「心石」

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:心石、というものをご存知ですか?

:きっと今のあなたは、「いいえ」、と答えるでしょう。

:それはそう、少なくとも今は、それが当然で、それが最良です。

:ですが、この話を最後まで聴いた、としても、

:それをいつかの日まで、覚えていた、としても。

:いつかの誰かが、同じ問いを投げ掛けて来ても、

:絶対に、「はい」、と答えてはいけません。

:頭に思い浮かべてもなりません。

:何も聴かず、何喰わぬ顔で、何も応えないこと。

:沈黙に徹して下さい。

:もしも、万が一これを守られなかった場合、その時は……

:まあ、想像も現実も及ばぬ先、とでも申しましょうか。

:俗っぽい言い方をするならば、

:「それはそれは、とても大変なことになる」、とだけ。

:……ならば何故、そんな話を聴かせるのか、ですか?

:何ともなんと、酔狂な事を仰る。

:今こうして、私の元に訪れたのも、

:そうして今、私の言葉から立ち去らぬのも、

:いずれも紛れも無く、あなたの意思で御座いましょうに。

:なれば私は、語る者として、語る物を並べるだけのことです。

:では、前置きも程々に。

:改めて、心石と云うモノについて、語らせて頂きましょう。

:どうぞ、呉々も、考え過ぎず、お忘れになりますよう。

:我々が住むこの世界の、とある地、とある場所に、

:毎年各所から、数万人、若しくはそれ以上という数の観光客が訪れる、立派な社が在ります。

:由緒正しき、等という訳ではなく、

:寧ろ何の伝えも縁(ゆかり)も無い、唐突に築かれた社です。

:誰が何と言った訳でもない、知らぬ間に建っていた社。

:人の手によって造られた筈なのに、人の記憶に、その青史の一片も存在しない社。

:そんな面妖な社の最奥部に、御神体として据えられ、祀られているのが、

:神託の原石、現世の核とも呼ばれる、「心石」です。

: 

:何故、そんな大層な別名があるのか。

:それは、この「心石」というモノの、来由に起因しています。

:そして同時に、それこそが、突き詰めてはならぬ、

:「心石」そのものの、本質ともなっているのです。

:今でこそ社の管理の下、厳重に保管されていますが、

:「心石」は元々、路傍に落ちている石ころと何ら変わりのない、

:何の変哲も無い、少し形が整っている程度の、

:赤子の握り拳大の、黒みがかった石、でしかなかったのです。

:罷り間違っても、御神体だなんだと尊ばれるような代物では、到底ありません。

:それならば何故、罷り間違って、今そのような存在として、在ってしまっているのか。

:遡ること、ほんの十数年前。

:ある男が、石を拾い、道すがらに出逢った少女に、それを渡しました。

:当然、年端も行かぬ少女の眼から見ても、それは只の、道端で拾った石でしかありませんから、

:少女はそれを拒否し、男に突き返しました。

:すると、男は徐(おもむろ)に声を潜め、

:世を翻すが如き神妙な面持ちで、こう囁いたのです。

:「これは、神様がくれた、魔法の石なんだ。

: 一日一回、欠かさずお祈りをすれば、

: 必ず君を、今の苦しみから、救ってくれるだろう」

: 

