タイトル:KINGs
作家 :川口 麻里亜
画廊 :八犬堂
展示会 :川口麻里亜 日本画展 “ひみつきち“
購入日 :2021年6月20日
サイズ :F3
技法画材:日本画
古来より人間は、犬派と猫派で争いを繰り広げていますが、現代アートでは猫派が優勢のようです。巷の画廊では猫をテーマにした展覧会を頻繁に見かけますし、グループ展で十数作品が集まれば、高確率で猫に遭遇します。残念ながら、仔犬展と銘打った企画にはまだ出会ったことがありません。犬派の私としてはちょっぴり寂しいです。
さて、猫ブームの熱気が続くなか、東京藝術大学では、「藝大の猫展2020」が開催され、83作家、116点の応募作品のなかから猫大賞に川口麻里亜さんの「いつものおやつ」が選ばれました[1][2]。今回紹介する作品は、八犬堂主催の川口麻里亜 日本画展 "ひみつきち" で購入した「KINGs」です。これまで「MY ART ROOM」では近代を含め29作品を掲載しましたが、花鳥画は別にすると動物を主役にした作品はありませんでした。つまり、この作品には猫好きだけでなく、人物画や風景画が好きな人も、さらには犬派も虜にする魅力が備わっているはずで、その理由を考えていきます。
[1]「藝大の猫展2020」https://artplaza.geidai.ac.jp/gallery/2020/01/vol2.html
[2] 東京藝術大学は創立以来、猫との関わりが深く、上野周辺の猫を保護する芸猫会というコミュニティもあるようです。
「KINGs」を飾って眺めていると、あるものが描かれていないことに気がつきました。猫好きの方は、直ぐに気が付くと思います。そう、肉球が描かれていません。猫にとって、肉球は可愛らしさの象徴です。また、特徴ある形や色彩はアクセントになります。猫の顔をアップにしたり、香箱座りしている場合を除き、肉球を描きたいと思うのが作家の率直な心理ではないでしょうか。二匹がじゃれあっている姿は肉球を描く絶好の場面です。にもかかわらず肉球を描かない。この作品は肉球を封印し、別の見どころに力を入れているように感じられます。それは構図と画材です。
まずは構図について考えてみましょう。書道では標準的な書体として「楷書」というのがあります。楷書は読みやすく、美しい字の基本ですが、芸術という観点では必ずしも鑑賞者の琴線に触れるものではありません。楷書がなぜ綺麗なのかを理解しつつ、どのように崩すかが重要です。書道と同様に絵画においても、基本とすべき構図とくずし方があると思うようになりました。
この作品では二匹の猫がじゃれあっていますが、一般的な構図としては、左上から右下への対角線上に頭部を描き、尻尾をうまく利用して、「S字」の形に仕上げることが考えられます。対角線を軸にすることで安定感を出し、胴体と尻尾で動きを出すわけです。
あらためてこの作品を観察してみましょう。上の猫は、丸めた体と尻尾がS字の上部分にあたり、オーソドックスな構図に見受けられます。ところが、下の猫は、頭部が対角線よりだいぶ上に位置し、一見すると尻尾がどこにあるのかわかりません。実は、頭の上に尻尾は描かれています。画面中央を横切るような形で、足と尻尾が並んでいますね。下の猫はアクロバットな動きをしており、この作品の要と言えるでしょう。猫の体は非常に柔らかく、一瞬、形を見失うような姿勢に仕立て、鑑賞者に疑問を抱かせることで、作品に面白みが生まれます。二匹の境目を曖昧にしつつ、構図によって動きを演出する趣向と思います。また、上の猫の体は見切れているのに対し、画面下は大胆に余白を設けているのも大きな特徴です。モチーフを全体的に上に持ち上げた感じでしょうか。これにより上の猫にも躍動感が出てきます。さらに、画面下の余白が次のポイントである画材と繋がります。
日本画とは何かというのは難しい問題ですが、岩絵具、墨、和紙といった画材をどのように活かすかが鍵になることは否定できないでしょう。岩絵具や和紙は、そのままでも充分に美しい素材です。美術館で岩絵具の瓶を展示されているのをたまにみかけますが、家に飾りたいくらいですし、和紙の見本帳は見ていて飽きることがありません。さすがに無地のキャンバスを飾る人はいないと思います。
