タイトル:音もなく
作家 :大竹 彩奈
画廊 :八犬堂(伊勢丹新宿店開催)
展示会 :大竹彩奈 日本画展 つれづれ
購入日 :2018年11月14日
サイズ :M15
技法画材:日本画
魂が宿っているのではないかと思わせる一枚である。近年は、いわゆる美人画が人気を博しており、若手やベテランの作家が切磋琢磨することで、質の高い作品を見る機会に恵まれている。しかし、絵画としての美しさに留まり、様式的で人工的な偽りの匂いを感じてしまうものも多い。日本画の歴史を遡ると、女性を写実的に美しく描いた名画というのは思いつかない。上村松園や鏑木清方、伊東深水が美人画の最高峰であろうが、リアリティとは趣が異なる。これは女性に限らず、花鳥風月を題材にしても、日本画は形像を克明に写し取るのではなく、本質的なものを抽出して形にしていくという思想が根底にあるように思われる。
「音もなく」は、旧来の美人画と比較すれば、様式性は薄れ、リアリティを意識させるが、超写実的かと言えばそうではない。伝統的な日本画の流れに沿っている。日本画における「線」というものを考えると、その時点で写実性には限界がある。スーパーリアリズムとも呼ばれる写真と見紛うような絵画では、一つの線で形を作ることはありえない。スフマートの技法やカメラの画像解析を進化させていくことが、視覚的なリアリティの追求になってくる。日本画の特徴として装飾性が挙げられるが、線という制約が一助になっていると思われる。
この作品に魅せられるのは、写実的なリアリズムが理由ではない。では、この作品の魂が宿るような美しさは何処にあるのかを思案しているなか、ふと画面を縦にしたらどう見えるのか気になってきた。画面を90度回転させて見たが、違和感はない。さらに、画面を左右反転させても直ぐには間違いに気づかない出来栄えである。これは稀有なことではいか。一般的に人物画は一定の方向から眺めるという前提があるように思える。そもそも抽象画でもない限り、画面を縦たり反転させようと思ったことはない。単にベッドに横たわるという姿勢だから回転させても構わないという理屈でもなさそうである。また、どの角度から見ても、自分が女性の真の表情を捉えきれていないような、もどかしさを抱くことにも気がついた。なぜ画面を回転させようと思ったのか、それはこの女性が何を考えているのか理解できるかもしれないという心理が働いたからかもしれない。美人画の多くは、女性の美しさを追求するあまり、抽象的な喜怒哀楽の域を超えることを避けているようにも思える。しかし、この作品の女性は、私たちと同じように具体的な何かに思いを巡らせているように見える。ただし、単純に言葉にできる感情ではない。だから、鑑賞者は彼女に魂が宿っているように感じるのである。
伏し目でやや虚ろな表情は、絵画として奇跡である。少しでも筆致が狂えば、全てが台無しになってしまう。僅かに口角が上がっていることで、引き締まった印象を与えている。そのため、ベッドに横たわりながらも、緊張感は解けていない。「音もなく」というタイトルのとおり、静寂が伝わってくる。鑑賞者はこの一瞬に息を呑む。
最初にこの女性を見たとき、二十歳に満たないように思えたのだが、作者にお伺いしたところ、二十代半ばということであった。着物のままベッドに寝そべるのはお行儀が良いとは言えないし、雪のような肌は衰えというものを全く感じさせない。また、淡い水色は清純な印象を与え、大ぶりで瑞々しい花弁がより彼女を幼く思わせたのだろう。実際にモデルはこの着物をまといポーズを取っていることから、着物の図柄は寝そべることで生じるしわを考慮して正確に描かれている。
この作品を前にすると美しさに圧倒されて、絵画としての魅力を分析するのは野暮とは思いつつ、あらためて分析的に絵画を鑑賞したい。まず構図について考えると、女性が画面右上から緩やかに倒れ込むことで、鑑賞者に時間を意識させるとともに、ベッドに体が沈み込むことで、重力を感じさせる。その一連の流れが「音もなく」というタイトルと符号する。また、画面左上はベッドが端切れており、女性と並行する形になっていることにも留意したい。これにより女性が倒れ込むという感覚が強まる。画面全体をベッドで埋めてしまうと、倒れ込むという動作よりも、寝そべっているという姿が強調されてしまう。
女性の腰から下は描かれていない。もし足先まで描くとなれば、はしたない印象を与えてしまう。とは言え、両足を揃えて描くのは不自然である。上半身に留めるのが理にかなっている。何気なく伸ばした両腕は、彼女の表情と相まって、静寂の中で安寧と不安という矛盾した感情が複雑に絡み合う印象を与えている。右手と左手に僅かに隙間を開けることで、鑑賞者の視線を止めることができる。両手が大きく乖離すると脱力感が強くなり、緊張感に欠けてしまう。反対に手をつないでしまうとリラックスした雰囲気は失われてしまう。手の力は抜け、自然体であることがよく伝わってくる。
着物の袖から腕があらわになるのは、仕草として美しいものではない。上村松園は、腕を持ち上げる仕草を描く場合、袖の内側から腕がのぞくような姿にならないよう注意していたという[1] 。この作品においても、袖口から二の腕がだらりと垣間見えることはない。どの程度なら腕を露出させても気品が失われないか、入念に検討されている。左腕の方が、僅かに肌は露出している気が付く。腕を頭上にもってくる動きが正確に描かれているだけでなく、女性の若さや心理状態を示しているようにも思える。
ベッドのしわにも着目したい。女性を支えるベッドは作品に大きな影響を与える。しわが少なすぎれば、ベッドは硬く、作品は冷たい印象となる。一方で、しわが多すぎれば、雑然として「音もなく」という静寂を阻害してしまうだろう。この作品では、左手の付近のしわが強く、シーツが盛り上がっており、女性がベッドに倒れるように寝そべり、腕を伸ばすという一連の動作が適確に描写されている。また重心がかかる頭から首にかけてベッドが僅かに沈むようになり、リアリティを高めている。画面左下にしわはなく、余白が静けさを感じさせる。
髪の線は単に女性の美しさを象徴するものでなく、人物の動きを補完し、絵画に流れを生み出す。右の頬にかかる髪は肩に沿って女性を包むような流れになっており、ほつれた髪は右腕の動きをサポートしている。また、左腕の下から伸びた髪によって鑑賞者の視線が分散することになり、画面に動きが出てくる。さらに、二つのほつれた髪は逆向き、つまりS字になっており、バランスが取られている。単に繊細に髪が描かれているだけではなく、構図として綺麗にまとまっていることにも気づかされる。絵画は飾って楽しむものである。しかし、この作品を眺めていると、氷が溶けてしまいそうな心地になり、飾ることを躊躇ってしまうのである。(2021年6月6日)
[1] 「極上美の饗宴 和の美人を極める~上村松園“序の舞”~」NHK BSプレミアム 2012年8月22日(水) 21:00~21:59 「蛍」(1913(大正2)年)では、蚊帳を持ち上げる女性を描く際、着物から腕がのぞく左腕は、蚊帳により遮られている。