You Are My Obsession
You Are My Obsession
No longer need to hide
サイレンが遠くで鳴り続いている。
三連休初日を迎えた武蔵小村市を代表する大型商業施設は盛況を呈していた。モール内の庭園に咲く秋桜は澄み渡った空によく映え、雑踏の中でも存在感を放っている。
平穏な日常が突如として地獄と化したのは、午後七時を回った頃だった。最も人の流動が多く人口密度の高いレストランフロアで、大規模な爆発が発生。一瞬にしてフロア一帯がパニック状態と化し、子どもたちの泣き声と悲鳴が犇き合っていた。鳴り響く爆発音と、犯行グループのメンバーと思われる目出し帽を被った男の罵るような声は、人々の心に恐怖と絶望を植え付けた。
その日は偶然現場に居合わせたビュロウの捜査官より伝達を受け、庁舎内にいた公安メンバー含め本案件の関係者である日米合同捜査チームの一部が出動をすることとなった。犯行グループは優秀な捜査官たちの手によってすぐにお縄となり、モール内に閉じ込められていた人々の救助活動も着実に進んでいた。捕まったメンバーのうち一名は、あの巨悪犯罪組織を摘発した際に逃亡した残党の手掛かりを持つ要注意人物として、捜査チーム内では共有があったものだ。
赤井はそのターゲットとは異なる人物の行方を追っていた。作戦上、事前に指示された場所での待機を命じられていたが、インカムから聞こえる不穏な会話に眉を顰める。
遠隔で指揮を執っていたはずの降谷が、現場にいるというのだ。燃え広がる炎の中、幼い女の子を人質に取った犯行グループの一人がスポーツ用品売場に立て籠もっている。詳細な経緯は会話からは読み取れなかったが、どうやら犯人制圧と人質救助のため降谷が自ら火中に身を投じたというのである。
これはあとから聞いた話だが、犯人に掌底を食らわせ気絶させたのち、爆発の炎がフロア一帯へ燃え広がる前に、小太りの成人男性一人と幼子を抱えながら吹き抜けとなっている大階段を五階から三階へと飛び移ったそうだ。彼のタフな行動力にはこれまでも散々驚かされてきたが、その更新を停めるつもりはないらしい。
赤井が駆け付けた時には幼子は家族のもとへ解放され、ターゲットの男も彼の部下によって連行された。シャンパンゴールドに光る降谷の美しい髪が爆発の炎でところどころ焦げ落ちてしまっている。すぐに赤井の気配に気付き、視線が交差した。
「君は現場にいるべき人間じゃないはずだが」
責め立てるような声が響いた。今日みたいな変則的な対応については事前に打ち合わせたオペレーションがあったはずだった。まあ、そのオペレーションとやらを無視しているのは赤井も同様なので、人の事は言えないのだが。
降谷は口を開こうとしなかった。煙が肺に入ったのか、けほけほと汚れたジャケットの裾で口を塞ぐ。何度か苦しそうに咳込んだ後、その場を立ち去ろうとした。その背後を、赤井が静かに追う。
降谷の表情は、酷く青ざめていた。ターゲットと直接やりあったことを差し置いても、かなり疲弊しているように見える。
一般客が利用するエレベーターは既に封鎖されていたため、非常時に開通する避難用エレベーターへ乗り込む。勝手に後ろを付いていく赤井に、降谷はただ黙っていた。
二人の間に沈黙が続く中、エレベーターがゆっくりと降下する。先に口火を切ったのは降谷の方だった。
「なんでついてきてるんですか」
「君、物凄く怪我してるんじゃないか」
エレベーターの扉の方に体を向けていた降谷がこちらへ振り向く。
「フン……満身創痍なのは貴方の方じゃないですか?僕の部下が嘆いてましたよ、狙撃地点から急にいなくなったって。あちらのボスがすぐ傍まで来ていることに気づいて、そのまま肉弾戦に持ち込んだそうじゃないですか。貴方らしくもない」
「どこよりも早い情報網で関心するよ。それは君にも同じことが言えるがこの場合、“君らしくない”というのは語弊があるな。ある程度予測ができた俺にも非はある、といったところか」
「警視庁から向かった人員は想定よりも少なかった。それに比べてこのモールに留まっている客数を考えたらすぐに人手が足りなくなることは考えなくともわかる。ましてや相手はあの組織と繋がりを持つ重要参考人かもしれない。人命救助は最優先だが、あの状況じゃ圧倒的に数が足りなかった。相手が組織の人間なら、僕が直接向かうのが最適解だと判断したまでだ。お前にとやかく言われる筋合いはない」
皮肉交じりの言葉に楯突く降谷は、いつもの調子を取り戻しているようにも見えた。
「だいたい、お前は報告というものを知らなすぎる。こないだだって――」
――――ガゴォン!
地が鳴るような大きな音がしたと思えば、降下中のエレベーターが急停止した。非常用のボタンが赤く光り、元々薄暗かった照明が完全に消え落ち闇に包まれる。
「……止まったな」
「ええ」
まだ爆弾が残っていたのだろうか。規模の大きなものでもない限り、非常用として動いている電力源に障害が発生することはあまり考えられないものだが。
降谷が外部連絡装置のボタンを押して呼びかけるが応答はない。混乱に乗じて皆避難しているのだろう。直接外にいる者への連絡も考えたが、不運なことに二人ともスマホの充電はゼロになっていた。
外部への連絡を完全に遮断されてしまった。消防活動が行われているメインエリアからこちら側は薄暗くて然程目につかない。先ほど別れたばかりの風見も、このような状況下では後処理に追われて降谷のことなど気に留める余裕もないだろう。他の者も同様の状況であることは容易に推察できる。加えて、エレベーターが停止した原因が爆発にあるとすれば、その対応でさらなる人手不足になりかねない。
明日の営業はほぼ不可能と言って間違いはないが、それでも一部関係者は招集されるだろう。早くてもこの場所に人が現れるのは八時と言ったところか。
大分顔色がマシになった降谷が、その場にぺたりと座り込んだ。壁に凭れ掛かり、赤井の方を見上げると大きく溜息をついた。
「まさか、貴方とこんなところに閉じ込められるなんて……」
「扉を破壊して脱出しても構わないが」
「器物損壊に僕を巻き込むのはやめてください。出られたとしても……いえ、なんでもありません」
傷が開いてきたのか、脇腹を抱えながら息を震わせている。額には薄っすら汗も浮かんでおり、座っているのでさえ苦しそうだった。
降谷に倣い、赤井も隣に腰を下ろす。それを確認した降谷は赤井から少し距離を取った。
「どうせ朝になれば誰かしら気づきますよ。それにしても寒いな」
脱いだジャケットを丸め、枕のようにして床へ置くとそのまま横になった。
「少し横になりますが悪しからず。貴方も今のうちに休んでおいた方がいいですよ、というかそうしてもらえると助かります。気が散るので」
「そんな恰好では風邪を引いてしまうぞ」
赤井が言い切る前に、降谷は眠りに落ちた。呼吸音が、次第に静かになる。よっぽど疲れていたのだろう。
脱いだライダースを降谷の肩口に被せた。煙草の匂いが不快だったのか、眉間に皺を寄せたがすぐに深い眠りへとついた。十一月に入ったばかりの東都は連日凍えるほどの冷え込みが続いている。薄手のシャツ一枚ではどんなに暑がりな男でももたないだろう。小刻みに震える降谷の肌がそれを物語っていた。
降谷の寝ている姿をちらりと横目見たあと、壁にもたれ掛けながら目を瞑った。煙草が吸いたい気分だったがこの閉鎖空間では降谷に臭いが移ってしまうことを懸念して遠慮しておいた。
真っ暗だった閉鎖空間に、燦然と光が差し込む。ガタ、ガタ、と振動が鳴り、外から切羽詰まった声が飛び交っていた。
周辺の人命救助は完了し、ようやく全施設の点検に入ったというところだろうか。先駆けて目を覚ましていた赤井は、隣でぐっすり眠る降谷のことを眺める。昨日のあの状態からは信じられないほど安らかに寝ていた。随分と外も騒がしくなってきたし、そろそろ起きてもいいはずだが。
長い睫毛の先が少しだけ焦げてしまっている。横向きに小さくなって眠る降谷は、まるで幼子のようだった。組織に潜入していた頃から彼の寝顔は何度か見る機会があったが、こんなに安らかな顔は見たことがない。あの頃は常に誰かに監視されているようなものだったから、四六時中警戒が必要だった。それでも、人目を気にせず眠る姿を見るのはこれが初めてかもしれない。
ようやくエレベーターの扉が全開し、救助隊員が数名かけつけた。
まだ降谷が眠っていたので、赤井は静かにジェスチャーで救助隊員たちとコンタクトを取る。
降谷を起こしてしまわないよう首と背中を支えながら、膝下にもう片方の手を差し入れ抱きかかえると、ようやく開かれた扉から脱出する。救助隊員たちに怪我はないかと心配を寄せられるが、重症なのは明らかに降谷の方だった。
なんともないふりをしていたようだが脇腹からは多量の出血が確認できた。傷口がある方を隠して眠っていたが、肩口に被せた赤井のジャケットにもべっとりと血液が付着していた。碌に手当てもせず傷口を隠していたのは、隣にいる男にそれを悟られたくなかったのだろう。
運んでいる途中で目を覚ました降谷が、目の前の状況をすぐに理解できず、赤井に身体を抱えられていることに気づき癇癪を起こした。
「お、おい!貴様どういうことだ、おろせ!」
暴れる降谷を無視して担架まで運んだ。これだけの体力が残っているなら、命に別状はなさそうだ。
救急車に乗り込もうとしたところで、ちょうどその場にきていたジョディに引き止められてしまった。
数十時間ぶりの煙草を施設外のエリアで燻らせる。半壊した建物を眺めながら、やけに疲弊して見えた降谷の姿を思い出していた。
***
あれから一ヶ月程が経過したが、降谷と会話を交わす機会は減っていた。
合同捜査の指揮もほとんど部下に任せてしまっているようだった。先日の事件で負った怪我は一週間ほどで完治したと聞いていたが、職場にはあまり顔を出していない。
稀に同じ会議に出席することはあっても、壇上で指揮を執る降谷を赤井は後ろから眺めているだけだった。
先日の爆発の時のことを思い出す。火薬の匂いが漂う彼の身体は、あまりに脆く感じた。
彼は頭の回転や戦略的思考力だけでなくフィジカルな面ですら侮れないが、その時ばかりは、触れただけでガラガラと音を立てて崩れ落ちてしまいそうな危うさがあった。
講義中の降谷と目が合い、口の動きだけで「集・中・し・ろ」と伝えてきた。
赤井が降谷を案じるようになったのは、喫煙所で彼の部下が話しているところを目撃したのがきっかけだった。
ここ数日、降谷は体調を崩している。
しかし、明確に病名が分かっているというわけでもないらしい。誰一人として実情を把握していない状況を、部下たちも不思議に思っていた。
職場には姿を見せないが、どうやら風見など一部の人間とはコンタクトを取っているらしいことも耳に入ってきた。
どうにかして降谷との接触を図ろうと試みるが、警備企画課のフロアを訪れるたび「降谷は早退した」と追い返される日々が続く。だからこそ今日はチャンスだった。
会議の終わりとともに、捜査官たちがぞろぞろと退出していく。壇上に立つ降谷の元へ向かうため腰をあげた。
「久しぶりだな、降谷くん」
許可なく壇上にあがった赤井の姿を視界に捉えた降谷は、怪訝に赤井を見つめる。
「エレベーターの日以来か。君が捉えたあの男、仲間を売ったそうだな」
「……お蔭様で芋づる式に関係者が面白いくらいに続々と検挙されましたからね。あの日、迅速に報告をあげてくださった貴方の同僚には感謝しています」
「実際に状況を動かしたのは君だろう。ところで」
資料をファイリングしながら話す降谷に距離を近づける。対話には応じてくれるが、どうも目を合わせてくれない。
ファイルを置いている演台を挟んで、降谷の顔を覗き込むように見つめた。
「なんですか、近い」
「少し痩せたんじゃないか?」
至近距離で見る降谷の顔は、以前会った時よりもさらに痩せ細っているように見えた。
「ちゃんと食べているのか」
「煙草とコーヒーが主食の人に言われたくないんですけど。……自分の管理は自分でしてますから。人の心配していないで、貴方はその煙草の量を減らさないと本当に早死にしますよ」
「じゃあその食生活の疎かな俺と一緒に今夜食事でもどうだ」
「はあ?」
