タイトル:0時の宝石
作家 :伊東 春香
会場 :八犬堂主催 丸善(丸の内オアゾ)
展示会 :次世代の主役達 part2 ヤングアーティストが夏を彩る すずやかアート展
購入日 :2018年8月11日
サイズ :P8
技法画材:日本画
タイトル:0時の宝石
作家 :伊東 春香
会場 :八犬堂主催 丸善(丸の内オアゾ)
展示会 :次世代の主役達 part2 ヤングアーティストが夏を彩る すずやかアート展
購入日 :2018年8月11日
サイズ :P8
技法画材:日本画
1960~70年代の工場は、経済的な豊かさをもたらす影で、公害や過酷な労働という負の側面がクローズアップされていました。絵画においても工場は、社会運動のモチーフとして描かれることが多かったように思います。時代が進むにつれて環境意識は高まり、工場と言えば煙突から立ち上る煙という固定観念は薄れ、パイプラインが縦横に張り巡らせられたコンビナートの迫力と技術力が肯定的に捉えられるようになりました。今は夜景クルーズが好評を博すなど工場のイメージは刷新されたと言って良いでしょう。残念なことに、産業構造が変化するなかで、製鉄高炉、製紙工場、石油化学コンビナートが閉鎖されるニュースを耳にすることが多くなりました。ゆくゆくは工場の夜景は贅沢な楽しみになってしまうかもしれません。
「0時の宝石」と題するこの作品を見て、私はこのように淡く優しい色彩で工場の夜景を描くことも出来るのかと驚きました。工場を描く場合、人間では太刀打ちできない機械の圧倒的なパワーを表現するものという思い込みがあったのかもしれません。また、工場のライトは、漆黒の闇を切り裂くかのごとく眩しいくらいに描きたくなるのではないでしょうか。もちろん迫力ある工場も魅力的ですが、今回は朧月夜を眺めるような工場夜景画にスポットライトを当てたいと思います。
まずは色彩について考えてみましょう。背景は黒というより灰色と紫が合わさったような暗さです。色の辞典 [1]を調べてみますと、鈍色、灰紫、消炭色(チャコールグレー)が近いように感じますが、一概には断定できません。当然ながら画面を均一に塗っているわけではなく、交じり合うことで微妙な色彩が生まれています。場所によって色合いを変えているのもポイントですね。画面中央は工場の照明がもっとも集中するため、灰赤色を帯びた明るさが感じられます。反対に画面上、特に左右の両端に向かって暗くなっていきます。青墨と呼ばれる色に近いかもしれません。また、画面下部の工場の壁面は風合いが異なることに気が付きました。濃淡はつけられていますが、色彩に大きな変化は感じられません。全体的にグレーの色彩を取りながら、配色の妙によって被写体の性質や大気を的確に表現しています。夜空にはたくさんの星が煌めいています。「0時の宝石」というのは、工場の照明と星空の共演なのかもしれません。夜と工場の照明を対比させるのではなく、調和させることで生まれる美しさが、この作品の魅力と言えるでしょう。
色彩は、絵画が飾られた部屋によっても変化します。これも至極当たり前のことですね。一般的な絵画でも部屋の照明や壁によって見え方は異なりますが、作品そのもののイメージは大きくは変化しません。一方、この作品は淡く優しい光を楽しむことに注力されています。そのため、僅かな明るさの変化で印象が大きく変わる繊細さを持ち合わせています。自分の記憶ではもっと赤紫色をしていたように思うこともままあります。最近は普通の部屋の照明も明るさや暖色・寒色を調整できますので、自然と違って見えるのでしょう。壁紙を自由に変えることができれば、違った表情を見せてくれるはずです。和室に飾っても面白いかもしれません。
遠くから眺めると灰色の工場群に白い照明がぼんやりと浮かんでいるように見えます。少し近づいてみましょう。すると赤や黄色い灯りが目に留まります。さらに接近すると青い灯りも混じっており、思いのほか多色であることがわかります。鑑賞者の視線は無意識に異なる色の灯りに移っていきます。吸い寄せられると言っても良いかもしれません。もし単色の白い照明のみであれば、鑑賞者の視線は硬直化し、直ぐに飽きてしまうでしょう。重厚長大な不動の工場群を、様々な輝きをもつ照明がうまい具合に鑑賞者を誘導してくれる仕掛けになっています。
