純黄色(すみきいろ)のデイジー

(本作品についての注意事項)

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(登場人物)

・しいな:♀

本名、竜園寺 秕(りゅうえんじ しいな)。

先天性白皮症を患う、盲目の少女。


・壬生間(みぶま):不問

本名、無し。

名高い画家の息子で、言動が幼い。


・医師:♂

上2人の主治医兼、病院長。


・看護師:♀


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

(役表)

しいな:

壬生間:

医師:

看護師:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


しいな:(M)

    アルビノ。

    先天性白皮症、色素欠乏症とも呼ばれる遺伝子疾患。

    そんなものを持って生まれた私は、生まれながらに、忌み子と呼ばれていた。

    最低限の衣服、最低限の食事、最低限の生活。

    保証されはしていたものの、私のそれらが、

    何番目の兄弟に与えられているものよりも、劣っているのは明らかだった。

    私を庇い立てしようとした使用人が首を切られた、という話も、嘲笑混じりに聞かされた。

    何度も、何度も、何度も。

    ……腫れるほど殴られた方がマシだった。

    爛れるほど、焼かれた方がマシだった。

    望まれるべくして生まれい出た筈の場所は、言葉無くして私の総てを否定し、拒んだ。

    私を着かせた父でさえ、私を孕んだ母でさえ。

    こんな事ならいっそ、死んでしまえと言われた方が、マシだった。

    ……こんな事なら、いっそ。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


医師:失礼するよ。


しいな:……おはようございます。


医師:うん、おはよう。

   体調は、変わり無いかい?


しいな:はい。


医師:そうか。


しいな:……あの。


医師:うん?


しいな:父は、なんと?


医師:……一応、定期的に連絡を試みるんだがね。

   先日、とうとう着信拒否をされてしまった。

   今度、直接訪問もする予定だが……厳しいだろうね。


しいな:……そうですか。

    どう転んでも、私を認めないつもりなんですね、あの人は。


医師:………………


しいな:……ごめんなさい、先生のせいじゃないんですから。

    あまり、気に病まないで下さい。


医師:しかし……


しいな:私は、大丈夫ですから。


医師:……そうは言うが、君は……


壬生間:きれい……


しいな:……え?


医師:ん?


壬生間:……あれ、ここ、違う?


医師:君は……


看護師:あー!

    いたいた、こんな所に!

    もう、一人でさっさと行っちゃうんだから!

    君の部屋は此処じゃないって!


壬生間:ごめんなさい……でも、


看護師:でもも何もありません、全くもう……

    あっ、すみません、先生。

    騒がしくしてしまって……


医師:全くだ。

   今回は良かったが、以後気を付けたまえ。


看護師:はい……失礼しました。

    ……ほら、戻りますよ。


壬生間:あ……はい。


医師:慌ただしい事だ。

   どうもすまないね。


しいな:あ、いえ……私は別に。

    それより、今のは……?


医師:………………


しいな:先生?


医師:……なに、別の部屋の患者の子だよ。

   大方、迷ってたまたま、此処が自分の部屋だと思ったんだろうさ。

   この病院は、国全体で見ても、広さは随一だからね。

   割とよくいるんだ、中で迷子になる人が。

   年齢問わずね。


しいな:……そう、ですか。


医師:うん。

   気にするような事ではないよ、しいな君。


しいな:はい……

    ……あの。


医師:ん?


しいな:……名前で呼ぶの……やめて頂けませんか。


医師:ああ、すまない。

   流石に、主治医とはいえ、馴れ馴れし過ぎたかな。


しいな:いえ、そういう訳ではないんです。

    先生には、長くお世話になってますし。


医師:それなら、何故?


しいな:……嫌いなんです、私。

    自分の名前が。


医師:……そうか、気を付けよう。

   ゆっくり話もしたいが、回診が残ってるのでね。

   また来るよ。


しいな:……はい。


しいな:(M)

    ……そう。

    物心付いた頃から、ずっと嫌いだった。

    竜園寺の姓の下、私に打ち込まれた、秕(しいな)という楔。

    私自身を表すそれが、私自身を苛み、どんな嘲罵よりも、私自身を否定する皮肉。

    生まれた事への戒めと言うのなら、これ以上の物は無い。

    生まれながらに与えられた、この呪いにも似た責木のせいで、私は……

    ………………

    ……ああ、でも、そういえば……さっき。


しいな:綺麗……か。


しいな:(M)

    不意に一雫投げ込まれた水面が、浅く広く、波紋を拡げるように。

    静かに、けれど確かに聞こえた、知らぬ聲。

    「綺麗」。

    そんな言葉を聞いたのは、いつ以来だったかな……


壬生間:あ、やっぱり、ここだ。


しいな:……え?


壬生間:さっき見た、きれいな人。

    よかった、見間違いじゃなかったんだ。

    もう見付けられないかとおもった。


しいな:その声……さっきの?