「君は俺より食に明るいだろう。煙草の量を減らすにはまず新しい趣味を持つのが手っ取り早いと思わないか?」
「別に僕じゃなくたって食に詳しい人なんていくらでもいるだろ」
「君が減らせと言ったんだ。君にもその手助けをする責任はあるだろう」
「何を言ってるんですか、あるわけないでしょう」
「じゃあ今夜七時に。連絡してくれ」
メモの切れ端に番号を書いて降谷の手に握らせた。要件だけ伝えてその場から立ち去っていく赤井の後ろ姿を見つめながら、番号の書かれたその切れ端を開く。一度番号を見てしまったら、優秀な頭脳ではそう簡単に忘れることはできない。溜息を吐きながらメモを内ポケットに仕舞うと、スマホで候補になりそうなお店一覧を指で弾いた。
「連絡してないのになんでいるんですか」
「ここで待っていたら必ず現れると踏んでたからな」
「待ち伏せ……」
降谷から連絡が来ようが決まいがお構いなしに、その男は警察庁前で長い脚を持て余すように佇んでいた。事前に降谷がリサーチしていた店にタクシーで向かい、二十分もしないうちに目的地へと辿り着く。
年代物の美術品に彩られた趣ある和テイストで構成された店内は、非常に洗練されていた。個室に通された二人はファーストドリンクを聞かれ、赤井は降谷に合わせて同じものを注文した。
運ばれてきたお通しに手を付けながら、メニューにある旬の食材の蘊蓄を絶え間なく話すその声が弧気味良く響いた。食事が進むごとにどこか張り詰めていた糸が解れていっているようにも感じた。
デザートのゼリーまできっちり平らげた降谷は、軽く口許を拭いたあと、しばらくの間妙に静かになったが、再び口を開いた。
「……赤井、折り入って貴方にお願いがあるんですが」
「どうしたんだ、改まって」
伏し目がちに話す降谷の表情と、あの日エレベーター内で見た姿が重なった。
「貴方にも指摘された体調の件なんですけど」
降谷は柄にもなく言葉を詰まらせながら、順序立てて事の経緯を説明をした。どうやら体調不良はここ数日の話ではないようだ。
「医師には睡眠障害の類だと言われているんですが、処方された薬を飲んでも一向によくならなくて。日中もそのせいで意識を失いかけることがあるんです。これでは現状の仕事に支障を来すので、上とも話して役割を変えてもらっています。もちろん、合同捜査の方は滞ることのないよう調整はしていますが」
赤井は眉を顰めた。あの国際的な巨悪組織は解体し、残党の捕獲活動は未だ続いてはいるものの、以前のような四六時中抑圧された環境下からは解放されている。そのことがかえって精神に影響を来す場合もあるが、そんな長期で続くものだろうか。
「……ただ」
「ただ?」
「ここ最近で一度だけ快眠できた時があったんです。貴方と二人でエレベーターに閉じ込められた、あの日」
「あの状況で、か」
「ええ、悔しいですがあの時だけはぐっすり眠れました。最悪な状況だったというのに……それについて、ずっと考えていたのですが」
赤井、貴方の隣だと眠れるのかもしれません。
海を閉じ込めたような色をした瞳が、真っすぐに赤井を見つめる。
「目が覚めた時、不思議なことに身体の痛みすら忘れていました。貴方が僕を抱えて運んでいるから、何事かと思いましたが」
「多量出血で重症だというのに容赦なく殴りつけるから骨が折れたよ」
「閉じ込められた時は絶望的な気分でしたけどね」
苦笑しながらも降谷の表情はどこか明るかった。
「俺に頼み事とは?」
本題に入った途端、降谷は再び神妙な顔つきになった。こほん、と咳払いをすると、あらためて赤井と向かい合う。
「大変申し上げにくいことなのですが、もしご迷惑じゃなければ貴方の家に居させてもらえないでしょうか」
「……どういうことだ?」
「多少睡眠がとれないくらい僕自身支障はないのですが、仕事中に気を失うような生活だと周囲に気を遣わせてしまう。可能性は低いかもしれませんが、睡眠リズムが改善されれば症状も回復するのではないかと。本当に貴方の傍でだけ眠れるのかも気になりますし」
あの降谷零が赤井に頼み事をすること自体、信じがたいことではあったが、何かを企んでいる素振りは感じられなかった。真意はわからなかったが、降谷が嘘を言っているようにも見えない。
「貴方が嫌じゃなければ、の話ですが」
「嫌なわけないだろう」
赤井の返答に降谷は目を丸くした。少し困惑したように目を泳がせている。
「場所はどこがいい。立地や周辺環境など希望条件があれば教えてくれ。明日にでもいくつか候補を絞ろう」
「え」
「俺の家はここからそう離れていないが防音対策はなどは何もないからな。騒音を徹底的に絶つなら今より静かな場所に移った方がいいだろ?いっそのこと東都を出るか」
「いや、そこまでしていただかなくても、貴方が今住んでいるところで良いのですが……でも、ありがとう、ございます」
徐々に語尾が小さくなる降谷が少し嬉しそうに見えたのは、赤井の願望だったのかもしれない。
***
元々私物の少ない降谷の自宅から必要なものを運搬するのにはそう時間はかからなかった。赤井が「早い方がいい」と急かすものだから、話を聞いた翌々日には住居を赤井の仮住まいとしているマンションへ移した。
設備が整った場所を検討してもいいものなのではと考えていたが、あの切羽詰まったような様子では一刻も早くまずは住居を移した方がいいのではないかと判断し今に至る。場所を移すかどうかは、一旦今の生活を続けてからでも遅くはないはずだ。
あっさり引っ越し作業が済んだ二人は、近くのモールで食材や食器を買い、夜は降谷が料理を作って振る舞った。その日の降谷の表情は、職場で見るそれとは比べ物にならないくらい穏やかだった。
「君はベッドを使うといい」
当然のことながら、一人暮らしの赤井の家にはセミダブルサイズのベッドが一つしかない。来客用の敷布団の一つでもあればよかったが、赤井秀一ともあろう男が備えているはずがなかった。
「いえ、家主の寝床を邪魔するわけにはいかないですし、僕はソファで結構です」
「それでは君がここにいる意味がないだろう。俺と共同生活をする目的はなんだ?」
「……睡眠の改善」
「じゃあ快く使ってくれ。遠慮はするな」
「では、貴方も横で寝てください」
狭くて申し訳ないですが、別に貴方の睡眠を邪魔するつもりはないので。
降谷の言葉に、赤井は黙り込んでしまう。バーボンとして暗躍していた頃の彼なら、煙草の匂いが染みつくから離れろだ、長い髪が鬱陶しいだとか必ずいちゃもんを付けてきた。ましてや一緒に横になるだなんてことは一度たりともしなかっただろう。……ある晩を除いては。
だが、今はどうだ。素直に赤井を頼ろうとする時点で以前とはまるで別人のようだ。
その日は赤井がシャワーから上がると、降谷がベッドの端で本当に一人分のスペースを開けて丸まって横になっていた。
降谷くん、と呼びかけたが応答はない。寝ているふりなのか、本当に眠ってしまったかは赤井には分らなかった。
一緒に住み始めたものの、二人が顔を合わせられる時間はそう多くはなかった。住居を移したその直後から追っていた残党グループにも動きがあったのだ。
しかしながら上層部の判断で降谷は引き続き可能な限り現場には出さず、遠隔での対応をさせられていた。
一方で赤井の方はといえば、現場へ駆り出されることが多くなっていた。連日捜査会議は深夜にまで及び、帰宅する頃には深夜二時半を回っていた。先に風呂や食事を済ませた降谷は、遅くなるとわかっている赤井を待つはずもなく先に消灯している。
それでも降谷は必ず食事を作ってはラップにかけてテーブルに残しておいてくれていた。
一緒に住むと決めた時、特別取り決めを交わしたわけではないが、降谷がそれを欠かしたことはない。降谷の料理はどんな料亭よりも段違いに旨かった。冗談で食を趣味にしようか、と言っていたがこれでは当分は厳しいだろう。
同居の目的はあくまで降谷の「安眠のため」である。どんなに遅くなろうと降谷が眠っている間は必ず傍にいてあげることが条件だった。
ありがたく食事をいただいた赤井はシャワーを浴びたあと、降谷が眠るベッドの片隅にそっと忍ばせた。一人分空いたスペースに身体を沈め、眠っている彼の背中を見守った。
赤井とは逆の方を向いて寝ているため、そこから降谷の顔を見ることは叶わない。願わくば、少しでも良い夢を見られているといい。
ここ数日は深夜に覚醒することもなく、朝までぐっすり眠っていた。
自分のベッドで安心そうに眠る降谷を見ると不思議な感情が巻き起こるのを感じる。言語化の難しいそれは、赤井の中で徐々に確信に変わっていた。
どうやら降谷のことが好きらしい、と。
一人分のスペースがあったその場所は、当然のことながら人肌を感じることはできず冷え切っていた。もし、その背中を抱きしめて眠ることができたらどれだけ心地の良いことだろうか。そんなことをすればすぐに拳が飛んできそうだが。
芽を出したばかりの感情について思考を巡らせながら、ゆっくりと瞼を閉じる。睡眠は必要最低限にしか取らなくていいものだと思っていたが、案外これは、いいのかもしれない。
その夜は酷く雨が降っていた。珍しく仕事で遅くなるからと連絡をくれた降谷のことを待ちながら読みかけの推理小説を読了し、ベランダで一服でもしようかと思ったその時。
――――ゴン。
玄関先で扉を殴るような鈍い音がした。
不測の事態に備え、戸棚に隠した拳銃を持ち出し音がした方向へと向かう。時刻は深夜零時を回っていた。来訪にしては、随分と非常識な時間帯である。
玄関先に辿り着いた赤井は、気配ですぐに来訪者を特定できた。鍵をあけその人物を迎え入れる。
「遅いですよ」
困憊しきった目の色をした同居人が、扉に凭れ掛かるように地べたへ腰を下ろしていた。
「……話は中で聞こうか」
息をあげながら赤井の腕を借りてやっとのことで立ち上がった降谷は、頭部から血を流していた。美しい金糸に血液と砂埃が混じり固まっており、頬には一部痛々しい打撲痕が残っていた。衣類にも血液が付着しているが、半分は降谷のもの、半分はやりあった相手のものといったところか。
現場からは遠ざかるよう上層部とも話したと聞いていた。たまたま現場に居合わせたのだとしても、何のためにここまで無茶をする必要がある。
降谷をリビングまで運び入れると、手当をしてすぐソファに寝かせた。降谷が言うには、帰路で寄った商業施設にて、またしても事件が発生。未熟児を人質に刃物を振り回していた男を、制圧しようとしたタイミングで隠れていた共犯者に発砲され、瞬時に回避できたものの未熟児を庇うため背中と頭部を強く打ち付けてしまったとのことだった。
犯人ともみあいになりつつも、隠れていた他メンバーの誘き出しにも成功。あとから到着した警視庁の人間に連行してもらっている間に、彼らの目を掻い潜ってどうにかここに辿り着いたという。
「…………うっ……」
「どこか痛むのか、降谷くん」
胸を押さえて苦しみだす降谷の背中をさすることしかできなかった。
「どうしてすぐ呼んでくれなかった」
「あんなの、貴方ほどの人を呼ぶまでもない相手だったからですよ。捜査員たちはいつでも出動できるように待機してましたし、実際すぐに駆け付けてくれたので早めに戻ってこれました。……日本警察を……、見くびらないで、……ください」
息が浅く、発汗の量が尋常ではなかった。声が掠れ、最後の方はほとんど出ていなかった。体温が火傷しそうなほど熱く発熱もある。保冷パックを用意して軽く額に当てると、少しだけ表情が和らいだような気がした。全身の汗を拭いて上半身のみ着替えさせると、広いベッドへと運び込む。少しずつストローで水分を取らせていくうちに、徐々に汗が引いていった。
しばらくして呼吸の音も落ち着き、脈も正常になった。ほっと胸を撫でおろしていると、突然、降谷が噴き出したように声を発した。
「…………くく」
目を瞑ったまま、静かに笑う降谷に疑問符が浮かぶ。
「どうしたんだ」
「いや、あなたがちょっと必死そうに看病しているの見てたらおもしろくなっちゃって」
「同居人がこんな姿で帰宅したら心配するだろ」
「……まあ、そうですよね。すみません、茶化すようなこと言って」
「いや、君が笑ってくれてよかった」
赤井を見つめる降谷の双眸は、透明でありながら内側に潜む碧がキラキラと光り、美しかった。
