タイトル:黄
作家 :松谷 文生
画廊 :ギャラリー上田
展示会 :Art×Life
購入日 :2021年5月28日
サイズ :高さ11cm、横21cm
「MY ART ROOM」で立体作品、焼き物を紹介するのは初めてになります。絵画であれば、西洋絵画を中心に構図や色彩などに着目した解説書がありますが、一つの作品に対する焼き物の解説書は見たことがありません。焼き物の産地である瀬戸、伊万里、又は陶器や磁器の歴史に関する書籍はあっても、どのように鑑賞するべきかという観点は見落とされているように思います。焼き物は、おそらく作り手の側からすると、①土、②酸化焼成や還元焼成、窯の温度等の焼き方、③釉薬が出発点になると思われますが、鑑賞する側は、①全体的な佇まい、即ち風格、②形、③色彩や文様、④質感及び手触り、という観点で作品を眺めますので、これに沿って考察していきましょう。
今回は、松谷文生さんの「黄」という作品です。私はこの作品を見た瞬間に「生命力」と、それによる強い喜びを感じました。観葉植物を眺める以上に生命を意識させる力があります。これは皆さん共感し、納得いただける感想ではないでしょうか。この作品の佇まいは生命にあると思います。しかし、よく考えると不思議なことです。この作品は陶器であり、命を宿していないのは明白ですし、植物と見間違えるような擬似性はありません。陶器は、長石や珪石、粘土を主成分としますので、有機物としての繋がりというわけでないようです。私はこの作品を眺めながら思案していると、「無機的なものに生命の片鱗を感じると強い歓喜が生まれる」のではないか、という考えに至りました。生き物に似せれば良いというわけではありません。あくまでも生命を持たない無機物であることを前提に生命の気配を感じることが大切なのです。
ところで、「不気味の谷」という言葉があります。人型ロボットなどの様態があまりにも人間に近いときに、見る者に違和感や嫌悪感を抱かせるとされる現象です[1] 。これとは反対に、生命を持たないものに生命の片鱗を感じると、喜びを得るという法則があるのかもしれません。「歓喜の山」といっても良いでしょう。ポイントは、生命の形に似せすぎるのではなく、かつ、生命に近い何かを持っているという点です。有機物とは、炭水化物、タンパク質、脂肪などのように,生物の体内でつくり出される物質と高校の化学の授業で習いました[2] 。ただし、炭素を含むものが有機物とされますが、二酸化炭素、炭素、一酸化炭素は、有機物には分類されないなど次第に混乱してきます。化学の話ではないので、これ以上の深入りはしませんが、突き詰めていくと、我々は生命ではないものに対しても、繋がりを感じることができるのではないか、という気がします。
[1] コトバンク デジタル大辞泉 https://kotobank.jp/word/%E4%B8%8D%E6%B0%97%E5%91%B3%E3%81%AE%E8%B0%B7-184622
[2] ベネッセ 進研ゼミ高校講座 https://kou.benesse.co.jp/nigate/science/a13r02bb01.html
では、なぜこの作品の佇まいから、生命の片鱗を感じることができるのでしょうか。まずは形に注目してみましょう。私は蓮を連想しました。蓮の葉であるような花であるような、観念的な形です。寄り道して、蓮について調べてみます。蓮は沼地に生息する水生植物で、夏に白やピンクの花を咲かせます。根茎はいわゆるレンコンですが、観賞用の根茎は細いため食用にはならないそうです[3] 。円形の葉にはウェーブがついていますね。モネの作品で有名な睡蓮と異なり、蓮の葉に切り込みはありません。また、蓮は水面から浮いている「立ち葉」があるのも特徴です [4]。そして、睡蓮の花が水面に浮かぶように咲くのに対し、蓮の花は真っ直ぐに高く伸びて咲くことから、「泥中の蓮」のように仏教とも縁の深い花としても有名ですね。と、松谷文生さんの「黄」と蓮は全然似ていないじゃないかと批判されそうです。確かに色も形も違うのですが、この作品の包み込むような扇形の連環が、蓮の葉のイメージと重なりませんか。また、凛と伸びた先端は、泥の中から屹立する蓮の花の美しさに相通じるものがあります。蓮は泥中から成長するだけではなく、「包み込む」と「屹立する」姿に仏教的な美意識があり、この作品の形状がもたらす感覚と類似しているのです。