壬生間:うん、そう。

    ぼくはさっきも、ここに来たよ。

    変わった名前がかいてあったから、すぐわかったんだ。


しいな:………………


壬生間:見えて、ないの?


しいな:何が?


壬生間:その声、って言ってたから。


しいな:……うん、見えてない。

    そういう体なの、生まれつきね。

    この、白い見た目もそう。


壬生間:そっか……

    じゃあ、ぼくと同じだ。


しいな:同じ?


壬生間:そう、同じ。

    ぼくもうまれつき、病気なんだ。

    あんまりくわしく、教えられてないけど。


しいな:……じゃあ、自分の部屋に戻った方が良いんじゃない?


壬生間:どうして?


しいな:どうして、って……


壬生間:せっかくまた会えたんだ、話をしようよ。

    どうせ、おこられるのは、変わらないんだから。


しいな:……変わった人ね。


壬生間:そう?

    よく言われるけど、わからないな。

    ぼくからすれば、ぼくはふつうだ。


しいな:……そう。

    分かったわ、少しだけね。


壬生間:うん。


しいな:(M)

    変わった人。

    ……変わった子、だった。

    訊けばどうやら、私よりも歳下らしい。

    らしい、というのは、物心付いた時には既に、この病院に預けられていたから、なんだとか。

    だから、自分の年齢すら、曖昧になってしまっているそうだ。

    ……私と、同じように。

    話を続ける程に、言葉を重ねる程に接ぎ合う私達の境遇は、

    まるで、盲目の神様が気侭に結ったように、

    ちぐはぐで、けれど、解れながらも、歪に絡み合う。

    そんな、悪戯めいた嘲笑を孕んでいるかのように、鏡合った部分が多かった。

 

しいな:画家?


壬生間:そう。

    母さんも父さんも、すごく有名な画家なんだ。

    だから、ぼくも立派な画家じゃないといけないんだって。

    絵を描けないやつは、家にはいらない、って。

    そう言われて、ずっとここにいる。


しいな:……あなたは、絵を、描けないの?


壬生間:描けるよ。

    今まで何枚も描いてきた。

    ひゃく枚だって、2ひゃく枚だって描いてきた。

    ……でも、ダメなんだってさ。

    ぜんぶ、ぜんぶダメだって言われて、捨てられてきた。


しいな:どうして?


壬生間:ぼくが描く絵は、ぼくにしかわからないんだって。

    なにかもわからないような物は、絵とは認めないんだって。

    母さんが観たい絵と、父さんが描かせたい絵と、ぼくが描きたい絵が、

    いつまでたっても、バラバラなんだ。

    だから、いつまでたっても、認めてもらえないんだって。


しいな:……でも、あなたには、描きたい物があるんでしょう?


壬生間:え?

    ……うん、あるよ。

    たくさんある。


しいな:だったら、今のままで在るべきだわ、あなたは。

    誰かの傀儡であり続ける鈍色の人生なんてきっと、息も心も詰まるほど、つまらない物だから。

    ……もしかしたら、あなたにとっては此処にいる事が、

    これまでよりも、倖せな事なのかもね。


壬生間:かいらい……って、何?


しいな:……羨ましいな、って話。

    あんまり気にしないで。


壬生間:そう?

    変なの。

    ……あ、そうだ。


しいな:なに?


壬生間:名前、きいてなかった。

    書いてあったけど、ぼく、読めなかったから。


しいな:ああ……

    ……しいな、よ。

    竜園寺しいな。


壬生間:りゅうえんじ?

    竜園寺って、あの?


しいな:知ってるのね。

    そうよ、その竜園寺。

    竜園寺財閥の、一人娘……だったの。

    少なくとも、母の胎内にいる間は。


壬生間:?

    どういうこと?

    竜園寺さんのこどもはこの間、大学をいちばんで卒業したってきいたよ。


しいな:ええ、らしいわね。


壬生間:卒業してからすぐ、ここに入院してるの?


しいな:……あんまり、詮索しないで。

    まだ仲も浅いあなたに、話すような内容じゃないの。

    あなたにだって、人に話したくない事はあるでしょ?


壬生間:……そっか……ごめん。


しいな:ううん、良いの。

    ……それより、


壬生間:ん?


しいな:あなたの、名前は?


壬生間:ああ、えっと、そっか。

    ぼくはね、


医師:壬生間くん。


しいな:え?


壬生間:あ、みつかっちゃった。


看護師:見付かっちゃった、じゃありません、全く。

    お願いだから、回診の時間中くらい、大人しくしてて。


医師:私から言わせれば、彼の性分を知りながら、

   度々目を離す君にも、多少の問題はあると思うがね。


看護師:う、それを言われると……

    ……すみません。


医師:まあ、良いさ。

   気兼ねなく、とまではいかなくとも、互いに話し相手も出来たようだし。

   気分転換になるなら、それに越した事は無い。


看護師:……それもそうですね。


医師:さ、戻るよ、壬生間くん。

   名残惜しいだろうが、彼女とのお話は、また今度だ。


壬生間:えー……残念。


看護師:ほんとごめんなさいね、し……じゃない、竜園寺さん。

    調子狂っちゃうでしょ。


しいな:いえ、そんなことは……


看護師:それなら良いんだけどね。

    見ての通り、あの子は桁外れの気分屋だから、入院当初から手を焼いてるのよ。

    悪い子じゃないんだけどね。


しいな:そうですか……

    ……あの。


看護師:ん?


