「それ」には名前がなかった。だから人は「それ」を作った博士の姓をとって「フランケンシュタイン」と呼んだ。今ではすっかり怪物の代名詞だ。
「それ」がいったい何者であったのか、ほとんど誰も知らない。俺もその一人だ。
「また罪人を焼いたのか、荼毘」
床に這いつくばり全身から煙を上げながら呻き声を上げる人間が一人、声も枯れたのが一人、真っ黒な炭になり形だけが残ったのが一体。煙にせき込みながら目の前に広がる惨状を眺めて、俺は蒼炎をまとい地面を睨みつける男を咎めた。
本当はこんな場所へ来たくはない。公安委員長だからと自分に言い聞かせて毎日鉄の扉をノックする。神野区の廃病院を改築したVIPルーム、二千度の熱にも氷点下の冷気にも耐えうる、ただ一人のための病室だ。
「そうだよ。優しいだろ、トゥワイスを背後からブッ刺したお前みたいにな。ホークス」
荼毘は囁くような低音で俺のヒーローネームを口にすると、振り向いてニイと口の端を吊り上げて笑った――正確には、「おそらく笑った」。
決戦時、焼死体同然にまで自らを燃やした男は、自らの〝冷〟の個性によって一命をとりとめ、その後は公安直属の医療チームに身柄を預けられた。当初は一年も持たないと思われていたが、余命宣告を何度も引き伸ばし、とうとう三年もの月日を生きている。
ただし男の外見は決戦後のままだ。黒い炭でできた人形のような姿で、男は真っ黒な足を引きずりながらゆっくりと俺のほうに歩いてくる。
「ご立派な公務は順調か? ハハ、それにしても俺たちヴィランを一か所に閉じ込めて殺し合いさせるなんて、良い趣味してんじゃねェか」
「デスゲームを勝手に始めたのはお前らでしょ。俺は話し合いをしてくださいと言っただけ」
「ハッ、そうだなお前は悪くない。ヴィランが落ち着いて話し合えなかっただけだ――誰が恩赦に値するかをな」
俺は背負った刀を下ろし右手に持ち替えて、荼毘の傍を通り過ぎた。部屋の奥には、医療用ポッドが設置されている。巨大な試験管にコードやパイプが幾重にも絡まり四方八方へ伸びて仰々しい。中央に取り付けられたガラスの扉は鍵ごと壊されていた。
「こんなにしちゃって……お前もただ眺めてればよかったんだよ、この中から」
飛び散ったガラスの破片を足で隅に追いやり、ポッドの中を確認する。エラーコードを吐き続けるモニターと点滅する赤いランプが、患者が脱走したことを告げていた。
「大丈夫」
「とは知らなかった。ヒーローに個性でぶっ飛ばされれば聴衆から歓声が上がり、タルタロスじゃ人体実験は当たり前、もうこれ以上爛れねえからって何度煙草の火消しに使われたか。都合のいい時だけお仲間に入れてくれるんだな」
「あそこはどうにかする。そっちこそ都合よく人の心がない怪物にならないでほしいね」
「心がない? むしろ逆だ、かわいそうだろ? こんな密室に閉じ込められて、外の空気も吸えやしないなんてなァ……死んだ方がマシだ」
またこれだ。荼毘は火傷が広がり、ほとんど真っ赤な両腕をじっと見つめている。週に一度はこうして癇癪を起こし死にたがるけど、公安としては死なれちゃ困る。俺は片手で救急医療班に即メッセージを飛ばしてから、処理班を呼んだ。すべて片づけてもらわないといけない。
「お前、自分のことばかり考えて生きてるの?」
「ああ、そうだよホークス。お前以外は大抵そうさ」
荼毘は椅子に寄りかかる死体を眉をひそめて退かし、自分が代わりに座った。
「生まれた意味なんて人間にはない。この世に俺を理解できる人間はいない。俺は最悪の犯罪者。それでも生きていかなければならない。なァ、どんな論理だ?」
「あのガラスの中に入ってくれたら教えてあげる」
荼毘は眉をひそめた。あの奇妙な緑色の液で満たされたガラスポッドを指差してやれば、焦げ臭いため息をついてパイプ椅子に腰かける。
「なあホークス、俺ァその先延ばしにうんざりなんだよ。もしかして死刑を怖がってるとでも思ってンのか? ハハッ今更だぜ」
俺はどきりとした。
「考えてもみろよ、あの決戦からヒーローへの見る目が変わった。完全無欠のオールマイトは完全な自己犠牲の上で成立する英雄だ。じゃあ他のヒーローは何を引き換えに力を得たのか――今までヒーローなんざコミックのキャラクターだと思い込んでいたお客様が、肉のついた人間として立体的に観察し始める。するとどうなると思う? 俺は死んでから価値が出る。エンデヴァーの汚点としてな」
ちょうど駆けつけた医療班から診察を受けながら荼毘は未だ燻る足を組み、頬と顎を繋いでいた金具が一つとれたのか、尋常でなく大きく開いた口の端から血をこぼしながらにいと歯をむき出しにして笑った。
「死ぬのが待ち遠しいよ」