「今日は明るいね」
「ほら、月に電気が通ってるからよ」
開いた窓から蝉の合唱に混じって誰かの会話が入ってきた。ネットニュースを流し読みしていた僕は思わずスマホを放って、窓へ体を寄せた。日に焼けたカーテンの隙間から、ぼんやりと丸い月がのぞいていた。
『政府は今日、三十六日ぶりに第三次大戦国民保護関連法に基づく夜間強制停電命令を解除しました。それに伴い、都市部では夜空に人工月が見られ……』
BGM代わりにつけているテレビから、音声ガイドのようにアナウンサーの言葉が聞こえてきた。海外から輸入したという巨大ライト付きドローン、もとい人工月の光は、この四畳一間にも差し込んできている。
第三次世界大戦が始まって一年。戦争は確かに行われていて、ときどき流れ弾や爆風で死傷者が出る。しかし戦地に向かうのはアンドロイドのみ、一般市民はさっぱり実感が湧いてこない。マスメディアは「敵国優勢、同盟国軍の撤退続く」、「排他的経済水域の喪失確定か」「東ツェニー油田守り切れず」と喚いているけれど、この国が勝とうが、敵軍に制圧されようが、きっと僕の生活に何ら変わりはない。必死なのは税金を吸い上げる人間ばかりだ。
顔もわからない連中の喧嘩話は聞き飽きた。僕はおもむろに立ち上がり、カーテンを全開した。久方ぶりの夜景が広がる。娯楽施設を閉めたとはいえ、まだ営業している店は多かった。色とりどりのネオンが薄闇に浮かんでいる。
「アル、今日は明るいね」
家主に声をかけたが、返事がない。振り返れば、アルは壁にもたれて目を閉じ、長い四肢を投げ出していた。
「よく聞き取れませんでした。もう一度お願いします」
スマホの内蔵AIのような無機質な声が返ってきて苦笑する。このアンドロイドは、僕がスマホに夢中になっている間に省電力モードに移行していたらしい。
アルの傍に寄り、意外と細い首の後ろに手を回す。人の皮膚そっくりの素材で覆われた柔らかなボディを撫で、爪が引っかかったところをスライドさせれば、ゆっくりと目が開いた。満月をくりぬいたかのように輝く瞳は、人工月なんかよりよほど美しい。
「今、何時だ」
アルは呑気にふわ、とあくびをした。まだ夢見心地のようで、時計を探す手が何度も空を掻く。僕は傍らの電波時計を確認した。
「夜の七時だよ。七時三十分十二秒」
「やけに細かいな。まあいい、何か用か」
僕は首を傾げた。
「特にないかな。起こしちゃ駄目だった?」
「いいや。多少の話相手にはなるが、積んでいる会話用エンジンが古いからな、大した話はできないぞ」
ラジオ代わりに彼の電源を入れたわけではなかった。言いよどんでいると、アルの視線は僕を通り越して窓の向こうに注がれた。
「久しぶりに見た。今日は満月か」
僕は頷き、さっきのニュースを丸ごと繰り返した。アルは相槌を打ちながらもときどき看板を指さして、あのスーパーは魚が安い、あの書店は店主が気難しいと教えてくれた。
「青いネオンが見えるか? あそこの喫茶店、挽きたての珈琲がうまいんだ」
アルの指す方へ目を凝らしてみるが、それらしき看板は見当たらない。アルの型番は暗視機能に優れているとネットで読んだが、本当にその通りだ。
「どこ?」
「ずぶ濡れのお前を拾った辺り」
アルは歌うように言った。万人に好まれるよう美しく整えられたアンドロイドは、雑誌の表紙でも飾るような笑顔を浮かべた。
世界大戦が始まる以前、人間に代わる兵士として大量生産されたアンドロイドは、その美しい容貌で軍事演習は観覧チケット戦争になるほど人気があった。自宅用に購入する好事家も多くいたが、敵国軍が優勢の現在は、それほど金銭に余裕のある人間は減った。捨てられたり、主人を亡くしたりして街を彷徨う野良アンドロイドが社会問題になっている。
ところが僕は、先週このアンドロイド「に」拾われたのだった。
ちょうど一週間前のことだ。突然、勤めていた店をクビになった。前々から横柄な態度の店主だったけれど、いきなり大戦による営業停止を告げられ、ゴミ袋にまとめて入れられた僕のわずかな所持品とともに外へ放り出された。つまりは元々売上が減少していたのに、いよいよ大して仕事をしない僕を置いておく理由がなくなった、出ていけということだった。