しいな:あの子、下の名前はなんて?


看護師:……ああ……えっとね……


しいな:はい?


看護師:……無いのよ。

    あの子の、名前。


しいな:……え。


看護師:あんまり、本人のいない所で、話すような事じゃないんだけど。

    その……産まれた時から、ちょっと他の人とは違っててね。

    ご両親には、生きていく上では支障は無い、って言ったんだけど、

    こんな子どもを、実の子息だって認めたくない、って、頑として譲らなくて。

    ……結局、出生届すら、今の今まで、出されないままよ。


しいな:その事、本人は……?


看護師:……言える、と思う?


しいな:……いえ……


看護師:まあ……言ったとしても、理解出来るかどうかは、分からないけどね。

    もしかしたら、こういう言い方はなんだけど、

    今はまだ、知らない方が彼は、倖せなのかも知れないし。


しいな:………………


看護師:……ごめんなさい。

    あんまり、気分の良い話ではなかったわよね。

    ……けど、院内であの子と関わりたがる人、あんまりいないから、

    私が言えた立場じゃないかもしれないけど……

    仲良く、してあげて。


しいな:……はい……

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


医師:全く、相変わらずながら、君の遊浪癖には困ったものだな。


壬生間:ゆうろう?


医師:あまり許可無く歩き回らないでくれ、という話だよ。

   何せ、この広さだ。

   自由気ままに動き回られては、探し出すのも一苦労だからね。


壬生間:ごめんなさーい。


医師:……それと、これも何度となく言っている事だが、

   絵を描くのは、紙の上だけにしてくれないか。

   ただでさえ、君が使っているのはアクリル絵具だから、後で消すのが骨なんだ。


壬生間:消しちゃうの?


医師:……まあ、君が此処にいるうちは、病室も変わらないから残しておくがね。

   ほどほどに頼むよ。

   紙や絵具が足りないのであれば、可能な限り、こちらで都合を付けよう。


壬生間:そっかあ、ありがとう。

    じゃあ、先生にはこれ、あげるね。


医師:……これは、また新作かい?


壬生間:うん、きのう描き上げたばっかりのやつ。

    けっこう自信作なんだぁ、それ。


医師:はは、そうか。

   君がそう言うなら、有難く頂戴しよう。

   大事に飾らせてもらうよ。


壬生間:うん。


医師:ちなみにこれは、タイトルは、何か付けてあるのかい?


壬生間:うーん……

    花の名前にしようと思ってたんだけど、わすれちゃった。


医師:……ほう。

   花を描いたんだね、これは。


壬生間:そう、練習。


医師:成程、よく描けている。

   ……では、私は戻るよ。

   しつこいようだが、くれぐれも、勝手に出歩かないでくれよ。

   せっかく特別に、内線まで取り付けたんだから、外出したい時は使ってくれ。


壬生間:はーい。


医師:では、また。

   ……ふう。


看護師:……あ、先生。


医師:おや、君も今戻りかね。


看護師:ええ、まあ。


医師:……ん?

   水彩絵の具を買ってきたのか?


看護師:え?

    あ、はい。

    といっても、同じ色ばかりですけど、彼が、欲しいと言っていたので。

    まずかったですか?


医師:そうか。

   ……いや、忘れてくれ。

   なんでもない。


看護師:はあ。

    ……あの、その絵は、また?


医師:ああ。

   本人曰く、自信作だそうだよ。

   毎度の事ながら、咄嗟に見せられると、コメントに困ってしまうな。


看護師:そうですね……

   言い方は悪いですけど、何か描いてあると言うより、乱雑に塗り潰してあるだけですもんね。

   因みに、それは、何が描いてあるんですか?


医師:花、だそうだ。


看護師:花……

    また、珍しい物を。


医師:天才の感性は、凡人には理解出来んという事だろう。

   ……彼がそうであるかも、また分からないがね。


看護師:……そうですね。


医師:それで、どうだ?


看護師:はい?


医師:壬生間くんの、例のあれは。


看護師:……ああ……

    それが、ですね……


壬生間:……っ……

    ……また、周期……か。

    薬ももう、効かなくなってきてるのか……?


医師:……そんな、馬鹿な。


看護師:私も、最初はそう思いました。

    ……でも、現実として、数値に現れてるんです。


医師:それでは、彼は……


看護師:ええ……

    彼は、長くとも……


壬生間:……いや、まだだ。

    まだ、僕は生きなきゃいけない。

    せめて、もう少し……!

