストーカーの域なんだよね」
「盗聴でもしてるんじゃないの」
「後をつけているのを見かけたぞ」
完全に疑われている。今見つかるとまずそうだ。危険もなさそうなのでその場を後にする。
それにしても影で守っていたのはオレだというのに酷い言い様だ。まるでオレが犯罪者みたいじゃないか。団に入ってから無意味な破壊はしていないというのに腑に落ちない。
自室でベッドに横たわってもなかなか眠ることができない。
周囲の人間に言われてシエテにも疑われるかもしれない。そうなると警戒されてしまう。他の団員もシエテに協力するなら、オレが関わる必要はない。あとはシエテの状態が回復するのを待てばいいだけだ。もう関わることはやめようと、目を閉じると同時にドアがノックされた。
「ロベリア、いる?」
面倒だから無視しようと思ったが、扉越しに聞こえた声に飛び起きる。
「今開けるよ。サリュ、シエ……テ?」
ドアを開けると、冷たく生臭い空気が部屋に入ってくる。やけに廊下が暗い。シエテの背後に悍ましい冒涜的な姿をした半透明の化け物が蠢いている。肩に触腕が乗っていることすらシエテは認識していないようだ。
「あのさぁ、ロベリアと話したいことがあるんだけど」
「いいから何も言わずにこのクラポティの音を聞いてくれっ!」
指を鳴らして取り出したクラポティをシエテの耳に押し当てる。特殊な祝詞を録音したものだ。化け物は嫌そうな悲鳴をあげながら退散していく。たまたま録音しておいたものが効いてよかった。これ以上なにも寄ってこないようにシエテを部屋に引っ張り込んでドアを閉めた。
「あれ、なんか肩が軽くなってきた。廊下は冷えてたけどこの部屋は温かいねぇ」
「……はぁ」
狙われすぎて感覚が麻痺しているのか、何者かに認識を阻害されているのか、気がついていないのならわざわざ教える必要もないがもっと危機感を抱いて欲しい。名状しがたい異形の姿を思い出すと鳥肌が立った。不満に思いながらも椅子に座るように促して、テーブルを挟んで対面に座った。
「部屋に運んでくれた時からずっとロベリアが助けてくれてたんだよね?」
嬉しそうな顔で指摘されても、素直にそうだと言い出し難い。善意で守っていた訳ではない。自身の幸福の為だ。
「ノン、偶然居合わせてしまっただけだ」
壊れる音を聞く為に後をつけたのがはじまりで、最高の状態で壊すために他を排除した。他の人になら感謝されてもそのまま受け止めるが、シエテに感謝されるのはどうにも居心地の悪さを感じる。
「……ねぇ、お願いだから、俺の目に見える場所にいてくれないかな」
テーブルの上で組んでいる手が小さく震えている。本当に弱りきっている。哀れに思えてきて思わず立ち上がり、シエテの体を抱きしめて背中を軽く叩く。
「そんなに不安にならなくても、いつもどおりオレが守るさ」
よほど怖い思いをしたのか、鎧越しにわかるくらい心臓の音が大きく鳴っている。抱きしめるのは不自然かと体を離そうとしたが強く抱き返された。
「ちょ、ちょっと待って。もう少し落ち着くまでこのままでいてよ。今は顔を見られたくない」
「ウィ、別に構わないが」
少しでも早く落ち着くように親が子にするように頭を撫でてやると、ひゃいっという奇声をあげた。
「シエテ? どうしたんだ?」
「耳元で話すのもやめて」
「キミ、意外と注文が多いな……おや、熱があるんじゃないか?」
耳が赤くなっていて、強引に体を離して顔を見ると首から顔にかけても赤い。目がきょろきょろと左右に動く。額に手を置くと思ったとおりに熱を帯びている。
「そ、そうかもねー! あははっ」
「横になった方がいい。心細かったら隣で見ているから」
「横って、ここで?」
トクトクトクとシエテの心臓の音が早鐘を叩き続けている。とても軽快で聞き覚えがあるがこの状況下では珍しいリズムだ。
「目に見える場所にいて欲しいんだろ」
