タイトル:Rainy DayⅤ
作家 :田島 慧喜
画廊 :美岳画廊
購入日 :2021年10月9日
サイズ :F0号
技法画材:パネル板/アクリル、油彩
欲しいと思う作品は、見た瞬間に欲しいと思うものです。この作品をTwitterで画像を見た瞬間に震えがきました。画像からでもこの作品に込められたエネルギーは手に取るように伝わってきました。重厚なマチエールからは、多くの時間が費やされたことは容易に想像できます。また、雨に濡れた仔猫を見れば誰もが哀しくなるでしょう。ただ、可哀想と思うだけでは物足りません。むしろ、嫌な気持ちになってしまいます。この作品は、可哀想というよりも、少しだけ愛おしさが上回るように感じました。重厚な特徴あるマチエールと愛おしさ、「Rainy Day V」の魅力を解く鍵はこの二つにあるようです。
ところで、人間にとって猫は動物のなかでも特別な存在です。猫のルーツを調べると、リビアヤマネコが家畜化されたものと解説がありました [1]。いわゆる日本猫と呼ばれる種類もこの系統のようです。猫と言えば、エジプトのファラを連想させますね。猫の顔をした神様としてバステト神は有名です 。猫は犬と違って狩猟や警備など人間の命令に従って益をなすわけではありません。一般的に猫はネズミなどを退治するために人間に飼われてきたと言われますが、実際はどうでしょうか。むしろ、自由気ままで可愛いから近くにいて欲しいと思うのかもしれません。絵画で描かれてきた動物を調べれば、間違いなく猫は優勝候補に挙げられます。
[1] https://www.anicom-sompo.co.jp/nekonoshiori/5890.html#i-4
個展風景①
話が脱線しましたが、現代アートにおける猫は、可愛らしさを活かしてイラスト化されるか、毛並み精緻に描き写実性を追求するパターンに大別されると思います。猫は非常に柔軟性があり、飛んだり跳ねたりと動きのあるポーズを描きやすい動物です。その点からすると、今回ご紹介する「Rainy Day V」は猫をモチーフにした絵画の中では珍しいスタイルかもしれません。イラスト的か写実的かと問われれば、誰もが写実的と答えるはず。実際、遠目から眺めると、ふわふわした体毛ながら雨に濡れて汚れてしまい、毛並みが傷んでいるリアルさに驚かされます。ある程度近寄って見ても、細やかな毛先のリアリティは変わりません。前足の部分は、怪我を負ったのか青っぽく、かさぶたになっているようにも見えます。仔猫はだいぶ弱っているのでしょう。絵と分かりつつも暖めて、ブラッシングしてあげたい気持ちになります。
それでは額を持って間近で観察するどのように見えるでしょうか。仔猫の可愛らしさはそのままなのですが、マチエールがポイントであることに気が付きました。油絵を描く際によく何層目という表現を聞きますが、この作品では層という言葉では表現できないくらい厚みが感じられます。また、「線」も特徴があります。スクラッチと呼ばれる技法は、一般的な油画で用いられ、伝統的にはペインティングナイフを使って引っ掻いたり、エッジで線を引いたりします。最近では、精緻な線描によるスクラッチアートも流行っていますね。この作品も猫の毛並みを表現するために、何本も線が引かれていますが、引っ掻くというより彫る、削ると言った方が近いように思います。圧力をかけ、沈んでいるように見える場所もあります。線の強弱、細さや太さも違います。
個展風景②
ただ、正面から眺めただけでは彫られている線は意外にも目立ちません。額を持って右左と動かし、光を当てると線が際立って見えることに気が付きました。もしスクラッチばかりが目立ってしまえば、仔猫の魅力は半減してしまったでしょう。スクラッチは毛並みの表現する手段の一つであっても、それだけでリアリティが完結するわけではありません。むしろ興ざめしてしまう恐れがあります。制作時間が長ければ良いというわけではありませんが、時間をかけなければ出来ないマチエールの魅力があることが分かりました。また、仔猫と異なり背景の壁は、滑らかな質感をしている箇所が多く見られます。テンペラのような雰囲気も感じられます。これにより仔猫の存在が浮き出くるように印象づけられます。
同シリーズの「Rainy Day『Ⅳ』」