次第に降谷の意識が闇に溶け込んでいく。朦朧としている降谷をそのまま寝かせてあげようと、声はかけずに部屋を出ようとしたその時だった。
「……あか、い……」
消えてしまいそうな声で、自分の名前を呼ぶ声の方を向く。
気付けば赤井が着ていたスウェットの裾を、降谷が掴んでいた。
「どうした、降谷くん」
返事をする頃には、すでに意識を失っていたようだった。裾を掴んだままの指が、まるで「ここにいて」と懇願しているように赤井の目には映ってしまった。
前髪を搔き上げ、軽く冷えたタオルで額の汗を拭ってあげると、気持ちがいいのか顔が綻んだ気がした。
あまりに美しく引き込まれそうになるその寝顔に、衝動が抑えられず触れるだけのキスをして部屋を出た。
翌朝、昨夜までの具合の悪さを微塵も感じさせることなく、降谷は至極健康に目が覚めた。
「昨日はすみませんでした。お蔭様ですっかり回復しました。……着替えも、すみません」
窮屈になるだろうと一回りサイズの大きい自分のスウェットに着替えさせていたが、かえって気を遣わせてしまっただろうか。
赤井に呼びかける降谷は、多少憂鬱そうではあるものの、昨日の怪我からは考えられないほどに平然としていた。いくら彼のバイタリティが高いからって、あれだけの怪我を負っておきながらこんなにすぐ回復するものだろうか。
腕を大きく広げ伸びをした際にスウェットの間から、昨日手当をした脇腹がちらりと覗く。怪我の程度的に今日にでも精密検査を受けた方がいいのではと考えていたが、今の彼を見る限り本当に痛みを感じていないようだった。降谷の表情から、それが演技にも見えなかった。
勝手にキスをしたことについては、黙っていた。何はともあれ、元気になってくれてよかった。一方で、得体の知れない何かが彼の身に降り注いでいるのではないかと、そんな危機感知が赤井の中で働いていた。
「朝食、まだですよね?何か作りますから、少し待っていてください」
「いや、君は病み上がりだろ。俺が用意するから、そこで寛いでいてくれ」
赤井の申し出に降谷はひときわ目を丸くしたあと、破顔した。
やや焦げ目の多い目玉焼きとトースト、レタスとミニトマトの彩りを加えられた赤井お手製プレートは、昨日から何も口にしていない降谷の胃を満たした。看病の御礼にと、降谷が淹れてくれたコーヒーは各段に美味かった。
朝食を終えた降谷が食器を片付けようと席を立つので、それを奪い取って降谷をソファに座らせる。
「そんな病人扱いしなくても……」
「そうじゃない、俺がしたいんだ」
「…………」
食器を洗っていると降谷がこちらへと目線を向けた。
「赤井、お願いがあるんですが」
「うん?」
「その、実は体調を崩してからずっと車に乗ってなくて。医師から止められていたわけじゃないんですけど、万全じゃない状態で運転するのも少し気が引けてしまって……もしよければ、ドライブに連れていってほしいです。貴方が迷惑じゃなければ」
今度は赤井の方が目を大きく見開くこととなった。
願ってもいない申し出に、浮足立つ気持ちが湧いて出る。迷惑な要素なんてあるわけがない。
もちろんだ、と降谷の頬にキスをしたくなる衝動を抑え、さっそく外出準備へ向かった。
***
車のエンジン音を聴きながら懐かしいですね、と降谷は赤井に微笑みかけた。最後にこの車に彼を乗せたのは、組織が壊滅したあの記念すべき日の夜以来だろうか。
助手席に座った降谷を横目見る。普段は正面に座って話すことが多いため、彼の横顔を見つめる機会は少なかったが、改めて眺めてみると高く整った鼻筋と長い睫毛が印象的だった。太陽の光を目いっぱい浴びた金の睫毛が、きらきらと色を変えて輝く。
降谷のリクエストに応えて、海岸線沿いを走った。東都から約三時間かけて辿り着いたそこは、季節的にほとんど人が寄り付いておらず、趣味でやっている釣り師が二・三人屯しているくらいだった。
駐車場を見つけて車を停めると、酷く寒風が吹き荒れる浜辺へと足を踏み入れた。降谷が風邪を引かないようにと厚手のストールを後部座席に忍ばせていたのは正解だった。
「……さ、寒!」
凍えながらも、冬の海の光景を目の当たりにできた降谷はどこか愉しそうに思えた。強めの突風が吹き荒れ、首元に巻かれたストールが飛ばされそうになる。
強風で前髪がオールバックになった二人は、お互いの状態を確かめると同時に噴き出した。
「降谷くん、これはもう、戻った方がいいんじゃないのか」
「何言ってるんですか、来たばっかりじゃないですか、ふふ、赤井の髪の毛がすごいことになってる、……ふふ、ははは!」
砂に足を取られよろけそうになる降谷を支える。
潮も混じる強風だったため、あまり目をしっかり開けてその姿を焼き付けられないのが心残りだったが、降谷があまりにも楽しそうにするものだから、寒さなどどうでもよかった。
屋根付きのベンチを見つけた二人は、即座にそこへ逃げ込んだ。扉が付いているわけではないため風はもちろん入ってくるのだが、何もないよりはマシだろう。
「はぁ、おもしろかった。こんなに大変なんですね、冬場の海って。さっきの漁師さんたちは大丈夫だったんでしょうか」
「天候が荒れると知って早めに退散したんじゃないか。現にもう近くにはいないようだが」
「僕たちのタイミングが悪すぎたってことですね、は~面白かった」
子どものようにはしゃぐ降谷は、新鮮に思えた。赤井は、初めて垣間見たその表情を脳裏に刻んだ。
後頭部に砂が被っていたので、軽く叩いて落としてやる。あとから知ったのだが、どうやら降谷のそれとは比にならないくらい赤井の頭にも砂埃がびっしりついていたようで、「仕方ないですねまったく」と呆れながら持ち合わせていたハンドタオルで丁寧に拭ってくれた。
しばらくベンチに座って二人で静かに海を眺めていた。波の遠音が響いてくる。灰色の霧のような雲が次第に大きくなり、海と空の境目がぼやけた。
「こうしていると、時間って意外とゆっくり流れてるんだなって思いますね」
降谷の頬には、今もなお痣が残る。それでも随分柔らかく、リラックスしているように見えた。
車の中では、緊張からか終始無言だったため、少し心配をしていたがそれも杞憂だったようだ。
「……赤井って、人を本気で怒ったこととかあります?」
突然の脈略のない話に、赤井は耳を傾ける。降谷は遠くを見つめながら、言葉を続けた。
「ごめんなさい。他意はないんですけど。なんかあんまり、イメージがないなあって」
おどけたように降谷が笑う。風が強くなり、再び金糸が顔を覆うように舞った。
「君は俺をなんだと思ってるんだ」
「え?あるんですか?」
体育座りをするように身体を丸め膝の前で腕を組むと、顔の向きだけを赤井の方へ向ける。
「……まぁ、多くはないだろうな」
「じゃあ、どんな時に悲しくなる?」
「これはなんの心理テストなんだ?」
「いいから、答えてくださいよ」
少し考えてみたがすぐには浮かんでこなかった。しばらくの間沈黙を貫いていると、隣で大きな溜息をつく音が聞こえた。
「まあ、そんなもんだと思いましたよ」
「じゃあ、君はどうなんだ?」
自分から始めたくせに、聞き返された降谷は言葉に詰まる。長い沈黙のあと、ようやく口を開いた。
「……子どもの頃はよく怒っていた気がするけど、今はどうかな。大人になるにつれて、そういうのって、うまいこと制御できるようになっちゃうんですよね」
「…………」
「貴方って子どもの頃からそんな面してそうですよね。反抗期とかあったんですか?」
「父が不在にしている週末の食事が嫌でよく家を抜け出していた」
「貴方の親御さん大変だったんですね……」
また風が穏やかになる。霧が晴れてきて、夕空が見えた。柔らかい赤みを帯びた光が、じんわり広がっていく。
「君は怪我の多い子どもだったんじゃないか」
「……まぁ、当たりです。その点に関しては、あんまり変わってないのかも」
海ではしゃぐ降谷の様子が、幼い頃の彼の姿を想起させた。
「守らないといけないものが増えるとそういうのって蔑ろにされていくんですかね。気づきにくくなるというか。でも」
貴方だけかもしれませんね。
俯きながら、聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声でぽつりと呟いた。何が、とは聞けなかった。
緩やかな潮風に靡く金糸が、夕映えに導かれてきらきらと踊った。朱色に金を混ぜ込んだような色彩をバックにした彼の姿は、強烈に赤井の目に焼き付いた。
綺麗だ、と思った。
彼の肌に、唇に、触れずにはいられない。抗うことなんてできなかった。
突然、顎を掴まれ唇を奪われた降谷は完全に固まってしまった。口を開けたまま、空虚を見つめている。
もう一度キスをしたら元に戻るだろうかと、その肩に触れた瞬間「わっ!!!」と大きな声が上がった。瞬く間に表情が変化し、首元から耳まで肌が赤く染めあがり茹で蛸のようになっている。
「も、もう遅い時間ですし、行きましょうか!!!」
勝手に浜辺を歩き出した降谷を、後ろから赤井が黙って付いていく。
明確な拒否をしなかったということは、そういうことだと見なしてしまうぞ、降谷くん。
それから自宅へ戻るまで無音が続いた。次第に小粒の雨が降り始め、エンジン音と雨の音だけが車内に鳴り響いている。
まるで世界が百八十度ひっくり返ってしまったみたいに、二人の間を流れる空気が一変した。
途中サービスエリアで軽食を取っている間も、会話はないままだった。家に帰るとすぐにシャワーを済ませ、疲れたから寝ると言って降谷の方から先にベッドへ入った。
少し、悪戯が過ぎただろうか。
あとから寝室へ入った赤井は、ベッドの中には入り込まず、すやすやと寝息を立てる降谷の隣にそっと腰掛けた。
「今日、君からもらった問いだが」
思い出したように、意識のない降谷へ語り掛け始める。
「これまで誰かに対しそういった感情を抱いたことがないといえば嘘になるが、今はどうかと言われたら、正直あまり思いつかない」
窓から月明りが差し込み、二人を照らした。無防備に開かれた首元から、陶器のようなきめ細やかな褐色が覗いている。
「だが君は……君に対してだけ、こう、難しくなる」
これまで赤井は、多くの人間を失ってきた。その挫折感に、無念を感じなかったといえば嘘になる。守り切れると信じていたそのすべてが、手から滑り落ちていくのをただ眺めているしかなかった。
しかし、降谷だけは、同じ境遇でいながらずっと走り続けていたことを知っている。彼の言う、守るべきもののために、ずっと、一人で。
今その彼が赤井の隣にいること自体、奇跡のことのように思えた。
――貴方だけかもしれませんね。
守るべきもののために降谷が置いてきてしまった「怒り」という感情を呼び起せる唯一の相手。
「君が最後に言った言葉、それは、そういう意味だと自惚れてもよいのだろうか」
長い睫毛が少し動いた。寝返りをした降谷の手が、シーツに音を立てる。
「元来俺は人に対して何かこうしてほしいといったような気持ちを抱いたことはない。だが君にだけは、醜いくらいに、そうした願望がたくさんある」
熟睡しているのか、ぴくりとも動かない。日々の過労に加え、久しぶりの遠出でだいぶ疲れてしまったのだろうか。
寝ている降谷に問いかけるのは、マナー違反な気もしていた。だが、その時ばかりは止めることができなかった。
「俺は君が思っている以上に卑劣な人間だ。じゃなければ、君に対してこんな感情を抱くこともない。驚いているんだ、俺自身が」
降谷を起こさないよう静かに顔を近づけると、海辺でしたように唇へ軽くキスをした。穏やかに眠る降谷へ覆い被さるようにベッドに手を付き、少し開いた口の中にゆっくりと舌を捻じ込ませる。腔内の粘膜を絡めとると、それは驚くほどに甘美だった。
綺麗に生え揃った歯をなぞり、上顎にねっとりと絡みつく。角度を変えながら、柔らかく厚みのある降谷の唇を堪能した。しばらく続けていたが、一向に覚醒する気配はなかった。
降谷を包み込んでいた毛布を剥ぎ取ると、スウェットの下に手を伸ばし褐色のきめ細やかな脇腹を丁寧になぞっていく。もう片方の手で軽く頭を撫で、耳の形を確かめるように柔らかく指で触れた。
衣服の中でもぞもぞと動いていた手が乳首へ到達する。あまり強く刺激しないよう乳輪に縁を描くように触れ、仕上げに先端へ小さく爪を立てる。
「んっ……」