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


しいな:……で、ここをこう、さっきみたいに中割り折りにするの。

    あとは、羽を開いたら、完成。


壬生間:えーと、こう……?

    これで、ツル?


しいな:そう、鶴。


壬生間:へえー。

    よく見ずに折れるね。

    ぼくのより、きれいに折れてる。


しいな:まあ……暇を潰す時間には、事欠かないから。

    何回も折ってるうちに、自然と……ね。


壬生間:ふーん。

    ……あ、そうだ。


しいな:ん?


壬生間:それ、もらっていい?


しいな:それ……って、私が今折った、これ?


壬生間:そう。


しいな:ええ、良いけど……

    どうするの?


壬生間:ありがとう。

    んー、ちょっとね。


しいな:変なの。


壬生間:ぼくはふつうだよ。


しいな:ふふっ……

    そういう意味で言ったんじゃないわよ。


壬生間:……あ。


しいな:え?


壬生間:わらった顔、はじめて見た。


しいな:……笑って、なかった?


壬生間:うん、一度も。


しいな:そっか。

    笑ってたつもり、……だったんだけどな。

    今までも、そうだったって事なのかな。


壬生間:じゃあこれから、わらって生きていけばいいよ。

    やっぱり、わらってた方が、何倍もきれいだ。


しいな:……それは、口説いてるの?


壬生間:くどいてる……?

    って、なに?


しいな:なんでもない。

    ……そうね。

    そうしてた方が楽しい……かもね。

    努力、してみるわ。


壬生間:うん。

    それでね、ツルのお返しにこれ、あげる。

    はい。


しいな:……ん、何、これ?

    消しゴム……かな?


壬生間:そう。

    まほうの消しゴム。


しいな:魔法?


壬生間:まほうみたいに、よく消えるんだ。

    ぼくのお気に入り。


しいな:へえ、それは凄いわね。

    ありがとう、大事にするわ。


壬生間:うん。

    …………っ。


しいな:……どうしたの?


壬生間:……いや、何でもない。

    ……じゃあ、僕そろそろ眠いから、自分の部屋に戻るね。

    また、来るよ。


しいな:え?

    ……ああ、うん。

    おやすみ。


壬生間:おやすみ。


しいな:……今、あの子、何か……?


壬生間:……ああ、もう……!

    あの人の前でくらいって……!

    ……やっぱり、急がなきゃ、駄目か……


医師:壬生間くん。


壬生間:……!

    先生……


医師:今、良いかな?


壬生間:……何の、用ですか。


医師:ああ……今は、君の方か。

   いや、まあどちらでも良いか。

   少しばかり、話があるんだが。


壬生間:……それは、両親の話ですか。

    それとも……

    僕の、余命の話ですか。


医師:っ!?

   ……何故……それを。


壬生間:図星なんですね。

    自分の事なんですから薄々、自覚はしてますよ。

    最近、入れ替わりが激しいから。

    言ってなかったですが、処方してもらってる薬も、段々効力が弱くなってます。


医師:……それも、そうか。


壬生間:先生は、いつまで続けるつもりなんですか。

    今の、この有様を。


医師:………………


壬生間:………………


医師:いつまでも、とはいくまい。

   君は兎も角として、彼女も……

   そして、きみも。

   いずれは、気付いてしまうことだ。

   ……しかし……


壬生間:その時を迎えてしまうのが、怖い……と?


医師:……そうだ。

   情けない話だが、その通りだ。

   ……私が……私達がしている事が、到底許される事ではない事は、

   誰よりも、私が重々承知している……つもりだ。

   事が明るみになることによって、私達の今の地位が、脅かされるのは構わない。

   寧ろそれは、然るべき応報……

   受けるべき、裁きだろうさ。

   ……だが、それは同時に、

   君達を、落ちる必要の無い更なる失意へと落とす、引鉄にも成りかねないんだ。

   自身の破滅など、今更微塵も怖くはないとも。

   ……私が今、最も怖いのは、その先にある、形容すら出来ず、計りも知れないものだ。


壬生間:……そんな物、所詮……

    大人の勝手な都合……ですよ、先生。


医師:……ああ、分かっている。

   君に言われるまでもなく、分かっているが……


壬生間:………………


医師:………………


壬生間:……分かりました。


医師:何がだい?


壬生間:1ヶ月後……です。

    先生が、貴方が何をしなくとも……

    ……僕は、僕でいるうちに、僕がやるべき事をします。

    その時は、全員の前で、……話すべき事を、話します。

    ……ぼくと、先生と、看護師さんと……

    そして、あの人にも。


医師:あの人……とは、しいな君の事か。


壬生間:そうです。


医師:……分かった。

   医師としては失格な言い分だが、君の覚悟の邪魔はすまい。

   私もそのつもりで、1ヶ月後……

   私のするべき事を、しよう。


壬生間:……はい。


医師:……疲れているのだろう、引き止めてしまって悪かった。

   今夜は、ゆっくり休みなさい。


壬生間:ええ……

    おやすみ、なさい。


医師:ああ、おやすみ。

   ……さて、と。

   どの辺りから、聴いていたかね。


看護師:……あ……気付かれてました?

