變人本舗【毀屋(こわしや)】

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(役表)

男♂

女♀

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女:199*年、**月**日。

  これは、私という一人の愚かな女の、贖罪と戒めの為の日記です。

  これを読んでいる貴方が、何処の何方であるかは存じませんが、

  もしも、ほんの一縷程度でも、貴方の好奇の眼が揺らいで頂けたのならば。

  どうか最後までこの日記を読み、その一言一句総てを、憶えていて下さい。

  ……そして、どうか。

  願わくば読了の暁には、この手紙の事も、この私の事も、

  そして、あの店の事も、その総てを。

  一言一句違わず、貴方の記憶から、その欠片に至るまで、忘れ去っていて下さい。

  せめてそうであったならば、きっと、私は……


男:あなたの思い出、毀します。


(間)


女:(M)

  その日は、まだ少し肌寒い夜風に木々が戦ぎ、鈍色に浮かぶ朧な月が、酷く眩しく感じていました。

  そんな夜に、私が訪れたその場所は、「毀屋」の名を掲げる、何とも変怪な店。

  「あなたの思い出、毀します」

  そんなような言葉が、店先には書かれていました。

  そんな文言を真に受けて……

  或いはその時、真偽はどうでも良かったのかも知れませんが、

  兎に角私は、杭のように重い足取りで、その店の中へと、足を踏み入れたのです。


男:……おや、いらっしゃいませ。


女:(M)

  其処は、店と呼ぶには余りにも簡素で、無気味な程に、がらんどうな空間でした。

  一言で言い表すならば、まるで……

  いいえ、正しくそのまま、拘置所の面会室そのもので。

  一つの大きな空間が、一枚の壁と、一枚の硝子によって隔てられただけの場所。

  ……そして、その向う側で、眼を閉じた男が一人、椅子に腰掛けていました。


男:……どうか、されましたか?


女:あ、……いえ、あの……

  此処は……


男:おや、表の看板を、御覧になって来られたのでは?


女:……いえ、それは、そうなんですけど……その……


男:ああ、いまいち言葉の意味が、趣旨が汲み取れない……と。

  そんなところですか。


女:ええ……まあ。


男:なに、言う程に複雑な話ではありませんよ。

  寧ろ、これ以上無い程に至極、単純明快です。

  私は、御客様の思い出の品を預かり、それをこの場で毀す。

  それだけです。

  ……ほら、こう言ってしまえば、判り易いでしょう?


女:はあ。

  ……あの、毀す……というのは、どうやって?


男:それはもう、思い切り振り上げて、思い切り振り落して、ですよ。

  道具は一切、使用致しません。

  御客様の希望があれば使いますが、正直私は、あまり気乗りしませんね。


女:貴方自身が、直接やる……という事ですか。


男:ええ。

  ですので、私がそう出来るくらいの重さの物でないと、承れません。

  まあ、限界で……そうですね、大凡、16ポンドのボウリング玉くらいまでですか。

  ……ああ勿論、毀れる素材の物でないといけませんよ。

  物の例えを鵜呑みにされて、本当にボウリング玉を持って来られても、

  流石に私の力では、ほぼ不可能ですから。


女:そう、ですか。


男:それで、貴女は本日は、そういった物はお持ちですか?


女:……ええ。

  これ、なんですけど……出来ますか。


男:ああ、

  ……ええと、すみません、言い忘れてました。

  私、この通り盲目なものでして。

  そこに、機械が置いてありますでしょう。

  すみませんが、そちらで入力をお願い出来ますか。

  それがそのまま、こちら側の機械から、点字で出力されますので。


女:……分かりました。

 

(間)


女:……あの。


男:はい?


女:訊いても、良いでしょうか。


男:何をです?


女:何故、このような商売を?


