バチカン美術館。入館してまず彫刻を見学。
ギリシャ十字の間。写真でも四方に4つの出っ張りがあるのが分かる。教皇ピウス6世時代に建築家ミケランジェロ・シモネッティに建設を依頼した。床には女神アテネを描いたモザイクがある。「トゥスクルム」の遺跡で発見されたもので、3世紀ごろの作品
この部屋には左右2つの斑岩でできた巨大な石棺がある。円形の間の背にして左側にあるのが、このコンスタンティヌス帝の母親ヘレナの遺体を納めていた石棺。
騎士と蛮族の戦闘の場面が彫られている。
棺の表面には、子供たちの収穫姿が彫られている
奥に円形の間の大水盤が見える
正面が燭台の間の入口
青いのがビーガの広間
ビーガの広間。部屋の中央に古代ローマ時代の「二頭立て戦車」(紀元1世紀頃の作品)が展示されており、これが部屋の名前の由来。周囲に円盤投げ選手の像やDionysos(ディオニュソス、ギリシャ神話の酒の神)がある
燭台の間。長さ80m。S.コンスタンツァ教会とサンタニューゼ教会にあったものを持って来た。
大きな鍋にイノシシを押し入れ、火を焚く人が描かれている。
大燭台の間、名前の通り、部屋の脇に大きな燭台が置かれている。
タペストリーの間の入口
タペストリーのギャラリー。27枚の巨大なタペストリーが展示されている。16世紀~17世紀前半ごろまでシスティーナ礼拝堂に飾られ、1838年以前はここに絵画が飾られていた。タペストリーのうちの10点は、16世紀にラファエロの弟子達が下絵を描き、ブリュッセルで織り上げた名品で、「キリストの生涯」がテーマとなっている。タペストリーの劣化を防ぐために太陽光を入れない様になっている。
幼児の虐殺。ユダヤの支配者ヘロデ大王は、ベツレヘムの地にユダヤの新しい王(イエス・キリスト)が誕生したことを聞いた。それに怯えたヘロデ大王は、ベツレヘムの地で王の可能性がある2歳以下の男の幼児全てを探し出し、虐殺しようとした。キリストは奇跡的に難を逃れた。
教皇ピウス6世(在位:1775年~1799年)の時代の1789年、教皇統治の栄光を讃える寓意像がモチーフ。これらの絵は、彩色によらず、凹凸による陰影で立体感を表現する「キアロスクーロ(単彩明暗画)」の技法による。
地図の間。長さ120m、幅は6m。壁にイタリアのさまざまな地域の40の地図がある。主要都市の平面図または遠近法で表され、イタリアアンコーナ(帝国時代)とイタリアノヴァ(XVI世紀)の一般的な地図と景色が描かれている。 16世紀の主要なイタリアの港の1つ:チビタベッキア、ジェノヴァ、アンコーナ、ヴェネツィア。各地域の地図には、そこで行われた主な宗教的出来事の表現が天井に描かれている。
ギャラリーの建設を命じたのは教皇グレゴリウス13世ボンコンパニであり、作品は数学者、地理学者、そして1581年から1583年の間に建設を担当したドミニカ人の教皇イグナシオダンティの友人によって監督されました。
現在のトスカーナ、ラツィオ、ウンブリアの一部。エトルリア人は紀元前650年までにイタリアで支配的な地位にあり、ローマはシルバ・シミニアの森によってエトルリアの初期の境界から隔てられていたにもかかわらず、エトルリア人の影響を強く受けていた。一連のエトルリア王は紀元前509年までローマを統治した。エトルリア文明は、 12のオリンピックの神々、オリーブとブドウの栽培、ラテンアルファベット(ギリシャ文字から適応)、建築(アーチなど)を含む、初期の共和国ローマに輸入されたギリシャ文化の多くの影響をもたらした。また下水道などの技術面でも影響を与えた。
1580-83年
当時の四大港のチベッタベキア、ジェノヴァ、ヴェネチア、アンコーナが描かれている。中央上がバチカンの紋章とレリーフ。