    いや、盗み聴きするつもりはなかったんですけど、その、

    出るに出られない雰囲気だったというか……


医師:はぐらかさなくとも良い。

   元より、いつかは君にも、話すべきだった事だ。


看護師:……はあ……

    あの、壬生間くんは……

    さっきの彼の様子は、一体……?


医師:……ああ、そうだな。

   今話さずとも……と思ったが、少しだけ、教えておくよ。

   彼、壬生間くんという人物が、何故この病院に居続けているのか。

   そしてそもそも、彼は……

   いや、厳密には彼らは、か。

   どうして今、こうなってしまったのかを……ね。


看護師:は、はい……?

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


しいな:(M)

    ……1ヶ月後。

    私は唐突に、彼……壬生間くんの病室へ、呼び出された。

    普段は彼から来ていたのに、こんな事は、今まで無かった。

    ……けれど、妙な兆候は……あった。

    時折、無垢で無邪気な筈の彼の雰囲気が、数瞬の沈黙の後、変貌する事があったのだ。

    一度や二度では、ない。

    日を追う毎に、確実に……

    そして、より高頻度で、それは起こっていた。

    彼は何とか、誤魔化そうとしていたけれど……

    ……滲み出る別の「何か」は、到底、出来合いの嘘では、覆えてはいなかった。

    そんな、得も言われぬ不可解さを孕んだ、彼の口から息吹いた言葉は、

    ……「全てを、話す」。

    何も知らず、何も言い得ぬ私に出来た事は、

    ただ約束の日に、車椅子に揺られながら、彼の元を訪れる事だけ。

    ……呼吸音すらもが谺するかのような沈黙の中から、

    軈て、それを静かに打消し、揺蕩った言葉の主は、

    ……やっぱり。

    そして、とうに。

    私の知る彼では、なくなっていた。


壬生間:無脳症。

    先生方には、今更言う事でもないですが、竜園寺さん……

    いや……この際、しいなさんと呼びます。

    僕は、産まれた時から、この病に罹っていた。

    ……正確には、産まれる前から、そうである事は分かっていたんだ。

    治る治らない、生きる死ぬ等は関係無く、ただ、人とは違う、異形とも言えるこの姿……

    これだけで、両親が僕を拒絶するには、十二分たる理由に成り得た。


しいな:無脳症……って?


医師:大脳や小脳の一部、若しくはその全てが先天的に欠損、変形している症状の事だよ。

   ……言うまでもなく、脳は人体において、極めて重要な部位だ。

   それを失った状態で、生きて産まれてくる事自体が、奇跡に近い。

   仮にそんな奇跡が起きたとしても、まず間違い無く、一年と待たずに死んでしまう。

   ……だが、壬生間くんは……


看護師:奇跡以上の確率を乗り越えて、今まで生き長らえてるのよ。

    ……人工の、脳を移植して。


しいな:人工の、脳……


壬生間:そう。

    ……不適切な物言いだけど、しいなさんが盲目で良かった。

    そうでなければ、こんな僕の姿は……

    一瞥もすれば、両親と同じように、撥無して、それで終わりだっただろうから。

    ……でも、ここで、通常の倫理観を持つ人間なら、疑問が2つほど浮かぶ筈。

    「何故、そんな代物を、病院が所持しているのか」。

    そして、


しいな:……何故それが、壬生間くんに適合したのか……?


壬生間:……そういう事。

    ただ、それを語る上で、明かしておかなきゃならない事がある。

    ……先生。


医師:ああ……分かっている。

   (深呼吸の後、咳払い)

   ……知っての通り、この病院は、今や名実共に、国内最大級の医療機関だ。

   医療サービスの提供は勿論、最新技術の研究と開発も、同時に行っている。

   ……だが、それだけで、ここまで大きくなれた訳では無いんだ。

   私は元々、決して大きな声では語れない内容の研究を、長年続けていた。

   しかし、表沙汰に出来ない研究である以上、個人で続けるには限界がある。

   遅かれ早かれ、資金難に陥るのは当然の成り行きだった。

   ……首も回らぬ頃合い、研究を白紙に戻そうと考えた、その時だったんだ。

   その研究に、興味と賞賛の意を示し、莫大な支援金を出すと。

   そう申し出た、パトロンが現れたのは。


看護師:それが、今尚経済の中心を牛耳っている、竜園寺財閥のトップ。

    つまり、しいなさんのお父様。

    そして、同じく、今や画壇そのものを我が物としつつある、壬生間画伯。

    ……つまり、壬生間くんのお父様ね。


しいな:お父さん……が?