男:ああ……

  商売、という程の物でもありませんがね。

  昔から好きだったんですよ、物を毀すのが。

  それも、人工物……

  要は、人が作った物を毀すのが、兎に角、止められなくて。


女:……悪趣味、ですね。


男:ええ、皆様そう仰られます。

  ですがそれは、誰しもが少なからず持っている感覚じゃあないか、と思うんですよ。

  他人がとても大切にしている何かを、自分の手で毀してしまった時。

  言ってみれば、そのものの命を奪ってしまうという行為。

  当然、初めは戸惑うでしょう。

  焦燥や不安に駆られ、体裁を少しでも悪くしない為にあれこれ模索し、

  噓八百を並べ立てる、与太郎に成り果てる事すらも厭わない。

  その数瞬が、言葉という矛と盾を得てしまった人間が、最も醜悪な本性を見せる、

  そのほんの刹那が、堪らなく好きで。

  ……貴女とて、これまでの一生涯の内の幾許かに、そんな事が有った経験はおありでしょう?


女:……否定は、しません。


男:そう。

  そして、そんな些細な瀬戸際に陥っている中で、私のような、變人の頭角が出てしまうんですよ。

  その溢れ出さんばかりの危機感に入り混じる、甘い「背徳感」という名の、一雫の毒。

  毀してしまったという実問題よりも、他ならぬ己自身の手が、

  大切な命を毀したという、言い得ぬ毒の味に溺れる者の、ね。

  それに酔い痴れ、その甘美に魅入られた虚者は、軈ては毒を啜りたいが為に、その身を棘へと投げ捨てる。

  そして、その行為ですらもまた、自らを狂わせる、美酒としてしまうんです。


女:………………


男:……なに、きっかけなんて本当に、眇眇たる物なんですよ。

  何も、根っからの狂人が、成るべくして私という變人へと成り果てていった訳ではないんです。

  私とて元はきっと、世間様が仰られるところの、一般人の端くれだったんですから。

  歯車がほんの少しずれていたなら或いは、今この空間に於いて、

  私と貴女の立場は、逆であった可能性すら有る。

  私という存在も、この毀屋という存在も、何ら不思議でも不自然でも、

  況してや異常でなど、有る筈も無い。

  私がやらずとも、何処かの誰かたる別の私が、きっと同じ事を考え、実行し倦ねている。

  それを先に実行していたのが、偶々今此処に居る私だった……というだけの話。

  ……そういう人間で、そういう場所なんですよ。

  この私も、この店も、ね。


女:(M)

  私は、相槌こそ返していたものの、この男が何を言っているのか、全く理解出来ませんでした。

  ……いいえ。

  理解出来ない……と言うよりも、理解してはいけない、

  或いは、理解したくない、と表現した方が、正しいのかも知れません。

  この男の言う事を、欠片でも理解してしまったら、私は、私でいられなくなるような気がしてならない。

  そんな、言い表し難い強迫にも似た感情に、脳内を抉り回されている気分でした。

  ……だから、そんな詭弁にすら成り得ない事を言い訳に、この時の私は。

  男が盲目であるのを良い事に、名前、連絡先、毀して欲しい物、その他諸々……

  その総ての必要事項を、何一つ、古びた機械へと入力しないまま、男へ依頼をしてしまったのです。

  ……ですが、それに対しても彼は、不平も不満も漏らす事無く、

  白紙の点字用紙を手に、ゆっくりと椅子から立ち上がりました。


男:どうかされましたか?


女:……いえ……あの……


男:大丈夫ですよ。

  貴女のような御客様とて、初めてではありませんから。


女:え?


