タイトル:ともし火
作家 :大島 利佳
会場 :佐藤美術館
展示会 :「描画図鑑」現vs幻・うつつvsまぼろし展(チャリティー作品展)
購入日 :2021年7月18日
技法画材:和紙、アクリル絵具、水干、岩絵具、金箔
タイトル:ともし火
作家 :大島 利佳
会場 :佐藤美術館
展示会 :「描画図鑑」現vs幻・うつつvsまぼろし展(チャリティー作品展)
購入日 :2021年7月18日
技法画材:和紙、アクリル絵具、水干、岩絵具、金箔
「ともし火」は、佐藤美術館で開催された『「描画図鑑」現vs幻・うつつvsまぼろし展』のチャリティー企画として展示及び販売された作品です。今回は作品を紹介する前に「描画図鑑」について述べておきます。もともと東京藝術大学デザイン科の中島千波研究室出身の作家たちによる研究発表のためのグループ展として、「ShinPA」という展覧会がありました。「ShinPA」は、「新しい波」と中島千波の「波」から命名したそうです [1]。2006年に発足した「ShinPA」は、佐藤美術館、長野おぶせミュージアムを巡回し、毎回好評を博していました。過去の図録を拝見すると、泉東臣さん、押元一敏さん、金丸悠児さんといった美術界の第一線で活躍している作家さんたちが名を連ねています。同じ大学や研究室によるグループ展は多く見られますが、「ShinPA」のように活気があり、人気作家を輩出し続けてきた展覧会は、滅多にないのではないでしょうか。現代アートは個性を表現するものというのが前提になっているように感じますが、他者との関係性なくして、創作活動を継続するのは難しいように思います。このようなグループ展は、美術界の維持・発展に欠かせない存在と言っても過言ではありません。
[1] https://www.art-index.net/art_exhibitions/2008/04/shinpa.html
展覧会風景
「ShinPA」は、2020年に15年間の節目を迎えて終了しまい、残念に思っていたところ、新たなグループ展「描画図鑑」を発足するのを知り、嬉しく思いました。描画とは、辞書を引くと「絵をかくこと」とあります[2] 。文字通りですね。では、「描く」と「画く」は何が違うのでしょう。日本語早わかりというサイトでは、『「描く」は、「かく」とも読み、事物の形や状態・様子などを、絵や文章、あるいは音楽や映像などのさまざまな方法によって表現することを意味します。「画く」は、線を使った絵や図をかくことを意味します。』と解説されていました[3] 。「描画図鑑」においても、デザインという点に一定の比重はあるようです。ところで、第1回目の「描画図鑑」の図録裏表紙には、「ビョーズ」というレタリングがあり、私はこれがとても気に入りました。ちょっとゆるい雰囲気ながら、本質を捉えたデザイン性が素敵です。描が猫っぽいのもかわいいですね。「ShinPA」 の伝統を引き継ぎながらも、「ビョーズ」は柔らかいイメージが付与された感覚がします[4]。
[2] https://www.weblio.jp/content/%E6%8F%8F%E7%94%BB?dictCode=SGKDJ
[3] https://nihon-go.jp/post-1754/
[4] ShinPAは会を増すごとに「!」が追加されるのですが、途中から増えすぎたのか「!」を省略している会が多いかもしれません(少なくとも9回目まではあります!!!!!!!!!)