医師:そうだ。


しいな:……その、研究って、何なんですか。

    表沙汰に出来ない、人に言えないって、どんな……


医師:2つある。

   1つは、さっきも言った、人体移植用の、人工の脳髄。

   試作型な上に、まだ彼が使っている一基しか、この世には存在しないがね。

   ……元々数年と持つ筈の無かった命とはいえ、彼を……生きた一人の人間を、実験台にした。

   私の拭えぬ罪の証、その一片だ。

   ……そして、もう1つが……


壬生間:デザイナーベイビー。

    世間では、そう呼称されてる。


しいな:デザイナー、ベイビー……

    って、受精卵の遺伝子を操作して、親が望む通りの子どもを創るっていう、あの?


看護師:そう、まさにそれね。

    私も正直、初めて聞いた時は、耳を疑ったわ。

    そんなの、空想上の世界でしか、有り得ないんじゃないかって。

    ……そもそも、倫理に反してるもの。

    親が子を、都合の良いように創り替えるなんて。


医師:ああ、君の言う通りだ。

   今となっては、言い訳にもなりはしないが、あくまでも最初は、思考実験でしかなかったんだ。

   技術の進歩次第で、理論上は可能だとしても、それは、超えてはならない一線だと。

   そう弁えていた、筈だったんだ。

   しかし、嘗ての私は、彼らの囁きと、自らの内で蠢く、醜く強い探求心に、耳を傾けてしまった。

   ……そして、それに対する戒めであるかの如く、

   道理を外れた謀は、全て、悉く。

   消えない水泡を生み出したんだ。


壬生間:その結果、まず産まれたのが、ぼくだ。

    人より優れた頭脳と、人より優れた画才。

    壬生間画伯が、何より強く望んだのは、その2つ。

    ……でも、そのどちらとも、得られなかった。

    富を得、世の権を得て、命の価値を定める天賦すらを得たと舞い上がり、

    行き過ぎた能力を求めた果てに産まれたモノは、

    ただの、ゼロ。

    人よりも到底脆い、嘲笑の具現化としての、ぼく。

    ……これを、皮肉と言わずして、何と言うんだか。


しいな:……待って。

    ちょっと……待ってよ……

    でも、それじゃあ、お父さんも、って……

    そうだとするなら、私は……

    ……まさか……私、も?


医師:残念だが、君の考えている通りだよ、

   ……しいな君。


看護師:先生……!


医師:いずれは自ずと、知ってしまう事だ……!


看護師:……でも……


医師:……竜園寺氏が望んだ物は、3つ。

   壬生間氏と同じく、人より優れた頭脳と、

   人よりも優れた美貌……

   そして、寿命だ。


しいな:……美貌と、寿命……


壬生間:僕が言うのも変な話ですが、しいなさんは僕と比べれば、成功に近いんだ。

    頭脳がどうなのか、寿命がどうなのかなんて、知る由も無い。

    でも……

    少なくとも、僕も、そしてぼくも。

    その浮世離れした、残酷な程に白い綺麗さに、一目で惹かれてしまったから。

    決して倖せな生き方ではなかったのは、今までしいなさんと話してきたから、よく分かってる。

    それでも、敢えて感じたままの言い方をするなら、

    ……ただ純粋に、羨ましかった。

    嘗て貴女が、ぼくに対して言ったのと、同じように。


しいな:……それじゃあ、あなたは……

    ううん、違う。

    貴方は、……一体、誰なの?

    貴方は、私が知ってるあなたとは、あまりにも……

    同じ声で、……勿論、同じ姿なんだろうけど。

    あんまりにも、違うわ。


壬生間:僕は、……頭脳だよ。

    さっき言ってただろ。

    もう一つの、先生の研究を。


しいな:人工の、頭脳?

    ……それに宿っていた、人格……だとでも言うの?


壬生間:そう。

    と言っても、僕が僕として出来てしまうのは、あくまでも、ただの偶然だったけどね。

    ぼくが生まれ持てなかった脳を、人の手で無理矢理に補い、

    微かに生き長らえる事を許されたのを引き換えに創られてしまった、仮初の命。

    命の冒涜者達を貶め、嘲笑う為だけに産まれてしまった、似非物の命。

    或いは罪の具現化、

    或いは、業の副産物だ。

    ぼくと、僕と、そして、しいなさんの存在そのものが、

    僕達という存在が在る限り、彼らは意志無き責め苦に、嗚咽を漏らし続けなければならなかった。

    到底公になど出来る筈も無い、醜い欲望を、その腕に抱き続けながら。

    そうしなければならず、そうするべきだったんだ。

    ……だけど、そんな事すらも拒んだ彼らは、その眼と耳を塞ぐ事を選んだ。

    親という最後の楔すらも、莫大な財産と引き換えにして。

    そこにいる、先生に、それら全てを擲ち、押付けて。

    終に僕らをその手から、完全に、離去した。


しいな:……そんな……

    そんな、事って……


医師:………………


看護師:………………


しいな:……でも、どうして……

    こんな事を、急に?


壬生間:……時間が、無くなってしまったからさ。


しいな:なに……どういう、事?