けれど僕の方も、住み込みで働いていたものだから行く当てもない。明かりもまばらな繁華街をさまよっていると夕立に遭った。シャッターの降りた店先で雨宿りしていたところ、彼に傘をさしかけられたのだ。
「一人か?」
頷けば、彼の顔はぱっと輝いた。
「うちに来るか? 雨が止むまででもいい」
戦前なら願ってもいない僥倖だったけれど、僕は首を横に振った。
「お金は持ってないよ」
これで大抵の人間は引き下がる。そう判断した言葉に、彼は上ずった声で畳みかけてきた。
「金など不要だ」
ますます怪しい。詐欺まがいの新興宗教か、シンプルに犯罪集団か……。
「お前、アンドロイドに興味はないか」
僕はここでようやく彼の顔をまじまじと見た。綺麗すぎる。
「君はアンドロイドなの?」
「そうだ。主人がいないと、じきに動けなくなる。だから、」
「不便だね」
「……ああ。ひと月前に主人を亡くした。役所もごった返して、身寄りのないアンドロイドは自宅待機だ。その自宅は誰のものなのかって話だが」
「君のものだよ。法律でそう決まってる」
彼はきょとんとし、僕の全身を眺め回してからふいと目をそらした。
「モノがモノを持つのか? 冗談はよせ」
「持てるよ。自分をモノだと言うのはやめた方がいい。アンドロイドに人並みの感情があることは科学的に証明されている」
「おめでたい頭だな。童話しか読んだことがないのか?」
「いたって理性的だよ。現に今、君は悲しんでいるだろう」
アンドロイドは顔をしかめた。
「変な人間だな。お前の家はどこだ」
「……ない。今引き払ってきたんだ」
途端に笑い声が爆発した。
「俺も結構な学者サマに話しかけたものだな」
「学者じゃないよ。一般市民だよ」
「貧乏人か。当然、アンドロイドなど所有していないんだろう?」
僕が頷くと、彼はポケットからごそごそと四角い金属製のプレートを取り出した。
「これは俺のIDだ。お前にやる。好きに使え」
無理やり開かされた手のひらに、冷たいプレートが置かれる。アンドロイドへの命令を可能にし、所有者を証明するマスターキー。彼の心臓にも等しい品を飴玉のごとく渡され、僕は戸惑った。
「どこか具合が悪いの? 修理屋はどこも閉まってるけど」
彼は一瞬だけ動きを止めたが、すぐに笑顔になって僕の手を引いた。
「とりあえずうちに来い。話はそれからだ」
それから僕はアルの家にいる。古びたアパートの一室で、少し狭いが贅沢は言っていられない。交換条件で彼の主人にもなったわけだが、案外うまくやれている。
「ずいぶん街に詳しいんだね。今度案内してもらってもいい?」
「終戦したらいくらでも」
「それじゃ遅いよ。役所は僕を所有者と認めないかもしれない」
「お前、莫大な借金でもあるのか? だとしても紙切れ一枚を精査する余裕などないだろう。それより出歩いて流れ弾に当たる方を心配しろ。敵軍のアンドロイド兵は莫大な予算がつぎ込まれて、傍目には人間と見分けがつかないほど高性能だっていうじゃないか。お前の頭なんて簡単に吹っ飛ばすぞ」
「ありがとう。お返しにと言っては何だけど、君のお手入れは、僕がしっかりやるからね」
アルはぱちぱちと目を瞬かせた。
「お前、技師だったのか」
「違うけど、YouTubeに君の修理動画がたくさん上がってる」
僕はスマートフォンに、アンドロイド、修理などと打ち込んだ。すぐさま画面にずらりと並んだ動画一覧を見せる。素人でもできるアンドロイド修理、アンドロイドのかんたんバグ除去、おうちでアンドロイドと暮らす~修理編~。
「恐ろしいな。俺たちにビタ一文も払う気がないらしい」
アルは両腕で自分を抱きしめると僕を軽くにらみ、画面から顔をそむけた。
「ごめんね。安心するかと思ったんだ」
アルはちらりと僕の方を見やって、ため息をついた。