この作品を見たとき、落ち葉のような文様がとても良い雰囲気だと感じました。近づいて観察すると、描いているのではなく和紙に漉かれている素材であることがわかったので、作者にお伺いしたところ、包装用の和紙を活用したということです。まさに日本画の醍醐味と言えます。混じり気のない白い紙を用いれば、二匹の猫は宙に浮いた感じになってしまうでしょう。落ち葉のような文様が自然と地面を意識させてくれるため、画面が安定し、猫の動きがより強調される効果があります。個展は初夏でしたが、秋頃に部屋に飾ると季節感に合うかもしれません。和紙の質感からは温もりが伝わってきます。また、作品を手に持ってしげしげと眺めると、和紙の微妙な風合いが空気感を与えてくれることに気がつきました。空気感をどのように描くかがは洋画でも重要な要素ですが、もしかすると日本画では空気感は下地が生み出すものかもしれません。
もう一つ画材として注目したいのは金箔です。画面左下に大きめの箔、画面左の捺印の近くにも小さな箔が施されています。おそらく最初にこの作品を見たとき、遠目からでも二匹の猫が描かれているのは認識できますが、どのような姿勢をしているのかは直ぐには判別できないでしょう。そうすると作品を斜めから見てみたり、再度、離れてみたりと視線を動かすことになりますが、その際、光の当たり具合によって金箔が突然、輝く瞬間があります。角度によっては銀色に輝くこともあります。この箔の煌きは、猫の動きを補完するような曲線になっているとともに、地面が感覚的に表現されています。アクセントとして面白い。水たまりのようにも感じられました。また、左下の金箔には上から和紙が貼られ、光を適度に分散し、和らげています。もし、この和紙を剥がしてしまうと、光がきつくなり、装飾的すぎるように思います。デザインを適度に取り込む優れたセンスを感じます。
ところで、私は猫に詳しくないので、作者に尋ねたところ、ラグドール という種でした[1]。図鑑で調べると、名前の由来は、文字通り「ぬいぐるみ」という意味で、ふさふさとした白い長めの毛、青い瞳を持ち、耳や顔、しっぽに黒や茶系統の色が入る特徴があるようです。体は大きめで、活発に動き回るというより、飼い主に抱っこされるのを好む穏やかな性格だとか。この作品のラグドールは、やんちゃな感じもしますので、まだ小さい子なのかもしれません。この作品に登場する猫は、ラグドールの特徴を適切に捉えており、写実性に富んでいることに驚きました。写真とは異なる観点で、ラグドールの本質を上手く掴んでいるということです。
[3] WEB MAGAZINE https://cat.benesse.ne.jp/catlist/long/content/?id=13225
もう一度じっくりこの作品を鑑賞してみましょう。まずは猫の耳です。粒子の粗い岩絵具を用いることで、鑑賞者の視線をひきます。もちろん実際にこのように輝くことはありませんが、インパクトという点では本物のラグドールと合致します。また、墨のぼかしを入れ、耳の内側にある長めの白い毛を描くことで、複雑さを持たせ、リアリティを逸脱しないよう考慮されています。実は、間近で見ると金色で描かれている毛もあり、少し距離を取るとふさふさ感が強まります。髭にも金色が使われている部分があるのにお気づきでしょうか。耳の形も単に三角形を誇張するのではなく、正確な形へのこだわりが感じられます。
次に猫の瞳です。青というより紫色をしていますね。ガラスのような透明感ではなく、むしろ落ち着いたマットな質感です。瞳は強調したくなりますが、目立ちすぎると構図や体毛の質感が弱まってしまうため、輝きを抑えたのかもしれません。一方、目の周りに金の縁どりを入れることで、猫に特有の目力が失われないよう工夫されています。金の縁どりは体の要所々々にも用いられています。
動物を描く際の最も注意すべきところは、体毛や皮膚だと思います。人間とは明らかに異なる体の質感をどのように描くかが勝負といっても過言ではありません。ラグドールのような細く長い毛を持つ場合、細やかな線を描く手法もありますが、この作品では墨と和紙の風合いを巧みに生かしています。墨の濃淡や滲み、和紙の繊維とよれや擦れによって体毛の雰囲気が表現されています。また、鼻筋のみに細かい線を引くことで、胴体との違いが明瞭になり、リアリティが出てきます。ネコ科の鋭さもありますが、爪を立てているわけではないので、二匹の子猫がじゃれあっている様が見て取れます。
この作品からは、ラグドールを単純にリアルに描くのではなく、また、愛らしいキャラクターを求めるのでもなく、美術として昇華された美しさが伝わってきました。と、作品裏のサインにはちゃんと肉球マークがありました! 猫派と犬派の対立は、どちらも可愛いということで、一旦は平和裡に解決しそうです。(2021年7月17日)