真夜中にはじまる
真夜中にはじまる
月のない夜。重たい雲が星々を隠し、窓の外には暗闇が広がっている。誰も彼もが眠っているのか艇の中はとても静かで、内に響く破壊の音を堪能するにはもってこいの夜だ。
ほら、また、肉体が破壊される。
鼻歌を口ずさみ寝返りを打つ。その刹那、声が湧いた。
「こんばんは」
突然上から強く押さえつけられ、息をするのも許されない。魔術で対抗しようとしたが何かに阻まれていて上手くいかない。
首に冷たいものを押し当てられ、刃物だと認識した頃にはじわじわと痛みが広がってきた。
こんなにも唐突で一方的な終わりがくるだなんて。どうせなら分身の最後と同じタイミングに合わせて欲しい。心臓が大きく跳ねる。鼓動とは裏腹に首筋と指の先から冷えていき、股間に熱が集まる。
「どうだい、シエテ?」
「この程度ならいつでも処分できる」
確かめるような問いと、無機質な声の返答。男が2人。気配は消しているが部屋の外にもう1人いそうだ。
シエテ。この場の絶対的な支配者の名を忘れぬように冷えた頭の中で何度も繰り返す。
「それならこのまま様子を見るということでよさそうだ」
「まぁ、団長ちゃんの望みだから仕方ないよねぇ」
「本当に彼に説明はしなくていいのかい?」
「必要ない」
拘束されているロベリアの存在は関係なく話が進んでいく。骨が軋み深く呼吸が出来ない。
先ほどとは違い、語尾の伸びた喋り方は同じ声だというのに全く違う印象を受ける。そのくせすぐにまた吐き捨てるような声を出す。どちらが本当の彼なのだろう。ほんの小さく興味がわきはじめる。ここで終わりたくない。もっと知りたい。
喉から息が漏れ、窒息する寸前に解放された。浅く呼吸を繰り返し男を見上げるが暗闇のせいで顔は見えない。今この瞬間、どんな目で見下ろしているのか知りたい。もどかしい。
乱れているだろう髪を撫でつけられる。
「いい子になるんだよ」
指先が頭から頬に流れるように降りてきて、頬を手のひらが覆う。肌と肌が触れ合う温度と優しく慈しむような声に背筋が震えた。
今は殺す気はないようだ。首筋に布を押し当てられ手早く止血をされた。ようやく動くようになった手で男に触れそうとすると避けられ、訪問者達は来時と同じように音を立てずに去っていった。体の震えが止まらず立ち上がるのはまだ無理そうだ。
「……くはっ」
ドクドクと全身に血が流れて体が熱い。こんなに興奮したのはタワーにはじめて破壊された時以来だ。
あんなに転調する音を奏でる相手はどんな見た目をしているのだろうか。今晩の出来事を録音できなかったのが非常に残念だ。
「くっは!くははっ……」
笑いが止まらない。彼の声を思い出して空想に浸る。気がつけば部屋の中に日が差し、部屋の外も騒がしさが戻っている。
首に触れると止血の際にポーションでも塗られたのか傷は消えている。残された布は真っ白な上質な布地のハンカチで、自分の血の臭いの他にうっすらと別の人間の匂いを感じた。
寝不足の高揚感に包まれながら艇の甲板を散歩していると団長の姿が見えた。今日は特に気分がいいから幸せのお裾分けをしようと近付くと、見かけたことのない男が団長の元に向かってくる。団長は男に気がつくとすぐに駆け寄った。
今のこの幸せな気分の中に知らない相手を入れてしまっては台無しなので、彼らの近くで団長が一人になるタイミングを見計らうことにした。
「シエテ、久しぶり!」
団長が呼ぶ名前に全身に鳥肌が立った。無意識に首元に手を当ててしまう。
「やぁ、団長ちゃん。久しぶりだね。また強くなったんじゃない? あとでお兄さんが確かめてあげようか」
「今日は忙しいからまた明日ね」
「そんなぁ」
団長は駆け寄ったくせにすぐに離れていった。忙しいのは本当のようだ。少しでも彼と話がしたかったのだろう。
団長が去るとすぐに男はこちらを見る。はじめからここにいることがわかっていたようだ。
視線に誘われるようにふらふらと近づいていく。
金色の髪が陽の光を反射して眩しい。宝石のような碧色の目がこちらを見据えている。垂れた目尻と微笑む口元が作られたような笑みを印象付ける。
「はじめまして。俺は十天衆の頭目、天星剣王のシエテだ」
挨拶と共に手を差し伸べられる。自信に満ち溢れた自己紹介を録音するのは忘れなかった。
「……ハンカチのお礼をしたい」
この手に昨晩拘束されていたのだと、感慨深く差し伸べられた手を眺める。
「なんのことかなぁ。俺たち、初対面だろう」
有無を言わさぬはっきりとした口調で、堂々と初対面だと言いきられた。この高慢な態度の男はオレのことをいつでも殺せると思っている。
「キミと特別仲良くなりたいってことだ。気になる子に声をかける時の古くからある手法さ」
適当に話を合わせて、差し出されていた手を握る。相手は指まで覆われたガントレットをしているが、防具越しでも手と手が重なるだけで身体中が熱くなっていく。
「えぇ〜、口説かれちゃってる? 君みたいな男の子はタイプじゃないんだけどなぁ」
「オレは君のことが好きみたいなんだ。もちろん恋愛感情という意味で」
言葉にすると持て余していた感覚が明確な形を持つ。考えや気持ちを言語化するのは苦手だが、恋をしているというのはわかった。これが恋だ。高鳴る心臓も、震え出す体も、頭の中をこの男の声や顔が占領するのも、全部が全部この男に恋しているからだ。
「はぁっ!?」
驚き、そして心底嫌ですといった顔も可愛い。小さな興味がどんどん膨れ上がっていたのに、こんなにも刺激を受けると止まらない。知りたい。この男のなにもかもを把握したい。そして最後の音が欲しい。
逃げようとする手を両手で握って目と目を合わせる。
「オレを幸せにしてくれないか?」
真剣にこの身に宿った熱が伝わるようにと見つめる。真意を探る刺さるような目線ですら心地良い。今この瞬間、きらきらと輝く碧い瞳を独占していることに興奮を覚える。
「……そうだなぁ、いい子になったら考えてあげてもいいよ」
シエテは笑ってそう言うと手を振り払い、素早くオレの首元に触れてからマントを翻して去っていった。
いい子になるなんて簡単な条件提示に心臓が痛いくらいに鳴る。前提としていい子なのだからこの条件は最初からないようなものだ。
はじめて経験する激情に心を委ね、決めた。必ず彼を自分のものにする。