タイトル:記憶の家
作家 :細井 世思子
画廊 :gallery hydrangea ギャラリー ハイドランジア
展示会 :絵本の断片 細井世思子個展
購入日 :2021年11月21日
サイズ :273×220mm/(額装)330×280mm
技法画材:アクリル、ペン
タイトル:記憶の家
作家 :細井 世思子
画廊 :gallery hydrangea ギャラリー ハイドランジア
展示会 :絵本の断片 細井世思子個展
購入日 :2021年11月21日
サイズ :273×220mm/(額装)330×280mm
技法画材:アクリル、ペン
細井世思子さんの作品を初めて見たとき、永い眠りについた遺跡が少しずつ掘り出されていく印象を抱きました。時間という感覚を忘れてしまいそうなほど穏やかで静寂に包まれた世界にいつまでも浸っていたいと。
今回ご紹介する「記憶の家」は、gallery hydrangea(ギャラリー ハイドランジア)で2021年11月に開催された個展「絵本の断片」の一枚になります。作者のプロフィールには次のように綴られていました。
展覧会風景①
『四角や丸三角などを手癖でひたすら描き積み重ねるマチエールを下地に、アクリル絵具で形を掘り起こしながら、動物や一緒に存在する家の物語を描いています。元々は四角だけで画面を構成していましたが、音楽を聴きながらその感情にのせて描くうちにいろんな形になって繋がって固まっていくようになりました。メルヘンだけど甘すぎず少しの毒を含み、ザラザラとした空気感、幻想の世界、ちいさいものが集まって大きい動物になっているのがすきです。自分の中にある「家」は子供のころからずっと過ごした集合住宅であり家族が存在していた場所です。動物はその世界を護っていたり、遊んでみたり眠ったり自由に気持ちを伝える存在として描いています。』
それでは「記憶の家」はどのような形で構成されているのか観察してみましょう。まず目に止まるのは、カタツムリの殻ように渦を巻いた羊の角です。もちろん形は○ですね。次は雫のようにもみえる砂時計、これは三角形に丸みを与えた形と言えるでしょう。そして、家は四角と三角の組み合わせになります。羊の角、砂時計、家は図形の基本である○△□に分解することができました。ところで、○△□と聞くと懐かしい感じがしませんか。○△□は知育の初歩として、世代によって口ずさむ歌は違うかもしれませんが、誰もが「まる・さんかく・しかく」の歌を知っているはずです。私もこの作品を見ながら○△□と呪文のように呟いていると、自然とメロディーがついていました。静物画にしろ風景画にしろ形を単純化して再構成されることはありますが、もしかすると○△□には根源的な懐かしさが秘められているのかもしれません。
展覧会風景②
モチーフを構成する形をもっと探ってみましょう。羊はシャボン玉のような大小様々の丸が積み重なっています。細かく見ると二重丸になっているもの、車輪のようなホイールがついているもの、団子のように三つの丸が並んでいるものなど複雑な構成になっています。丸が連なるため直線は短くてもアクセントになることに気が付きました。角の中にある歯車がついた丸は一際目立っています。歯車は動力を伝える機能を持ち、時計をイメージしやすいでしょう。渦巻きの形をした羊の角は、時間の流れを意味していると解釈することもできます。単なる動物としての器官ではなく、吸い上げた記憶を蓄積し、再構成する機械のような役割を担っているような気がしました。
展覧会風景③
羊は、家に近づくに従って丸から小さな四角に変化し、幾重にも積み重なった幾何学模様は次第に砂のように背景と同化しています。家々を優しく包み込む羊は、大きな山をなしています。さらに、羊の背中は幾つかの三角形が描かれています。当然ながら羊の背中に突起物はありません。もし普通に羊の背中を描いたらどうなるでしょうか。おそらく形として退屈になり、視線はそこで止まってしまったでしょう。△が連なることで、視線は自然と上に伸びていきます。