一瞬目が覚めたのかと動きを止めたが、特に覚醒した様子はなかった。少し強かったのかもしれない。指の腹でマッサージを行うみたいに、乳輪周りを柔らかく撫で回していると、先端がピンと上向きに擡げ始めた。
「こっちでも感じてくれて嬉しいよ」
起こさないよう細心の注意を払いながら、降谷の身体を暴いていく。包み込むように、捕食するように降谷に口付けながら、もう片方の手を下半身へと伸ばす。
キスと乳首への刺激のせいなのか、降谷の中心部は半勃ち状態になっていることが衣服の上からでもわかった。下着の中へ手を差し入れ、優しく触れてみる。すでにしっとりと湿度を持ったそこは、赤井に触られただけで硬度を増していた。
このままだと衣類を汚してしまい、寝起きに不快感を覚えるだろうと親切心で下着ごと膝まで下ろす。既にグレーのボクサーには染みが出来ており、軽く糸を引いていた。
お世辞にも使い込まれているとは思えない、瑞々しく果実のような色をしたペニスが露わになる。照明は薄暗く細部まで確認することはできないが、それ相応に立派なものを持っていた。
何度か掌を使って扱くと瞬く間に天井を見上げた。先端から溢れ出している蜜を舐めとるように、まるごとペニスを口に含んでいく。
「……っ、……っぁ……」
夢の中でも感じているのか、身体が大きく跳ねた。強い刺激を与えないすぎないよう慎重に、まるでキャンディを舐めるように舌を転がせる。しばらく続けていると、もっとして、と言わんばかりに、悩まし気に腰が揺れた。次第にカウパーの分泌量が多くなり、水音を響かせながら余すことなく吸いつくす。
「……ふ、ぁ…………」
カウパーと唾液で十分に湿った会陰を指の腹でなぞり、そのままその先の秘部へ到達した。ゆっくりと慎重に指を捻じ込ませれば、違和感があるのか眉間に皺を寄せて拒否反応を示している。ベッドサイドのチェストからローションを取り出し、手のひらで軽く馴染ませると再度後孔へ指を差し込んだ。先ほどより嫌悪感はないようだが、入口付近で既にきついため、これ以上奥へ侵入するのはやめておいた。大丈夫、これから時間はたっぷりある。
入口の浅い部分を指で撫でまわすように愛撫しながら、もう一度降谷の中心部を咥える。後ろへの違和感からか少し萎えかけていたペニスが再び硬度を取り戻した。
「……っ!あ……はぁ……んぁ……」
額に汗がにじみ、頬を紅潮させながら嬌声をあげていた。さすがにこれ以上は目が覚めてしまうのでは、と冷静になるが、気持ちよさそうにしている彼を見ていたらここで止めるのも酷だろう、という結論に至った。きっと射精感が近いのだろう、太腿周辺がぷるぷると震えている。
後孔の浅い部分に微弱の刺激を与え続けていると、すっかりそこは赤井の侵入を赦すようになっていた。ふっくらと柔らかくなったそこは物足りなさそうにひくひくと伸縮している。
「………………っっっ!!」
艶めかしく身体が跳ね、その瞬間降谷は射精を迎えた。卵のように滑らかな褐色肌に飛び散る白濁が生み出すコントラストは、まさに芸術品だ。
勢いよく弾けた液体が、ほんの一部赤井の顔にまで飛び散ってしまっている。指で拭い取りまじまじと確かめると、そのまま口へと含んだ。
「濃いな。あまり自分では処理していないのか……?」
射精を終えて息を整える降谷をしばらく見つめていた。呼吸が落ち着いたことがわかると、頬に軽い口付けをする。その身体に覆い被さるようにして、ベッドへと体重をかけた。
降谷の痴態を目の当たりにして凶暴なまでに聳え立った自身の肉棒を取り出し、乱雑に扱いていく。美しい褐色の肌の上に飛び散った精液を再び確かめると、胸中に潜む薄暗い感情が燃え広がるのを感じた。
刺激を与えすぎないようゆっくりと、しかし着実に、マーキングをするように臍周りに剛直を擦りつけていく。酷く背徳的な行為に、この上なく全身が昂っていた。
降谷の方はといえば、依然と眠ったままだ。半分開いたままの小さな口に、突っ込んでしまいたい衝動に駆られる。抵抗しようにも口が塞がれ身動きが取れずただひたすらに腔内で快感を拾いながらびくびくと耐え続ける降谷の姿を想像すれば、全身の血液が中央へと集まってくるのが分かった。脳内に浮かんだ不埒な想像を搔き消すように、息を荒げながら射精に向けて速度を上げる。次第に射精感が訪れ、降谷が撒き散らした精液に重なるように欲を放った。肌の上で剛直を擦りつけ、二人が出した液体を混ぜ合わせるように掻き混ぜる。
「これを君が知ったら、どう思うんだろうな」
赤井の中に渦巻いた黒い靄のような、得体の知れないそれは、ぐるぐると体内を渦巻いているようだった。
翌朝、目が覚めると隣に降谷の姿はなかった。
部屋を出て音のする方へ引き寄せられると、そこにはけろりとした態度で朝食を摂る彼の姿があった。
「おはようございます、赤井。珍しく遅かったですね」
出勤時間まではまだ時間があったが、確かにいつもより深く眠ってしまっていた。
それよりも気になるのが、降谷の態度だった。昨日よりも顔色が良く、体調が回復しているように思えた。喜ばしいことだが、赤井としては少々疑問だった。
昨晩仕掛けた“ちょっとしたいたずら”に関して、何も異常を感じていないのだろうか。挿入までは至らなかったが、射精を伴う行為をしたのだ。起床時の気怠さなど、大抵何かしら違和感を覚えるものだが、そんなことを微塵も感じさせない態度である。
まさかこれも彼の演技なのだろうか。
「……降谷くん。その、身体は大丈夫なのか」
「え?」
コーヒーを啜りながらジャーナル紙を読んでいた降谷は、目線をこちらへ向けた。もちろん昨夜は一切の痕跡を残さず、濡れたタオルで綺麗に身体を拭いて処置を施したので抜かりはない。不快感はないはずだが、多少身体に異変を感じてもおかしくはないはずだ。
「僕があのくらいでへばるわけないでしょう」
……それは、どっちのことを言っている。
少し考えて、昨日の外出のことを言っているのだと理解した。少々肝が冷えたが、同時に寂しさも感じた。
「午後から会議だったな」
「ええ、その前に寄るところがあるので、先に出ますが。というか貴方こそ、大丈夫ですか?」
「ん?何がだ」
「なんだか上の空というか……熱は、ないか」
手の甲を額に当てられる。ひんやりとした温度が心地よかった。
「そんな顔していたか」
「はい」
「すまなかった」
「別に気を悪くしたわけじゃないんですけど。じゃあ僕、そろそろ行きますね」
立ち上がった降谷は荷物を取りにすぐに部屋へ向かうのかと思われたが、なぜか赤井の目の前に立ちはだかった。
まるで挨拶をするかのように、赤井の唇の上に柔らかいものが触れ合う。一瞬の出来事に、頭上に雷が落ちたかのように思考が停止した。
「昨日のおかえしです」
虚を突かれた赤井はしばらく間抜けに口を開けて制止していたが、降谷が部屋を出て行ったと同時に徐々に意識が戻ってくるのがわかった。
…………それは、どっちのことを言っている、降谷くん。
柔らかくふっくらとした唇の感触が残っていた。昨夜、散々貪るように堪能したというのに、君からの仕掛けるキスがこんなにも幸福に満ちるものだなんて。全く君は、いつだって想像を超えてくる。
キスをする直前のいじらしい降谷を表情を脳内で反芻して、遠くを見つめる。昨夜降谷に無体を働いた自分を頭の中で捻じ伏せながら、信じてもいない神に深く感謝をした。
***
定例の捜査会議が終わり、主要メンバーがぞろぞろと会議室から退出していく。しばらくその場に居座り続けた赤井だったが、降谷の周辺から人が去っていかないのを確認すると渋々その場から立ち去った。
行先はいつもの喫煙所だった。
仕事中の凛とした姿、少し意地っ張りな態度、海辺で見た子どものようにはしゃぐ姿、キスをした時の驚いた顔。
とてもじゃないが三十を越える年齢には見えないその美貌と溌剌とした声、視線、赤井に向けるその闘志が、ずっと昔から目に焼き付いて離れなかった。
はじめは、一種の好奇心とばかり思っていた。
だが、ここ数日でどうやら自分の中の何かが大きく変化していた。俺はどうやら、降谷くんともっと親密になりたいらしい。
ちょうど喫煙室の目の前を、強面で大柄な部下たちに囲まれた降谷が通った。グレースーツに包まれたその姿は、高潔で逞しく、老若男女問わず誰しもが魅了される。
目の前で部下たちに笑顔を振りまく降谷の姿と、昨晩の寝顔を重ねてしまい、心の中で舌打ちをする。
赤井にはどうすることもできないのだ。その心の奥底に沈んでいる強大な欲望を、今の彼に向けることはできない。しかしながら、その歪な感情は、赤井の意志に反して大きく膨らんでいく。
多くの人間が憧憬の眼差しを向ける気高く美しい君を、君の大切な職場で、今すぐそのスーツのまま抱き潰すことができたら、なんて。あわよくば君は欲に溺れ、その間に君を取り巻くすべての悪を取り除き、俺の中にだけ閉じ込めてしまいたい。
卑劣な考えが頭に浮かんでは、ゆっくりと消えた。
その夜、降谷は随分ご機嫌な様子で赤井の自宅へと帰ってきた。
「赤井、遅くなりました。もう食事は済んでますよね?すみません、会議が長引いてしまって……ってあれ?この匂い……」
「今朝のように焦げてないだろうから、安心してくれ。先にシャワー浴びるか?」
「赤井が料理を!? ふふふ、お腹ぺこぺこなので、先にいただいちゃいますね」
キッチンに立っていた赤井は、二人分のシチューを皿へよそった。
あっという間に平らげてしまった降谷は、食器を片付けると脱衣所に向かった。湯船に浸かってすっかり身体が火照った降谷の頬は、ほんのり桜色に色付き蒸気している。乾ききっていない髪の毛から水滴がぽとぽとと垂れた。
肩にタオルをかけたまま冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出す降谷に、後ろから声をかける。
「降谷くん」
「はい?」
「髪の毛を乾かしてやるから、そこ座って」
「貴方は僕の母親ですか。自分でやりますからいいですよ」
「俺がしたいんだ」
その申し出に不服そうな表情を浮かべながらも、赤井の言う通りソファの前に腰を下ろした。引っ越しの際に新調しようと言って二人で選んだふわふわの柔らかいラグの上で体育座りになる。なぜか遠慮がちに小さく座っているその姿が可愛かった。
ソファを背凭れにした降谷の後ろに座った赤井は、丁寧に降谷の髪の毛に風を当てる。間違っても髪の毛を巻き込んでしまわないように、丁重に扱った。
赤井に髪の毛を触られていることに緊張しているのか、あるいは居心地の悪さを感じているのか、さっきから一切微動だにしない。
緊張を解してやりたかったが、あまり良い案が思い浮かばず、しばらく降谷の頭頂部を見つめながら髪の毛を乾かし続けた。あまり彼の頭の形をまじまじと見る機会もなかったので、新鮮な気持ちだった。
健康的で艶のある滑らかでさらさらな降谷の髪の毛から、自分が普段使用しているシャンプーと同じ香りがする。
最後にこの香りを嗅いだのはそう記憶に遠くない。昨晩ベッドの上で、寝ている彼の身体を暴いたときだ。眼球や呼吸の動きから確かに深く眠っていたようだが、彼は本当に覚えていないのだろうか。自分しか知り得ないという事実に満足感を覚えるとともに、どこか寂しさも感じていた。
今朝の彼の『おかえし』の意味を考える。通常、好きでもない人間にキスを返すだなんて真似するだろうか。どう考えたって少なからず降谷くんは俺に対して好意を持っている。親密になりたいと思っているのは自分だけではないのでは。
しかしながら、じゃあこのまま今すぐにでも抱き潰してしまっても良いものなのか、わからなかった。降谷を傷つけたくない。でも今よりも彼と心を通わせられるといい。人との距離の取り方について真剣に考える経験をしてこなかったため、段階の踏み方に悩んでいた。胸中に潜む衝動的な欲求を抑えて、確実に君の心の中にのめり込むためにはどうしたらいいのだろうか。
そんなことを考えているうちに、完全に髪の毛が乾ききってしまった。これくらいは許されるだろうと、仕上げに軽く旋毛にキスを落とした。
「完了だ。気持ちの悪いところはないか?」
言ってしまったあとに美容師みたいだなと思ったが、それに対して気にする素振りも見せず、降谷は固まったままだった。
「降谷くん?」
