――その鏡は、突然現れた。
公安御用達の隠れ家的存在、創作居酒屋『MIKAGA』。貸し切りの予約が入った今夜、店は活気に満ちていた。カウンター奥から立ち上がった香ばしい炭火の匂いが、店内をゆるやかに漂っている。
喧騒の中、チャリン、とドアベルが鳴った。ウエイターが応対するのと同時に、捜査官の一人がその存在に気が付き大きく手を振り上げる。
「あッ! お疲れ様です! ここ、隣空いてますよぉ~!」
騒がしい宴席の空気を割るように、悠然と店内へ足を踏み入れた人物――警察庁警備局警備企画課所属・降谷零。数時間遅れて到着した上司の姿に、一部のテーブルが沸いた。
真夏の蒸し暑さの中、額や首元には汗ひとつ見当たらない。一歩進むたび、軽やかに舞うシャンパンゴールドの髪。完璧なまでに整ったグレースーツは皺一つなく、真っ直ぐに伸びた背中に誰もが目を奪われる。筋骨隆々たる強面の男たちが集う中、異質なまでに美しく、高潔で、洗練された霊気を纏っていた。
アメリカの連邦捜査局、FBI――彼らと合同捜査を始めてから、もう随分と月日が経った。長年追っていた国際的犯罪組織を解体に追い込んだ今も、残党の追跡・処理に時間と命をすり減らしている。
そんな日々にも終止符が打たれようとしていた。張り詰めていた空気を僅かに緩めることを許された今夜、『束の間の休戦』と称して懇親会が設けられたのだ。
降谷が呼ばれた席に腰を下ろすと、隣に座っていた部下がさっそく声をかけた。
「降谷サン、何飲みますぅ? このお店、焼酎がおすすめらしいですよぉ」
「そうか、銘柄は任せるよ。水割りで。……ってお前ら、羽目を外しすぎるなってあれほど……」
降谷の周りには数名の屍が転がっていた。中には降谷の姿を見て目を潤ませ、泣き出している男もいる。
一方その頃。降谷から見てテーブルをひとつ挟んだ先、カウンター席に近い四人用テーブルには、赤井秀一とジョディ・スターリング、そして公安の女性捜査官が二名。スターリング捜査官は既に呂律が怪しかった。赤井はといえば、いかにも赤井狙いと思われる女性捜査官とその友人に詰め寄られながら、相変わらずウイスキーのグラスを片手に応対をしている。適当に相槌を打ちながら、時折フッと口許を緩ませると、二人から静かに悶え苦しむ声が上がっていた。
このような宴の場にあの男が出席していること自体、意外な光景だが、どんな心境の変化だ。
降谷は目を逸らし、再び目の前で寝込んでいる部下に視線を戻した。
隣に座っていた部下がトイレに立つと、入れ替わるようにしてオーダーしたお酒が届く。軽くウエイターに頭を下げると、降谷はゆっくりとグラスに口を付けた。
「調子はどうかな、降谷くん」
「……!」
危うく焼酎を噴き出すところだった。
眉を顰め、声のする方へ恐る恐る顔を向けると、ついさっきまで降谷の視線の先にいた赤井が飄々と立っていた。
苦虫を噛み潰したような顔で、静かに応答する。
「……珍しいですね、貴方がこういう場にいるの」
さも当然のように降谷の隣に腰を下ろした赤井は、片手に持っていた琥珀色のグラスを傾けた。
「僕に何か用ですか」
「ちょうど向こうもひと段落したんでな。君とお喋りをしにきた」
お喋りって……まさか酔ってるのか?
