タイトル:葡萄茶彩描茶盌
作家 :上端 伸也
画廊 :銀座の金沢
展示会 :色絵九谷 それぞれの世界
購入日 :2024年9月18日
この作品は西洋の貴婦人のような美しさを湛えながら、どこか日本的な美意識を纏っているように私は感じた。文様は作者がフランスのノートルダム大聖堂で見た薔薇窓をイメージしているという。繊細かつ荘厳、眺めているだけで精神が浄化されていく宗教的な美に誰しもが息を呑む。ステンドグラスの輝きを釉薬と上絵具で巧みに表現する技術。ここまで細密かつ均一な線を人の手で描けるのであろうか、そう疑問を抱く人もいるかもしれない。ノートルダム大聖堂のステンドグラスに遜色ない美しさである。
では日本的な美はどこに宿っているのだろうか。もちろん茶碗であること、九谷焼であることも理由に挙げられよう。しかし、もっと本質的な部分で日本的な美に変容、昇華しているように思えた。西洋のシンメトリー、東洋のアシンメトリーという区分は単純化しすぎる。ロココ様式やアールヌーボーは曲線と非対称性を持つ一方、日本でも市松模様のように幾何学文様を取り入れている。自分の感想が難題になってしまったと困惑しながら、作品をしげしげと眺めていると、文様の一つ一つがそこにとどまらず動くように感じてきた。文様は回り始め、精緻な線は流れるように解けていく。炎の揺らめき、雪の結晶、水面の波紋、いずれも美しい形をしているがそれは瞬間に過ぎない。可変的なものである。曲線であろうと非対称であろうとその状態が固定化されているのが西洋的であって、偶然にその状態にあるという一つの瞬間と感じるものを私は日本的と感じたことに気づいた。日本的という表現が正しいのかともかく、とどまることを知らない可変的な存在というのはこの作品の美しさの鍵になるように思う。
展覧会風景①
九谷焼の赤絵線描はその名の通り鮮やかな赤を用いることが多いのに対し、上端伸也さんは葡萄茶色を主体としている。もしこの文様を純粋な赤に置き換えたらどうなるか。それも一度鑑賞してみたいところだが、想像するに鋭さが増すと思われる。純白の素地を使えばより華麗な印象を与えるに違いない。一方、葡萄茶は「やや紫を帯びた暗い赤色」[1] を意味する。安らぎをもたらすのはもちろん、時間の経過を感じさせることが重要に思えた。花の色味は次第に渋みを増してくる。一歩間違えば、くすんだ暗い雰囲気になってしまうが、もっとも美しい瞬間でもある。これも日本的な美意識の一つなのかもしれない。明治30年代に女子学生の間で葡萄茶色の袴が流行し、葡萄茶式部と呼ばれた[2] 。上端伸也さんのインタビューではこの点について述べている [3]。ふと落花流水という言葉が浮かんできた。もともとは枯れ落ちた花が流れていく様子から、去り行く春や衰退することを意味するが、散る花は流水に乗って流れ去りたいと思い、流れ去る水は落花を乗せて流れたいと思う心情を表す [4]。葡萄茶色が持つ曖昧さは時の移ろいを感じさせてくれる。儚いものでありながら、しなやかな強靭さを持つ。優美で洗練された色彩と線なのである。また、素地のクリーム色の釉薬が、葡萄茶色の文様を優しく包み込むように引き立てることも見逃せない。
あらためて文様を眺めてみよう。円形の茶碗は当然ながら一回転しないと全体を観察することはできない。文様は大きく三つある。最も大きな文様を正面とすれば、その裏と左右の四つの文様にしても良さそうである。しかし、四つにすると窮屈になり余白が失われかねない。また、文様の位置を線で結ぶと三角形になり、円形の器に対して流れを生むことができる。正面と裏、左右に均等に文様を配置すると安定はするものの四つの場面に明確に分離されてしまうと感じた。この点は写真ではなく、手にとって回してみると分かりやすい。正面から90度右に回転しても次の文様を完全に捉えることはできない。さらに少し右に回すと文様を正面から眺めることができる。さらに右に回したときも同様に正面にはいわゆる余白が来る。少し回すと次の文様の正面になる。つまり、文様と余白を交互に楽しめるだけでなく、強弱をつけて回すことになる。川のように変則的な動きになるのだ。さらに、大きな文様の次にある文様は、碗のやや下側に描かれ、その次は口縁に近いところに描かれているのもポイント。文様を上下に配置することで、波のような流れを感じることができる。口縁を超えて碗の内側に描かれた装飾は一陣の風に舞ったのであろうか、鑑賞者を碗の中へと誘い込む。