横から顔を覗くと、どういうわけか顔を耳元まで真っ赤にしてわなわなと震えていた。
「……⁉どこか不快だったか?」
「あ、あ、いや、別に、なんでも……ありません……先に、寝ます」
凄まじい勢いで立ち上がり寝室へと走り出した降谷を、取り残された赤井は呆然と見つめていた。
しばらくして寝室を覗くと、頭から布団を被り、こんもり山が出来ていた。いつも通り、ベッドの片方には一人分のスペースがある。
全身を覆い隠すように包まっているため、布団のほとんどが降谷のものになってしまっている。
「すまんが、少し分けてくれないか……」
暖房はついているものの、真冬のこの時期に布団もかけず眠るのは正直堪える。以前はどんな環境下であろうと必要があれば睡眠は摂れたし、数日寝られなくとも特に支障はなかった。降谷との生活を重ねていくうちに、人間的な暮らしが染みついてしまっていた。
優しく布団を動かそうとするが、強く巻き付いているのか、なかなか引き剥がすことができない。
諦めた赤井は空いたスペースへ横になった。隣で白い塊が伸縮している。しばらくその様子を横目で眺めていると、呼吸が苦しくなったのか、突然ぱっと布団から顔を出した。
ようやく見せてくれた降谷の顔を覗くと、目尻から頬にかけて涙の痕が残っていた。
――困惑した。
人の涙を見て、こんな感情になるなんてこと今まではなかった。
流れるように線を描いている降谷の頬に、優しく触れる。君を取り巻く全ての不条理が、ここにいる間だけは取り除かれるように。そう願っていた。
その日を境に、降谷は徹底的に赤井を避けるようになった。
庁舎内ではもちろんのこと、家にいる時でさえ顔を合わせてくれない。これまで通り毎晩欠かさず食事を準備してくれていたが、以前のように二人で食卓を囲む機会は減っていた。赤井も遅くまで外へ出ていることが増え、すれ違うことが多くなった。あれ以来、降谷がベッドで泣いている様子は見られなかった。
合同捜査は順調に進み、降谷が指揮を執らずとも部下である風見君をはじめ優秀な警察官らの力によって残党狩りは滞りなく進んでいた。一方で、回復傾向にあった降谷の体調は悪化していた。実質ほとんど現場に出なくて良い状態になっており、充分休養は摂れているはずだが原因はわからなかった。先日も再検査は受けたのかと聞いたが、はぐらかされてしまった。
衰弱していく降谷に、赤井が今してあげられることは少なかった。
しかしながら、『同じベッドで寝る』という約束は今もなお果たされている。赤井が隣にいるときだけ安眠できていたし、体調も良好のようだった。当初は睡眠障害に因果関係があるのではないかと考えられていたが、実際は別のところに原因があるのかもしれない。
組織解体の後処理に関しては、赤井も次第にデスク業務がメインとなり、緊急の要件がなければ自宅にいられることも増えた。なるべく降谷の傍にいてあげたかったが、今度は本国の要請で何日か家を空けることも増えた。捜査協力上、日本国内への残留を許可されていたが、残党狩りも収束に向かっている今、本帰国を言い渡される日も遠くないだろう。
久しぶりに休日が重なったので、その日は気分転換に外にでも出ようかと降谷に声をかけた。しかし、急に焦ったように用事があるといって一人で家を出て行ってしまった。
その夜、目も合わせてくれない降谷に痺れを切らした赤井は、大きく溜息を吐くと無理やり降谷の手を引っ張りをベッドへと連れ込んだ。上から覆いかぶさるようにして向き合い、退路を断つ。
「……何か、俺に言うことがあるんじゃないのか」
「へ?」
突然押し倒されたことに驚いて、目を大きく開けて固まっている。
「不満があるなら言ってくれ。君に必要とされる存在でありたいんだ」
柄にもなく切羽詰まったような声が出てしまい後悔する。君相手だとどうしてもただの男に成り下がってしまう哀れな奴だ。
降谷の瞳の奥が、泳いだ。一瞬、酷く哀しそうな表情を見せた気がした。
しばらく沈黙が続いたあと、降谷はようやく口を開いた。
「……放っておいてください」
「なぜ」
「貴方には感謝しています。でも、だめなんだ。おそらくこの症状は、この症状だけは治らない。だからお願い、離れてください」
泣き出しそうに手で顔を隠す降谷の姿が妖艶に映る。今はそんなことを考えている場合ではないが、己の欲望と降谷への親愛のバランスがうまくコントロールできない。なんてざまだと胸中で悪態つきながらも、どうしようもなかった。
ゆっくりと降谷から距離を取り、ベッドから降りると、再び降谷は頭を押さえて苦しみだした。
「痛むのか」
「……っ、大丈夫です」
枕にうつ伏せながら、もごもごと話している。
「でも、苦しみ方が尋常じゃない。やはり診てもらった方が」
「大丈夫ですから、もう放っておいてください!」
自分でも予想よりも大きな声量が出てしまったのか、はっとした表情を見せる。次第に表情が青ざめていく。
「……すみません。でも本当に、大丈夫ですから」
「君に謝ってほしいわけじゃない。……ベッドには入らないから、ここにいても良いか」
「………勝手にどうぞ」
悲しい目をしながら何かを一人で背負い込もうとしている。君はいつもそうだ。
降谷を枕に寝かせなおして柔らかい掛け布団を肩までかける。ベッドサイドに座椅子を持ってきた赤井は、降谷が眠るまでそこに居座り続けた。降谷からしてみれば少々気が散るだろうかとも思ったが、次第に安らかな寝息が聞こえるのを感じた。
降谷が完全に落ちていくのを眺めながら、赤井は胸中にある違和感の正体について考えていた。何か大切なものが欠落している、そんな気がしてならなかった。
一度は本気で自分のことを殺そうと地の果てまで追いかけてきた降谷の魂は、燃えるほどに美しかった。あの時はただ、君が光を見失わない理由として利用してくれたらそれでよかった。
でも実際、光を見失いかけていたのは自分の方だったのかもしれない。それを繋いでくれたのが、降谷零だった。
死んだと囁かれた人間の生存を一秒たりとも疑ったりしなかった。勝手に墓場を荒らしてほれみろと証拠を突き出してくるその大胆不敵さに心惹かれていた。
彼は赤井の真実を暴くために命を懸けてその魂をすり減らしてきた。沖矢昴の正体のことだけではない。最初から、赤井の実力だけは揺ぎ無く絶対だということを信じてやまなかった。それは、彼が赤井以上に赤井のことをよく見ているといった証左に他ならない。
一度は葬りさろうと考えていたライの存在だって、彼は赦さなかった。彼が赦さないでいてくれるから、あの抑圧された環境下で演じたライという人間を、後悔や自責を、未熟だったその全てを受け入れることができる。彼がライの生きた証を肯定すること自体が、彼なりの“覚悟”であるということは、痛いくらいに伝わった。万が一君が望まなくたって、その重い荷物を共に背負って生きていく覚悟はできている。そして君の半歩後ろで、躍進し続けるその姿をこれからも見ていたいと思った。
ひたむきに正しいことだけを真っすぐ見据えて、真実を追い求め続ける姿からずっと目が離せなかった。
それに比べて現状はどうだ。こんなに近い距離にいて、彼の行く道を阻んでいるのは自分なのではないか。そのことに気付いた瞬間、己の傲慢さに苛立ちを覚えた。彼が追い求める世界に、くだらない偽りや自負心は必要ない。
――もう隠し事はなしにしようか、降谷くん。
怒ったことはあるか、と聞かれたことがあったな。確かに君に怒りという感情を覚えたことはない。ただ俺は君の怒りも、憤りも、全て欲しいと思う。君の中からそれが失われてしまうと考えたら堪ったもんじゃない。
赤井はベッドサイドランプの光を弱めると、乱雑に降谷の布団を剥ぎ取った。薄暗くなった部屋の中で、獲物に飢えた肉食獣のような瞳がぎらりと光る。
降谷のスウェットをたくし上げると、いつしか丁寧に愛撫をした小さく形の良い乳首が現れる。片方を指先でマッサージしながら、もう片方に舌を這わせた。先端をとん、とんと叩くように刺激を与えていると、徐々に硬度を持ち始める。
赤井の舌が啄むように乳首へ愛撫をする。硬くなった己の中心を降谷の下半身へ擦りつけると、降谷も同じように反応をしていることが分かった。スウェットごと下着を剥ぎ取り降谷を丸裸にすると、両脚を持ち上げて大きく開かせる。まだ入り口しか弄られていない未開発の秘部へ、聳え立った凶暴な肉棒を宛がった。
「………!」
降谷を温かく包み込んでいたものを全て剥ぎ取ってしまったため、寒さを感じたのか顔を顰めていた。大丈夫、きっとすぐに温かくなる、もう少しの辛抱だ、と頬にキスをしながら囁いた。
ローションを手のひらの上で伸ばし温めたあと、そのまま降谷の後孔へと捻じ込ませた。違和感があるのか脚をバタバタと揺らしている。怖くないよと、乳首への刺激を与え続けながら徐々に奥へと侵入していく。あっという間に指一本吞み込んでくれた降谷に、よく頑張ったな、と口付けをした。本人は覚醒することなく、規則的な寝息を立てて熟睡している。
一度入れていた指を抜き取り、膝を立てるように開脚をさせると、緩くひくついた後孔から魅惑の内壁がちらりと覗いた。懇願するように伸縮を繰り返す可愛らしい入口に、ゆっくりと舌を立てる。
淵をなぞるように舐め上げると、上の口から甘い嬌声があがった。
「……っひゃぅ……」
これでも覚醒しないとは、なかなか肝が据わっている。
降谷の反応から不快感はなさそうだと判断した赤井は、そのまま舌を中へ侵入させた。震えていた太腿の痙攣が激しさを増す。柔らかなヒップラインの肉感を両手で味わいながら、びくびくと震える降谷の両脚を支える。会陰に触れた鼻先がくすぐったいのか、降谷の屹立からは甘い汁が溢れ出し赤井の顔を濡らしていた。そんな状況であるにもかかわらず、当人はすやすやと寝息を立てている。
シーツへ流れ落ちていくのを勿体なく感じ、溢れ出すその先から取り零すことないように吸いつくしていく。
指を三本に増やし中の具合を確かめる。入念に舌で解した甲斐もあり、充分に飲み込めるようになっていた。前立腺に触れてしまったのかまた一段と甘い声が降ってきたが、起きる気配はない。
「……降谷くん、挿れるぞ」
一応断りを入れるが、声をかけてもかけなくても同じような状況ではある。降谷の後孔に剛直を宛がうと、まるで元からそこに存在しているのが当たり前であったかのように、するりと巨大な肉の塊を飲み込んでしまった。
「……ッハ、一発で飲み込めるなんて君、やはり才能があるんじゃないか?」
赤井が関心していると、その直後にとんでもない光景が目に入ってきた。
あの降谷零が、無意識に自ら腰を突き動かし突き刺さったままの剛直を奥へと引き込もうとしている。
なんとも妖艶で淫乱な光景に目が眩みかけたが、それが赤井の体内で漂う仄暗い感情に火を付けた。降谷が身体を動かしやすいように、膝裏を持ち上げてさらに奥へと押し進める。しばらくその形を覚えさせるように降谷の中に入ったままじっとしていると、まるで奥へ誘導するように肉壁が蠢く。ナカの具合が良すぎて直ぐにでも持っていかれそうになる。全身の血液が中心へと集まり、結合部は沸騰しそうなくらい熱が籠っていた。
「そんなに暴れないでくれ、すまんが持ちそうにない」
頬を紅潮させ額に大粒の汗を浮かべていた。それでも懸命に赤井の剛直を飲み込もうと、必死に全身をくねらせている。挿入をした衝撃で、触れていない降谷の屹立からは濃い色の液体が零れていた。今もなお断続的に吐精が続いており、鼠径部から腹筋にかけていやらしく撒き散らされている。
「……動くぞ」
ゆっくりと腰を沈めていくと歓迎するように内側が蠕動した。強い締め付けに、射精感が高まっていく。前立腺を目掛けて腰を打ち付けると、電流を浴びたかのように全身が跳ねた。
「……っ♡…………んっ♡………ぁ…♡♡」
湿度の高い声が漏れると同時に、降谷の屹立からは精液とは異なる透明度の高い液体が飛び舞った。あっという間にシーツが水浸しになり、先ほど作った小さな水溜まりが可愛いものに思えてくる。衣服を濡らさぬよう先に全て剥ぎ取ってしまったのは正解だった。
意識がないまま盛大に他人の家のベッドを汚す降谷の痴態に、只ならぬ興奮を覚えていた。自分にこのような性癖があったなんて知りもしなかった。
