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(役表)

ヨシ♂:

フユ♀:

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フユ:ヨシさん。


ヨシ:ん?


フユ:ヨシさん。


ヨシ:なに。


フユ:飽きた。


ヨシ:え?


フユ:飽きました。


ヨシ:なにが。


フユ:このバイト。


ヨシ:ん?


フユ:このバイトに飽きちゃいました。


ヨシ:え?


フユ:え?


ヨシ:飽きた?


フユ:はい。


ヨシ:……えー、と。

   え?


フユ:え?


ヨシ:飽きたの?


フユ:飽きました。


ヨシ:もう?


フユ:もうです。


ヨシ:んん?


フユ:はい?


ヨシ:フユさん、だっけ。


フユ:ええ、フユですけど。


ヨシ:あのさ。


フユ:はい。


ヨシ:初日だよね?


フユ:初日です。


ヨシ:見学してただけだよね?


フユ:見学してただけです。


ヨシ:まだ何もしてないよね?


フユ:まだ何もしてません。


ヨシ:飽きたの?


フユ:飽きました。


ヨシ:初日で?


フユ:初日で。


ヨシ:なんで?


フユ:なんでと言われても困りますよ。


ヨシ:飽きたと言われても困るんだよ。


フユ:はあ。


ヨシ:辞めるの?


フユ:そうしようかなって。


ヨシ:ええ?


フユ:駄目ですかね。


ヨシ:駄目とは言えないけど。


フユ:けど?


ヨシ:せめて、3日はもってよ。


フユ:無理です。


ヨシ:そんな即答しなくても。


フユ:3日も続けたら、精神がやられます。


ヨシ:やられてない人が、目の前に居るんだけど。


フユ:ヨシさんがおかしいんです。


ヨシ:せめてもうちょっとソフトな言い方して?


フユ:という訳で、短い間でしたが、お世話になりました。


ヨシ:フユさん?


フユ:先輩に教えて頂いた色々な事、今後に活かして生きていきます。


ヨシ:フユさん。


フユ:それじゃ、お達者で。


ヨシ:待って。


フユ:なんですか。


ヨシ:なんですかじゃないよ。


フユ:なんですの。


ヨシ:言い方じゃなくてさ。


フユ:じゃあなんですか。


ヨシ:いや、あのね。

   フユさんさ。


フユ:はい。


ヨシ:一応、ここの業務内容、ちゃんと知った上で来たんだよね?


フユ:え?


ヨシ:え?


フユ:知らないですよ。


ヨシ:おっと?


フユ:楽に稼げるバイトがあるって聞いただけで、

   それ以外はなんにも聞かされないまま、此処まで連れて来られたんですよ。


ヨシ:あ、そうか。

   トモアケさんの紹介か、そういえば。


フユ:名前は聞いてないですけど。


ヨシ:それでも、此処まで来る道すがらで、触り程度は聞いたでしょ。


フユ:触り程度なら聞きましたけど、それにしたって、

   触り程度に聞いてた内容とすら、掛け離れ過ぎてるっていうか。


ヨシ:そんなに違う?


フユ:そんなに違います。


ヨシ:一応確認するけど、なんて聞いてたの。


フユ:紡織事業って聞いてました。


ヨシ:紡織事業?


フユ:紡織事業。


ヨシ:違うね。


フユ:違うでしょ?


ヨシ:全然違うね。


フユ:全然違うんですよ。


ヨシ:それは、トモアケさんが悪いね。


フユ:でしょう。


ヨシ:まあ確かに、特殊過ぎる仕事だし、強いて分類するとしたらそうなるのかな。


フユ:ならないですよ。


ヨシ:ならないか。


フユ:なので、辞めます。


ヨシ:待って。


フユ:なんですの。


ヨシ:なんですのじゃなくて。


フユ:じゃあなんですか。


ヨシ:言い方じゃなくてさ。

   困るんだよ。


フユ:困る?


ヨシ:困る。


フユ:誰が?


ヨシ:主に僕が。


フユ:そんな事言われても。

   悪いのは、ちゃんと説明しないまま連れて来たあの人じゃないですか。


ヨシ:トモアケさんね。


フユ:そう、その人。


ヨシ:それはそうだけれども。

   ここ、ただでさえ慢性的に人手不足だから。

   そんな即座に辞められたら困る。


フユ:そりゃそうですよ。

   知ってたら誰もこんな仕事、やりたがりませんもん。


ヨシ:そうかな。


フユ:だって、糸を結ぶだけの仕事ですよ?


ヨシ:糸を結ぶだけの仕事だね。


フユ:他にやる事無いんですか?


ヨシ:無いね。


フユ:何も?


ヨシ:何も。


フユ:楽しいですか?