いや、この男に限って、天地がひっくり返ってもあり得ない話だが。
面と向かって対峙できるようになったのはつい最近のこと。この男には、ずっと言いたいことがあったはずだった。けれども自分の中でうまく整理できないまま、随分と時間を重ねてしまった。
心の奥底で燻った感情は、そう単純なものではなかった。
それに今は、合同捜査の名の下、残された組織の末端を摘発すること――それが最優先事項だ。この男との結びつきは、その延長線上に過ぎない。
「僕はお話しするようなことなんてないんですけど。貴方がここにいたら部下が気を遣うでしょう。お引き取り願えますか」
「そうつれないことを言うな。俺は君に用がある」
「なんですか、改まって……」
降谷は焼酎のグラスを静かに握った。
「次の休み、どこか食事へ行かないか? 思い返してみれば、君とサシで食事をしたことはなかったと思ってな」
「……何が目的ですか」
「君と仲良くなりたい。それ以外に何か理由が?」
降谷は胸中で深く溜息をついた。
最近の赤井はずっとこうだった。アメリカ人全員がこうなのかは知らないが、降谷は彼らほどパーソナルスペースが狭くない。
正直言って、困る。
ただでさえこの男を前にすると、焦ったり失敗したりする頻度が増えるというのに、これ以上距離を詰められて、ペースを乱されでもしたら。
「車は俺が出すよ」
「いやいや、別に運転くらい僕が…… あっ」
――しまった。
「決まりだな。日程が決まったら教えてくれ」
「いや、行くって言ってないんですけど。おい!」
降谷の返事を聞いた赤井は、再び元いたテーブルの方へ去っていった。後ろで立ち聞きをしていた部下数名が、なぜかハンカチを噛みながら赤井を睨みつけている。
あからさまに溜息を吐いた降谷は、目の前の焼酎をぐいっと喉に流し込んだ。
***
少し様子のおかしい赤井をよそに、降谷は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。新しく取り出した透明なグラスへと移すと、胃の中に勢いよく流し込む。
ふと時計を見ると零時を回っていた。夢中になりすぎて、すっかり深夜になっていたことに気付かなかった。
「すまない、すっかりこんな時間だな。君の話が興味深くて聞き入ってしまった。そろそろ帰るよ」
「えっ、こんな時間に出るんですか? 泊まっていけばいいのに」
「いや、……。 降谷くんは、いいのか?」
「ベッド一つしかないですけど、僕はそこのソファで寝られますし。あ、シャワーも浴びたいですよね。準備してきますね」
「待ってくれ降谷くん、俺は」
ぐっと腕を掴まれる。その力が思った以上に強く、降谷は態勢を崩した。そのままぽすん、と赤井の胸板に顔が埋まる。
「……あっ、ごめんなさ……」
赤井の腕を掴みながら、顔を上げる。目の前には、猛禽類を思い起こさせるような、鋭くも美しいエバーグリーンが降谷に照準を定めていた。
ゆっくりと顔が近づき、唇に触れた。
頭の中が真っ白になる。
今、僕は赤井とキスをしているのか?
赤井の腕にしがみついたまま、全身が硬直した。降谷の唇に軽く口付けている男の顔が良く見える。深い彫に、美しく通った鼻筋と端正な顔立ち。白く不健康な肌と目の下には濃い隈。頬に添えられた骨張った手は、これまで幾度と引き金を引き、窮地を潜り抜けてきたことを思い出させた。
唇はすぐに離れたが、降谷にとってそれは永遠よりも長く感じられた。
顔を離した赤井は降谷の表情を確認すると、もう一度キスを重ねた。今度は強引に舌を捻じ込まれる。肩を押し返し楯突くものの、そんな小さな抵抗では意味をなさないほど、赤井が降谷を抱き寄せる力は絶大で、精神ごと吸い込まれていく。ぴったりと体を密着させられ、身動きが取れない。
――まずい。
どうにかしてこの場を潜り抜けようと思考を巡らすが、そんなキャパシティは残されていなかった。
腔内を蹂躙する舌が、脳の感覚を溶かしていく。
太腿に妙な違和感。固い鈍器のようなものの存在を感じ、ハッとする。
まさか、こいつ…… !?
