イチメイバイバイ

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:「金で命は買えない」

:と、しばしば人は口にしますが。

:例えば、医療費を払い、自身の健康を得ること。

:例えば、賃金を払い、従順な労働力を得ること。

:例えば、税金を払い、生きる権利そのものを得ることすら。

:観点を変えたならばそれらは、命を金で買う行為に近しい、

:或いは、等しい、とも言えてしまうのではないか。

:そんな事を、考えてしまう時があります。

:この世に生まれい出た瞬間から、

:あの世へ還り逝くまでの数十年の間に、

:どのような形であれ人は、

:何かを買い、何かを買われ、

:誰かを買い、誰かに買われ、

:そして、誰かに飼われながら、金と命の売買を繰り返す。

:これでは、この世はまるで、例えるならば、

:金で命を売り捌き、命を金で買い占める。

:生きた死神の、賭博場ではないか……と。

:……ああ、失敬。

:少しばかり、一人語りが過ぎました。

:何せ、久方振りのお客様ですからね。

:自覚無くとも幾分か、気分が高揚してしまっているようです。

:有限で貴重な時間を割いてしまい、申し訳ありません。

:さて。

:では、前口上は、この辺りに致しまして。

:こちらで、今回取り扱う契約について、ご説明させて頂きます。

:金で命が買えぬのならば、

:命を金に売り替える、となればどうか。

:それが、この契約を創るに至った着想でした。

:文字通り、その身を削ることで、莫大な財産を築けるとしたならば。

:差し引き無用の相場の上で、命を金へと、変換出来たのならば。

:その時こそ人は、

:然るべき些末な損失を引き換えに、得るべき巨万の利益を得て、

:受けるべき幸福を受けられるのではないか、……とね。

:……ああ、いえ。

:無論、命そのもの、というわけではありませんよ。

:いくら目も眩む程の富があろうと、それを使う為の命が無くては、意味がありませんから。

:契約上の取引において、小難しいことは何も御座いません。

:こちらの契約内容を端的に申し上げるのならば、

:「寿命を売り、金を得る」、この一言に尽きます。

:お客様には、任意の寿命を私へ差し出して頂き、

:私は、差し出して頂いた寿命分の金額をお支払いする。

:換算率は、1秒につき、10円。

:この換算率は、絶対に変更は致しません。

:よって、

:1分ならば、600円。

:1時間ならば、3万6000円。

:1日ならば、86万4000円。

:そして1年ならば、3億1536万円。

:10年、20年ともなれば、しめて……

:……まあ、わざわざ言わずとも、お分かり頂けることでしょう。

:無論、閏年も勘定に入りますので、単純計算通りとはいきません。

:平々凡々な人生であれば、1ヶ月せいぜい数十万円が関の山。

:失う時間が、言い換えれば、買われる命が、

:現在のものか、未来のものか。

:たかがその一点を置き換えるだけで、

:得られる金は、言葉通りの、桁違いになってしまうのです。

:それはもう、笑ってしまうほどに、あっさりと。

:……しかし、これが本来の命そのものの価値というもの。

:私は誠意を持って、それに相応しい額を、お支払いさせて頂くに過ぎません。

:どう生まれ、どう育ち、

:これまでどう生き、これからどう生きようが、

:この契約の上では、一切が意味を成しません。

:それらはあくまでも、命に付随する不純物。

:人の世においてそれらは、或いは死してもなお遺る、

:命の付加価値、とでも呼ぶものなのかも知れませんが。

:しかし、私にとってそれらは、一縷の値打も、一銭の価値も持ち得ないのです。

:よって、

:お客様がこれからいくら善行を積もうが、いくら悪行を重ねようが、詮無きこと。

:先に申し上げました通り、こちらが寿命に対してお支払いする額は、一切変動致しませんので、

:それは予め、御了承下さい。

:……契約内容についての説明は、以上になりますが、

:何か、ご質問は?

:……はい、どうぞ。

:……いいえ、それは出来ません。

:あくまでも、私の領分は、「寿命を頂くこと」ですので。

:寿命を頂いて、対価を支払うことは可能ですが、

:転じて、対価を頂いて、寿命を追加する……というのは、同じのようでその実、全く違います。

:ですので、仮に、こちらがお支払いした全額を、払い戻しされたとしても、

:一度こちらに渡ってしまった寿命は、お返しする事は不可能です。

:何処かで聞いた言葉を借りるなら、

:「金で命は、買うことは出来ません」から、ね。

:何卒、御容赦のほどを。

:宜しいですか?

:……では、現時刻をもって、契約完了と致します。

:今後、ご入用の際はいつでもお申し付け下さい。

:……ああ、ちなみに……

:此度の契約料として、既にお客様の「寿命半分」頂いておりますので、計画的なご利用を。

:それでは。

:……はい、どうされました?

:何か、不都合なことでも?

:聞いていない。

:ええ、そうでしょうね。

:私も、言っておりませんから。

:お客様に聞いた覚えが、ある筈がありません。

:何故、とは。

:……これはまた、なんとも酔狂なことをお聞きになる。

:まさか、こんな都合の良い、出来過ぎた話が、

:何の損も無しに成り立ち、罷り通るとお思いでしたか?

:浅はかなんだよ、考えが。

:そんなことだから、延々と騙されてきたのですよ、あなたは。

:親にも、兄弟にも、友人にも、恋人にも、伴侶にも。

:そして今、私すらにも、ね。

:あなたが軽率に縋ったものは不運にも、そして無様にも、

:藁でもなく、ましてや蜘蛛の糸でもなく。

:ただ私が気紛れに垂らした、一括りの首括りの縄でしかなかった、というわけです。

:ご心配無く。

:確かにお客様の寿命は半減しておりますが、交わした契約は、紛れも無いものですよ。

:残り幾許かの寿命を費やせば、

:これまであなたが無為に浪費してきた、空白の人生よりかは、

:多少なりとも、意義深い余生に成り得ることでしょう。

:……もっとも、そうする事でしか得られぬ意義に、

:価値を見出すことが出来るかと問われれば、甚だ、疑わしいところではありますがね。

:……ああ、もう一つ、大事なことを言い忘れておりました。

:契約解除をお望みの場合は、

:「残りの寿命全て」、にて承りますので、いつでも御相談下さい。

:すぐにお迎えにあがりますよ。

:では、良き人生を。


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