[3] LOVEGREEN https://lovegreen.net/languageofflower/p30214/
[4] 40代から始める、花のある暮らし https://forties-text.com/lotus-waterlily/
もう少しこの作品の形状を観察すると、奥と手前で傾斜がつけられていることに気が付きました。つまり、台に置くと、真横からでも器の見込みが覗いて見える形になります。この作品は見込みに何か描かれているわけではありません。しかし、これにより作品の形が把握しやすくなります。見込みから先端に伸びていく線が強く印象づけられます。さらに、規則性の中に非対称性を持つことで、生物的な雰囲気をもたらしています。
次は、色彩を観察してみましょう。図鑑で調べると、黄蘗色が近いように思いました 。黄蘗色とは、「ミカン科のキハダの黄色い樹皮の煎汁で染めた明るい黄色のことで、奈良時代にもその名が見られる古い色名です。刈安に近い色合ですが、より緑みを含んだもの」 と解説されています。納得したのは、緑を含んだものという点です。緑がかったように感じるのは、マチエールによる光の反射も関係するのかもしれません。鮮やかな黄色では人工的であり、いたずらに緑にすると葉を模していると興ざめしてしまうでしょう。また、素地を活かしたグラデーションが植物的な印象につながっています。先端は太陽の光に強く照らされているような濃さがあります。一方、見込みの部分は灰色がかった淡い白によって、柔らかく優しい感覚を与えてくれます。
[5] 和色大辞典 https://www.colordic.org/colorsample/2141
[6] 伝統色のいろは https://irocore.com/kihada/
この作品の最大の特徴は、きめ細やかな凹凸のある質感にあります。顕微鏡で葉を観察したときに見える細胞のような表皮が生命感をもたらす主因と言って良いでしょう。焼き物は釉薬による滑らかな質感、若しくは備前焼のようなザラザラした土の質感に大別されますが、この作品は釉薬によるガラス質ときめ細かい凹凸によって生命感のある質感と肌触りが生み出されています。この凹凸は、針金の引っ掻きによるものということです。ただ、単純に引っ掻けば良いというものではありません。じっくりと観察すると、凹凸の粒度は場所によって異なることに気が付きました。作品の外側は粗く、内側は細かくなっています。内側は色彩のグラデーションと相まって微妙な変化が付けられていることがわかるでしょう。見込みから黄に色づく境界から柔らかな凹凸が始まり、次第に勢いを増し、縁は引き締まっています。この凹凸は葉脈のような流線になっており、人工的な文様ではなく、生命の神秘と思える構造がこの作品には宿っているように感じられます。外側、しかも底に近い部分ほど目が粗く、色彩が濃くなっているのがポイント。この作品の特徴である表皮をより観察しようと自然に手が伸び、作品に触れる仕掛けになっているのです。見るだけでなく触れることで、生命感が伝わってきます。手に吸い付く感覚がまさに生命の欠片のように感じられました。最初に触れる時の緊張感たるもの。
焼き物では、厚さも重要になります。窯の燃焼に耐えられることが前提であり、厚さは手に持ったときの感触や重さに直結します。厚くすれば強度は増し、重厚感のある作品になりますが、野暮ったい印象を与えかねません。この作品の特徴であるきめ細かな凹凸を活かす絶妙な厚さに至るには試行錯誤があったとことでしょう。持ったときの心地よさは絶妙です。生命が持つ形、色及び質感を追求し、器に還元して生まれた作品と思います。