作者が述べるようにこの作品は、小さな四角や丸三角などをひたすら書き連ねていますが、単純に図案化しているわけではなく、空想の世界でありながら、有機的な繋がりを持った生き生きとしたエネルギーを感じます。あたかも自分がその街で暮らしてきたように錯覚します。小さなものが積み重なることで、独特のマチエールが形成され、羊のモフモフした毛並みのイメージと合致することに驚かされました。細かく毛並みを描いているわけではないのに、リアリティを感じるのは不思議でなりません。
画面下の赤い屋根の家は、作者がかつて住んでいた家をイメージしたそうです。どこか赤い帽子を被った顔のようにも見えますね。砂時計から落ちる砂は、住人の生活の記憶を象徴しているのかもしれません。「記憶の家」のタイトルのとおり、記憶と時間は不可分の関係にあり、砂時計は流れた時間を可視化してくれます。砂時計の用途は限られ、機能性で言えばデジタル時計はもとより普通のアナログ時計にも太刀打ちできないでしょう。しかし、インテリアとしては現在でも人気があるのは、見えない時の流れを触れるように感じさせてくれるからだと思います。一般的な時計は今の時刻を示してくれますが、砂時計は現在ではなく、過ぎ去った時間の蓄積を教えてくれます。描かれた砂時計の砂は、少ししか溜まっていませんので、この家の記憶の蓄積は始まったばかりなのでしょう。
展覧会風景④
背景に連なる家々は似ていますが、よく見ると同じ形の家は一つもなく、それぞれの営みを表しているように思います。一番右にある家の窓は、S字の面白い並び方をしていますね。等間隔に同じ窓がある家もあれば、アーチ型の窓もあります。電気が灯る家もあれば、真っ暗な窓とドアの入るのを躊躇う怖い家も気になります。家といっても一般的な戸建と違って4~5階ほどの細長い建物です。ただし、コンクリートのマンションのような重苦しさはありません。レトロなコペンハーゲンの街並みを連想させます。
展覧会風景⑤
さらに観察してみましょう。赤い屋根の家の右側は、窓が多く明かりが灯る家が多く、紫がかった家やランダムに並んだ窓などバラエティに富んでいます。一方、左側の家は全体的に地味で、テントのように三角形をしているものも散見されます。そのため、家に注目すると視線は右側に寄せられやすいことが分かりました。画面の左側を向いた羊は、手から発せられる何かを見つめており、鑑賞者の視線は自然とそこに吸い寄せられます。その後、視線は羊の角へと移り、砂時計を通って赤い家へと辿り着きます。もし左右均等に家を配置すると、赤い家が鑑賞のゴールになってしまったでしょう。画面右下に特徴のある家を配置することで、視線は右側に誘導されることになります。左右非対称にすることで、作品全体を鑑賞する流れとリズムが生まれます。また、画面の左端は家が描かれていません。羊の視線に沿って緑色をした三角形の模様が描かれています。羊の形と合わせると一つの大きな三角形となり、山を形成しているように見えます。小さな三角形の積み重なりが、全体として一つの三角形にもなるという仕掛けだと思いました。構図のバランスをとる意味でも効果的です。単純に小さな形を描くだけでなく、大きなものとしての形をどう描くかは、この作品のコンセプトを表現する上でも重要なことです。
次に色彩について考えてみましょう。夜を表す黒、羊を白がベースですが、モノトーンという印象はなく、丁寧な手描きによる複雑かつ豊かな色彩が特徴です。羊は、黄色、青、紫などが幾層にも重ねて描かれることで、生命を宿し、物語を司る存在へと昇華しています。この作品の色彩の華となるのは、アンモライトのように輝く羊の角です。アンモライトとは名前のとおりアンモナイトが化石化したもので、カナダのアルバータ州で産出される玉虫色の宝石です。角度によって様々な色に煌く特徴があります。実際の羊の角のように象牙色にすると、体毛と変化がないため、色彩としては物足りません。
赤い屋根は色彩の要と言って良いでしょう。形として目立つのは大きく描かれた羊の角ですが、存在感としては赤い屋根の家も負けていません。おとぎ話に出てくるような可愛らしい色合いの家が、鑑賞者の視線をぐっと引き寄せてくれます。作品のサイズは27×22cmですが、指し色を下に配置することで画面を大きく見せる効果があります。羊の角が支点となり、赤い家は振り子のように安定感をもたらしていると感じました。この作品が持つ安らぎの秘密だと思います。