「う、うん。……そういう意味じゃないんだけどなぁ」
「何か言ったか? 鎧を脱いで寛げる格好になってくれ」
「脱ぐけど、恥ずかしいから後ろ向いてて」
言われるままに鎧を脱いでいる間は後ろを向いて待つ。ベッドに横になってもらうと、椅子を動かして隣で眺める。疲労の残る顔色で落ち着かない様子で視線を泳がせていたが、大きく息を吐いてから口を開いた。
「少ししたら噂話も落ち着くし、よくわからないヤツも来なくなるらしいから。迷惑かけちゃってごめんね」
「くはっ、気にしないでくれ。キミの音は近くで聞くと面白いから構わないさ」
首に手を当てて脈音を確かめる。こちらに主張するように、音が鳴り続けている。
「どんな音?」
「言葉にするのは難しいが、キラキラッというか、思春期の子供のような、まるでオレのことが好きだといっているような音だ」
「はいっ? ち、違うよ。気のせいじゃないかな」
シエテは顔を更に真っ赤にして布団を被って隠れてしまった。こうやって図星だったと勘違いさせるような行動を取るから、命を狙われるだけでなく妙な音をさせた連中にも執着されるのではないだろうか。
暫くすると布団の中から深い呼吸音がした。どうやら眠ってしまったようだ。激しく動いていた心音も落ち着いてきて、つられるように眠くなってきた。
ベッドの空いたスペースに横になり、何も寄り付かないように、横取りされないようにシエテを抱き寄せて眠る。オレの獲物だ。誰にも渡さない。
目覚めたシエテがまた変な声を上げて心臓の音も激しく鳴り響き、騒がしくて面白いなと思った。
シエテの言っていたとおり、各方面で対策がとられてあっという間に襲撃沙汰は落ち着いた。もっと早く相談しろと何人にも責められていたのを遠くから見ていた。
命を狙われることも減って関わりは減っていくかと思いきや、何故かシエテはオレの側にいる。相談が遅かったことへの罰で近い存在に暫く口をきいてもらえないせいかと思っていたが、近くにいないと落ち着かないらしい。
心を許してくれればそれだけ襲撃もしやすくなる。たっぷりと睡眠と食事をとらせてマッサージまで施した。肌艶もよくなってきたがもう少しだけ改善させたい。そのもう少し、もう少しが続いている。
今日も当然のような顔をして帯剣もせず、軽装でオレの部屋のベッドに横になって寛いでいる。シャツが捲れて白い腹が見えている。無防備にも程がある。
「シエテ、はしたないな。腹が冷えるとまた腹痛を起こすだろ」
腹を隠せという指摘を無視され、挑発するように長い脚を組んで細い腰のラインが強調された。剣士らしい上半身のボリュームとの対比に気が散ってならない。視界には入らないよう隠すように毛布をかけると不満げな顔を見せてくる。
「俺ってそんなに魅力ないかなー」
「魅力的だと思うが?」
当たり前のことを聞かれたので素直に答えた。大勢の者に狙われるだけの理由はある。肉体も性格も立場も、他者を惹きつける魅力を持っている。
「じゃあ焦らされてるんだ」
「さっきから何を言って……」
毛布を蹴っ飛ばしてゆっくりとシャツのボタンを外していく。露わになる肌から目が離せない。喉が鳴る音がやけに大きく部屋に響いた。
「俺、もう調子も戻ったよ? 体も丈夫だからそこまで過保護にする必要ないよね。音でわかってるくせに酷いなぁ。お礼くらいさせてよ」
赤く染まった頬と、とろりと熱のこもった瞳に、随分と回りくどい誘い文句を言われているのだと理解した。視界に訴えかけてくるわかりやすい誘惑に目眩がしてきた。
感謝されたかった訳では無い。しかし、貰えるものならもらっておきたい。それだけ魅力的な誘いだ。支配欲や優越感やらがまぜこぜになっていく。
「オーララ……」
肌なんて何度も触れているのに指先が微かに震える。吸い込まれるように白い胸と腹に触れてしまい、シエテの体を万全の状態から遠ざけることになってしまった。