赤い三角形の頂点に大きな文様が描かれている。青い線の長さは回転の強弱をイメージ。
文様から得られるインスピレーションをどのように解釈し、楽しむかは鑑賞者に委ねられる。まず正面から観察してみよう。私にはこの大輪が時間を統べる時計のように感じた。花や花火ではなく時計がイメージされたのは、文様の傾きにあると思う。中心の青を起点とし、瑞々しい釉薬に彩られた紺と緑の菱形の文様が配置されている。宝石に劣らない高貴な雫。ふと菱形の文様の配置が右に傾いていることに気づいた。菱形の文様が口縁と高台に対して垂直、水平に配置されていれば、もっと違った感情、例えばキリスト教的な永遠に続く荘厳さを感じたかもしれない。しかし、傾きを持たせることで、大輪が回転するイメージが生まれてくるのだ。さらに植物の蔓のような紋様をあしらうことでより華麗な動きとなる。時間の概念は季節を連想させる。寒い冬はいつか暖かい春となり、夏を迎え、秋が訪れる。春夏秋冬は始まりと終わりを繰り返す。目に映るものは永遠ではなくとも、その繰り返しは永遠とも言える。日本的な美意識に近いかもしれない。
碗を右に回すとバトンを渡すかのように次の文様が見えてくる。高台に近いこの文様は中心が密に描かれている。菱形のような形を連結させた直線の形が目立つ。高台の水色に接していることから水車に例えるのも面白い。やはり軸となる直線を傾けることで動きが生まれている。正面と同じくアール・ヌーヴォー的な植物文様があしらわれているが、左に比べて右の方がよりダイナミックに描かれている。鑑賞者は自然と碗をさらに右へ回すことになる仕掛けだ。また、金色の点は水滴が光に輝くように見える。盛り上がりによる立体感点の大きさを変えているのもポイント。単なる装飾ではなく、重さや流れを意識させてくれる。
展覧会風景② ピアスも可愛い!
次の口縁近くに描かれた文様は風に舞うイメージである。風車と言うべきか。水色の釉薬が爽やかで清々しい。じっくり観察していると水色に微妙な濃淡がつけられていることに気づいた。最も口縁に近いパーツの水色はわずかに色が濃い。一瞬、想定外に色がくすんだのかと推測したが、対角線上にあるパーツも同じ色をしている。よく見ると交互に濃淡がつけられているのだ。さらに植物の蔓のもようにも水色が使われているが、これも色を変えている。多くの人はこの作品から生命的なエネルギーを感じると思うが、それは植物のような形だけではなく、色彩の変化も影響しているのだろう。ステンドグラスとは異なる色彩の変化を堪能できる。そして大空に羽ばたくかの如く文様は碗の中へと続く。
抹茶が入っていれば印象は変わるだろうが、空であれば茶巾摺から茶溜まりへと広がる優しいクリーム色に心が安らぐ。これも魅力の一つである。静寂に包まれるような感覚。碗の中は時間が止まったかのような世界だ。外側へと戻ろう。やはり素地の釉薬と葡萄茶との相性が素晴らしい。水色と同じく葡萄茶にも濃淡がある。要所々々で濃い葡萄茶色を用いることで文様が引き締まる。高台付近の水色も新鮮かつ清涼感があり、グラデーションが美しい。穏やかな海にも喩えられよう。自然と碗を傾けたくなる。この部分には釉薬はかけられていない。少しぼやけたような色彩になるが、これがクリーム色と適度な調和をもたらす。碗を手にしたときのフィット感も心地良い。磁器土ではなく陶土が用いられている。釉薬がかけられていない高台に小指が触れると土の感触が直に伝わってくる。(2024年11月25日)