次に色彩について考えてみましょう。背景はクリーム色、仔猫はキャメル色に近く、双方とも黄色系統にすることで、調和のある落ち着いた雰囲気を醸し出しています。左上の模様は煉瓦を示しており、仔猫は壁の前に座っていることになります。壁を灰色にすれば、全体として暗すぎるでしょう。夜という手段もありますが、雨の表現が難しく、この作の最大の特徴であるマチエールを活かした仔猫の毛並みが伝わり難いと考えました。また、漆喰のような白にすると仔猫との繋がりが途切れてしまい、コントラストが強すぎるでしょう。仔猫と背景の連続性が維持されることで、マチエールの特性が強調されます。仔猫と背景の境界は色彩としては曖昧で、特定の箇所のみをクローズアップすると両者は一体になっているようにも見えるくらいです。そのため、細かいスクラッチや凹凸による画面の変化に意識が向かうことになります。
ところで、西洋絵画では17世紀頃までは「土色」が画面の大半をなしていました。宗教画では聖母マリアの服は青というのが約束事ですが、これは美しいだけでなく、ラピスラズリを原料とする青は高価だからです。ベラスケスの「ラス・メニーナス」で自身が持つパレットの色彩は限られ、黒や赤茶色で占められているという話はなるほどと思いました[2] 。土や炭のような安価な顔料であれば、納得いくまで何回描き直しても問題ありません。そのような歴史的経緯もあり、現在の我々から見ると、土色を中心とした絵画はアンティークの風合いを感じます。壁の前に佇む仔猫という場面設定は時代を特定することはありません。数百年前の出来事かもしれませんし、今日出会ったこととしても違和感はありませんが、アンティークの風合いによって、仔猫は長い時間そこに佇んでいるように感じられませんか。「時間」を意識させることで鑑賞者を作品の世界に強く引き込むことができます。
[2] 「絵を見る技術 名画の構造を読み解く」秋田麻早子 朝日出版社 2019年5月 p150
仔猫のシルエットはおぼろげになっています。下半身、特に尻尾と思しき部分はかなりぼやけてしまい形をうまく判別できません。にもかかわらず仔猫が写実的に感じられるのは、複雑な色彩とマチエールの相乗効果でしょう。今回の個展では「黙の扉」というF50号の大作が展示されていました。この作品は油彩をベースとしながら、水彩やパステルを駆使し、さらにはシュレッダーで裁断した紙を貼ることで油絵具とは表現できない鋭角的な凹凸が表現されていました。多様な技法を試しながら、時間をかけて作品を作り上げていく田島さんの作品の特徴です。
「Rainy Day」というタイトルですが、白い雪のようなものが舞っています。みぞれ混じりの雨と考えたほうが作品の雰囲気に合致するかもしれません。真冬というより3月頃の名残雪といった感じでしょうか。猫のひたいに落ちる雪は、指し色として効果を発揮しています。また、左下の子猫の視線の先にある青い筋も見逃せません。雨や寒さを色彩として表現するだけでなく、鑑賞者の視線を画面の端にまで誘導することができます。
「黙の扉」
構図についても考えてみましょう。この作品はF0号と小さく、描かれているのは仔猫のみであるため、かえって誤魔化しができません。単純な画面構成ほど構図は難しくなります。しかも猫の柔軟性を活かした動きではなく、地面に座り込む「静」の場面のため、より画面のバランスが求められます。仔猫は胴体に比べて頭部が大きく、人間の赤ちゃんと同じように座っていても、ふらついているように見えます。可愛らしいポイントの一つでしょう。右前足を伸ばして何とか体を支えているのも仔猫らしい。仔猫としては寝転んでいる方が楽かもしれませんが、作品としては非常に魅力的なポーズです。ひたいに落ちる雪を頂点とし、猫の視線と体のラインを辺とする三角形が形成されるのも重要です。左下の青い筋も頂点の一つになります。補助線を引くと、大きな頭部を視覚的に支えることで、絶妙なバランスになっていることが分かりました。また、左上には煉瓦の模様が刻まれていますね。ここを塗りつぶしてしまうと、鑑賞者の視線は全体的に下がります。直線を入れるとで、画面に刺激が与えられ、小品ながら鑑賞者の視線を散らすことができます。背景を意識させることで、どのような場所に仔猫はいるのか、街の様子まで鑑賞者の空想を膨らませることでしょう。
ころで、「Rainy Day V」とあるようにこの作品は同シリーズの5番目です。4番目と比べてみましょう。仔猫のポーズは同じですが、画像では「Ⅳ」の方が全体的に白っぽく、猫の毛並みは筆による線が強調されているように見えます。背景にも違いがありますね。「V」の方が、重厚感と古典的な雰囲気に包まれています。背景との一体感やマチエールによる毛並み表現に力点を置いているように思いました。どちらが優れているというより好みの問題でしょう。同じモチーフを繰り返すことで、マチエールがもたらす感覚を比べることもできます。最後にこの作品のテーマは「祝福」ということでした。可哀想に見える仔猫でも、鑑賞者が愛おしさを感じれば、それは祝福になるのではないでしょうか。(2021年10月31日)