恋人ごっこ
恋人ごっこ
幸福の音を聞く以外に楽しみや趣味を作った方がいい。幸せを感じることは多いに越したことはない。団長がそう言ったことで、団員達にいろいろと連れ回されそうになった。折角、極上の幸福の音を聴き放題の状態だというのにとんでもない。
静かに過ごしたいと断ってなんとか自由にさせてもらえることになったが、それでも買い物や食事、バンド活動に誘われたりはした。それらに程々に、適切に、距離をとって付き合っていた。恩人に尽くす為に凡人でいることに徹して、恩人とだけ幸福を分け合う……ことは何故か拒否されてしまうが、概ねオレもタワーも幸せに充実して過ごしている。
刺激的な音を背景に平穏な日々を過ごす。そんな時間に割り込んでくる人物がやってきた。十天衆の頭目、シエテだ。
「ねぇねぇ、暇なんでしょ? 俺と一緒に遊びに行こう」
「いや、オレは静かに過ごしたいんだ。大人しくしているから放っておいてくれないか」
他の団員に伝えた言葉と同様に断った。なのに男は言葉を続ける。
「別に少しくらいはいいじゃない。新しい場所に行けば新しい音に出会えるかもよ?」
少し考えてから無言で頷く。幸福の音以外の別のものではなく、新しい音という誘い方は悪くはない。
誘ってきた相手は仲良くしておいて損はない人物で、彼から発せられる音は気になる色をしている。人間離れしてはいるが人間で、日によっては他の人間が混っている。今まで見たことがない。もっと深く観察したい。出来れば壊れるところに立ち会って音を聞きたい。
「俺に任せてよ。行きたいところや、やりたいことがたくさんあるんだ」
楽しそうに弾む声につられて期待に胸が高鳴る。
それから毎回違う場所へ誘ってきて、誘った本人が楽しむということが続いた。誘われる頻度も煩わしく思うこともないように適切に日を開けてくれる。シエテと過ごす時間は思っていたよりも楽だ。ふたりとも話すことが好きだからか、言葉の掛け合いがいくらでも出来る。どこでそんなに稼いでくるのかわからないが金払いもいい。肩がぶつかるような距離で話をしても近いと注意してこないし、柄の悪い連中に絡まれてもすぐに排除してくれる。何を言われてもとりあえず付いていくことにした。
朝日を浴びて全身を伸ばす。柔らかい風が吹いていて心地が良い。隣で同じように体を伸ばしているシエテも同じことを思っているのか、眠そうな目をしながらも口元は緩んでいる。
「はー、たまにはこういうのもいいねぇ」
「くはっ! キミはいつもそう言うな」
艇の甲板で星を観ていたら二人とも眠ってしまって、目覚めた後そのまま日が登るのを黙って観ていた。
「ロベリアは? 楽しかった?」
「ああ」
買い物、釣り、盗賊狩り、洞窟探索、剣の素振り、登山、追いかけっこ、サウナ、温泉、レース観戦、カジノ、演奏会、季節限定のパフェの店、ケーキの美味しいカフェ、新鮮な魚介類を出すレストラン、薄暗い小さなバー、夕陽の見えるビーチ、艇の甲板で天体観測……。
これが他の相手なら理由をつけて断るが、シエテと行ってみるとどれも悪くはなかった。剣の素振りをすると言われた時は正気を疑ったが、見ているだけでも許してくれたのでなんとかなった。初めて行く場所もオレを楽しませるようによく調べられていて、事前に手作りの資料を渡されることもあった。
ただ笑っているだけではなく、期待に胸をときめかせて楽しい嬉しいと言ってくる姿は好ましく思う。
「でもなんだか段々とデートみたいになってきちゃったなぁ。いっそのこと次はグランサイファー内を端から端まで探索でもしようか。それとも一緒にクッキーでも焼く?」
「……デート?」
言われてみればふたりきりで一般的にデート先として選ばれるような場所に行っている。シエテと共に何かをすることが楽しくて深く考えていなかった。
シエテは口元に手を当てて何か考えており、デートと聞き返したことは流されてしまった。
「ロベリアはなにか興味のあることは増えた?」
目の前の人物に興味があって一緒にいる。既に楽しみが見つかっていることに、問われてみてやっと気がついた。幸せや趣味を見つけることに囚われていた。
オレはシエテのことが好きだ。それよりもずっと先にシエテはオレのことが好きなはずだ。壊滅的に鈍いこの男はそれに気がついていない。しかし、今この場でストレートに「キミはオレのことが好きだ」と言うと逃げられる予感がする。
「そうだな……もっとキミと恋人ごっこがしたい」