看護師:竜園寺さんには、言い出せなかったけれどね。

    ……さっきも言った通り、壬生間くんは元々、長く生きられるような体じゃないの。

    それこそ、言ってしまえば、今まで生きてこれた事自体が、奇跡そのものだった。

    でも、……それももう、限界が近いって、分かっちゃったの。

    彼が生きていられるのは、長く見積っても、せいぜい、

    あと……半年。


しいな:…………っ!!


壬生間:そんな顔をしないでくれ。

    元から分かっていた事なんだ、これは。

    無理矢理に産まれさせられた体に、無理矢理に繋ぎ止められ続けてきた命。

    いつ死んだっておかしくはなかったし、

    いつ死ぬ事になろうが、どうでも良かったんだ。

    今までは。

    ……貴女に、逢うまでは。


しいな:え……?


壬生間:僕が今際の際に、こんな事を貴女に話したのは、絶望させたかったからじゃない。

    ……むしろ、その逆なんだ。

    あなたがあなたをどう思おうが、ぼくは、あなたが好きだった。

    貴女が貴女を嫌おうと、僕は、貴女を愛していた。

    似た者同士だからだなんて、そんな浅い理由じゃなく。

    ただ、僕らはあなたを、

    貴女という、確かな一人の命を、

    この曖昧な命紛いを懸けて、肯定したかったんだ。


しいな:………………


壬生間:……僕が言いたい事は、これだけだ。

    こんな言葉しか遺せない自分が口惜しいけれど、

    僕は、こういう風にしか出来ていないから。

    ……貴女はどうか、生きていてくれ。


しいな:……そん、な。


壬生間:……じゃあ、先生。


医師:……ああ。

   私も、腹は括れたよ。

   もう、同じ過ちは、繰り返しはしない。

   約束通り、後のことは、任せてくれ。


しいな:……貴方は、これからどうするの……?


壬生間:……絵を、描くよ。

    ぼくという人間が、僕という命が、生きていたという証を遺す為に。

    せめて、此処に居る人達の記憶にくらい、僕達が残っていられるようにね。

    誰に認めて貰えなくても、

    伝えたい人に、伝えたい事が、伝われば良い。

    ……それで、良いんだ。


しいな:……え、それって、

    でも、私は……まだ、話したい事が沢山あるのに……!

    私は……私、だって、

    ……っ!


看護師:……戻りましょう、竜園寺さん。

    彼の最期の作品の、邪魔をしては悪いわ。


しいな:…………!

    壬生間君っ!!


壬生間:……なに?


しいな:私、

    ……私、は……

    ……私は……!

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


しいな:(M)

    ……それから、歳月は残酷な程、無情な程にあっさりと、流れていった。

    私はあの日以降、一度も、彼と再び逢う事は許されなかった。

    それは、彼が望んだ、1つ目の我儘。

    少しずつ弱り、日に日に窄んでいく灯火を、

    例え目が見えずとも、悟られてしまうのは嫌だと。

    そう、言っていたらしい。

    ……私はただ、身勝手だと、泣いた。

    自分勝手だと、咽んだ。

    人を想って哭する辛さなんて、一生知る事も無いと、思っていたのに。

    ……けれど、それすらも、彼の望みだったとしたなら。

    それすらも知らなかった私を、言葉無くして、諭したかったとしたなら。

    そうやって、都合良く、自己解釈をしていた。

    そうでもしなければ、私はまた、この涙すらもを否定して、

    自らの瞳を、抉ってしまいたい衝動に、駆られてしまいそうだったから。

    ……でも、例え、自己満足、だったとしても。

    そうする事で、私は……

    際限無く溢れ出る、感情の濁流に身を任せてしまう事、

    今はいっそ、一思いにそうしてしまう事に、

    ……否定で埋め尽くされてきた私でも、

    ほんの少しだけ、肯定的でいられたんだ。

    あとは、彼が遺した、もう1つの、我儘。

    それが何かを知ったのは、微睡みの中で、彼と何か言葉を交わした、

    そんな夢を見た朝だった。

    あの全てを知った日から、ちょうど半年。

    ……彼は、眠るように、静かに……

    そして、自らの死期すらも悟っていたかのような、穏やかな表情(かお)で。

    2枚の絵を遺して、息を引き取っていたそうだ。

    そして…………


看護師:おはよう。


しいな:……おはよう、ございます。


看護師:気分は、どう?


しいな:まだ、少し……体が重いですけど、大丈夫です。

    違和感はありますけど、多分……


看護師:……そう。

    それなら良かった。


しいな:あの、先生は?


