浦島らしき太郎
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(役表)
浦島♂:
裏山♂:
大亀/村人(不問):
乙姫♀:
語部(不問):
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語部:さあさあ皆様、おたちあい。
此度手前よりお送り致しまするは、誰しもが幼子の頃より慣れ親しんだ、御伽の国の草子がひとつ。
たまの娯楽のひと時には、世の喧騒などはぽろりと忘れて、さながら産子の微睡のように、
摩訶不可思議の宵の淵へと落ちてみなさるのも、それはまた、乙なるものでありますれば。
ほんの一端にもお付き合い頂けたなら、これ幸いと存じ上げ奉り候。
浦島:あの、まだですか?
語部:ああ、ちょっと。
出て来ないでくださいよ、まだ呼んでいないでしょう。
冒頭も冒頭、呼び込み程度の挨拶をしている最中じゃないですか。
浦島:いや、だって。
その挨拶が、あまりにも長いから。
語部:良いからほら、戻って戻って、引っ込んで。
興が乗る前から醒めてしまうでしょう、先に見えてしまったら。
浦島:はぁ、すみません。
語部:いやいや、大変失礼致しました。
さてさてではでは、そろそろ待つにも待ちきれぬ様相と相成る頃合い、やれやれと前置きも程々に。
おはなしはなしの、はじまりはじまり。
(咳払い)
むかぁし昔、あるところに、うらやしっ……
(咳払い)
いや失礼、お見苦しいところを。
いえ、噛んでなどおりませんよ。
ただ、少しばかりお聴きづらかったでしょうから、もう一度。
むかぁし昔、あるところに、うらまゃ……
(咳払い)
いいえ、全く噛んでなどおりません。
(深呼吸)
……今一度、古くより、物事は三度目の正直と申しますから。
むかぁし昔、あるところに、うらすっ……
(舌打ち、咳払い)
うらまっ、うらやぁ、うるっ、うらやぃしっ……
えー、裏山志太朗(うらやま・したろう)という漁師が住んでおりました。
浦島:え。
語部:志太朗は兎にも角にも、それはそれは、
強欲、胴欲という言葉を、そのまま人の形に練り固めたような性格で、
ふたつあるなら、そのひとつ。
ひとつだけなら、その片割れを頂戴なと強請って回る、
「いいなあ、羨ましいなあ」が口癖の、とんだ厄介者でありました。
浦島:なんか、噛み倒し言い間違いの誤魔化しに、とんでもない改変をされている……
誰だよ、裏山志太朗って。
どこに向かわせるつもりなんだ。
語部:そして、その漁師仲間であるのが、浦島太郎。
浦島:あ、ぼくはぼくで、ちゃんといるのか、良かった。
……良かったのか?
語部:名こそ似ているふたりであれど、その為人(ひととなり)は、向かい立つ逆鏡(さかがみ)の如し。
浦島は、魚を獲ったなら裏山に迷わず分け与え、譲り渡し。
何をせがまれようとも、嫌な顔ひとつも見せない、聖人君子とでも言い表せる人柄で有名でした。
浦島:お、おう……
なんだか、なんだ、気持ち悪いくらいに持ち上げるなあ。
嫌ではないけど、複雑な気分だ。
裏山:そんな訳で、おれとお前はどうやら、この急拵えの法螺話においては、旧友という扱いのようだ。
まあよろしく頼むよ、浦島の。
浦島:えっ、ああ。
君がその例の、なんだっけ。
裏山:裏山。
浦島:そう、それだ、裏山のか。
どういう風呂敷になるかは、今からではとんと予想も付かないが、よろしく。
裏山:良いなあ、羨ましいなあ。
浦島:え?
