■第1話「吉田博を知っていますか。版画の見方を考える」
■第1話「吉田博を知っていますか。版画の見方を考える」
『没後70年 吉田博展』(東京都美術館)2021年1月26日(火)~3月28日(日)
吉田博の画業は実に華々しい。23歳で渡米すると、ボストン美術館で展覧会を開催し、成功を収めた。明治26年(1903年)からは後に妻となる「ふじ」を連れ、現在の通貨価値で2~3億円という途方もない金額をかけて世界旅行をしている。また、薩摩閥が幅を利かせる白馬会に対抗するべく太平洋画会を結成するなど日本の画壇にも大きな影響を与えている。さらに、関東大震災では多くの作品を失うものの、経済的に困窮する仲間を救うべく再び渡米し、見事に再起を果たした。吉田はいわゆる画力だけではなく、社交力や商才も優れていた。
しかし、吉田博は日本での知名度は高いとは言えない。世界で評価される日本人画家は限られており、もっと日本で人気があっても良さそうである。なぜだろうか。今回の展覧会を見て重要だと感じたのは、『版画の鑑賞方法』である。吉田博はもともと水彩画や油絵を学んでおり、江戸時代のような浮世絵の版画と大きく異なる。吉田博の版画は、一定の距離を取って鑑賞するのが望ましい。色彩のグラデーションが程良く目に馴染む距離が大切となる。実際、展示室に入った瞬間は、各作品の素晴らしさに圧倒されるが、作品の直ぐ目の前に立つとアニメーションのセル画のようなパーツ感が出てしまうものが散見された。それに対し、浮世絵など旧来の版画は遠くからでも近くから鑑賞しても印象はさほどかわらない。むしろ、手に持ってしげしげと鑑賞した方が、空摺の質感を楽しむことが出来る。葛飾北斎の浮世絵は多くの美術館で目にすることができるが、鑑賞の距離を意識したことはない。明治後期から昭和にかけて版画はもはや日本の美術界では退潮しており、美術館に飾られた版画を鑑賞するという機会が限られていたのだとしたら、吉田博の人気が伸びなかったのも頷けるような気がした。吉田博の代表的な連作である「帆船」は、一つ一つの作品を丹念に鑑賞するより、まとまって作品が視界に入る距離ぐらいからぼんやり眺める方が、美しさを味わうことができよう。
今回の展覧会でもっとも良いと感じた作品は「神楽坂 雨後の夜」(No.72)である。橙色の明かりと水たまりの反射は、版画ならではの美しさを醸し出している。もし人気投票があれば上位に入るのは間違いないだろう。ところで、吉田博は人物画の評価は芳しくない。今回の展覧会で、人物に焦点が当てられた作品は、「こども」(No.83)、「鏡之前」(No84)に限られ、素通りされることが多かった。確かに人物は得意ではないのだろうと思ったが、この作品には、ホラー漫画のような異様さがあり、何故か作品の前から離れられず、もっとも鑑賞に時間を費やしてしまった。(2021年4月4日)
東京都美術館 https://www.tobikan.jp/exhibition/2020_yoshidahiroshi.html