僕は検索ボックスから「-改造」を消去して首を傾げた。途端に動画一覧には、蜘蛛よろしく複数の手足がついたアンドロイドなどの過激なサムネイルが仲間入りし始める。野良アンドロイドに続いて問題になっているのが、アンドロイドの違法改造だった。なんせ戦時中の市民は暇だ。いくら戦地に赴かないといっても、外出制限は続いているし、頻繁に停電もある。
「気持ちはありがたいが、なるべく綺麗に使ってくれ」
「もちろん。ずっと大事に使わせてもらうよ」
「……ずっと」
アルは突然動きをぴたりと止めた。それこそバグかと身構えた瞬間、彼ははっとし、僕の視線に取り繕うように笑ってみせた。
「そういえば、朝から何も口にしていないようだが、腹は減っていないのか」
僕は腹をさすってみたが、特にへこんでいる感じはしなかった。
「大丈夫だと思うよ」
「思う、だと? おい、ちゃんとしろ。お前に死なれては困る」
眉をひそめる彼の優しい眼差しに、胸の奥が暖かくなる。今までこんな風に僕を見る者は誰一人いなかった。突然身内を喪った悲しみ、やり場のない怒りは大抵僕にぶつけられた。
「何か買ってきてやる。少し待っていろ」
彼は素早く立ち上がり、僕も慌てて片足を立てたが手で制された。
「心配するな、前の主のために買い物など何百回とこなしてきた。一週間分ほど適当に見繕ってやる」
「ありがとうアル。でも僕が行くよ」
「お前、さっきの話を聞いていたのか?」
腰に手を当て前屈みになった彼の首元へ手を回す。一拍置いて、黄金色の目がとろんと溶けた。
「俺は構わないが……お前は外に出たら」
電源を落とさせるまいと腕が伸びてきたが、てきぱきと喋り動いていたのが嘘のように緩慢な動きだった。瞼はほとんど落ちかけている。
「当分は家にこもるよ。備蓄は十分だから安心して」
「ん……」
アルの身体は糸が切れたマリオネットのように崩れ落ちた。慌てて抱きとめると、それなりに重い。アルはアンドロイドだが、初期に出た旧タイプ、しかも国産だ。所有者に絶対に逆らわないようプログラムされている。
最後はかすかに頷いたように見えたが、それも僕の希望的観測だ。彼のように他人の気持ちを推しはかることはまだできそうもない。
僕は冷蔵庫を開けて、びっしりと詰まったオイルを数えた。それから天袋の中を確認する。バッテリー、フィルター、交換パーツ。ざっと計算しても万はある。水道をひねれば、熱湯が出る。おそらくアルの主人は己の死期を悟り、遺してゆく美しい人形が哀れな野良アンドロイドにならないよう、できうるかぎりの策を講じたに違いなかった。これならアルが戦闘でも行わない限り一週間どころか何十年、何百年でも籠城していられる。
アンドロイドにとって、一番恐ろしいのは主人が死ぬことだ。最低限の人権は認められたものの、所有者は未だに強い支配力を持ち続けている。特に、彼のような旧型は自分で自分の手入れができない。主人がいれば手入れを受けられ、精巧につくられたアンドロイドは半永久的に稼働できる。そういう点でも、彼にとって僕は理想的な主人のはずだ――人間でないこと以外は。
僕はのろのろと壁際に移動し、右足のかかとをコンセントに当てた。瞬間、自動的にかかとのカバーが開き、しまわれていたプラグが伸びて穴にかちりとはまる。すぐさま15Aの電流が全身をめぐった。クーラーの風で冷えた手足の指先もぽかぽかと温かくなってくる。さっき胸の奥に生まれた熱と似ていた。
「君もこんな風に感じてくれているといいのにな」
隣で眠るアルの表情は穏やかだ。強制シャットダウンは彼の身体に負担がかかるので極力避けたいが、人間の食料品を買われても腐らせるしかないのが悩ましい。前の主人の習慣だったのかもしれないが、夜に起こすと決まって買出しに行くと言い出すのは厄介だった。
彼にもらったマスターキーを取り出し、そっと両手で包む。刻まれた製造番号を指でなぞってみれば、自然と笑みが浮かんだ。金属片は人工月に照らされてきらりと輝く。綺麗だった。口の中に放り込めば、カランカランと軽やかな音を立てて僕の内部へ落ちていった。