タイトル:蒼の邂逅
作家 :今津 奈鶴子
画廊 :八犬堂
展示会 :今津奈鶴子 油絵展「苔のある物語」
購入日 :2019年7月13日
サイズ :F6
技法画材:油絵
今津さんは、苔を描く作家である。「こけをみつけたよ」(かがくのとも2019年10月号)を執筆するほど苔の造詣は深い。描かれる苔は多種多様であり、苔を舞台として昆虫や植物の様々な生物のドラマが繰り広げられる。そのため、どの作品も黒い背景に俯瞰的に苔を描くという基本的な構成は同じであるが、それぞれに固有の良さがある。また、他の作家の作品と並べて飾っても違和感がなく、他の作品を邪魔するどころか、さり気なく引き立たせる。本物の観葉植物を置いたような効果があるのかもしれない。
日本には1800種類以上の苔があるそうである。絵画の楽しみ方は様々であるが、何が描かれているのかを調べるのも面白いと思う。この作品には2種類の苔が描かれており、一つは細長い葉が菊の花弁のように輪になっているもの、もう一つは不定形の丸みを帯びた葉が魚鱗のように重なっているものである。前者はマゴケ植物門のスギゴケ又はスナゴケ、後者はゼニゴケの類と思われる。
理科の授業をする気分になって、コケについて整理しておこう[1] 。コケは、厳密には葉、茎、根の区別はない。同じ胞子植物でもこれらを区別できるのがシダ植物である。シダ植物は葉、茎、根に水や養分を運ぶための管である維管束を持つ。それに対し、コケは表面から水分を給水していることから、シダよりコケの方が原始的と言えよう。コケは、「マゴケ植物門」、「ゼニゴケ植物門」、「ツノゴケ植物門」に分かれている。かつての蘚類、苔類、ツノゴケ類という分類から門に格上げされた。「マゴケ植物門」は、葉及び茎に相当する部分に中肋と呼ばれる脈を持ち、直立的に伸びる傾向がある。葉と茎に別れる茎葉体であり、種子植物のミニチュア版のような形状をしているため、観賞用の苔に多い。日本では1000種類ほど確認されている。
次に、「ゼニゴケ植物門」は、葉と茎が分かれていない葉状体であり、平べったく、粘菌のような不気味さがあるため、お世辞にも美しいとは言い難い。日本では600種程度が生息する。最後の「ツノゴケ植物門」は全体の1%の200種程と少なく、見つけるのは難しい。サヤインゲンがニョキニョキと地面から生えてくるようなイメージである。マゴケ植物門の苔を図鑑で調べると、この作品に描かれているのは、コスギゴケだろうか。まず、スナゴケは、茎葉体が密になっており、遠目からは金平糖や星型に見える。盆栽でも用いられる山苔(アラハシラガゴケ、ホソバオキナゴケ)は、ランダムに茎葉体が伸びている。名前のとおり、スギゴケとコスギゴケの形状は似ているが、前者は、立体感が強い。この作品はコスギゴケと鑑定してみた。
今津さんの作品の魅力は、苔について知りたくなる、さらには苔が欲しくなるということである。苔をよく観察し、生態を熟知しているからこそ、絵画にリアリティが生まれ、苔が持つ美しさを表現できる。また、黒い背景に俯瞰的に苔を描くことで、海底に沈んでいくような静寂を感じることができる。地面を自然そのままに茶系統にしてしまえば、没入感は減ってしまうだろうし、絵画ではなく図鑑になってしまう。緑と黒の相性がここまで良いとに驚く。闇にぼんやりと浮かぶ苔が幻想的で美しい。時間を閉じ込めたような印象を受ける。目を凝らすと離れ小島のように小さな苔が描かれている。新しく生まれた苔であろうか。