異様なサイズ感にも困惑させられるが、そんなことを考えている場合じゃない。
ようやく唇が離れていく。赤井の唇に繋がるように、透明の糸が引いていた。視界がぼやけ、赤井の表情がよく見えない。掴んでいる手を離せばすぐにでも崩れ落ちてしまいそうだった。
「降谷くん、この際だからはっきり言わせてもらうが、俺は君を抱きたいと思っている」
「……は?!」
「つまり、そういうことだ。俺は君にそういう意味で好意的に思っている。その上で、君を抱く権利が欲しい」
「おい、待て。急に何を……」
「ダメか……?」
突然の出来事に頭が真っ白になった。これもあの鏡が見せている幻覚の一部なのだろうか。現実と夢の区別がつかなくなる。いや、きっとこれは悪い夢だ。あの赤井が、僕に対して好意を抱く訳がない。
しかし、単純に興味があった。この男が、どんな風に人を抱くのかを。これが夢なのであれば、少しくらい覗き見したって罰は当たらないだろう。
「……そんなに言うなら、いいですけど……」
返事を聞いた赤井は、降谷の手を引いてソファに腰を下ろした。そのまま覆い被さるように降谷を押し倒すと、再び深い口付けを重ねる。
赤井の手が、下半身へ伸びた。スウェットの上から中心を撫でると、艶めかしい声が漏れてしまう。
「……あ、あかい……シャワー浴びたい」
「すまんが、あまり余裕がない。この場は諦めてくれないか」
そのまま赤井は降谷の太腿を丹念に撫でた。鼠径部周りをくるくると刺激され、腰が疼く。
スウェットをゆっくり脱がすと、色が変色したグレーのボクサーが現れた。すっかり勃ち上がった中心部が、ぴくぴくと揺れる。今すぐに開放してくれとでも言いたそうに、生地を押し上げていた。
「君は濡れやすいんだな」
「い、言うな……!!」
「俺のせいで君がこうなっているんだと思うと嬉しいよ。興奮する」
赤井は下着の上から包み込むように降谷のペニスを撫でた。形を確かめるように指でなぞられ、ゾクゾクとした快感が背筋を駆け抜ける。
「……ん、……うぅ……」
眉を八の字に下げた降谷が、控えめに声を洩らしている。その様子に堪らず赤井は口付けをした。舌を甘噛みされ、微弱の電流が走る。必死に応えるように、赤井の首に腕を回してしがみ付いた。いつの間にか下着が膝まで下ろされ、赤井の手が直に触れる。
「……っひゃぁ!」
「可愛いな、君は。もっと声を聞かせてくれ」
「ふざけ……ッ、あ、あ、ン」
「ここが好きなのか? 了解だ」
ぐちゅぐちゅ、と先端から粘着のある液体が流れ出し、それを赤井が指で掬うと先端全体を濡らすように塗り込んだ。腰が揺れ動くとの同時に、自然と脚が左右に開いてしまう。まるで赤井に痴態を見せつけるように。
「降谷くん、少し体勢を変えられるか」
「?」
赤井は押し倒した降谷の体を抱き上げ、ソファへ腰を落とした。そのまま降谷を自分の膝の上へ座らせる。
「ちょっ……! なんですかこの体勢は」
「少し狭いからな。こうした方がより密着できるし、君の好きなところを可愛がってあげられるだろう」
「いやいやいや。恥ずかしいからやめろッ」
「もうこんなに恥ずかしいことをしているというのに? 今更だな」
口の端を吊り上げ、意地悪く目を細める赤井の顔を見て、降谷の頭に血が昇っていく。それが怒りからくるものではなく、羞恥と喜悦によるものだということは分かっていた。恥ずかしさで脚を閉じるが、それすらも赤井の手によって阻まれた。
開かれた双丘の狭間に赤井の指先が宛がわれる。ツツ――、と軽くなぞられると背中が仰け反った。期待に内腿が痙攣し、高く勃ちあがったペニスがおろおろと震え出している。
とめどなく溢れ出すカウパーが会陰を濡らした。ぎゅっと目を瞑っていると、赤井のもう片方の手が降谷の手の甲に重ねられ、ぎゅっと握りしめられた。