この集まりにデートという名前をつければ、より一層楽しくなる。きっとシエテも同じことを思うはずだ。
「こ、恋人ごっこ? やっぱりそんな感じになってた? ごめん。なんでも付いてきてくれるから、つい一度やってみたいことを選んじゃって。ロベリアと一緒だとどれも楽しいし。いや、あの、俺も剣拓集め以外の趣味が欲しくてさ……」
わかりやすく慌てている姿は目新しい。いつも事前に調べて余裕を持って行動しているからここまで慌てることはなかった。
「謝る必要はないさ。キミと過ごす時間は楽しい。これからもいろんなことを教えてくれないか?」
「あ、あぁ、もちろん。この頼れるシエテお兄さんに任せてくれたまえ」
目を細めて得意気な顔をしているところに、一瞬だけ唇を重ねる。簡単に唇を奪えるような距離でなんの警戒もしていない。
「……えっ……えっ?」
シエテの白い頬が徐々に赤くなっていく。
「恋人同士は別れ際にキスをするものだろ?」
「する、と思うけど……でも」
「でも?」
「恋人じゃないよね」
混乱しきった顔をしている。早くシエテも気がつけばいい。ここはおかしいだとか気持ちが悪いだとか言うべきところだろう。
「シエテ、これはごっこ遊びなんだから最後まで付き合ってくれよ。今日もとても楽しかった」
「わ、わかった」
「くはっ! じゃあ、次回のデートも楽しみにしているよ。オールヴォワール」
きっといつもと同じくらいの間隔で誘ってくるだろうという確信があった。こんな楽しい関係をすぐにやめられるわけがない。
予想通りのタイミングで声をかけられた。なんならいつもより少し早いくらいだ。しかもオレの部屋に来たいと言う。断る理由もなく部屋に通すと、テーブルの上に見たことのない果物が置かれた。
「珍しい果物を貰ってね。しかもこれ、ここ最近で1番良い出来なんだって。ロベリアにも食べさせたくて多めに貰ってきたんだよ」
慣れた手つきでナイフを操り、手早く皮を剥いていく。一口サイズに切り終えると小首を傾げてこちらの口元へ差し出す。
「ほら、あーん」
恋人ごっこの続きだ。
以前、パフェを食べに行った時に、あーんという時のその首の角度は計算してわざとやっているのか聞いてみたが、何を言ってるのかわからないといった顔をして逆側に首を傾げられた。逆に、そういうものなんじゃないのと言われれば、シエテが言うならそういうものかと納得してしまった。そこそこ前から既に恋人ごっこは始まっていた。
無意識に世の中の恋人同士の真似をしていることに早く気付いて欲しい。壊滅的に鈍いから無理か。潜在的に恋人ごっこがしてみたいと思っていて、その相手にオレを選んでいる意味がまるでわかっていない。暇そうにしていて断らないというだけで何度も同じ人間と遊びに行くような性格ではないだろう。
差し出された果物を指ごと頬張る。果物は丁寧に口の中ですり潰し飲み込み、指には優しく舌を絡めて吸いつく。
「こらこら、食べたなら離して」
名残惜しく柔らかく歯を立てるが、引っこ抜かれてしまう。ティッシュで指を拭いてから再び果物を食べさせようとしてくる。
「セボン。次は口で食べさせてくれないか?」
「……はぁ」
ため息を吐きながらも、咥えて顔を寄せてくる。頬がほんのりと赤らんでいる。
端から齧り付いて唇が触れる寸前に顔を背けられる。このまま口内に舌を捩じ込むつもりだったのにここまでが限度らしい。
「ねぇ、楽しかった?」
「トレビアンッ! キミはいつだってオレを楽しませてくれる」
「そ、そう、それならいいけど。じゃあそろそろ帰るよ」
「次も楽しみにしてるよ」
「うん……次、ね……」
帰ると言ったのになかなか帰ろうとしない。何か言おうとして口を薄く開けては閉じる。
「シエテ?」
顔を覗き込むと顔を赤くして目を固く瞑った。眉間に皺が寄るくらい強くて目を閉じてこちらに顔を向ける。別れ際のキスを待っている。
「くはっ!」
思わず笑ってしまうと腕を軽く抓られた。あまり待たせるのはよくないが、ゆっくりと時間をかけて唇を重ねた。唇を離すと瞼が開く。目が合うと強い眼差しでこちらを見据えてきた。こちらを斬り捨てんばかりの視線に、身震いするほどの感動を受ける。
「次のデートまでに気持ちの整理をつけてくるから……期待して待っててよ」
そう言って逃げるように部屋を出て行った。どうやら壊滅的と言うほどには鈍くはなかったらしい。
今まで以上に次回を楽しみに待つことになった。その次は、こちらから誘ってみよう。盛大に喜ぶ姿が今から思い浮かぶ。