医師:ああ、ちゃんと居るよ。

   これが、私の最後の仕事だからね。

   成功を見届けたら、そのまま、この病院とも、君達とも……お別れだ。

   あんな派手な告発文を、大々的に公開したからには、私とて、タダでは済むまい。


看護師:その割に、やり遂げた顔をしてらっしゃいますね。


医師:ああ。

   背を向けて逃げ続けてきた罪を、漸く糺す事が出来るんだ。

   寧ろとても、清々しい気分だよ。


看護師:……そう、ですか。


医師:心配するな。

   私が居らずとも、この病院が潰れるわけでもない。

   然るべき罰を、受けるべき者達だけが受け、

   残すべき、遺された物を残す。

   それは、声明を出した時に確約済みだ。


看護師:はい……


医師:……さあ、それよりも。

   しいな君。


しいな:はい。


医師:心の準備は?


しいな:私は、いつでも。


医師:よろしい。

   ……では、眼を開けてごらん。


しいな:………………

    ……これが……

    壬生間くんが、壬生間君達が遺した、絵……


医師:そう。

   名も無き天才達の遺作だ。


看護師:こっちは、壬生間君が描いたんでしょうね。

    タイトルは……「青い鳥」。

    鳥というか……折り紙の鶴よね、これ。


しいな:ああ……

    それ、私が、あげたんです……以前。

    折り紙を教えて欲しいって、言われて。

    ……そっか。

    青色、だったんだ。


医師:そうか。

   ……何とも、変わった題材を選んだものだね。

   彼らしいと言えば、彼らしいが。

   これを描く為に貰ったのか、はたまた、貰ってから、思い付いたのか……


看護師:……それで、もう1枚が、未だに分からなくてね。

    こっちはタイトルとかも、特に無かったし……


しいな:黄色で、塗り潰されてるだけ……ですね。


医師:これは、壬生間くんだろうな。

   彼がこの病院で描いた物の、殆どはこんな感じだ。

   まるで、小さな子どもが、無邪気に描き殴ったかのような。

   ……ん?


看護師:どうしました?


医師:いや、少しばかり、剥がれてしまっている所があるな。

   こっちは水彩か?


看護師:ええ、たぶん。

    私が以前お願いされたのが、水彩の黄色ばかりでしたから……


医師:そうか……

   いやな、普段は彼は、アクリル絵の具ばかり使っていたから、

   てっきりあの時は、間違えたのかと思っていたんだが。


しいな:……あ。


医師:ん?

   どうかしたかね?


しいな:……ちょっと、良いですか。

    もしかしたら……


看護師:それは?


しいな:魔法の消しゴム、だそうです。

    私が彼に鶴をあげた時に、お返しにって貰ったやつなんですけど……


医師:……アクリルの上から塗った水彩絵の具は、剥がれやすいらしいが……

   まさか。


しいな:……下に、何か……


医師:これは……


看護師:白い、花……?

    ですよね?


しいな:……ヒナギク、だと思います。

    たぶん。


医師:ヒナギク……

   流石に、私は花に関しては分からんな。

   どういう意図で彼は、これを描いたのか……


しいな:「無邪気」。


看護師:え?


しいな:「無邪気」なんです。

    白いヒナギクの、花言葉。

    色に関係無く、「美人」とか、「希望」って花言葉もありますけど。


医師:……成程。

   何とも、変わった趣向を凝らしたものだ。

   これだと、今までの絵も、まさか……と思ってしまうな。


看護師:いえ、たぶん、これだけだと思いますよ。

    水彩絵の具を買ったのは、あれが最初で最後でしたから。


医師:……それも、そうか。

   しかし、「無邪気」とはね。

   これもまた、なんとも彼らしい。


しいな:………………


看護師:しいなさん?

    どうかした?


しいな:ああ、いえ……なんでも。

    ……やっぱり、不思議な子……だったんだなあって。


医師:……そうだな。

   だが、無垢な程に純粋で……


看護師:……けど、誰よりも……

    強い、人だった。


しいな:……はい。


しいな:(M)

    この数日後、先生からの告発が、メディアによって大々的に取り上げられた事により、

    壬生間夫妻は画壇から追放処分、竜園寺財閥の株は大暴落し、

    共に、自らの欲の為に命を弄んだとして、重罪が課せられた。

    無論、それに荷担した先生も。

    ……でも、先生の罪は情状酌量が入ったからか、まだ軽い方らしく、たまになら面会も許される。

    決して短くはない刑期だが、いずれはまた、復帰するつもりらしい。

    面会の都度話すのは、やっぱり、彼の事。

    そして、彼が遺した、あの絵の事で。

    ……2人はまだ、絵の真意に気付いていない。

    でもきっと、あのヒナギクの絵は、私に宛てて描いた物なのだ。

    無邪気を意味する白いヒナギクを、わざわざ黄色で塗り潰していたのは……

    普段通りを装った彼の、せめてもの照れ隠し、だと思う。

    あのヒナギクは、本来は白じゃなく、黄色で描くつもりだったものなのだろう。

    そうなれば当然、それが意味する花言葉も、変わる。

 

しいな:黄色のヒナギクの持つ、花言葉は。


壬生間:……貴女はどうか、生きていてくれ。


しいな:「ありのまま」。


壬生間:貴女の、ままで。


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