「描画図鑑」の1回目は、作品制作を観察からつくりあげるか、想像力でつくりあげるか、という二つの視点に分け「現実vs幻」というテーマで展示されていました [5]。現実の世界を描くのか、空想の世界を描くのかではなく、観察なのか想像力なのかという趣旨です。さらりと述べていますが、描画のアプローチを問う禅問答のような難解なテーマと言えるでしょう。また、今回の展覧会では、制作過程や趣旨を解説したパネルが合わせて展示されていました。作品の解釈は鑑賞者が自由にして構わないと思いますが、制作過程や作者の考えを知ることで、より深く鑑賞することができます。
[5] http://sato-museum.la.coocan.jp/exhibition/exhibition-2021.html?id=ex210713
さて、「ともし火」を鑑賞する前に、本会場に出品されていた大島利佳さんの「華の現れ」について触れておきましょう。花火を見つめる女性を描いた作品ですが、肝心の花火は右側の窓の隙間からしか見えません。しかも、窓に下には紫陽花の葉が反射しており、花火は窓に写っていることがわかります。花火を直接描くのではなく、画面の中心を占める壁や紫陽花の淡い色の変化から、花火の美しさを感じさせる趣向でしょう。窓から顔を覗かせる女性が、腕を真横に伸ばしてカーテンを引き、花火に見入っている姿が印象的ですね。展示会場のパネルと内容は異なりますが、図録にも作家さんのコメントやイラストで制作過程や趣旨が記載されています。図録解説によると、長野県御代田で開催された龍神祭りでの花火大会に取材したということでした。「現vs幻」という観点からは、「現」の側に立った作品であることがわかります。「華の現れ」はとても魅力的な作品であり、またどこかでお目にかかれることを願っています。
それでは、「ともし火」について考えてみましょう。「華の現れ」を見る前でもこの作品が、花火を眺めている場面であることは想像できると思います。実際、私は「ともし火」を先に見ていました。薄暗い背景のなか、浴衣を着た女性が見上げる先には、うっすら桜色や黄色に染まっており、花火の場面にほかなりません。
この作品のポイントは、「華の現れ」と同じく直接には花火を描いていないことです。花火の色、形、輝き、そして音をどのように表現するかが問われます。色彩として目立つのは、空の桜色や黄色ですが、浴衣も花火に染まっています。浴衣は背景と近い色をしています。赤は派手すぎで論外、紺や黒では花火を反射させることはできません。また、右袖の近くは黄色、右肩は桜色、首筋は黄色、そして桜色と続きリズム感が生まれています。一方、空は桜色、黄色、桜色の順になっており、浴衣とは反対の色になっていることに気が付きました。互い違いになることで、少ない配色ながら次々に舞い上がる花火を想像させます。オレンジや赤といった様々な色を使えば、華やかになるかもしれませんが、雑然とした雰囲気になりかねません。
また、浴衣の柄は紫陽花になっているのは、「華の現れ」と対になっています。図録によると紫陽花を選んだのは、『花火が打ち上がるたびに色や形を変えること、と、人の感動はその都度変わること、が、アジサイの花言葉「移り気」と似合うな~、と思ったからです』と記されていました。紫陽花は、白、青、紫、ピンクと様々な色があり、小さな花が集まって全体として丸みを帯びた形は花火に似ている気がします。ただし、紫陽花は浴衣の柄の定番の一つですが、紫陽花の華やかさや鮮やかさを強調している柄が多く、この作品のように花と葉をシンプルにデザイン化したものはあまり見当たりません。空と浴衣に淡く映る花火の美しさを阻害させないためでしょう。また、紫陽花の葉の向きが思いのほか躍動的で、腕を伸ばす女性の姿勢と相まって、次々に打ち上がっては、散っていく花火を暗示されます。
なお、紫陽花の色は、土壌の酸性度によって決まるそうです。紫陽花に含まれるアントシアニンは、アルミニウムと結合すると青くなるという性質があるため、土が酸性だと青色、アルカリ性だとピンクの花が咲きます [6]。また、花びらに見えている部分は萼片です[7] 。紫陽花は、一般的によく見かける西洋アジサイのほか、ガクアジサイ、ヤマアジサイ、カシワバアジサイ、アナベルなど種類も豊富です[8] 。紫陽花は何枚写真を撮っても飽きません[9]。
[6] https://www.i879.com/mother/column/13/
[7] https://www.in-natural.style/green-dictionary/hydrangea-flower/
[8] https://lovegreen.net/gardening/p270857/#a5
