タイトル:赫焉華文黒粒高足蓋物
作家 :河端 理恵子
画廊 :柿傳ギャラリー
展示会 :KUTANIの新しい風Ⅲ
購入日 :2023年4月5日
サイズ :Φ7.5 × H 9.5cm
種別 :磁器
工芸品は色、文様、形及び用途を題とすることが多い。それにしても《赫焉華文黒粒高足蓋物》とは題としても美しく洗練されている。銘を付するのを躊躇うほどである。この作品の華麗なる美は何処からもたらされるのだろうか。まずは宝珠を連想させる形から考えてみよう。
完全なる直線や円を自然界で目にすることは殆どない。しかし、昆虫の眼や雪の結晶など幾何学文様は自然界でも存在はしている。むしろ、あらゆるものは幾何学文様が根幹になっているのかもしれない。人間は規則的なものを見ると無条件に反応してしまう。美の形の出発点は『均整』にある。この作品においても、胴の球体が美しさの中心にある。ただし、完全な球体ではなく、下の方が膨らみ、蓋として持ち上げられる上面はやや平べったい。雨粒を少し押しつぶしたような形である。一つには蓋に文様を施しやすくするためであろうが、それだけではなく球体を規則的に歪めることで、重力を感じさせる効果がある。磁器の硬さに対して、この丸みは弾力性を帯びた柔らかい感覚をもたらす。また、高足にすることで、球体は浮いたような存在になる。重力との均衡点を見出したような形と言って良いだろう。さらに、底は球体に比べるとかなり小さい。バランスが取れている証拠であり、球体は不思議な力によって支えられているように思えてくる。では、さらに底を小さくしたらどのように感じるだろうか。おそらく、おそらく鑑賞者は、球体はバランスを崩して倒れてしまうのではないかという不安に駆られるに違いない。形のリズムとは『安定と緊張』にある。球体に均等に力が加わることで生まれる楕円形と高足の小さな底面は、安定と緊張が綱引きするように美しさを引き出す。
蓋にある尖塔もポイントである。鑑賞者の視線はその突端に集められ、いわば鑑賞の起点とも終点ともなる。丸みを帯びた胴体を引き締める効果もあろう。よく見ると尖塔の下部は広がり、付け根は狭められていることに気づいた。胴と底と同じように尖塔も安定と緊張のリズムを帯びている。つまり、二重のリズムを奏でているのだ。付け根を狭めることで、この作品の華である文様を突端から広がるように意識させる効果も見逃せない。鑑賞者の視線は、尖塔の突端から付け根に移動し、そこで一呼吸置いてから、文様へと流れるように広がっていく。
次に文様と色彩を合わせて考察してみよう。尖塔と台座は深い朱色であるが、厳密に色を定義するのは難しい。やや渋みを帯びているのが特徴である。この色彩が選ばれたのは一つには鑑賞者の精神を落ち着かせつつ、文様の美を引き立てるためであろう。鮮やかな赤であれば、文様の華やかさを減退させてしまいかねない。
花のようにも鳥の羽のようにも見える文様は重層的で荘厳さを持つ。文様を細かく分類すると15種類くらいの層になっている。しかもこの文様は隣り合う文様と折り重なるように描かれており、有機的な連関を意識させる。無機的な幾何学文様のうちに生命の香りを感じ取ることができるのだ。また、黒を用いることで、模様に節目ができることにも気づいた。二つの黒のラインを施すことで、文様は黒を分界点として大きく3つの層が形成されることになる。この作品が放つ崇高なる気配は、細やかな層と大きな層がリンクするのも要因であろう。文様に用いられる色は、薄紫、金、朱色、浅縹(柔らかい青)、黒であるが、赤や青系統は渋みがあり、単体では鮮やかさには劣る。しかし、浅縹に朱の線や点を入れることで、相互に色彩を引き立てている。また、金色の隣に黒を配置することで、金の輝きが増す。赤に黒の相性も良い。色彩の美とは配色にある。
文様の美が精緻さと均整にあることは言うまでもないだろう。等間隔で線を引くことが美しさの基本である。この作品における文様の細かさは驚嘆すべきものである。さらに中央にある黒のライン、ここには雨粒のような浅縹の文様に赤い点が打たれているが、近づいて鑑賞すると黒地にも細かい黒点が無数に施されていることに気づいた。これらの赤や黒の点は盛り上げられている。そのため色彩に加えて、眺めているだけで花弁や羽毛のような複雑な触覚値を覚える。
この作品は蓋物である。蓋を開けることは更なる美の扉を開くと言っても良いであろう。その瞬間、白い世界に浮かぶ赤絵細描に息を呑む。顕微鏡で花や細胞を覗いたような感覚。一つ一つの線はあまりにも細い。しかし、そのつながりは強靭であり、凛とした気高さがある。蓋の裏に描かれた文様は怖いほど美しい。線の間隔は狭く、その数を数えるのは至難である。この線の細さと均一性は群を抜く。そして、白い素地だからこそ生きる赤。表面を渋い朱としたのは、内面との対比であろう。残念ながらこの赤絵細描は美しさを保ったまま写真に撮るのは難しい。線を明瞭に写そうとすると画面が暗くなってしまう。画面の明るさを維持しようとすると線がぼやけてしまう。ガラス質である釉薬は光を反射してしまうので、明るさの調整も厄介である。この作品の真の美を捉えることが難しいがゆえに、いつまでも眺めていたいと思うのかもしれない。
二つの赤絵細描の文様の違いも興味深い。蓋側にある赤絵細描は表面にある文様とリンクし、いくつもの文様が複数の層をなしている赤い点によるリズムが心地よく、三日月型の文様などバリュエーションが多いのも見どころである。華麗という言葉が相応しい。胴側にある赤絵細描は青海波が主体であるが、全体として花粉や極微小生物を拡大させた生命の欠片のような存在感を放つ。尖った形と色味の強い中心部から外縁にかけてのふんわりとした形に魅了される。悠久の時を封じ込めたのではないか、この作品を眺めるたびにそう思えてきた。(2023年9月19日)