ヨシ:僕は楽しいけど。


フユ:私は楽しくないです。


ヨシ:楽しくないかあ。

   慣れたら楽しくなるよ。


フユ:ヨシさん。


ヨシ:なに?


フユ:精神やられてません?


ヨシ:もうちょっとくらいオブラートに包んでくれないかな?

   やられてないよ、正常です。


フユ:そうですかね。


ヨシ:そうです。


フユ:でも、何にせよ私の意志は固いですよ。

   どうせ、バイトですし。


ヨシ:分かったよ。

   どのみち、僕にフユさんを止める権利は無いし。


フユ:そうですね。


ヨシ:でも、辞めるのはまあ仕方が無い事として、取り敢えず、今日一日は居てくれないかな。


フユ:え?


ヨシ:やっぱり、こっちも今日は、2人体制で仕事するように計画立てちゃってるから。


フユ:はあ。


ヨシ:駄目かな。


フユ:駄目ではないですよ、嫌ですけど。


ヨシ:騙されたと思って。


フユ:ある意味、もう騙されてるんですって。


ヨシ:それはそうだけど。

   じゃあ、今日の分の給料、10倍にするから。


フユ:え、10倍?


ヨシ:10倍。


フユ:ヨシさん、そんな権限あるんですか?


ヨシ:いや、何て言うか、これ、うちの常套手段でさ。


フユ:常套手段……


ヨシ:来る人来る人、みんな同じ理由で、すぐ辞めちゃうから。

   少しでも踏み止まってもらう為の。


フユ:それは、他にもっと見直すべき所があるんじゃないですかね。


ヨシ:その意見には正直、全面的に同意する。


フユ:10倍ですか。


ヨシ:どう。


フユ:もう一声。


ヨシ:ん?


フユ:もう一声欲しいですね、どうせなら。


ヨシ:途端に図々しくなったね。


フユ:強請れるなら、強請れる時に強請っとかないと。


ヨシ:うーん、その清々しい程のがめつさ、僕は嫌いじゃないよ。


フユ:なにかあります?


ヨシ:じゃあ、いつか何処かで、ご飯でも奢るよ。


フユ:ほう。

   それは、何でも良いんですか?


ヨシ:何でも良くはないかな。


フユ:回ってないお寿司とか。


ヨシ:何でも良くはないかな。


フユ:フランス料理のフルコースとか。


ヨシ:何でも良くはないかな。


フユ:懐石料理とか。


ヨシ:限度があるかな。


フユ:まあ、それは流石に冗談ですけど。


ヨシ:寧ろ本気だったら、いっそ引き止めずに、そのまま辞めてもらってたよ。


フユ:良いですよ、それで。

   何を奢ってもらうかは、考えておきます。


ヨシ:あ、そう、それは良かった。

   正直途中から、なんでバイトの子を引き止める為だけに僕はここまでしてるのかって、

   自問自答しそうになったよ。


フユ:ヘタに下手に出ない方が良いですよ、調子乗られちゃうんで。


ヨシ:なんで他人事というか、第三者視点みたいな顔してるのかな。

   どこの立場からの物言いなの、それは。


フユ:良いじゃないですか、過ぎた事は。


ヨシ:ええ……


フユ:……で。


ヨシ:ん?


フユ:結局、この仕事は何なんですか。


ヨシ:何って、最初にも言ったし、見ての通りだよ。


フユ:糸を結ぶだけの仕事?


ヨシ:糸を結ぶだけの仕事。


フユ:本当に、他に何も無いんですか?


ヨシ:本当に、他に何も無い。

   ただ延々と、赤色の糸同士を結ぶだけ。


フユ:結んで、どうするんですか。


ヨシ:どうもしないよ。

   結んだら、その後は彼ら次第。


フユ:彼ら?


ヨシ:彼女ら、かもしれないけど。


フユ:糸ですよね?


ヨシ:そうだよ。


フユ:糸に性別があるんですか?


ヨシ:え?

   ある訳ないでしょ、糸は糸だよ。


フユ:哲学ですか?


ヨシ:なにが?


フユ:いえ、別に。


ヨシ:結ぶだけ、とは言うけど、だからといって適当に、手当り次第に結ぶのは許されないからね。

   恐らく、フユさんが思っているよりも遥かに、この仕事の責任は重大だ。

   どの糸とどの糸を結ぶかの、組み合わせの選定は勿論の事、

   罷り間違っても、結んだ糸が解けるなんて事は、絶対にあっちゃならない。


フユ:まあ、それはそうでしょうけど。

   ……ああ、だから、そんな変わった結び方するんですか。


ヨシ:そう、これね。

   さだめ結びって言うんだけど。


フユ:さだめ結び。


ヨシ:まあ、刃物で切らない限り、自然には解けないと思うよ。

   そんなに難しい結び方じゃないから、練習すれば、割とすぐ出来るようになる。


フユ:へえ。

   それはつまり、あれですか。

   見て覚えろ、ってやつですか。


ヨシ:僕、口で説明するの苦手なんだよ。

   マニュアルとかも無くて、申し訳無いんだけど。


フユ:なんか、職人技みたいですね。


ヨシ:それほどの物ではないよ。


フユ:じゃあちょっと、あの、ヨシさん?