裏山:お前の名前だよ、浦島太郎。
言いやすいし、覚えやすい。
おれの名前を見てみろよ、こちとら、裏山志太朗だ。
何の因果でこうなったか、言い難いったらありやしない。
君と並べられたら、余計にだ。
浦島:それは、まあ、お気の毒様、としか言い様が無いよ。
何の因果かと問われれば、その元凶は、彼処におわします、語部殿に他ならないが。
というか、君の欲の強さはなんだ、ぼくたちの名前にまで及ぶのだね。
裏山:どうやら、そういう設えらしい。
おれ以外の尽くが、羨ましくって仕方が無い。
例えるなら、不定形を誂えられた虚無に、意思と四肢だけ生やされたような気分だね。
浦島:単なる巫山戯た即興かと思ったら、存外に、しっかりと難儀なことだ。
先が思いやられるよ。
語部:さあ、顔合わせ、身合わせも済んだところで、いざ本章へと語り入りましょう。
ああ、全く噛んでおりませんし、間違ってもおりませんよ。
始めから、このふたりを主人公に置いた御話をするつもりでしたとも。
とある日のこと、浦島太郎と裏山志太朗が海辺を歩いておりますと、
大柄な亀が1匹、童の衆に、やいのやいのと因縁八百、
袋叩きに処されているではありませんか。
浦島:言い方。
語部:失礼。
童の衆に、虐め痛め付けられているではありませんか。
そこで、それを見付けたふたりは、顔を見合せました。
浦島:酷いことをするもんだ、なあ、裏山の。
裏山:ああ、まったくだ、浦島の。
浦島:すぐに、止めさせなければ。
裏山:すぐに、混ぜてもらわなければ。
浦島:ん?
裏山:良いなあ、羨ましいなあ。
浦島:裏山の?
語部:裏山志太朗は、やや如何わしい嗜好の持ち主でした。
浦島:ええ……
語部:という訳で、状況は改められ、
大柄な亀1匹と、漁師ひとりが、童の衆に、虐め痛め付けられているではありませんか。
浦島:ひとりの方は……
なんか、助けなくて良いんじゃないのか。
語部:浦島は困惑しながらも、童たちを追い払い、亀たちを助け出しました。
身の危機より救われた亀は、何度も何度も頭を下げ、
幾度も幾度もふたりに、主に浦島の方に、お礼を言いました。
大亀:危ないところを助けて頂き、ありがとうございます!!
この御恩は、一生忘れません!!
是非、恩返しをさせては下さいませんか……!?
浦島:そんな、大袈裟だよ。
ぼくは、弱いもの虐めというものが大嫌いなたちでね。
それが人であろうと、そうでなかろうと、だ。
するべきことを、したまでのことさ。
裏山:そうそう、大したことしちゃいないって。
恩返しだなんて、そんな大層なことを考えずとも。
大亀:あんた一緒に嬲られて、悦に入ってただけでしょうが。
浦島:さあ、また悪戯小僧共に見付かる前に、海にお帰りよ。
もしもお仲間がいるのなら、よろしく伝えておくれ。
大亀:……は、はい……では……!!
本当に、ありがとうございました……!!
語部:そう言って亀は、また浦島にだけ頭を下げ、ゆっくりと、波打つ水面の下へと消えていきました。
浦島と裏山は、変わったこともあるもんだ、などと語り合いながら、いつものように、漁へと出掛けます。
そして、ふたりが生業に勤しむ頃で、その一方、先の亀に目を移してみたならば、
母なる海、その遥か底に、人知れず佇む宮廷、竜宮城の中。
その主である乙姫に、件の亀が、とある相談を持ち掛けていました。
乙姫:……なるほど。
それはそれは、その方には是非とも、謝礼を致さねばなりませんわね。
大亀:はい。
しかし、大変に謙虚な方でして、何も要らぬと仰って、譲って下さらないのです。
どうにか、海の恵みひとつでも、お渡し出来ればと考えたのですが……
乙姫:……今、なんと?
大亀:はい?
乙姫:よもや貴方、わらわの眷属ともあろうものが、自身の危機を救って下さった恩人に対して、
たかが海の恵みひとつ、そんな泡粒程度のお返しで、済ますつもりだったとでも?
大亀:……っい、いえ!!
あくまでそれは、その、ものの喩えで……!!
そのような愚考は、毛頭!!