:この言葉の意味する所は、その男しか知る由はありません。

:しかし、この言葉を聞くや否や、少女は一転、

:石を受け取った、とされていますから、

:裕福ではない家庭だったのか、暴力の絶えない家族だったのか、

:はたまた何か、素性も知らぬ男の嘯きに揺さぶられる程、

:人にも明かせぬ、深淵が如き事情があったのか。

:それを知った上で、男は敢えてそう言ったのか、

:だとするならば、何故それを知っていたのか、

:若しくは何の意図もあろう訳も無く、

:ただ悪戯程度に、無意義な箔を付けてみただけなのか、等々……

:この男と少女の遣り取りには諸説入り乱れていますが、

:所詮は日常の切れ端程度の出来事ですから、

:あくまでも空想、想像の域は出ません。

:兎も角、少女はその男の空言を真に受けて、

:何の力も持たない、神の沙汰の云々など持ち得る筈も無い石に、

:一日一回、心を込めて、祈りを捧げていたそうです。

:生来より、生真面目な性分だった少女は、

:猜疑心という言葉も、その感情も知らぬかのように、

:毎日、毎日、何日何ヶ月経とうとも、その奇習を欠かす事はしませんでした。

:当然、傍から見ればそのような行動は、奇妙の一言です。

:或いは滑稽、或いは異常、とまで言われていたかも知れません。

:あなたもきっと、少女のその場に居合わせたなら、同じような感想を抱いたことでしょう。

:……ですが。

:始めこそ、やれ荒唐だ、やれ無稽だと貶していた周囲もやがて、

:少女のその、あまりにも愚直で、不気味な程に敬虔な姿勢を眺め続けているうちに、

:とある意識が、ぽつりと芽生え始めたのです。

:「もしや、これ程までに少女が執着しているこの石には、

: 何か本当に、神懸り的な力が、備わっているのではないか」 ……と。

:実際のところ、

:後に「心石」と呼ばれることになるこの石が、何か一度でも、

:奇跡のような出来事を起こしただとか、誰かの願いを叶えただとか、

:そのような話は、私の知り得る限りでは、一度もありません。

:しかし、ただの石ころ一つに、一人の少女、

:ひいては、それに興味を持った、他大多数の老若男女が、

:恰も神道に従って、参拝でもするかのように、日々祈りを捧げ続ける、という、

:平常からほんの少し、半端に歪んだ光景が、

:少しずつ人々の思考を、心を、捻じ曲げていきました。

:そして何時しか、この些細な狂気が蔓延し続けた結果、

:或る男が偶然拾い、或る少女に偶然渡されたに過ぎなかった、名も無き黒い石は、

:人の心を無限に淀ませ続ける、「心石」と成り果てて、

:御神体として崇め奉られる、今へと至ってしまったのです。

:誰一人として、何故ただの石が祀られているのかも分からない。

:誰一人として、この石が何の力を持つのかも考えもしない。

:何故なら、「誰も彼も、それを疑っていないから」。

:そして、「私も誰も、知る必要は無いモノだから」。

:つまりは、「そういうモノだから」。

:無垢な狂信、無数の盲信の果てに行き着いた先は、

:心も思考も何も無い、歪な同調が齎した、純粋なまでの黒そのもの。

:今でこそ、「心石」という呼び名で定着していますが、その名前も、

:「黒石(くろいし)」、であるとか、

:「狂石(くるいし)」、とも呼ばれることがあるそうです。

:無論、遍く諸説の一端に過ぎませんが、ね。

:勿論、石自体の根本は、何も変わってはいません。

:「心石」を取り巻く人々が、自覚も無く狂い続けているだけで、石は石に過ぎない。

:真意から知ってしまえばそれは、何のことはない、

:所詮は瑣末で空虚な、祟りも無い神輿遊びに相違無いと。

:そう安易に片付けてしまうことでしょう。

:ここまで聴いた、今のあなたならば。

:呑み込まれますよ、あなたも。

:この「心石」という話は、私が今語った謂れの他に、

:誰が拵えたかも知れぬ、幾つもの仮初の説が存在します。

:それこそ、三者三様、十人十色、千差万別、多種多様といった有様。

:取ってつけたような雑多な創作話から、天地創造に並び立つような絵空事まで、

:たかが一つの石を巡り、名だたる無名の文豪達が、互いの言の葉で鍔迫り合う様は、

:なんと最早、それはそれで、異様と形容せざるを得ません。

:まあ、それはさておき。

:問題は、その千姿万態、連々なる奇譚達の悉く余さず全てに、

:「件の少女が、その影までも、微塵も存在しない」、という点なのです。

:どれもこれも、

:「或る男」と、「心石」、

:そのどちらか、或いはそのどちらもを起点として描かれた、虚ろな逸話。

:それらの行く末となるべき筈の少女が、何処にも居ないんです。

:或る男から石を受け取り、虚空に願いを馳せ続けていた、

