■第6話「風景画がもっとも輝いていた時代 バルビゾン派か印象派か」
■第6話「風景画がもっとも輝いていた時代 バルビゾン派か印象派か」
『風景画のはじまり コローから印象派へ ランス美術館コレクション』(SOMPO美術館)2021年6月25日(金)~9月12日(日)
SOMPO美術館で開催されている『風景画のはじまり コローから印象派へ ランス美術館コレクション』は9月12日で会期は終わりますが、その後、宮城県美術館、静岡市美術館に巡回する予定ですので、興味ある方は是非、足を運んでみてください。タイトルのとおり印象派の作品は、「第5章 印象主義の展開」の中でルノワールやモネといったお馴染みの作家が登場します。ただ、印象派の展覧会は毎年のように日本を代表する美術館で開催されており、それと比べると物足りなさは否めません。今回の展覧会の見所は、ランス美術館が誇るカミーユ・コローの作品です。これだけコローの名作をまとめて鑑賞できる機会はないでしょう。また、「第4章 ウジェーヌ・ブーダン」にも注目です。
さて、この展覧会は「風景画のはじまり コローから印象派へ」というタイトルですが、これだけ聞くと、なんとなくコローは風景画の出発点で、印象派がゴールのように感じませんか。日本では印象派という言葉は、展覧会の集客力という点で力を持っているのかと勘ぐってしまいます。今回の美術館回想記は、コロー、テオドール・ルソー、ドービニー、トロワイヨンなどバルビゾン派が活躍した時代こそ風景画の絶頂期という話になります。
ところで、印象派の説明には疑問に思うことがありました。一般的に印象派のポイントとして、戸外での制作と筆触分割が挙げられます。つまり、戸外で観察することによって太陽の光を意識する。絵具は混ぜると明度が落ちるため、点描のような筆致で描き、網膜を通じて色彩を混合させるというものです。レオナルド・ダ・ヴィンチが数学的に遠近法を考察したように、色彩を科学的に捉える試みと言えるでしょう。しかし、「印象派」という言葉からは、目に映る景色ではなく、心象風景こそが大切という趣旨にも感じます。科学的に入りつつ、精神論にたどり着いてしまいました。おそらく街ゆく人に印象派とは何かと尋ねれば、ほとんどの人は心に映る様を描いたものと答えるでしょう。これが印象派の人気を高めている理由だと思っています。キュビズムの複数の視点で画面を構成するという試みはある意味絵画を科学的に再考しようという試みと言えますが、一般人はそのような絵画論に興味はありません。なので、ピカソの絵は難しいよね、で終わってしまいます。意図したものかはともかく、科学的に入りつつ、心象風景という一般受けする結論に結びついたことが、印象派が膾炙した要因と思います。
バルビゾン派が活躍した時代は、作家やコレクターもこぞって風景画を求めた時代です。風景画は、①神話や歴史画の一部として描かれる時代(ニコラ・プッサン)、②雅宴画の舞台として描かれる時代(アントワーヌ・ヴァトー)、③理想的な風景として描かれる時代(クロード・ロラン)、④グランドツアーによる都市景観画の時代(カナレット)、⑤英国の風景画(ターナー、コンスタブル)といった幾つもの流れがあり、そこで培われた表現や美意識がバルビゾン派の時代に大きな一つの大河になり完成を見たのです。森林を中心に小道、湖面、遠景の山々を取り入れ、靄がかった空気感で全体を包み、さり気なく描かれる人物が小田舎の暮らしを想像させる。風景画の様式が完成したと言っても過言ではなく、バルビゾン派こそ風景画の絶頂期と考えるべきではないでしょうか。
風景画がもてはやされるようになったのは、美術史だけではなく、貴族や教会の没落と産業革命によるブルジョワジーの台頭という絵画を購入する層の変化について指摘されることも多々あります。また、公害に悩む都市が忌避されると同時に鉄道により気軽に田舎へ行くことができるようになったこと、チューブ入りの絵具が開発されたことなど社会、経済情勢や技術の進展も美術に影響を与えています。このような時代の変化は、バルビゾン派が栄えた19世紀前半から中盤にかけて見られる傾向です。
印象派が活躍する19世紀後半は、パリ大改造を経て、次の時代へと以降していく過程にありました。都市の美観が見直され、個々の人間に焦点が集まるようになります。印象派は必ずしも風景画に限るものではありません。モネの「積みわら」や「睡蓮」は風景といっても部分に特化しています。人物は風景の一部ではなく、まごうことなき主役となります。風景画の全盛期は短かったのかもしれません。
ところで、展覧会の図録には巻頭や巻末に小論文が掲載されるのが常ですが、率直に言って面白くない記事が多いです。少なくとも美術史を学んでいない人からすると、何を言わんとしているのか不明瞭で、読んでも記憶に残りません。ですが、今回の展覧会図録の巻末の小論文はとても興味深く、なるほどと感心する点が多くありました。いくつか簡単にご紹介しますと、印象派について、「戸外での速描きによって、自然の色調を一気に画面に描き込む、いわば印象派の新しい手法と思われていたものは、基本的に前の世代の踏襲であり展開であった。」というのは目からウロコですね。アカデミズムというと伝統と因習に凝り固まったイメージがありますが、当時の美術アカデミーの教材は科学的であり、かつ先進的であったことを知ることができました。また、第1回印象派展は、一方的に批判されていたと思われがちですが、「実際には、批判と賞賛が拮抗していたのだが、このルロワの記事によって大半が酷評であったかのような印象をもたらしている。」という箇所も見逃せません。アカデミーVS印象派という構図になってしまったのも、結果的に現代における印象派の評価を高めたと言えるでしょう。では、印象派の新しさとは何でしょうか。この小論文では、「アカデミズムの範疇では習作と考えられていた作品を、完成作として展覧会等に出品した。ここに、新古典主義の風景画(歴史風景画)の画家たちとは異なる新しさがあった。」としています。もちろん私は印象派の作品も好きですが、風景画というジャンルにおいては、憧れや懐かしさ、手が届くであろう理想的風景という点でバルビゾン派、カミーユ・コローが頂点にあると思うのです。(2021年8月23日)
図録掲載の巻末小論文
・「印象派による戸外制作の意味 ~ヴァランシエンヌから、コロー、印象派へ~」古谷可由(公益財団法人ひろしま美術館学芸部長)
・「ランス美術館のコレクションに見る19世紀フランス風景画の展開」深谷克典(名古屋市美術館副館長)
SOMPO美術館(会期終了後にURLは変更予定)
https://www.sompo-museum.org/exhibitions/#now