タイトル:夜を越えて
作家 :清水 健太郎
画廊 :光画廊
展示会 :清水健太郎展 バベルの末裔たち
購入日 :2021年7月31日
サイズ :41×15cm
技法画材:油彩、アキーラ、ミューグランド(地塗り)、木板(MDF)
タイトル:夜を越えて
作家 :清水 健太郎
画廊 :光画廊
展示会 :清水健太郎展 バベルの末裔たち
購入日 :2021年7月31日
サイズ :41×15cm
技法画材:油彩、アキーラ、ミューグランド(地塗り)、木板(MDF)
この作品「夜を越えて」を見た方は、「ファンタジー(空想・幻想)」な印象を抱くと思います。ファンタジーという言葉は日常的に用いられますが、辞書を引くと「現実とは別の世界・時代などの舞台設定や,超自然的存在や生命体などといった登場人物の不可思議さに,物語の魅力を求めたもの」 [1]と説明されていました。この作品においても、巨樹をくり抜いた建物、おとぎ話のようなロープウエイ、不自然に欠ける月、怪しげな靄が、ファンタジーの要素となります。フクロウ、猫、犬は、主人公たる男性を見つめ、何か意図を持っているように感じられます。
それでは「ファンタジー(空想・幻想)」という観点からこの作品を鑑賞してみましょう。非現実的な世界を描けば、ファンタジーになるわけでありません。『物語性』が必要となります。ただし、絵画においては、作者の具体的なストーリーに沿って描くのではなく、鑑賞者が個々に物語を思い浮かべることができるという意味です。作者にお話を伺ったところ、何かの物語の場面を描いたわけではないということでした。鑑賞者の想像力を膨らませることができるかが重要になります。
[1] ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典https://kotobank.jp/word/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%83%BC-178426
では、この作品の物語性はどこから生まれてくるのでしょうか。まずは主人公の男性に注目してみましょう。古風なスーツに山高帽、革のアタッシュケース、そしてランタンを手にしているのが特徴的です。やや背中を丸め、ゆっくりと歩く様子から、男性は初めてこの場所を訪れたように感じられます。私は、明治時代末期に北海道の博物調査にやってきた研究者が不思議な世界に迷い込んでしまった場面が思い浮かびました。博物調査の旅というのは多くの人が憧れるのではないでしょうか。それにファンタジー要素が加われば最高です。ダボっとしたスーツは、ランタンを持ち上げることでしわができ、長年着ていると推測できます。アタッシュケースは四隅が補強された革製で山高帽とともに愛用しているのでしょう。世間に疎い学者らしく、服装には無頓着な印象です。表情は窺い知ることはできませんが、足取りからどこか緊張した、それでいて心が躍る様子が伝わってきます。主人公を観察するだけで、これだけの物語性を感じるのは、やはり絵画として丁寧に描かれている故にということを忘れてはなりません。
次に、ファンタジーの『苦味』について考えてみます。完全に理想的な世界は、お菓子の家のようなメルヘンになってしまいます。料理と一緒で甘いだけでは直ぐに飽きてしまい、美味しさを感じられません。魅力的なファンタジーには苦味も必要なのです。この作品にはフクロウ、猫、犬が描かれていますが、男性を導いているようにも監視しているようにも見えます。擬人化したり、キャラクター化する手法もあると思いますが、動物のみに注目すると意外にもリアルに描かれています。また、巨樹をくり抜いてできた建物の内部は見えません。朽ちかけている部分もあり、崩れないか心配になります。様々な光に包まれ、動物たちが描かれているのに、怖さや孤独さも感じませんか。この苦味が物語性に幅を持たせ、鑑賞者を作品の世界に引き込むポイントなのです。