:「心石」の原点、狂気の源流とも呼ぶべき少女が。

:誰からも、その存在を認知されておらず、

:何からも、その有無そのものを、証明されていないんです。

:これが意味するところが、即ち何なのか。

:今のあなたには、お分かりになりますか。

:「心石」が「心石」ならざることを、釈明する人間がいない、

:有り溢れた嘘八百、虚言千万を、否定出来る存在がいない、

:そんな眇眇たる戯言ではなく。

:「心石」とは、その本質は、或る少女の心の具現、

:悪意無き、飽くなき狂信、その心の結晶であった筈。

:そして、この世界は、

:不殺の毒が「心石」なる名と姿を持って、

:「心石」ありきで廻り続けるモノと化した、

:少女の心の我楽多、その寄せ集め、であった筈。

:そしてその世界に、元より核たる彼女が居なかった、と否定されてしまったのなら。

:即ちそれは、いつしかから、

:少女が世界を否定したのか、

:或いは、世界が少女を否定したのか、

:いずれにせよ、その刹那を境として、

:少女が居る、心と意志の在る世界と、

:少女が居た、「心石」しか残らなかった世界とで、

:鏡合わせの向う側の如く、剥がれ離れてしまったのではないか、ということ。

:そして今、私達が居るのは、後者。

:「心石」を核として組み上がってしまった、

:脆弱な石細工でしかない、世界と名状するのも烏滸がましいモノに、

:組み込まれてしまっているのではないか、ということ。

:そんな頓狂と嘲笑うべき仮定が、

:豈図らんや、此処の誰も知らぬ、知ろう筈も無い、

:知ることを拒絶している本質を、射抜いてしまっていたのです。

:然らば、もう、お分かりでしょうか。

:全ての顛末を聴いてしまった、今のあなたならば。

:少なくとも、始めは、少女は居たのです。

:この話を聴く前、「心石」を知らなかったあなた、であった時には。

:嘗てあなたが居たあの世界の、何処かには、間違い無く。

:ですがもう、今のあなたは、此処にしか居ない。

:姿形も知らぬ少女の心に呑み込まれた、

:その果ての先へ、ようこそ、いらっしゃってしまいましたね。

:「心石」を認識し、理解する、とはつまり、こういうことなのです。

:先にお伝えしました通り、

:これはこれは、とても大変なことになったでしょう。

:……帰り方?

:それならば、至極単純、始めに申し上げましたとも。

:「心石」なるモノの一切、

:そして、それに肖るモノの合切を、忘却する事です。

:つまりは、「私はこの世界など知らない」と、心から否定出来れば良い。

:人の記憶とは、記録と編纂、

:そして、それらの抹消の連鎖によって成り立つもの。

:存外、時が幾分も経てば自然と、

:此処のことも、私のことも、「心石」のことさえも、

:あっさりと、忘れ去っていることでしょう。

:何も、難しいものはありません。

:心も、意志も、思考も、肯定も、否定も。

:全てを、棄ててしまえば良いだけのこと、なのですから。

:尤も、誰しも永久に近く、それが叶わぬから、

:此処も、私も、永遠に近く、無くならないのですがね。

:忘れる頃にはまた、あなたに問いを投げる、

:いつかの私を担う、いつぞやの私が居ることでしょう。

:そこであなたはきっと、

:「はい」とも、「いいえ」とも答えず、ただ、沈黙に徹するのみ。

:そうなったが故に、今のあなたが居るのかもしれないし、

:そうなるが故に、やはりまた、今のあなたに戻る、のかもしれない。

:健気で謙虚なあなたはそして、私の言いつけ通り、

:此処で聴いたことの全ても、其処で聴いたことの総ても、

:何もかもをまた、忘れることになるのでしょうね。

:いつかまた、此処ではない何処かで、相見えることになりますよ。

:限り無く必然に近しい、偶然のような、日常の片隅で。

:その時は改めて、同じ場所で、同じ話を致しましょう。

:その頃には、あなたの消えた記憶の淵で、

:好奇心なる狂気の種が、再び芽吹いていることでしょうから。

:さて。

:これで、この場の私の役目は終わりました。

:この下らぬ輪廻を止める為には、

:一人でも多くが、少女を知り、

:一人でも多くが、「心石」を知った上で、

:そしてその全容を悉く、否定し、廃亡しなければならない。

:起承を生み、進み進めて転ずるは易し、

:なれど、結に至ることは、さながら霞を掬うが如し。

:私はただ、何処かの彼方で、

:あなたの行く末を、願い、見届けると致しましょうか。

:道すがら、ころころと、

:石でもひとつ、拾いながら。


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