ただただ一心に欲望を貪るように、降谷の奥深くへと剛直を打ち付ける。その最奥に自分の痕跡を残すように。
やがて大きな波が押し寄せ、一番深いそこに赤井は欲を放った。
射精は思ったよりも長く続き、収めきれなかった精液が結合部から泡を立てながら溢れ出した。降谷の身体から生成された様々な液体と混ざり合い、シーツの上はカオスな状態になっていた。
後ろに刺さった剛直を抜いてからも、頭頂部から足の爪の先まで痺れるほどの快感を浴びた降谷の身体は、浜辺に打ち上げられた魚のようにびくん、びくん、と痙攣を続けていた。
彼に気づかれないようシーツを取り換えるのはかなり手を焼きそうだ、とぼんやり考えながら、最後の一本になった煙草に火をつけた。
Out of Control
その『声』は突然聞こえるようになった。
はじめは、周囲の声が鮮明に聞こえているだけだと思っていた。
広めの会議室で降谷が講義を行っている際に、一度だけ私語を注意をしたことがあったのだ。しかし、注意してもなお、それは続いた。参加していた捜査員たちは誰一人として心当たりなどないように、不思議そうに降谷のことを見つめた。確かに声は聞こえているが、会議室全体を見渡してもそういった素振りを見せる者は見当たらないのだ。
翌朝、早い時間に登庁をした降谷は誰もいないはずの本部の扉の前で立ち止まった。
中から誰かの声がする。
音を立てないように、扉の傍でそっと聞き耳を立てた。
『――毎日毎日、こんな不毛な書類仕事させられて何になるっていうんだ。そもそも管轄外の書類を渡されて期日明日までってどうかんがえたっておかしいだろ……ストレスで白髪は増えるし、腰はいてぇし最悪だわ。もう、辞めてしまうか、仕事』
大きな音を立てないよう恐る恐る扉を開けると、事務員の者が一人デスクトップパソコンに向かっていた。淡々と画面上に何かを打ち込んでいる。
「神林さん、お疲れ様です。もしかして、帰られていないのでしょうか?」
「……おはよーございま……って、えっあっ……降谷さん!お、おお疲れ様です……」
背後から突然声をかけられた事務員の男は、相手があの降谷零だと分かった途端、身体が仰け反り椅子から転げ落ちそうになる。
「あまり気負いすぎるのも身体によくないですから、適度に休憩取ってくださいね。これ、よかったらさっきコンビニで買ったものですが、どうぞ」
降谷からミルク入り缶コーヒーを渡された三十手前の事務員の男は、まるで女神を見るような瞳で自席へと向かう降谷を見つめていた。少しぬるくなった缶コーヒーがあまりにも優しく、涙が溢れてしまいそうだった。
声をかけるまでは感じていた違和感が、次第に和らいでいく。
さきほど聞こえた声は紛れもなくあの事務員のものだった。
それは肉声として聞こえているのではなく、直接脳内に響くような不思議な感覚だった。
音が侵入することで、物理的な痛みが生じる。細胞を抉るような、刺すような痛みだった。
この不可解な現象は、月日が経過するごとに収まるどころか加速するようになっていた。外を歩くだけで、行く先々で人々の『負の感情』を受信してしまうのだ。
『あいつなんか、絶対殺してやる!』
『クソ会社、ビルごと滅んでしまえばいいのにな』
『アハハハハ!馬鹿じゃないの、私を捨てたことなんて一生後悔させてやるわ。今に見てなさい、あなたの家庭ごと、破滅の道へ誘ってあげるんだから』
行き交う人々から、心の声が鮮明に聞こえてくる。それも全ての声が聞こえてくるのではなく、悪意や憎悪を伴った声のみが抽出され、それを拾って体内に入ってくる仕組みのようだった。
声が聞こえるだけなら受け流せばいい。そう考えていた降谷だったが、事態は思っていたよりも深刻だった。声が入ってくるたびに生じる痛みは、どうやら人々の『負の感情』から変換されて発生しているようだった。
変換された痛みが、やがて降谷の体内に蓄積されていく。潜入時代に鍛え上げられた強靭なメンタリティを持った降谷でも、この膨大な負のエネルギーと、予測できない物理的な痛みをなかなかうまく処理しきれずにいた。
始めの頃は、その現象自体、興味深いものだと感じていた。人々が抱えている鬱憤や怒りが、嘘偽りない形で降谷の中に落ちてくる。それを正しく理解し把握しておくことは特に悪いことだとは思わなかった。もちろん、一番近しい距離にある部下たちの声も丸聞こえだ。
そうした好奇心も作用してか、痛みの吸収が早く潜在的に降谷の身体を蝕むこととなる。
この事象を把握しているのは一部の上層部と風見だけだった。
登庁の回数を減らし、休養も兼ね会議等は自宅からオンラインでの参加する方向へ切り替えた。風見には申し訳ないが、降谷が現場にいない時の指揮はほとんど任せてしまっていた。
庁舎に出向かないと進まない業務ももちろん残っているため、ずっと家の中にいるわけにもいかない。数時間でも雑踏を回避できれば、それだけで随分とマシだった。痛みを最小限にする方法は今のところそれしか見当たらない。風見ですら心の声が丸聞こえなのだから、非常に申し訳ない気持ちでいた。
突如として降谷の身に起きた超常現象について、専門医がいるわけでもなければ、降谷の他にも周囲で同様の事象が起きているという話もなかったため、完全にお手上げだった。
そんな中、大型商業施設内で起きた事件に組織と繋がりのある人間が絡んでいるという報告があがった。犯行グループは全員目出し帽を被っているから、現時点でターゲットがどこに配置されているのかまでは把握できていない様子だった。
その連絡がFBIチームからあがってきたという報告を受けた時は一瞬顔を顰めたが、ターゲットと面識があるのは探り屋バーボンとして最期まで組織に潜入を果たした降谷だけだった。現場に行ってその人物の癖や声を確認すればすぐに誰が該当者であるかは分かるに違いない。その上、今日は大型連休の初日である。施設内の避難者の数は計り知れない。現時点で派遣できる捜査関係者を集めても、避難誘導に手一杯でそれどころじゃないだろう。
降谷自身がターゲットを直接制圧するのが最も合理的で、捕獲までの最短ルートであると判断し、すぐに現場へと直行した。のだが……
「君はここにいるべき人間じゃないはずだが」
最も会いたくない相手に対面してしまった。
この男相手には、これまで散々なことをしてきた自覚があった。胸中で恨まれていたって仕方がない。
とはいえ、その時はまだ赤井の声を聞く覚悟ができていなかった。それは降谷の最大の甘えであり、降谷がこの男に甘えてきたという事実を突きつけられることでもある。結局のところ降谷自身が、まだこの男に正面から向き合えていないのだ。心のどこかで、赤井秀一の本心を聞くことを恐れている。
――この際もう、腹を括るしかない。
この男に出くわしてしまった時に、そう決心した。
爆発で悲鳴をあげながら避難する人々の波を掻い潜ってターゲットを制圧したのだから、降谷の身体はボロボロだった。実際に聴覚として受け取った人々の声の上から、悲痛な心の叫びが被さるようにして木霊するのである。それが何十、何百人もの声が一斉に。
犯人とやりあった際に消耗した体力以上に、気疲れしていた。今すぐにでも眠ってしまいたかった。
……もう、罵倒でもなんでもいいからさっさとしてくれ。
しかしながら、沈黙を続ける降谷に、赤井の心の声は届いてこなかった。
――何故だ。
あまりにも多くの人間の声を取り込みすぎて、目の前にいる人間の声が聞きとりづらくなっているのだろうか。不思議に思いながらも、二人の間に流れる静寂に耐えられず、非常用エレベーターの方へ歩き出す。なぜか後ろから赤井が着いてきていたが、無視を決め込むことにした。
避難用エレベーターの中で、沈黙に耐え切れなくなった降谷は口を開いた。
「なんでついてきてるんですか」
「君、物凄く怪我してるんじゃないか」
赤井から発された言葉には、一切の棘がなく、ただただ柔らかくて優しい音がした。人の声を聴いて安心したのはいつぶりだろう。降谷の中に蓄積された言葉によって生成された痛みが、徐々に和らいでいくような感覚があった。
しばらくするとエレベーターが停止し、照明が真っ暗になった。その拍子に力が抜けてしまい、へなへなと床へ座り込んだ。こんなところでこんな奴と閉じ込められるなんて、冗談じゃない。それなのに、急激な睡魔が降谷を襲ってくる。ここ数日間は、昼間に蓄積された負のエネルギーのせいで、なかなか寝付けない日々が続いていたというのに。
閉鎖的な空間で、降谷が知るこの世で最もいけ好かない男と二人きりで閉じ込められているというのに、なぜこんなにも安心できるのだろう。こんな奴に寝ている姿だなんて晒したくないのに。
そんな降谷の意志とは相反して、強い眠気が訪れる。あぁ、今日はもうダメみたいだ。
「少し仮眠をしますが悪しからず。貴方も今のうちに休んでおいた方がいいですよ、というかそうしてもらえると助かります。気が散るので」
直後に赤井が何か言った気がしたが、降谷の意識は急速に闇の中へ堕ちていった。その日は途中で覚醒することもなく、次に目が覚めた時には何故か赤井の腕に抱かれていることとなる。
***
赤井との共同生活が始まってからも、その男の心の声とやらは聞こえなかった。睡眠障害による不調を改善したい、というのは全くの嘘ではないが、降谷としてはこの男がいつボロを出すのかを知りたかったというのが本音である。
一緒に生活をしていても一向にその声が聞こえてこないとすれば、この男は僕になんの不満も抱いていないことになる。そんなことがあり得るのか。
仮にそうだったとして、自分はそれほどまでの存在だったという話だ。いつも振り回されるのはこちら側で、赤井にとっては自分なんて数多くいる知人の中の一人に過ぎないのだ。
その事実は非常に腹立たしくあり、そしてやるせなくもあった。
赤井と海辺へ出かけた際に、それとなく「人に怒ったことはあるのか」と聞いてみた。返事は歯切れの悪いものではあったが、奴の本質を改めて理解できた。赤井秀一は元来、他人への関心が薄いのだ。
だから僕が身勝手な行動に出ても、口では咎めているように見えて、そこには何の感情も付随しない。そういう男だった。
だが、百歩譲ってそれは理解できたとして……
………………。
あの時、僕にキスをしたのはなんだ?
あいつの国では挨拶代わりなのかもしれないが、あのタイミングでする意味とは?
何度思考を巡らせてもそれだけは理解が及ばなかった。挙句の果てにもう一度キスしようとなんてするから、つい間抜けな声を出してしまったではないか、あの野郎。
その夜は、赤井と暮らし始めてから一番、ぐっすりと眠れた。久々の長時間ドライブで疲れたのか、潮風に当たったからなのかは分からなかったが、深く良質な睡眠を得られたことはよかった。
翌日にどういうわけか赤井に体調を案じられ違和感を覚えたのはそう遠くない記憶だ。たった一日の外出でぐったりするはずがないのに。
またしてもあのキスのことについて考えていた。もしや、気分で揶揄われただけなのではないだろうか。何も考えてなさそうだもんな、あいつ。こっちは初めてだったというのに。やっぱり、こちらばかりが恥を晒しているようでムカつく。赤井の声は全然聞こえないし。
――流石に、僕から仕掛けたら怒るだろうか。
というか、これでも怒らないなら、本当に僕は赤井の眼中にないことが分かって割と傷つくのだが。
やってみないことには状況を打破することはできないと覚悟を決め、少し上の空だった赤井の唇に自身のそれを重ねた。触れた唇は乾燥していて、いつものいけ好かない煙草の香りが濃く感じた。
虚を突かれたように赤井は目を丸くしていたが、とうとう心の声が聞こえることはなかった。
しかし、その時の降谷はそのことが正直どうでもよくなるくらい、別の事象に捉われてしまっていた。
触れた唇が、熱いのだ。そこからじわじわと、性的快感に近いものが、全身を蠢き回る。今度は一体どうしたというのか。
訳も分からず身体が火照るので、赤井に悟られないように速やかに部屋で着替えをし、家を出た。
赤井にドライヤーをしてもらった時も、手が触れる度に身体が疼いて仕方がなかった。ただ赤井に触られているだけだというのに、僕の身体は一体どうしてしまったというのか。強制的に周囲の負のエネルギーを受信してしまう現象と何か関係があるのだろうか?
