ローマ初日は荷物をホテルに預け、バチカン美術館へ。9:45入場。
地上を走っているようだけどどこか不明
Termini駅から7駅目8分
出口
バチカン美術館から北東に500mぐらいのところにある。地下鉄と路面電車の双方の駅がある
市内でATAC(Agenzia per i Trasporti Autoferrotranviari del Comune di Roma)が運営。かつてはイタリア国内で最大の路線網を誇っていたが廃止が進む。2021年2月現在4路線
2系統 : フラミーニオ広場 - Piazza Mancini 3系統 : Piazza Thorvaldsen - ローマ・トラステヴェレ駅 5系統 : ローマ・テルミニ駅 - Piazza dei Gerani 8系統 : ヴェネツィア広場 - Via del Casaletto 14系統 : ローマ・テルミニ駅 - V.le Palmiro Togliatti 19系統 : Piazza Risorgimento - Piazza dei Gerani
バチカン市国は1929年2月11日にムッソリーニと強硬教皇ピウス11世の間に結ばれたラテラン条約により生まれた。ただし教皇領は8世紀のフランク王ピピンによる寄進で中央イタリアの広大な土地を対象に1870年のイタリア統一まで続いた。
バチカン美術館入口。カトリック教会の総本山サン・ピエトロ大聖堂の北側に隣接するヴァチカン宮殿の大部分を占める巨大な美術館。500年以上の歴史をもつ新旧さまざまな美術館の複合体(MuseoではなくMuseiと複数形)。公式の館名は「教皇の記念物・博物館・ギャラリー」(Monumenti, Musei e Gallerie Pontificie)。
古代(ギリシャ・ローマ)彫刻、エジプト美術、エトルリア美術、現代キリスト教美術などの専門美術館の他、ミケランジェロの絵画で知られるシスティーナ礼拝堂、バチカン図書館、中世の教皇庁の建物の一部(「ボルジャ家の間」、「ニコラウス5世の礼拝堂」、「ラファエロの間」など)を総してバチカン美術館と称している。キリスト教美術のみならず、古代ギリシャなどの異教の美術や、世界各地の民族美術なども幅広く収集展示されている。
ヴァチカン美術館の起源は、枢機卿ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ(のちのユリウス2世、在位1503 - 1513)の古代彫刻コレクションにさかのぼる。1506年1月14日にローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂近くの葡萄畑で発掘された古代の彫像群『ラオコーン』が美術館建設の発端となった。ラオコーンと共に同教皇はヴァチカン宮殿内の「ベルヴェデーレの中庭」に、枢機卿時代に自らが収集していた『ベルヴェデーレのアポロン』などの古代彫刻を配置。
歴代のローマ教皇は同時代の芸術家を手厚く保護し、また多くの美術品を収集。18世紀後半にはベルヴェデーレの中庭を含むピオ・クレメンティーノ美術館が成立。19世紀にはエジプト美術館、エトルリア美術館、世俗美術館、キリスト教美術館などが次々に増設され、20世紀に至るまでバチカン美術館の拡大は続いた。
毎年、1800万人以上の来場者が7キロにおよぶ諸室と廊下に展示された美術作品を鑑賞。
グレゴリアーノ・エジプト博物館。教皇グレゴリオ16世の指示で作られた博物館。古代エジプトやローマ統治下のエジプトの美術品を展示。1844年にローマ市内のラテラノ宮に設置され、1970年にバチカンに移転。その際に古代中近東の美術品がコレクションを追加。9室ある。
ピーニャ(松ぼっくり)の中庭。写真を撮った側に青銅の松ぼっくりのオブジェがある
ピオ・クレメンティーノ美術館。クレメンス14世(在位1769年 - 1774年)により1771年に設立され、元々古代、ルネサンス期の美術品に特化していた。その後、ピウス6世(在位1775年 - 1799年)により拡張された。今日、ギリシャ・ローマ彫刻を展示する。「八角形の中庭」、「動物の間」、「ミューズの間」、「円形の間」、「ギリシャ十字の間」などがある
八角形の中庭。別名ベルヴェデーレの中庭と呼ばれ、ユリウス2世が所有していた彫刻を運び込んだのが始まりで、その後クレメンス14世がミケランジェッロ・シモネッティに設計を依頼し、現在の八角形の形になった庭。