ヨシ:ん、なに?


フユ:もう少し、ゆっくりやってくれませんかね。

   見えないので。


ヨシ:え?


フユ:いや、え? じゃなくて。

   その、手の残像で、過程が全然見えないんですって。

   どうなってるんですか、それ。


ヨシ:残像出てる?


フユ:出てます。

   残像っていうか、もうなんか、腕が増えてます。

   今6本。


ヨシ:そんなに早い?


フユ:早いです。

   言葉を選ばずに言うと、人間の動きじゃないです。

   あ、また増えた、8本。


ヨシ:そんなに。


フユ:そんなにです。

   ああ、10本。


ヨシ:そんなにかあ。


フユ:12、14、じゅうろ、ちょ、待っ……

   いやあの、話しながらだんだん残像を、千手観音みたいにしていくの止めてくれません?

   それの凄さも面白さも、私にしか分からないんで。


ヨシ:え、なに?

   よく聞こえないんだけど。


フユ:なにじゃなくて、ちょっ、一旦止ま、

   あの、待っ、じゅっ、あ、あーあ。

   あぁ、あー凄い、もう千手観音、これもう完全に千手観音。

   これ絶対違う、絶対これ、全然関係無い動きしてるこの人。

   糸を結ぶだけの仕事場に、千手観音が顕現なさっちゃってるもん。

   あーあー大変だ、文字通りの神業だこれ、ありがたやありがた、

   あっ、あー……?

   あ、これまずい。

   待って待って待って、ストップストップ。

   ヨシさん、ヨシさーん。


ヨシ:………………


フユ:あー駄目だこれ、もう顔っていうか、ご尊顔が完全にゾーン入っちゃってるもん。

   なんでバイト初日に、即身仏の修行現場に立ち会ってるの私。

   いや、即身仏になられたら困るんだけど、直感で分かる。

   これ、このままほっといたら即身仏になるやつだわ、多分。

   これ今のうちに止めないとまずいって、ほら来てる来てる、

   来ちゃってる来ちゃってるもん、来ちゃってるって、

   ヨシ様ー、ヨシ様ぁー。


ヨシ:なに、呼んだ?


フユ:あ、良かった止まった。

   割とずっと呼んでたんですけど。


ヨシ:どうしたの、なんか一人で盛り上がってたけど。


フユ:聞こえてたなら手止めて下さいよ。

   そこはかとないどころじゃない神々しさを醸し出してましたよ。


ヨシ:いや、なんか楽しくなっちゃったから、つい。


フユ:何か来てましたよ。


ヨシ:来てた?


フユ:何か来てたっていうか、何か射してました。


ヨシ:射してたって?


フユ:後光が射してました。


ヨシ:どういう事?


フユ:いや、別に。

   取り敢えず、即身仏にお成りあそばさなくて良かったです。


ヨシ:即身仏って何の話?


フユ:何でもないです。

   なんか、凄かったんですよ、動きが。

   敢えてその一言で済ませておきます。


ヨシ:出来るようになるよ。


フユ:なりたくないです、断じて。


ヨシ:断じて……


フユ:あー、それよりほら。

   あんな滅茶苦茶なやり方するから、2本も3本もぐちゃぐちゃに結ばっちゃってるやつとかありますよ。

   解けかけのとかもありますし、全然ちゃんとやってないじゃないですか。


ヨシ:ん?

ヨシ:ああ、あれはあれで良いんだよ。


フユ:え?


ヨシ:此処にある糸の全部が全部、ちゃんと結ばれる訳じゃない。

   中にはああやって、運悪く解けてしまったり、そもそも最初から、結ばれる事すら無かったりする。

   残酷な話だけどね。


フユ:運悪くって、そうしたのはヨシさんじゃないですか。


ヨシ:そうだよ。


フユ:そうだよって。


ヨシ:だから言ったでしょ、適当は許されないって。

   糸の結び先を決めるというのはつまり、その糸の、往く末を決めるって事だから。

   この無限に近しい糸の束達には、無限に等しい結ばれ方が存在する。

   けれど、だからこそ、その全てを結んでしまってはならない。

   そんな事をすれば、いずれ結び目が歪に絡み合って、互いに引き千切り合ってしまう。

   そうならない為に、いつ千切れるかも分からない、か細い糸の均衡を守り続ける僕達のような存在が、

   自ずと無限に、永遠に必要になるんだ。

   そんな仕事の担い手は、何人居たって足りやしないから。

   だから時々、フユさんのような人を連れて来る。

   例えば、「割の良いバイトがある」、みたいに宣ってね。


フユ:……えーと。

   どういう事ですか?