まさかな、と思いつつも、こんな状態が続くようであれば非常に困る。
その日は赤井を避けるようにベッドへ潜りこんでしまった。
目を瞑ると、初めて赤井にキスをされた日の記憶が、瞼の裏に鮮明に映し出される。肩を掴まれ二度目をされそうになった時は咄嗟に拒んだが、現在降谷の脳内ではその続きが展開されている。二度目は触れるだけのキスじゃなく、舌と舌が絡み合うような濃密なものだった。肩に触れていた赤井の手がゆっくりと背中を伝い、腰回りをいやらしく撫でる。
そんな光景が勝手に浮かび上がってきたことにも驚いたが、最も想定外だったのは、いつの間にか下半身に熱が集まっていたことだった。
「えっ……な、うそだろ」
見事に完勃ちになっていた降谷の中心は、そこが窮屈だとばかり主張をするように下着を押し上げている。はしたない妄想をして醜態を晒している自分に嫌気がさして、つい涙が零れてしまった。
俺の身体はどうなってしまったのだろう。ただ赤井の内面を暴きたかっただけなのに、どうしてこんな目に遭わないとならないのか。納得がいかなかった。
それでも、赤井の匂いが染みついた布団を頭から被ると酷く安心した。
なんとなく赤井と顔を合わせづらくなってしまい、自宅でも必要最低限の会話に留めるようにしていた。就寝時は避けるようにして赤井がいない間にこっそり先にベッドへ入ることが増えた。
日米合同捜査自体は順調に進み、残党狩りもあと僅かといったところだった。いつまでも米国の捜査員を日本国内に滞在させるわけにもいかず、捜査チームのうち何名かは帰国を余儀なくされた。赤井も本国の要請で一時的に帰国をすることが増え、家に一人残された降谷は幾分ほっとしていた。
はじめは、行き交う人々の負のエネルギーによって蓄積された痛みを和らげるため、原理はわからないが近くにいると安眠できる赤井との生活を始めたというのに、皮肉なものだ。ありがたいことに睡眠の質は改善されたが、一向に赤井の心の声は聞こえないし、どちらかというと僕の身体は性的に反応するばかりだった。
赤井のいない部屋は広く感じた。生活感の残るその部屋は、奴と共に過ごした日々を鮮明に呼び起させる。
せっかく一人になれるタイミングだったので、思い切って何日か休暇を取ってみた。本当はまた二人でどこかへ出掛けたかったけど、今のこの状態じゃ、しばらくは難しいのかもしれない。
……赤井と同じ空間にいては、発散するものも発散しきれず、体内に蓄積された熱が体調にも影響しているように思えた。
朝から洗濯と掃除を終えた降谷は、シャワーを浴びて寝室へと向かう。共用のベッドの上に飛び乗り、大の字になって寝転がった。赤井が普段使っている枕へと顔を埋めたのは、無意識だった。いつの間にか硬度を増していたペニスを、そっと下着の上から扱いてみる。
「んっ、はぁ、ん……」
あっという間にカウパーが溢れ出し、下着の中で糸を引いていた。膝まで下ろして直接触れると、びりびりと痺れるような快感が訪れる。
「はぁ、……なんで、こんな……あっ……あっ」
久しぶりだからなのか、神経が昂っているのか、いつもの数倍気持ちがよかった。すぐにイッてしまいそうだったので、細切れに手を放してはまたゆっくりと扱き始める。それを数回繰り返していると、胸部がやけにざわざわして落ち着かない。
「こんなところ触っても気持ちよくなんか、ないだろうに……」
しかし、降谷の脳はそこへ触れるよう信号を送っていた。空いている方の手でおそるおそる乳首へと触れると、先端がピンと張っていた。今までこんなことなかったのに、どうして。
周囲をなぞるようにマッサージをするのがどうしても気持ちがよくて、思わず全身をくねらせてしまう。枕に染みついた男の匂いが鼻を掠めると、さらに降谷の性感を刺激する。
なんで、おれ、あいつの匂いなんて嗅ぎながらこんなことしてるんだろう……
疑問を浮かばせつつも、走る手を止められなかった。
「……ん、あ、…………んん、んっ」
身体を仰け反らせて大きく脚を開ける。赤井の枕を前に抱きしめるように顔を埋め、ペニスからぐちゅぐちゅと卑猥な音を響かせた。瞼の裏に赤井が自分のモノを咥えている光景が浮かび上がる。ぢゅる、ぢゅる、と全身丸ごと吸い尽くされてしまうと錯覚するほど、はしたなく水音が鳴り響いている。耳を塞いでしまいたかった。それ以前に、脚と脚の間に赤井が頭を埋めているという絵面が見るに堪えない。重い罪悪感に駆られ、それが降谷の興奮を高めた。抵抗しようと赤井の頭部に触れているだけの手が行き場をなくしている。
『やめ……あか……だめだから……もう……ん……』
『何がだめなんだ?こんなに善さそうなのに』
赤井に痴態を見せつけるかのように、身体を仰け反らせた。これは夢なのだろうか。夢にしては生々しくて、なんといっても再現度が高すぎる。頭が沸騰してしまいそうだった。
射精感はすぐに訪れた。瞬く間にシーツへ精液を撒き散らしてしまい、現実を突きつけられる。
なんて妄想をしてるんだ。そもそも、赤井の匂いを嗅ぎながらオナニーをしてしまうだなんて相当自分もイカれている。例のノイズのせいで頭がおかしくなってしまったのだろうか。
体内に籠った熱は消えずに、積もっていくばかりだった。
***
二週間ほど赤井が家を空けている時のことだった。
幸運なことに、FBIが長年追いかけていた極悪犯罪グループの手掛かりが見つかったのだ。ターゲット捕獲に向けて、狙撃手としての帰国要請が赤井の元に降りてきた。赤井は降谷の体調を案じていたようだったが、これに関しては降谷の方から背中を押した。
「これまでだって何日か家を空けることはあったでしょう、半月くらいなんてことないですよ」
相も変わらずできる限り赤井と顔を合わせることは避けていたため、言葉を交わしたのは物凄く久しぶりだった。赤井は少し困ったように、そうだな、と笑いかけた。
あと一週間ほどで赤井が帰ってくる。
帰ってきたら、ちゃんと話をして、ここを出よう。
はじめは療養目的と、一部好奇心でこの部屋へ潜りこんだ降谷だったが、この生活ももう終わりにしないといけない。なぜなら赤井を好きだということに気付いてしまったから。
赤井の心の声が一ミリも聞こえないということは、本当に自分に対して何の感情も抱いていない。その事実がなかなかに降谷を苦しめた。
痛みを体内に蓄積するのは辛いが、失恋相手と四六時中一緒に居るよりはマシだ。自分の体調のことは自分でどうにかするしかない。幸いここ最近は回復傾向にあるし、外出時に負のエネルギーを受信したとしても、蓄積しすぎずうまく放出する術も得られるようになっていた。コツは必要だが、人が多く集まるような場所にさえ足を踏み入れなければ多少は回避できる。
仕事もそれなりに落ち着き、時間を持て余し始めたそんな時だった。
知っている番号からの着信。日米合同捜査の際、現場で一緒に動いたことのあるFBI捜査官の一人だった。
「はい、降谷です。チャザル捜査官ですか、ご無沙汰しております」
「……フルヤ、落ち着いて聞いてくれ。アカイが……」
「? どうしたんですか」
電話越しの声が震えていた。
チャザル捜査官の話を最後まで聞いて、終話ボタンを押した。
――赤井が撃たれた。
その言葉がぐわりと、鈍器のようなもので殴られたかように降谷の頭の中を圧迫した。酷い痛みが襲い、眩暈がする。視界がぼやけて立っていられない。倒れこむように、その場にぺたりと座り込んだ。
チャザルの話によると、飲食店に立て籠もっていたテロ組織の末端を制圧するため、捜査チーム総動員で突入しようとした際、無差別に放たれた銃弾が流れ弾となって赤井の心臓近くを貫通したらしい。非番の日に緊急招集がかかり現場へ直行したため、防弾チョッキは着用していなかったという。その後犯人は無事制圧、確保に至ったが、複数の捜査官が犠牲となり、今もなお治療を続けている。
手術でなんとか一命は取り留めたようだが、いつ意識が戻るかわからない状態だと言っていた。
なぜ。どうして。あれほどの男が。
いつしかそう叫んでいた時の記憶が遠い過去のように思える。僕はまだ、お前の本心を聞いていないというのに。
気が付けば走り出していた。ほとんど荷物も持たずに、ワシントン行きの便へ飛び乗った。
機内という狭い空間の中で、何百人もの心の声が一斉に飛び交っていた。長時間のフライトでひたすら耐えるしかなかった。自分の内側から湧き上がる怒りの声が、最も煩かった。
やっとのことで現地に辿り着いた降谷は、脳震盪を起こしそうなくらい疲弊をしていた。人の出入りが少ない所へと抜け、ベンチで身体を横にする。
噴き出す汗をタオルで拭い、自販機で買った水をぐいぐいと飲み干した。幸い、現地に着いてからの方がノイズは減っている気がする。
チャザルから聞かされていた病院の住所をドライバーへ伝え、空港から直行した。なんと車で二時間ほどかかるらしい。ドライバーからはこの二時間ひたすら小言を聞かされる羽目になった。微量の痛みを体内に飲み込みながら、どうにかして放出し続けた。それでも動悸は止まらず、思考もまとまらなかった。辛うじて目的地に到着し、少し多めにチップを渡し車を降りた。
病室の前で迎え入れてくれたのはあのジョディ・スターリング捜査官だった。連日の捜査と立ちあいで疲弊しているのか、目の下には濃い隈が出来ていた。
「フルヤ、来てくれたのね。さあ、こっちに」
案内された部屋に赤井は横たわって眠っていた。
何日も目が覚めていないだなんて嘘のようだ。だって、降谷の隣で眠っていた時の寝顔のままなのだから。
当然のことながら、赤井から心の声は聞こえない。周囲にいる人間からは、赤井が目を覚まさないことによる不安や悲哀の感情が流れ込んでくるというのに。
どうして僕に何も言ってくれないんだ。いくらでも話すチャンスはあったのに。
赤井が眠るベッドへ、一歩ずつゆっくりと近づく。
酸素マスクを装着しているのに、あまりに穏やかな表情で眠っているものだから、降谷が話しかけさえすればすぐにでも目を覚ますのではないかも思った。しかし、降谷が何度声をかけても、応答はなかった。
――ふと蘇ったのは、組織との最終決戦の前夜、ビルの屋上で赤井と交わした言葉だった。
『明日で本当に、終わりなんですね』
『ああ、でも、君が見据える先はそこではないだろう?』
その言葉に、背中に、目を奪われずにはいられなかった。
こうやって僕はずっとお前の背中を追い続け、掴んだと思ったら砂のように指の隙間からすり抜けていく。僕はいつになったら、お前と対等でいられるんだろう。
ただ、その時ばかりは、今お前が隣にいることが、何よりも心強いと感じてしまった。
組織随一のスナイパー。それは今も昔も変わらない、降谷にとって唯一の不変。
『君が求めれば、どんな場所にいたって飛んでいくさ。そんな感じで適当に使ってくれ』
『なんですかそれ。いいですか、持ち場というものがあるんです。ちゃんと作戦通り動いてくださいよ。……あと、絶対死ぬなよ』
『もちろん、君がそう望むなら』
遠くで花火の音が聞こえた。最後に花火を見たのは、こいつと観覧車の上でやりあった時だったかな。次に見られるのはいつになるのだろう。明日、生き延びられたらの話だが。……死ぬつもりも、毛頭ないけれど。
今度はあんな危険な場所じゃなくて、普通にこいつと肩を並べて鑑賞できる日が来るんだろうかなんて、柄にもないことを考えていた。
走馬灯のようにあの日の出来事がフラッシュバックする。本当に瀕死の状態にあるのは赤井の方なのに。病室には啜り泣く声が響いていたが、降谷の脳内にはもっと強烈な、悲痛な声が木霊していた。身体が痛い。内側からにじみ出てくる怒りと悲しみが刺すように自らを蝕んでいく。それが自分の中で生成されているものだと分かっていても、感情を止めることはできなかった。
「どうしてお前はいつもそうやって勝手なんだ。いつだって透かしたような態度で僕を嘲笑って、必要のない嘘までついて隠して、それでいてお前は一切自分のことを明かそうとしない。そういうところが、自分勝手で、本当の本当に昔から大っ嫌いだ。なんで、おまえが、僕を、」
赤井の手を握りしめながら悲痛を叫んだ。体内に渦巻いていたものが、どんどん大きくなっていき、降谷の身体では対処できないくらいに膨れ上がっていた。
痛い、痛いよ。助けて、赤井……。
焼けるような痛みが、全身に広がった。苦しみから逃れようと、握っていた手に力が入る。動く気配のない赤井の右腕を、ぎゅっと握りしめる。
次の瞬間、赤井の手が動いたような気がした。幻覚か?と思い目を擦る。
「……赤井……?」
降谷の体内に閉じこもっていた熱がすぅっと引いていく。さっきまであんなに激痛を伴っていた頭が羽根のように軽くなっていた。周囲のノイズが聞こえなくなり、真っ白な静寂に包まる。
「ふるや、くん」
声がした。でもそれは肉声ではなかった。直接脳に入り込んでくるその音は、他のノイズを掻き消し、鮮明に響き渡っている。
「きみと会えなくなるのは、いやだな……」
赤井の言葉は誰にも邪魔されることなく、すっと降谷の中へと入り、消えていった。痛みを生成することもなく、ただただすり抜けるように。
柔らかく清らかな風が舞い込んできたような気がした。
その数秒後、さも今起きましたと言わんばかりに、赤井は飄々と目を覚ました。涙でぐしゃぐしゃになった降谷の顔を、力の衰えた手で優しく撫でる。その温かさに、また涙が止まらなくなった。
病室にいた他のFBIメンバーが、アカイが目を覚ましたぞ!と叫びながら看護師を呼びに部屋を飛び出した。後ろで涙ぐみながらその光景を見ていたジョディが、よかった、本当によかった、と降谷に肩を寄せ抱き合った。
***
赤井の意識が戻ってから、二週間。しばらくは米国内に滞在していたが、降谷の方がこれ以上休暇を取るわけにもいかなかったので、帰国と共にもれなく赤井もついてくることとなった。今回の任務も一時的なものだったのでいずれは日本に戻るつもりではあったらしいが、もう少しゆっくりしていてもよかったのに。
降谷を苦しめていた身体の不調はすっかりよくなり、原因についても全て赤井に打ち明かすことにした。あの超常現象についてまさか本気で信じてもらえるとは思っていなかったが、あっさり納得されてしまい降谷としてはなんだか腑に落ちない。こっちは大変だったんだからな。
「……それで、俺からはどんな声が聞こえていたんだ?」
「それが全くの無音だったんですよ。ああ、こいつ、本当に僕に興味がないんだなって。正直ショックでした。今となってはそれで助かっていたこともありますから、いいんですけど」
「無音?それは本当か?」
「そうですけど。……その狼狽えようは、何か後ろめたいことでもあるんですか」
急に目を逸らし始めた赤井に、不信感を募らせる。負のエネルギーを受信する力はなくなり、周囲の音はもう聞こえない。というかこいつ、後ろめたいことがあるってことは僕に何か隠してることがあるってことじゃないか。なのに、なぜそれを受信できない?
「おい、目を逸らすな」
赤井の頬を両手で掴んで自分の方へ向けさせた。仏頂面と目があったかと思えば、次の瞬間唇に柔らかい感触が重なる。はむ、と啄むように唇を吸われ、その動きに合わせて舌を絡ませる。……まるで僕がキスをせがんだみたいになっていて気に食わないのだが。だったらこの際とことんかかってこい、赤井秀一!