八角の中庭で最も有名なもの。ロドス島出身のアゲサンドロス、アテノドロス、ポリュドロスの三人の彫刻家によって、紀元前2世紀頃に造られた。題材になっているラオコーンはトロイアの戦いを記したホメロスの書「イリアス」のエピソードに基づいて創られた彫刻。エピソードは、ギリシャ人が差し出した女神アテナへの供え物の木馬をトロイアの司祭であったラオコーンが槍で一撃したため、怒ったアテナが蛇を送ってラオコーンと二人の息子を殺したというもの。
アントニオ・カノーヴァが1800年~1801年にかけ彫った作品。ペルセウスがメデューサの首を掲げるギリシア神話では有名なシーン。
高さ222メートルの「ベルヴェデーレのアポロン」は、教皇ユリウス2世の最初の収集美術品で、バチカン美術館の礎となった作品。元々は右手に矢を、左手に弓を持っていたと言われる。帝政ローマ時代の作品でアテネ・アゴラにあったオリジナルを2世紀に大理石で模刻。名前はユリウス2世がベルヴェデーレ宮の中庭に飾った事に由来。18世紀ドイツの美術史家ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンは「現存する古代作品の中で、この彫像は芸術の最高の理想を表している」と評している。
ハドリアヌス帝時代に製作された作品の模刻。発見された時には頭部や腕が破損しており、ミケランジェロなどによって復元された像の土台の棺は、ギリシャ神話の物語 「 アマゾンの戦い 」を表現。
左の肩と腕にかけたマントは「旅」を象徴しヘルメスが神々の使者であることを示している。このためヘルメス像は、しばしば墓の上にも置かれ彼岸への旅の道連れとされた。
4世紀 ローマ帝国時代の大理石の模刻
メレアグロスは、ギリシア神話に登場する英雄で、狩の名手。ヘラクレスの妻となったデイアネイラは彼の妹です。
ピオ・クレメンティーノ美術館の第1室
ピオ・クレメンティーノの第5室で第4室の動物の間のライオンの像からつながっている。
「トルソ」という言葉は、イタリア語で「幹」を意味し、そこから転じて、頭や手足の無い裸身(つまり胴体)の彫像のことをトルソと呼ぶ。座っているポーズで高さが128cm。ナヴォーナ広場の南に位置する「カンポ ディ フィオーリ広場」で発掘されたときには、ミケランジェロが称揚したということでも有名。台座正面の部分にサインが刻まれており、そこには「ネストルの息子、アポロニオス Apollonios son of Nestor」と書かれているが記録が無く、製作者については現在でも謎。
ミューズの間の天井を飾る
円形の間は18世紀にピウス7世がシモネッティとミケランジェロに依頼。中央には、赤大理石の一枚岩をくり抜いた水盤が置かれ、その床を囲むようにギリシア時代のモザイク模様があり、円形の壁沿いには、彫像が並ぶ。天井は高さ、直径とも22mでパンテオンが原型。
ウンブリア州のオトリーコリ(Otricoli) と、ラツィオ州のサクロファーノ(Sacrofano)という場所から持ってきたとされている。いずれも2世紀に作られた。
ネロ帝の黄金宮殿から出土したものを18世紀末運び込んだもの。直径13mあり、「ティトゥス浴場」に設置しようとしていたものだと言われている。
紀元前5世紀のギリシャの像の摸刻
ヘラの夫であるゼウスは大の女好きで、何度も浮気をくり返していた。ヘラは浮気相手の女神やその間にできた子どもに対し、様々な復讐を行ったことから嫉妬の女神と呼ばれるようになった
ジョバンニピエラントーニによって復元された、西暦2世紀にさかのぼるヘラのセレスの古代ローマの彫像。これは紀元前430年頃のペイディアスがオリジナル。
アンティノウス(111年11月29日頃 - 130年10月30日) はローマ皇帝ハドリアヌスの愛人として寵愛を受けた男性。死亡したのは18歳位と推定され、ナイル川で溺死したことは分かっているものの、その状況については謎に包まれている。ハドリアヌスにより神格化されたことから多数の芸術作品に表現され、彼の顔は古代でよく知られていた。この彫刻も紀元前130年に遡り、1792年の発掘でハドリアヌスの別荘とされる場所で発見された。
オトリーコのジュピター。古代ローマ神話でジュピターというのは、古代ギリシャ神話ではゼウス。そのゼウスはエーゲ海に浮かぶクレタ島の出身。ジュピター(ゼウス)は神々の中で最高位に位置する。