展覧会風景⑥
展覧会風景⑦
この作品は夜中であるにもかかわらず、不思議な明るさに包まれていると思いませんか。よく見ると夜空には細かい赤い点が散りばめられています。目を凝らすと金色も混じっていることがわかります。星や月は描かれていません。羊の背中からは白い霧のようなものが吹き上がっています。羊が集めた記憶の塵が夜空を照らしていると想像しました。この深みのある夜空は、作品の隠れた醍醐味です。構図としては、白い霧、羊の角、砂時計、赤い家と画面の中心に一つの線が通ります。羊の背を頂点とする三角形を補完し、大小様々な○△□を結びつける軸となっています。
この作品を楽しむには横から鑑賞することも大切です。横から眺めることで、凹凸のあるマチエールと多彩な色彩が重ねられていることが良くわかりました。この凹凸が生き物らしさに繋がっています。羊も家も空も『積み重ねるマチエールを下地に、アクリル絵具で形を掘り起こし』、生み出されたことを実感しました。さて、今回の展示のコンセプトを作者は次のように述べています。
葉が幾重にも積もった山はうさぎになった
ゾウは山の想い出を吸い込んで鼻から噴き上げると虹の橋が架かった
虹はくるくると解け、やがてスパゲティになった
カエルの歌う声が響いた家ではコップがダンスをはじめた
帽子はみんなの頭に入っていた記憶を抱えて空へ飛び立つ
北の国からやってきた渡り鳥がお土産の星屑をパラパラと町へ落としていく
そのかけらを拾ったハリネズミはかき氷にしてシャクシャクと食べた
そのかけらを集めた羊は家にひとつひとつ蠟燭に移し、町に持っていく
物語をつむぐための「破片」がたくさん散らばって私の中に星くずのよう
に存在していたちいさなそのものたちを、少しずつ掬い繋げて形を見つけている
この作品は最後の一節に関わっています。この羊は街に散った記憶の断片を集め、新しい物語を生み出していると思いました。それはある意味、一つの生命が終わるということを内在しています。この羊の表情はどこか哀しくもあります。それでもどこか達観したような安らぎをも感じ取れます。解体されて断片になってしまった記憶は、意味を失いつつも、大きな循環の中で再び意味を持ち始め、物語は続いていくのでしょう。
★番外編
今回はポストカードをいただきました。裏面に「HOME」とあるので、こちらがタイトルかもしれません。「記憶の家」と同じように羊が家々を見下ろす構図になっています。△や□からなる大きな羊の角も類似しています。やはり記憶の蓄積と循環をテーマにした作品と言って良いでしょう。穏やかに瞳を閉じた羊は、両手にある記憶に思いを馳せているように感じます。丸い池に小舟が浮かんでいるのでしょうか、細長い家たちは意思をもっているように池を囲み、小舟を見守っているかのようです。
「記憶の家」は地層をなすようなマチエールが特徴ですが、ポストカードはシンプルな線を活かした構成になっています。背景の深緑や赤い屋根はクレパスのような物を使っていると思われますが、とても暖かい印象を与えてくれます。特に羊の手にある仄かなピンクが心地良いですね。また、いわゆる白い洋紙ではなく、ボード紙のようなものを使っているため、紙自体に色々な小さな点々が含まれていることに気が付きました。よく見るとすごくカラフルです。シンプルだけれどもすごく複雑な味わいは、紙自体にも由来しているのかもしれません。考えてみれば、紙は植物の繊維をすいて作られるので、記憶の断片を紡いでいるのに近い工程のように思えます。二つの作品を並べて鑑賞すると、面白さは倍増します。
ホソイヨシコさんは、「まどのむこうのカメロー」という絵本も執筆されています。□という「形」を活かした絵もさることながら、思わず笑ってしまう場面も。この絵本の物語も記憶の断片かもしれません。さりげなく羊が描かれているページもあります。(2022年2月5日)