ファンタジーの世界観を強めるには、『複雑さ』が効果的です。例えば、スチームパンクは確立された世界観の一つとして有名ですが、蒸気機関や機械式の複雑な構造物が舞台を引き立たせる素地になっていることは間違いありません。複雑さはファンタジーの信憑性を高め、物語性を深めてくれます。この作品では、ロープウエイが見所の一つです。赤みを帯びたテラコッタが葺かれた三角錐の屋根は、画面上唯一の三角形として目を引きます。四角形でもなければ、六角形でもない微妙な形をしたゴンドラは、窓枠がうまい具合に重なり、内部から光が漏れ、幻想的な乗り物になっています。ドアに打たれた鋲や隙間から生える草がレトロな印象を与えていますね。このようにモチーフを入念に検討し、精緻に描くことで、ファンタジーの世界観が深まっていくと思います。
ところで、これまでロープウエイと述べてきましたが、正確にはゴンドラリフトと考えられます。両者の違いをご存知でしょうか。ロープウエイは、ゴンドラを引っ張る曳索とレールの役目を果たす支索の2本のロープが用いられ、数十人を輸送できる能力があります。一方、ゴンドラリフトはロープにゴンドラが固定されるタイプで、スキー場で見られるように数人を輸送するのに適しています。この作品では、握索機に車輪がついており、これがロープ上を駆動するように思われたかもしれません。調べたところ、「握索装置には停留場において握放索をおこなう自動式のものと、 常にロープを握索している固定式の2種類」[2] があることが分かりました。つまり、車輪は停留場でゴンドラを回転させるときの駆動手段です。ただし、この作品なかで停留場の装置を大々的に描くと自然的な雰囲気を阻害しかねません。発着台を描くにとどめています。ゴンドラの動力源となる巨大な滑車は、我々が住む世界とは異なる物理法則に従う象徴的な装置として描かれていると解釈できそうです。ゴンドラを吊るす懸垂機や握索機のメカニカルな部分と空想的な部分を上手く調和しているのが、この作品の魅でしょう。鉄橋のような発着台も味わいがあります。
絵画鑑賞は、構図を意識することが欠かせません。この作品で特徴的なのは、三連祭壇画の中央のパネルのように上部が丸みを帯びた三角形のパネルを用いていることです。しかも、先頭に大きな月が描かれているため、鑑賞者はまず画面上部に視線が引き寄せられます。そして、ゴンドラから巨樹、主人公たる男性と螺旋状に視線が移っていくでしょう。パネルの頂点を起点に螺旋状に画面を展開させる構図ですが、特筆すべきは、複数の補助線によって構図が補完されていることです。登場するキャラクターの視線を追ってみましょう。フクロウは姿勢からすると男性よりも猫に視線が向いているように見えます。猫と犬は男性を見つめているため、参考図で示したように黄色のジグザグ線が形成されます。
今度は男性の動きを辿ってみましょう。右下の入口から樹木の中を通り、螺旋階段を登って、ゴンドラに乗ると仮定すれば、参考図の赤線のジグザグが生まれます。螺旋を交差させることで、鑑賞者の視線を何度も往復させる効果が得られます。また、ゴンドラリフトのロープ、画面左に伸びる樹木、遠目からだと分かりにくいですが、画面右下に張られた旗が垂れ下がるロープに白の破線を重ねると、鑑賞者の視線を絵画から脱線させないための壁のような役割を担っていることに気が付きました。
さらに、モチーフを幾何学文様に置き換えるとどうなるでしょうか。大きな月、滑車、青い灯りが漏れる洞穴は丸に置き換えることができます。ゴンドラの屋根は三角形、ゴンドラの胴体と樹木の出入口は長方形として補助図を重ねてみます。すると、画面に流れが形成されていることがわかります。洞穴、滑車、月と次第に円が膨らむことで浮遊感のある流れを感じませんか。長方形の補助図は、画面の中核となる螺旋構造の大枠になっていることが理解できました。なお、本来、月の満ち欠けの過程において、このような円形にはなりません。地球と月の間を小さな天体が通過しているイメージでしょう。満月では明るすぎ、フクロウを描くには適していません。三日月では円環から離れてしまいます。この月の形は円環を意識させつつ、光を抑え、さらに欠けた部分にモチーフを描くことができる絶好のデザインなのです。三日月はイラストや宝飾等に多く用いられますが、注意して見てください。実際よりも円環を強調しているものが多いと思います。
