タイトル:étoile
作家 :吉村 茉莉
会場 :日本橋三越
展示会 :吉村茉莉展 あまやかな赤
購入日 :2023年12月17日
サイズ :30cm×30cm×10cm(箱内寸)
種別 :磁器
この作品を数分眺めて目を閉じる。あれだけ優美で華麗な赤絵線描に目を奪われていたにもかかわらず不思議とその姿を思い起こすことができない。あの美しさは幻だったのだろうか、一瞬の出来事であったように思えてくる。この作品の美しさの秘密はどこにあるのだろうか。
HPに掲載するために写真を撮影しているとあることに気づいた。素地の白が強く感じられるときと、赤の線が強く感じられるときがある。また、素地はややクリーム色がかっているが、純白に見えることもあるのだ。色彩は固定されることなく変化して見える。これが美しさの一つの目の秘密である。角度をずらしたり距離を動かしたりすることで色彩の印象は変化していく。特筆すべきは金彩がもたらす色彩の変化である。この作品では幾つか黒が用いられているが、金彩との距離が近いと緑色が混じったように感じられることがある。金色はそれ自体の色を強く見せる場合と、輝きとして周囲の色に影響を与える場合がある。つまり主役にも脇役にもなる存在と言えよう。
白が強く感じられるイメージ
赤が強く感じられるイメージ
この作品の色彩の中心は「赤」である。無数に引かれた細やかな赤い線によって色彩は生み出される。しかし、従来の赤絵線描のイメージとは異なり、多彩な色彩を感じることができる。二つ目の秘密は多様な色彩である。しかし、黒、紫、ターコイズ色、金色が用いられているものの色数自体は多くはない。面積で言えば赤又は素地の白が大半を占めている。色彩の中心は赤い線であるにもかかわらず、なぜ多様な色彩を感じるのだろうか。近寄って鑑賞してみると、線は「赤」一色ではなく「紅」と「朱」のように複数色を使い分けていることに気づいた。しかも線と線の距離によって色彩の印象は違ってくる。同じ色を用いても線と線が近いと赤が強まって見えるのである。そのため、何種類の赤というのは判別が難しく、一様ではない赤の競演を鑑賞者は楽しむことができる。さらに薄い色を「面」として馴染ませている箇所も多い。単純に言えば色を塗ることになるが、どこに、どの程度の色を、そして何色を含ませるのかは非常に難しくセンスと技術が問われる。濃い色を塗ってしまうと線描の魅力を阻害しかねない。均一な美しい線をぼやかしてしまう恐れもあろう。よく見ると模様の線に合わせて色を含ませる箇所と模様の一部に色を含ませる箇所がある。全てを線に合わせてしまうと塗り絵のような印象を与えかねない。模様に部分的に色を置くことで美しいグラデーションと動的な感覚が生まれてくるのである。
斜め上から眺める
水平から眺める
次に文様に注目してみよう。円形の器であることから、一つの文様を8個ずつ連結させて全体の文様が形成されている。直線、曲線、点、それらは扇、菱、円、そして青海波や菊のような形をなしていく。その形が結び合うことで新たな形が生まれる。この作品の文様の種類を数えるのは難しい。小さな線と点、それが集うことで文様になる。文様は一対多、多対一であることを教えてくれる。赤絵線描のポイントは線の細さと均一性にある。線の細さが美しさの源であり、線が歪んだり、徒に肥痩があってはならない。また、均一性とは線の太さだけでなく、線と線の間が最も重要である。線を見せるというのは、同時にその素地を見せるという意味がある。この文様は赤絵線描の頂点を極める超絶技巧と言って良いだろう。
この作品の文様のコンセプトはタイトルに示されている。《étoile》はフランス語で星を意味するが、パリオペラ座バレエ団では最高位の踊り手はエトワールと呼ばれる。この作品はバレエの衣装がイメージされていることがわかる。器の中心にある金色の点は、円ではなく星型をしている。もちろん作品から受けるイメージは人それぞれで構わない。私は植物的なもの、生命の息吹をこの作品から感じている。
水面が輝くように光を反射する
美しさの秘密を色彩の変化、多様な色彩、赤絵線描の文様という点から考えてきたが、この作品の最大の特徴は表面のわずかな凹凸にある。葉が織りなすように表面は凹凸が彫られ、その上に文様が施されているのだ。色彩が変化して見える要因はこの凹凸にある。少し視線を傾けるだけで、照明に強弱が生じ色合いが違って見えるのである。特に金彩の輝きを高める効果をもたらす。また、縁取りしたような線がいくつかあるが、これは凹凸に沿って描かれている。単純な線の強弱ではなく立体感を与える意図があろう。さらに文様が文様としてあるだけでなく、あたかもダンサーがターンするようなリズムが生み出されていく。この凹凸はバレエの衣装であるチュチュをイメージしていると思われる。これまで私が見てきた赤絵線描は美しくも幾何学的な文様にどこか冷たさを感じていた。正確無比な線であればあるほど、その怜悧な姿に緊張感を覚えてしまう。この作品は表面の凹凸を利用することで、冷たさの中に暖かさを、緊張の中に優しさを、鋭さの中に柔らかさを宿している。
次に水平の視点から鑑賞してみよう。誰もが大きな赤い面と細やかな線描の対比に驚かされるはずだ。当然ながら裏面は下に鏡を置いたり立てて展示するなどしなければ視界に入りづらい。そのため大きな文様を描くことは鑑賞者の気を引くには有効な手段である。裏面で最初に目に飛び込むのは臙脂色の文様であろう。そして8枚の羽が折り重なるように文様が構成されている。風のように回転するチュチュをイメージしているのかもしれない。水平からではなく裏を正面から眺めると、中央にも花びらのように回転を意識させる意匠が施されている。表と裏が連動して新たな旋律が奏でられる。真上から眺めたときと水平や裏面から眺めたときを比べるのも面白い。裏面はよりエネルギッシュにさせてくれるのである。しかし、裏面にも繊細な文様が描かれていることに驚かされる。裏面にここまで細やかさを求めるのは稀であろう。気の遠くなる地道な作業にこそ美は宿る。赤絵線描の技の美の結晶と言ってよい。また、2種類の線描を交互に描くことで心地良いテンポになる。人間の価値観は時代により変化していく。しかし、人間が美しいと感じるものの本質は変わらない。過去の人々も未来の人々もこの普遍的な美に心は清められる(2024年4月21日)。