ヨシ:まだ、解らない?


フユ:いや、正直、何の話だか、さっぱり。


ヨシ:本当に?


フユ:え?


ヨシ:解らないんじゃなく、解りたくない、のだとしたら?


フユ:何をですか。

   全然、言ってる意味が解らないですよ。

   そもそも、此処に来たのだって、たまたま見付けた蜘蛛の糸を辿ってきたからで、


ヨシ:だから、トモアケさんでしょ、それが。


フユ:……あれ?

   蜘蛛の、糸?

   え?

   何言ってるんだろ、私……?


ヨシ:大丈夫?


フユ:……あ、ええ……大丈夫です。

   なんか……その、変な記憶が、フラッシュバックしちゃって。


ヨシ:……そっか。

   まあ、どのみちフユさんも、今日限りで辞めちゃうんだしね。

   此処の事も、この仕事の事も、覚えている必要は無いさ。

   ……もっとも、覚えるまでもなく、忘れるだろうけど。


フユ:え?


ヨシ:なんでもない。

   それより、折角だし、さだめ結びのやり方だけでも、覚えていきなよ。

   もしかしたら今後、役に立つかもしれない。


フユ:役に立つんですか?


ヨシ:さあ。


フユ:ええ……

   さっきから、変ですよ、言ってる事。


ヨシ:そうかな。


フユ:……で、どうやるんですか、あの、あれ。


ヨシ:さだめ結び。


フユ:それ。


ヨシ:えーとね、まず……


フユ:はい。


(間)


ヨシ:……で、完成。


フユ:おおー。


ヨシ:初めてにしては、割と綺麗に出来たね。


フユ:口で説明、出来るじゃないですか。


ヨシ:出来ないとは言ってないよ、苦手なだけで。

   だから正直、それで完璧に合ってるか分からない。


フユ:え、ちょっと。


ヨシ:まあ、要は、絶対に解けなきゃ良いんだ。

   多少間違ってても問題は無いさ、多分。


フユ:全然説得力無いんですけど。


ヨシ:やっぱり。

   ……あ、もうこんな時間か。


フユ:そうですね。


ヨシ:それじゃ、あがっていいよ。


フユ:はーい。

   ……あ、そうだ、ヨシさん。


ヨシ:なに?


フユ:やっぱり、また来ても良いですか?


ヨシ:え?

   それは別に、勿論いいけど。

   どういう風の吹き回し?


フユ:分かんないです。


ヨシ:え?


フユ:分かんないけど、なんか、もう一回来たくなったんです、此処に。

   ……来たくなったというか、来なくちゃいけないような気がする、というか。

   理由は解らないですけど、何となく、そんな気がして。


ヨシ:……そう。

   じゃ、これ。


フユ:これは?


ヨシ:トモアケさんの連絡先。

   時間はいつでも大丈夫だから、来れそうな時に、連絡して。

   覚えてたら、ね。


フユ:またそれですか?

   覚えてますよ。


ヨシ:そう言っても、みんな忘れちゃうものなんだよ、いつも。


フユ:分かりました。

   私は、絶対連絡します。


ヨシ:うん、宜しく。


フユ:はい。

   なので、ヨシさんも約束、忘れないで下さいね。


ヨシ:約束?


フユ:今日の分の給料10倍と、ご飯奢ってくれる、って約束。


ヨシ:ああ。

   そういえば、そんな話もしたね。


フユ:しましたよ、忘れてませんからね。


ヨシ:分かった分かった。

   いつかね、いつか。


フユ:いつか必ず、ですよ。


ヨシ:はいはい。

   それじゃ、お疲れ様。


フユ:お疲れ様でしたー。


ヨシ:……あ、フユさん。


フユ:はい?


ヨシ:気を付けてね。


フユ:え?

   ……はい。


ヨシ:それだけ。


フユ:……?

   えっと、それじゃ。


ヨシ:うん、じゃあね。


(間)


ヨシ:さて、と。

   ……あ?

   あ。

   あーあ……解けてる……

   やっぱり、駄目か。

   薄々、そんな気はしたんだよなあ。

   だから、口で説明するのは苦手なんだよ……

   ……何回やっても、何度試しても……

   僕らの終結は、いつも同じ……か。


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