次に、色彩について考察してみます。今回の作品の最大の難所は色彩でしょう。夜を表現するのにもっとも明快な色は黒であることは言うまでもありません。しかし、黒は色彩が強すぎる致命的な弱点があります。漆黒の闇を描きたい場合や、光源に焦点を当てるのであれば、黒は有効です。しかし、今回の作品の背景を黒にした場合を想像してください。月やゴンドラは目立つかもしれません。一方、暗く単調な画面になり、浮遊感が失われてしまうでしょう。そこで、背景は紫をベースにしたと考えられます。とは言え、紫は扱い難い色です。全体を紫にすれば魔物が住むような怪しげな世界に陥ってしまいます。青や緑によって夜の暗さを補うにしても、配色を一歩間違えば毒々しい色彩になりかねません。
画面右上の月に照らされた雲、左下の緑の靄に注目してください。水彩画のような瑞々しさがあると思いませんか。作家に尋ねたところ、アキーラという絵具を用いているそうです。アキーラは水性アルキド樹脂を糊材としている絵具で、油性面の上にも描くことができる特徴を有しています[3] 。画家の間では知られた画材のようですが、鑑賞する側でアキーラを知っている人は少ないように思います。私は初めて知りました。発色に優れ、瑞々しさのあるアキーラを用いることで、紫の薄気味悪さは消え、むしろ夜更けの月や樹木から漏れる光が際立ちます。特に、左下の明度の高い紫から、波のように弾ける黄色、滲みがかった濃い緑色の靄へと至る色彩の変化に着目してください。左下には、機械的なモチーフを描くことも選択肢として考えられますが、右下の入口から螺旋に伸びるラインを邪魔する可能性が高いでしょう。さらに、背景が紫、青、緑や黄色と階層をなすことで高さを演出しています。また、多色の靄によって月、ゴンドラ、樹木、といったモチーフに立体感と奥行を感じさせる役割も担っていることも分かりました。
[3] https://www.kusakabe-enogu.co.jp/naq/aboutAQ/aboutAQ.html
配色についてさらに考えてみましょう。この作品では幾つもの光源が描かれていますが、どれも違った印象を与えてくれます。月は黄色ですが、白っぽく輝いています。塗りつぶすのではなく、点描を打つことで、光に優しさが感じられますね。近寄ってみると、オレンジ色で縁どられ、輪郭線が強調されていることに気が付きました。ゴンドラの屋根に取り付けられたライトを見てみましょう。こちらはオレンジ色の光源が、ビームのように勢いよく前方を照らしています。ゴンドラが登っていく様子を補完します。一方、男性が持つランタンの光は手元を柔らかに照らすに留まっています。樹木の出入口から漏れる光は如何でしょう。旅人を迎え入れる暖かさを感じませんか。
祠から漏れる青い光、左側の樹木の赤く輝く実にも注目してみてください。明瞭な青、赤色はここでしか使われていません。祠からは、空に向かって青白く輝く点が浮遊しています。蛍のような生物かもしれませんが、ゴンドラの動力源に関係するのかもしれません。想像が掻き立てられますね。また、赤い実は指し色として効果を発揮しています。この作品のモチーフは、ゴンドラ、男性が歩く方向、右下の入口と犬といったように右側に比重が置かれています。左側には、青と赤を入れることで、画面のバランスが取れているように感じました。
最後に支持体と額についても触れておきます。キャンバスでないことは質感から素人目に判断しやすいです。作者に尋ねたところ、木板(MDF)を使用しているということでした。また、額はウォールナットを用いています。深く渋みのある茶色に引き締まった木目は、祭壇画のようなパネルを納めるに相応しく、ビターなファンタジーの演出に一役買っています。(2021年8月31日)