[9] 千葉工業大学「ハナノナ」を用いて撮影。https://flowers.stair.center/ja/
散りばめられた金箔によって、花火の輝きを感じることができます。画像でも金箔を使っているのはわかると思いますが、実際に角度を変えて作品を眺めると、突然に輝くこともあれば、逆に空と同化してしまうこともあり、その変化に魅了されます。細く丁寧に描かれた髪は、桜色に照らされ、金箔が舞い降りているのがとても素敵です。女性を描くときに、髪はもっとも視線を集めるパーツと言って良いでしょう。浴衣に似合うアップヘアは夏祭りに相応しく、少し垂れる横髪がはんなりとした印象を与えてくれます。目元にかかる髪は花火に心躍る様を感じます。また、女性の瞳に注目すると、ここにも金箔が使われていますが、さらに赤い線が入っていることがわかりました。青か緑の細い線も混じっているようです。顔や腕の肌にも目を向けてみましょう。花火に照らされて、明るくなっている部分が見受けられます。細部へのこだわりを感じさせる作品です。
ところで、そもそもなぜ花火を直接描かない構図にしたのでしょうか。図録には「感動の余韻」について述べられていました。花火は一瞬にして消えてしまいます。打ち上げられてから、十数秒ぐらいで空に消え、一分と持つことはありません。そう考えると、花火は余韻を楽しむものなのかもしれません。また、この作品が描かれた時期は、コロナ禍の影響で、全国の花火大会は中止となり、実際に花火を見る機会はほとんどありませんでした。記憶として残された余韻を絵画という形で表現したのかもしれません。舞い降りる金箔は、輝きの余韻のようにも感じられます。タイトルを花火ではなく、「ともし火」としたのは、間接的な灯りを表現したものかもしれません。
次に、女性の仕草について注目してみましょう。空の灯りをつかむような右腕が印象深いですね。複雑な指の動きも目を引きます。私が気になったのは視線との関係です。補助線を使って考えます。右の目元から横に赤の破線を引くと丁度、手首にぶつかります。さらに視線と腕のラインに合わせて赤の破線を引くと、正三角形となりバランスが取れていることがわかりました。また、腕のラインは手のひらで分岐しているので、鑑賞者は青破線のラインも意識することになります。さらに、人差し指のラインは腕のラインと平行し、小さな三角形が形成されていると考えることができます。もし視線と腕のラインのみであれば、一点を凝視している印象が強くなるでしょう。腕、手の甲、指と複数のラインを形成することで、鑑賞者の視線は適度に分散されることになり、掴めそうで掴めない花火の余韻が感じられるように思います。
この作品は上半身のみが描かれているため、全体像を窺い知ることはできません。仄かに色づく空、女性の視線や腕の動きからは、鑑賞者の視線は上へ上へと登って行きます。なので、この女性が立っているのか、歩いているのかなど考えが及ばないのが普通でしょう。最初、私はこの女性は立っていると思っていました。花火大会は場所をとってしまえば動かないという事情もあるのですが。ただ、注意深く観察すると、意外と左肩が画面の右下に流れていることに気が付きました。また、右腕の袖から少し背景が見えますが、これによって右腕の動きが強調されることになります。あらためて女性の全体像を考えると、単純に立ち止まっているのではなく、踊っているような大胆な動きさえ感じられます。花火の余韻という趣旨からすれば、派手なポーズを描くのは望ましくありません。トリミングされた画面から女性の姿から、動きを想像させる方が作品の趣に合致していると考えられます。この作品は花火の場面でありながら、空のスペースは広くありません。女性を含めかなりフォーカスされている構図であり、鑑賞する楽しさのポイントになっていると思います。
花火のひかえた彩度に比べると、赤い口紅は鮮やかですが、違和感はありません。不思議と調和しています。さて、一旦、画面から目を離してみましょう。彼女の口は開いていたか、閉じていたか覚えていますでしょうか。私は、口は閉じていると思っていました。人間の体の構造上、上を向けば必ず口は開いてしまいます。あえて口を閉じたのは、間が抜けた感じになってしまうからだと推測しました。ところが、もう一度、作品を見ると、ちゃんと口を開けているばかりか、歯も見えていました。絵画を鑑賞する際は、できるだけ細部に注意するよう心がけているのですが、自分の記憶はあてになりません。この作品は写実性にも留意されていることがわかりますね。
2021年よりスタートした「描画図鑑」の今後の活動が楽しみです。と、なぜか「ビョーズ」と不意に叫びたくなります。謎めいた力があるのかもしれません。(2021年9月10日)