この作品では、コスギゴケ、ゼニゴケに加えて、モミジという三つの緑が層をなしている。同じ緑であっても、彩度や明度を巧みに使い分けることで深みと味わいがでてくる。先程は見栄えが悪いとゼニゴケを批判してしまったが、苔特有の瑞々しさを感じさせるとともに、下地として安定感がある。ゼニゴケの丸みを帯びた歪んだ形状と、尖ったモミジとコスギゴケの違いも引き立つ。苔の主役は、右下の光を浴びたコスギゴケと思われるが、陰ったゼニゴケが背景として機能していることにも着目したい。
この作品の中心を占めるのはモミジである。紅葉したモミジでなはく、緑のモミジを持ってくるのは大胆である。緑づくしと言っても過言ではない。苔の上に幾重にも重なる緑のモミジを表現するのは相当に難儀したのではなかろうか。微妙に明暗をつけ、やや薄黄色い部分を入れるなど一枚一枚が丁寧に描かれている。枝も細部にわたって抜かりがない。また、ピンクの花が咲いていることにも気が付くだろう。緑色の世界を邪魔しない淡いピンクが愛らしい。モミジが咲くのは四月頃であり、蝶とともに季節を感じることができる。モミジとカエデは、植物学上は同じカエデ科カエデ属である。葉の切れ込みが大きいものがモミジと呼ばれ、イロハモミジ、ヤマモミジ、オオモミジの三種がある。いずれにしろ丸みを帯びたゼニゴケと尖ったモミジの葉の対比により形の面白さが増している。
「蒼の邂逅」というタイトルのとおり、この作品は苔とモミジという緑色の舞台に二匹の蒼い蝶が巡り合う。この蝶にどのような想いを重ねるかは鑑賞者次第であろう。蒼と言っても晴天のような爽快さではなく、苔やモミジに遠慮するかのような奥ゆかしさがある。また、蝶の間にあるモミジが二匹の微妙な距離を感じさせる。モミジの上と苔の近くを飛ぶ蝶の高さには違いがあることから、平面的になりやすい俯瞰した構図に高低差が生まれていることも留意したい。これによりモミジと二種類の苔の層をより明瞭に感じさせる効果がある。さらに、二匹の蝶が時計の長針と短針のような位置関係にあるため、円環の流れを意識させてくれる。
全体的な構図は、右上から左下に伸びるモミジが中心となる中で、左下の蝶は右上に向かっており、下に向きやすい鑑賞者の視線を再び上に押し戻してくれる。また、下にある苔の集合は、お椀のような形になっている。そのため、画面の下部は鑑賞者の視線を優しく受け止めてくれる。一つ一つの苔がクッションのような柔らかさを感じさせるとともに、全体においても、苔のもつしめやかな包容力が伝わってくる。折角なので蝶についても調べてみると、比較的よく見られる小さめで青い蝶ということから、ルリシジミ、ツバメシジミと推測した。正解は作者に尋ねないと分からいのだが、片手に図鑑を持って絵画を鑑賞するのも一興である。(2021年6月5日)
[1]部屋GREEN【苔の体のつくり】部位の名称や特徴、分類による仕組みの違いなど
https://heya-green.com/koke-karada/#toc2
部屋GREEN【苔の分類】蘚類、苔類、ツノゴケ類はもう古い?新しい分類と特徴
https://heya-green.com/koke-bunrui/#toc7
BOTANICA 苔の種類図鑑【画像あり】庭に生える苔や人気の高い苔を10種紹介!
■追加情報
作家の今津さんから「コスギゴケ」じゃなくて「ホソバオキナゴケ」と教えていただきました! 写真で見ると、ホソバオキナゴケの方が、ふわふわした感じでしょうか。作品の苔さんもスギゴケの類にしてはツンツン感が弱いかもしれません。苔違いでした。「ホソバオキナゴケ」・・・聞いたことがないと思ったら、かなりの人気者です(コスギゴケもゼニゴケも初めて知ったのですが)。まだまだ絵画鑑賞道も苔道も未熟ですので、今後とも精進いたします!
ホソバオキナゴケも上記サイトで紹介されていました。
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