男:存外、この毀屋という偏屈な商売擬きでも、需要と供給という物が成り立っていましてね。

  例えば、過去の自分が、嘗て宝物と呼んでいた我楽多、

  例えば、恋人や夫、或いは妻と呼んでいた者から受け取った屑物。

  そういう、所謂捨てるに捨てられない物、毀すに毀せない物を手に、

  此処を訪れるまともな御客様も、勿論いらっしゃいます。

  自分自身の手を汚さず、赤の他人に毀されてしまったという体裁を得られれば、

  ある意味では、後腐れもありませんでしょうからね。

  ……ですが、光があれば影があるように、表が有るなら当然、裏も生まれるのが必定。

  そういった御客様というのは大抵、何も語らず、何も訊かずにただ毀してくれ、としか仰いません。


女:……それは……


男:ええ、分かりますよ。

  そうする事によって、何かしらの片棒を担がされている可能性も、大いに有るでしょう。

  ……ですが、先程も申し上げましたように、私にとってはそんな事、どうだって良いんですよ。

  私はただ、毀す事が出来れば良いんです。

  それが何であれ、ね。

  そこに付随し得る総ては不純物ですから、私にとっても、御客様にとっても、大層都合が良いんです。


女:……變人、ですね。


男:ええ、紛れも無く存分に、ね。

  ……さて、ではそろそろ、始めるとしましょうか。

  毀すのはこちらの部屋でやりますので、御覧になりたければ、御自由に。


女:(M)

  そう言うと男は、小さな窓の奥から、「品物」を受け取りました。

  改めて、男が居る部屋をよく見てみると、

  床も壁も天井も、木の板ではなく、薄汚れた鉄の板で囲まれていました。

  窓も扉も灯りも無く、只々無機質という言葉を具現化したかのような、その格子の無い檻の中で、

  この男は、只々物を毀したいが為だけに、来るかも知れない客を、待ち続けているのか。

  ……そう考えたこの時、初めて私は、この變人なる男に対して、純然たる恐怖を禁じ得ませんでした。

  ……そして。


男:では、いきますよ。


女:……はい。

  お願いします。


女:(M)

  ……呆気無いまでの、一瞬でした。

  遠慮や躊躇、容赦という概念を、一切持ち得ない程の男の一投によって、

  数分前まで私の手の中にあった「品物」は、鈍く厭な音を響かせて、一目瞭然、あっさりと毀れました。

  ……毀れたそれが、私の手に返却されるまでの間、私はどんな表情をしていたのか、

  それだけが、どうしても思い出せません。


男:はい、有難う御座いました。


女:……ええ……こちらこそ。

  それで……あの、お代は……


男:いえ、結構ですよ。


女:え?


男:お代は、孰れ貴女が気が向いた時に、まだ覚えていたのなら、改めて御越し頂いた際に頂戴します。

  その時まではどうぞ、ゆっくり心の整理をなさって下さい。

  きっとそれは、貴女にとっては、少なくとも大切だった時があったであろう代物でしょうから。


女:……え、……あ……はい。


男:ああ、それと、もう一つ。


女:はい?


男:此処を出た後は、決して振り返らず、また、此処についての一切を、他人に口外しないで下さい。

  それが、この毀屋を御利用頂いた御客様に守って頂く、唯一の規則です。


女:……ええ……分かりました。


男:もしも、これを守って頂けなかった場合は……

  ……いえ、止めておきましょう。

  此処で敢えて語らずとも、その時になれば分かる事です。


女:どういう……意味でしょうか?


男:お気になさらず。

  ……では、またの御利用、お待ちしております。


女:……さようなら。


(間)


女:……そして、ごめんなさい。


男:以上、199*年**月**日、****沖の海岸にて発見された、空き瓶に入っていた手記より。

  この手記は発見当初から、密閉された瓶の中にあったにも拘わらず、全体が著しく劣化、破損しており、

  冒頭の数行と最終行のみが辛うじて読解出来たが、

  「あの店」たる物について言及していたであろう中盤部分は、

  一切が、まるで持ち去られたかのように消失しており、現在まで行方が分かっていない。

  尚、これを記したとされる女性の遺体も、同じく****沖にて発見されたが、

  解剖の結果、手術の痕が確認されている。

  事件、事故、自殺全ての可能性が否定出来ない為、引き続き要調査。


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