だんだん酸素が薄くなって、ようやく口が離れた時には脳がとろとろに溶かされてしまっていた。挙句の果てに、いつの間にかソファに押し倒されている。
「……あぁもう!真剣に聞いてるんですけどこっちは!てか!長い!」
繰り出した拳を嬉しそうに受け止める赤井の姿を見ていると、悔しくて堪らなかった。惨めな気持ちになるだけだと分かっていても、感情のコントロールが効かない。
「ところで降谷くん。君がさっき言っていた現象以外に、何か変わったことはなかったか?」
「え、別にないと思いますけど……」
強いていうなら、性欲が強くなったこと……くらいしか思い浮かばなかったが、それを赤井に話すのは憚られた。赤井の不在時に勝手に枕を使って自慰をしたことだって、口が裂けても言えない。
「そうか、ならよかった」
不敵な笑みを浮かべる赤井に、降谷は首を傾げた。
自分の感情までが痛みとして生成されるものだとは思っていなかった。赤井への感情に気づいてすぐ、締め付けられるような痛みがあったのは確かだったが、あれが自分のものだったとは。
医師や看護師らは、あの病室で起きたことは奇跡だと言っていた。それほどまでに重症だったらしい。なぜあのタイミングで、赤井の声が聞こえて、意識を取り戻したのかはわからなかったが、自分の『声』が少なからず影響しているのかもしれない。大人になれば制御できるようになる、だなんて大口叩いておいて、全然制御なんかできていないじゃないか、と苦笑した。
「そういえば身体は大丈夫だったのか。ずっと痛い、って言ってたぞ、君」
「え、貴方それ聞こえてたんですか!? 」
まさかあの叫びまで赤井に聞こえていただなんて。エネルギーが強すぎるあまり突然変異でも起きたのだろうか。何はともあれ、あれが丸聞こえだったのは大分恥ずかしい。
「叫んで俺に助けを求めていたぞ。そのおかげであの世から戻ることができたんだがな」
「そんなにしっかり聞こえていたなんて……」
自分の中に生じる感情が痛みの根源となり、痛覚として発生したそれは、赤井の目覚めと共に引いていった。なぜそうなったかはわからなかったが、元来こいつには不思議な力があるのかもしれない。
思い返してみれば、あの痛みはずっと自分の中に存在していたのかもしれない。この男のことは、どんなに忘れようと思っても忘れられなかった。自分が信じた赤井秀一という男の存在を、命を、証明し尽くすまで、どこまでだって追い続けてやりたい。
それほどまでに僕は、この男に深く心酔してしまっている。
「もうここにいる理由もないですし、近々出ていきますからね」
「なぜ君はそうつれないことを言うんだ、別にこれからだってここにいたらいいだろう」
「……そうじゃなくて、仮住まいの一室なんかじゃなくて、ちゃんと、新しい家探そうかな、って……」
語尾が小さくなる降谷の耳が、色付きはじめていく。彩り豊かな生活が始まる気配に、赤井は心を躍らせた。
***
「降谷くん、本当にいいのか?」
ゴソゴソ、と布団の中で降谷が動き、赤井の長く持て余した脚の間から顔を出した。スウェットに手をかけようとする降谷を一度制止する。
「僕ばっかりやられてばかりじゃ癪ですから。ほら、手をどけてください」
さっきまで後ろの穴を弄られるだけで六回も達していたとは思えないほどタフな男だった。これまで、降谷の意識がない中で散々彼の身体をこっそり堪能してきた赤井だったが、まさか降谷の方から奉仕をしてくれるだなんて思ってもみなかった展開に期待感を募らせる。
初めてキスをした日も含めて計三回、赤井は寝ている降谷に無断で手を出していたのだが、彼にはその記憶が本当にないようだった。あれだけ身体が敏感に反応していたのに、何も気づかないなんてことあるのだろうかと考えていたが、話を聞くに負のエネルギーを浄化するには降谷自身がそれを忘れるくらいの幸福で満たされる条件が必要だったのではないか、という推察に至った。従って、無意識のうちに行われていたあの行為が、簡単に言えばストレス発散に繋がっていたのではないかと考える。
スウェットから飛び出した赤井の肉棒は、降谷の痴態を前にして凶暴なまでに膨張していた。グロテスクな剛直が勢いよく飛び出したことで降谷の頬に当たる。あまりにも凄い勢いだったので、自分でも驚いている。
「いや、あの、いくらなんでもでかすぎませんかね……もう少し収まるサイズになってくれると嬉しいのですが」
「そうはいってもなかなかこいつも言うことを聞かなくてね」
そもそもこれが降谷の口に収まるかも疑問だったが、躊躇うことなく口に含んだ降谷の頭を柔らかく撫でた。拙い動きで必死に飲み込もうとしている降谷が可愛くて、ご褒美をあげたくなる。このまま突き上げてしまいたい衝動を抑え、もぞもぞと動く恋人の姿を視覚で堪能した。
「……っ、降谷くん」
「なんれすか」
「挿れてもいいか」
「…………」
ペニスから口を離した降谷は、不服そうにベッドの上へ移動した。赤井の腕に包まれるように定位置へ移動すると、赤井から慈愛に満ちたキスが降り注がれた。
徐々に唇が首元へと移動し、やがて乳首へと到達する。懇切丁寧に愛撫が落とされた箇所は、火傷しそうなほどに熱かった。
乳首の先端を唇で挟むようにして引っ張ると、甘くしっとりとした嬌声が鳴り響く。その声を聞きながらゆっくりと降りて行き、臍、鼠径部、そして太腿にまで到達した。長い舌を大きく内腿に這わせると、期待した降谷の中央部から甘い蜜が流れ出す。
「っ!ん……や……舐めないで、そんなとこ」
「君は全身あまいから。食べたくなる君が悪い」
「な、に言って……あっ、やだ、あん」
後孔に舌を這わせ、ゆっくりと中へ侵入する。すでに柔らかくなったそこはどこもかしこも甘美で、いやらしい匂いを漂わせていた。
「や…………ひゃぅ、うん、だめ……♡」
前立腺を舌で押すと、本日何度目かの潮吹きを迎えた。既にシーツはぐっしょりと濡れて変色していた。当初は自分の身体から精液以外のものが出たショックで嘆いていたが、今ではもう癖になっているのか、気持ちよさそうに自ら腰をくねらせている。
「上手に出せたな、零……」
「…………はぁ、はぁ、早く、それ、ちょうだい……」
抱っこをせがむように両手を差し出した降谷は、まるで幼子のようでなんとなく罪悪感を覚えた。ぽんぽん、と頭を撫でて目尻に口付ける。
とろとろになった後孔に剛直を宛がい、一気に捻じ込んだ。その瞬間、再び透明の液体がぷしゃ!ぷしゃ!と勢いよく放出した。
「やっ♡あっ♡♡はげし……!ひゃん、ん――――♡」
降谷の脚を肩にかけ、いっきに抽送を進める。肌と肌がぶつかり合う音が、静かで薄暗い部屋に響き渡る。
「君、本当にはじめてか?」
「うんっ…!うん、!!」
「本当に?」
「あたり、まえ、…………ぁ♡う゛ぁ……!」
――まあ、初めてではないんだがな。
降谷の一番善いところを執拗に太く硬い熱棒で抉るように刺激する。バチュン!バチュン!と水音と共に結合部が大きく音を鳴らすたびに中がぐっと引き締まるので、あまり余裕を持てずにいた。このまま気絶するまで奥へと貫き続けたらどうなるか。仄暗い欲望が心臓の奥で開花する。
いつもは清らかで高潔な降谷が、赤井のグロテスクな熱棒を咥えながら媚びるような声で喘いでいる。猛烈な愉悦感が、赤井を高揚させた。
「ひゃぁ……!あ゛、あうっ!お゛!ぐぉ」
体勢を変えて四つん這いにさせ、後ろから獣のように腰を振る。降谷の腹筋を手で押さえつけると、赤井の肉棒を締め付ける力がまた強まった。結合部から溢れ出した泡が内腿に垂れていく。背中に数回キスをすると捕食するかのようにその肌に噛みついた。
上半身をぴったりと重ね、左手を降谷の屹立へ伸ばすと、絡みつく肉壁がまた蠕動した。強すぎる刺激に、先端からは再び透明の糸が引いていく。
「あ゛っっ!あ゛!もうやだ!むりぃ、だからぁっ……!はぁ♡♡お゛♡だめ…………あ゛ぅだめ、やだ、だめなのきちゃう……♡♡♡」
「だめではないだろ。俺は君みたいな力は持っていないから、言ってくれないとわからないんだ。哀れな男に、教えてくれないか?」
「…………ん、♡、しょうがないひと、ですねっ……♡はぁ、ん……あっそこ、当たって、きもちい♡……きもちがよすぎて、ぐるじ……んんっ、や♡好き……♡好き♡」
目にハートを浮かばせながら好きと呟く降谷を無理やり振り向かせ、噛みつくように舌を絡めた。何度も角度を変えながらお互いの体温を求め合う。舌を絡ませ合いながら再び正面に向き合い、激しくベッドへと身体を沈めた。
「……君はっ、本当に………!」
「あんっ!はぁっ、はぁっ♡♡あかいは、気持ちいい……?」
「最高だよ、俺の降谷零くん」
「んっ♡じゃあ、もっと、きて…………♡」
とろんとした目を潤ませながら悪魔的な誘いを施してくる可愛い恋人に屈する以外の選択肢はなかった。
「……零、出すぞ」
脚を大きく開いて、脇目もくれず一心に抽送を加速させた。完全に野獣と化した赤井の双眸から深緑の奥にあるギラギラと燃える炎が激しく光っていた。
「お゛っ!あっ!ひゃぅ…………♡♡はっ♡ん…………♡♡♡♡♡♡」
赤井が降谷の中で欲を放ったと同時に、降谷の中央部からはしょろろ…しょろろ…と淡黄色の液体が溢れ出していた。いつの間にか気を失っていた降谷の身体からゆっくりと自身の聳え立った肉棒を引き抜くと、その衝撃でもまたぷしゃ、と液体が湧きだした。シーツの上は、様々な種類の液体が混ざり合い悲惨なことになっている。強すぎる快感に、気を失った降谷を寝かせ、涙と涎でぐちゃぐちゃになった顔をタオルで拭う。
世界一無防備な、赤井の前でしか見せない特別な顔。
……今度は吸水力の高いマットを買ってこないとな。
そんなことを考えながら、眠り姫の前髪に優しくキスをした。
Reminds me
新居のベッドは以前のものより広めのクイーンサイズを選んだ。これでは君と密着できない、と赤井は不服そうな顔を浮かべていたが、手や脚を思いっきり伸ばせるに越したことはない。どっちにしたってお前はベタベタくっついて寝るんだろ、と適当にあしらえば、なんだか嬉しそうに尻尾を振っているものだから調子が狂う。
赤井の腕の中で朝を迎える。穏やかな心音とともに聞こえてくる、今日もまた世界が動き始めたことを知らせる生活音は、降谷にとって悪いものではなかった。
数ヶ月に渡って降谷を苦しめたあの現象は一体何だったのか、今でも解明できていない。赤井が病室で目覚めたあの日から、行き交う人々の声は聞こえなくなっている。ただ、一つだけ気掛かりなことがあった。
降谷の内側で生成された痛み。日常生活に支障を来すほどではないが、胸の奥がチクリと針で刺されたような感覚が今なお残存している。
それを強く認識する瞬間はいつも同じだった。今僕の隣で快適に寝息を立てているこの男、赤井秀一。こいつのことを考えるたびに、どうも内側がきりきりするのだ。この程度なら、痛覚というほどではないので、問題はないのだが。
降谷がもぞもぞと身体を動かしたせいか、深い眠りに沈んでいた男が覚醒した。降谷が目を覚ましていることに気付いた男は、まるで二度寝を促すように、自分の腕の中に閉じ込める。
「なんですか、痛い」
「そんな恰好だと寒いだろ。もっとこっちに」
「貴方が昨日脱がしたんですけどね……」
昨晩も遅くまで睦み合っていた二人は、当然のように下着一枚で布団に潜っていた。
「どうかしたか」
「んー……、いや別に心配するような話じゃないんですけど、あの時みたいにちょっとした痛み?がまた発生するようになってしまって」
「声は聞こえなくなったんじゃなかったのか」
「そうなんですけど、自分の中にあの時の発生したものが若干残っているみたいで。後遺症?なのかな。これから生きている限り続くとすればちょっと面倒だな、と思っただけでした」
「そういえば、あの時も痛いって叫んでたな」
「その話蒸し返すのやめません?」
「多少の痛みは自己放出できたんじゃないのか?なぜその時はそれをしなかった」
赤井の問いに、一瞬言葉を詰まらせる。三秒ほど考えてから、諦めたように続けた。
「……単純に悔しかったんですよね。なんでこんな訳の分からない現象のために、僕の中にため込んだそれを吐き出さなきゃいけないんだって」
「悔しい?」
「えぇ、だってそれって、過去も現在も含め、僕の中の怒りとか鬱憤が変換されているわけでしょう。忘れられたら痛みは収まったんでしょうけど。でも、なんとなく思ったんですよね」
忘れてやるものか、って。
一度は、赤井の生存を諦めかけたこともあった。そんな時、お前は飄々と僕の目の前に姿を現した。吊り下げられた一本の糸に、必死にしがみ付く僕はさぞ滑稽だっただろう。
そうやってお前は真実を明かしたつもりなんだろうが、これだけは断言する。
僕が欲しかったのは、そんな生ぬるいものなんかじゃない。
お前がそうやっていつまでも逃げ隠れようとするなら、何回だって暴いてやるからな。
「君は本当に……」
気が付けば赤井が凄まじい力で身体を強く抱きしめてくるので、危うく窒息しそうになった。参ったな、と小さく掠れるような声が耳元で聞こえたかと思えば、そこから優しく柔らかいキスの雨が降り注がれ、訳も分からないまま、また二人で真っ白なシーツの海に沈みこんだ。