タイトル:Winter Story
作家 :横田 美晴
会場 :靖山画廊
展示会 :たいせつなもの展ー平成ー
購入日 :2018年12月 7日
技法画材:ミクストメディア/パネルに綿布(二重ガーゼ)
雪が舞う中を二人の少女は歩いてきたのだろうか。正面を向いて並ぶ二人。おそらくは姉妹である。笑みを浮かべる姉に対して、赤い毛糸のショールを纏う妹は少し不安げな緊張した面持ちをしている。南天の実のようなものを積んだバスケットを二人で持つ。一人で抱えるには大きすぎるのだろう。
今回紹介する《Winter Story》は、2018年12月に靖山画廊で開催された「たいせつなもの展-平成-」に出品されていた作品である。平成と聞くと随分、昔のことのように感じてしまうが、大切なものは普遍であり、この作品がもつ輝きは失われることはない。南天の実は、解熱や鎮咳といった効能を持つ薬となり、厄除けとして葉を飾る風習もある。二人にとって、バスケットに入った木の実は大切なものだろう。そして、二人が協力してバスケットを持つことで、お互いを大切なものとしてより強く感じることができる。「たいせつなもの」というテーマに相応しい場面である。また、東欧の童話を連想させる美しい光景であると同時に、無垢なるこの世界は雪のように消えてしまうのではないか、わずかな不安がよぎる。繊細で優美なるものは壊れやすく、哀しみを帯びる。
《Winter Story》の魅力について、構図から考察してみよう。二人は記念撮影をしているように並んでいるが、単なるポートレイトではないことは明白である。画面の中心は姉の右目を通っている。左半分は雪景色であり、しかも灰色の鬱蒼とした森が広がっている。また、画面右は人の足で踏み固められたのか、褐色の地面が伺える道が続いている。記念写真を撮るのであれば、二人の少女をもっとアップにするはず。画面の半分以上を雪景色とする必要はない。つまり、この作品は風景画とも言えるくらいに、背景に力点が置かれていると考えられる。これは作品を鑑賞する上で、大きな役割を果たしている。トリミングをして眺めてみよう。画面を二人の少女に限ると、鑑賞者は写真を持っている感覚で終わってしまうことに気づいた。角度をつけて鑑賞することができず、窮屈な印象を受けてしまう。何よりも物語性に欠けてしまうのだ。何気ない雪景色こそが想像を膨らませる源泉なのである。
雪景色が物語を紡ぐ
二人を繋ぐ赤い実
この作品のもう一つの主役である風景について観察を続けよう。遠近感をつけることで、鑑賞者を自然に作品に引き込むのは言うまでもない。遠景の色を薄くするのは遠近法の基本であるが、この作品では雪化粧をした森を挟んで空と地面は共に淡い白となっている。雪景色が果てしなく広がっていることを想像させてくれる。この森は針葉樹なのだろう、淡い緑が垣間見え、雪に反射した光によって暖かみすら感じられる。少し視点をずらすと、少女の真上には樹氷が連なり、純白が強調されていることに気づく。しかし、左手間の樹木の幹は黒く、光の届かない冬の厳しさを物語っている。枯れた草木は人が立ち入るのを拒んでいるかのようだ。もしこの少女たちが誤って立ち入れば、直ぐさま道に迷い、凍えてしまうだろう。あらためて森林を眺めると、仄かに赤みを帯びた遠景から、純白の樹氷、寒さに耐える黒い木々と変化していることがわかる。このリアリズムがなければ、偽りの世界に感じてしまったかもしれない。
背景は、右上から左下へと対角線上に流れる構図となっている。ポイントは、姉の隣は寒色、妹の隣は暖色と二つのルートが示されていることである。主人公である二人の子は正面を向いている。また、華やかな衣装も見所であるが、鑑賞者の視線はそこに集中しがちになってしまう。背景は奥行を表現するにとどまりかねない。そこに妹の側にある褐色の道を描くことで、鑑賞者の視線の流れは二つに別れていく。長女の側には銀色に近い冷たい雪が積もっているのとは対照的である。二つのルートが意識されることで、画面に動きが生まれ、隅々まで作品を鑑賞することができるのである。
次に二人の少女に注目してみよう。どこの国の民族衣装なのだろうか。ルーマニアやスラヴ系のようにも思われるが、特定の国というより、一つのイメージとも考えられる。いずれにしろ華やかで、精緻に描かれている。この作品の最大の見所と言って良い。厚ぼったいキルトや毛糸の質感には卓越した技術が感じられる。長女はカーキ色をメインにした落ち着いた色彩ながら、葉をモチーフにした柄やスカートの刺繍など凝った装飾が目に留まる。幼い子は南天と同じような鮮やかな赤が映える衣装になっている。毛糸の暖かなセーターも細やかに表現され、タータンチェック風のスカートが華やぐ。帽子の違いも面白い。姉はニットのとんがり帽子を被り、きれいな金髪の三つ編と並行して帽子の紐が垂れ下がっている。妹はショールと同じく、赤を取り入れた帽子で、お菓子のように可愛らしい。また、妹はより頬を赤らめ、幼い子らしくふっくらした顔立ちである。子供とはいえ、姉の顔はすっきりと理知的な印象が強い。
この作品は背景の木々のように写実的な描写もあれば、空想的な側面も有している。二人は手袋をしていないことに気づいた。一時でも雪が降るなかで木の棒を素手で持つのは冷たい。もちろん手袋を描くことはできたはずで、細かい模様をした衣装からすれば、手袋をさせることは造作もない。とすれば何らかの意図があったと推察されるが、持つという動作を強調させたとも考えられる。たいせつなもの展という趣旨からすれば、二人という存在が強く意識される。それは二人で「持つ」という行為に象徴的な意義があるのではなかろうか。二人ともバスケットを落とさないようしっかりと棒を掴んでいることを示すために、あえて手袋を描かなかったとも。
この作品の時間帯はいつ頃をイメージしているのだろうか。雪はときに時間の感覚を失わせてしまう。雪の反射によって曇り空や夕暮れであっても明るく感じてしまう。そのため、雪国は夜の訪れが早い。部屋の証明を少し落としたり、暖色に切り替えるだけで、この作品の時間も刻々と変化していく。どんな作品も飾る部屋の照明や壁の色によって、雰囲気は変わるが、これだけ大きな影響を受けるのは珍しい。寒色系の照明であれば、正午には達していない。日が暮れるには十分な時間がある。二人が雪で遊ぶことも許されよう。一方、暖色系の照明は夜の訪れを予感させる。暖かみのある反面、切なさが強くなる。この作品からは幾つもの物語が生まれてくるのだ。
最後に、この作品に舞う雪について考えてみよう。雪には様々な種類があるが、一片が大きいことから牡丹雪のように見える。ただし、牡丹雪は水気が多く溶けやすい。この作品の雪は粉雪がサラサラ舞うようにも感じられる不思議な雪である。誰もが思わず手を伸ばして掴みたくなるだろう。一つ一つの雪片にも注目したい。空気の流れに応じて丸い形に見えるものもあれば、潰れたように見える雪片もある。光の反射によって透明に輝くものもあれば、真白の雪片もある。本物の雪を見ているように、この作品の雪を眺めるのが楽しく、飽きないのだ。いつまでもこの理想的な世界に浸っていたいと思う。(2023年1月7日)