また、暖色と寒色のバランスにも配慮されています。両者を画面に散らすことで、より鑑賞者の視線を動かすことが可能になります。工場の中心を照らす赤い3つのライトはかなり目を引くのではないでしょうか。工場の構造物が複雑になっており、鑑賞者の視線を集めやすい箇所と言って良いでしょう。ここを起点に工場の貯蔵タンク、蒸留塔、精製塔と思われる構造物に視線がリンクしていきます。また、照明は単色の点ではなく、光源となる中心を淡い輝きが包み込むように描かれていることに気が付きました。光源は白、周辺は赤や黄色ということもあれば、光源自体が赤や黄色に見える箇所もあります。
一方、星空は白い点が打たれています。人工的な眩しいくらいの工場の照明に比べると目立ちませんが、等級によって星の大きさや明るさは様々であり、遠近感を与え、画面に広がりを感じさせてくれます。夜空は、全体的に横に流れるような筆致になっていることも重要です。漠然と暗く塗りつぶすのではなく、大気の流れを感じさせてくれます。工場のそびえ立つ塔は「縦」であるのに対し、夜空は「横」という関係になるため、構造物の力強さが増すとともに、画面に動きが生まれることも見逃せません。
この作品で描かれている工場の場所は把握していませんが、おそらくは石油化学系のコンビナートと思われます。製紙工場なら大量の水蒸気を放出する赤白に塗られた煙突が中心となります。また、高炉と言えば鉱物を頂上に運ぶベルトコンベアが象徴的ですが、この作品には描かれていません。自動車などの工場の外観は平屋がほとんどでしょう。パイプラインが縦横に張り巡らせられ、複雑な構造物が林立するのは、ガソリンやナフサといった石油精製からポリエチレンやポリプロピレン等の基礎化学製品を連動して製造する石油化学系のコンビナートの特徴に合致します。首都圏では、ENEOSの川崎製油所が日本を代表するコンビナートとして有名です。参考までにENEOS川崎製油所の紹介動画 [2]を視聴したところ、類似の構造物が存在するほか、照明が白、オレンジ、黄色など多色に見えることがわかりました。オレンジ色の照明は、「波長が長いため、排気ガスやホコリが多くても見通しが悪くなりにくい」という理由もあるようです[3] 。この作品は精密画ではありませんので、工場夜景の美しさを絵画として再構成して描いていますが、写実的な要素を多分に含んでいることも留意すべきでしょう。
[2] https://www.eneos.co.jp/company/about/branch/kawasaki/refinery/
次は、この作品の構図を考察してみます。もっともインパクトの構造物は左にあるがっしりした塔です。足場が構築されているのか螺旋の筋が何本も走っているのが特徴的です。この他幾つもの塔が描かれていますが、全体を俯瞰するとM字になっています。画面の中心が凹む形になりますので、視野が遠くまで広がり、遠近感が伝わりやすくなると考えられます。構造物の迫力に力点を置くのであれば、画面の中心に高い塔を描き、三角形の構図にする構成が有効かもしれません。かつての日本画では月夜にススキの野原を描いたように、現代では星空と工場という景色に郷愁を感じるのは不思議です。日本画に工場夜景という着想が評価されるのはもとより、和紙と岩絵具を用いて淡く優しい雰囲気に仕立てているのが素晴らしい。この作品は一見すると工場を簡略化し、平面的に図案化しているように感じるかもしれませんが、長く鑑賞すればするほど工場夜景が立体的でリアルに伝わってきます。
細部に目を凝らすと、貯蔵タンクや倉庫と思われる構造物を再現し、鑑賞者の想像を膨らませるようなリズム感のある構成になっていることがわかるでしょう。また、画面下は重厚な防護壁が描かれています。実際のコンビナートでも火災や事故などに備えるため堅牢な壁が設けられていますが、絵画の構図としても重要な役割を担っています。一つは、コンビナートの複雑な構造物、そして工場の照明と星空を際立たせる効果。防護壁は四角形が均等に並び、かつ手前は直接ライトが当たらないため、暗いトーンになっています。二つ目は、鑑賞者の立ち位置を明確にし、構図を安定させるというものです。もし画面下部までコンビナートの装置を描けば、浮遊した感じになってしまい、工場特有の重厚感が失われかねません。
最後に、この作品の額は、四隅をビスで止めたような金具が装着されています。単に黒い木枠でも構いませんが、金具を触ってみると工場夜景の断片に触れたような感覚に浸ることができます。日本画の新しい境地を切り開く工場夜景に相応しい額と思いました。(2021年10月7日)