乙姫:そう。
であれば、よろしいのです。
しかし、我々の品位を貶めかねないような下賎な物言いは、
例え戯れでも、わらわの前では零さないように。
よろしいですわね?
大亀:は、はい……勿論。
乙姫:……では、こうしましょう。
その方を此処に招待し、存分に、持て余すほどに饗すのです。
大亀:ええっ!?
し、しかしそれは、それは、つまり……
乙姫:なにか、異論が?
大亀:……いえ、なにも……
乙姫:では、これを持って。
明日にでも、上客様を連れておいでなさい。
呉々も、粗相の無いように。
大亀:は、はい……
畏まりました、乙姫様。
語部:こうして亀は乙姫に命じられ、浦島を竜宮城へと招待し、送迎する任を与えられました。
訳あって、気のすすむ役目ではありませんでしたが、
海に棲まう命として、乙姫の命令は絶対。
その意に逆らうことなど、決して許されません。
預けられた一粒(いちりゅう)の錠を携えて、
浦島と、ついでに裏山の元へと赴きました。
……何故、亀はそんなにも気重であったのか、ですか?
いやいや、それを今から知ってしまっては、夜伽の興も削がれてしまうというもの。
今は未だ、深い、ふかぁい「訳あって」、としか語れませんね。
はてさて、幕を一枚転じまして、
二人と一匹は再び、相対しますところから。
大亀:かくかくしかじか、といったところで御座いまして。
是非、わたし共の棲まう竜宮城まで、お越し頂ければと。
裏山:なるほど、まるまるうまうまか。
浦島:そこまで言われては、厚意を無碍にする訳にもいかないが……
なんというか、俄には信じ難い話だな。
人智の及ばぬ海の底に、竜宮城なる桃源郷がある、という話は、聞いたことはあるが、
童心をあやかす、夢幻の類であるとばかり。
裏山:いやいや然し、万に一つにも本当なら、受けない理由はあるまいよ、浦島の?
竜宮城と言えば、天の都に並び語られる、極楽の園だ。
嘸かし、人の言葉でなど到底語るも無礼無粋な、絢爛の郷(さと)であろうよ。
浦島:……まあ、心揺れ動かぬと言おうものなら、閻魔も鉄鋏を持って馳せ参じるところ、か。
分かったよ。
乙姫様の御呼びとやらに応じて、謹んで、竜宮城に馳せ参じよう。
裏山:よぅし、決まりだ。
こんなことになるなら、朝餉は抜いて来るんだったなぁ。
己の腹七分目を憎々しいのは、生まれてこの方初めてだ。
浦島:して、亀さん、竜宮城には如何様にして……
大亀:あ、その前に、ひとつ。
裏山:ん?
浦島:なんだい。
大亀:招客は、浦島様一人でして。
裏山様は、お呼びではありませんよ。
裏山:えっ。
浦島:いや、うん、そりゃあそうだろうよ。
君は、手助けのての字も、しちゃあいないんだからさ。
裏山:ええ……っ。
そんな、ご無体な!!
浦島:そういった都合だ、留守を預かっていてくれよ。
勿論許されるなら、君と共に出向きたいが、場所が場所だ、そうもいくまい。
土産に、海の賜物のひとつやふたつ、海の主に強請(ねだ)ってみるさ。
裏山:良いなぁ、羨ましいなぁ、浦島の。
浦島:まあまあ。
して、亀さんよ、その竜宮城へは、如何様にして行くんだい?
水底の果てともなれば、椀ほど浅くはないだろう。
人の身では到底、出向けるような場所ではないのでは?
大亀:ええ、仰る通りです。
そのままではあっさりと、暗い口に呑まれてしまうでしょう。
ですので、これを。
語部:そう言って、亀は、乙姫より預かった錠を取り出します。
それは、桐の実ほどの大きさながら、濁りの無い真珠の中に、陽の光を映す水面を閉じ込めたような、
そんな、得も言われぬ美しさを放っておりました。
裏山:ほほぉ、これはこれは、何とも見事な宝玉だ。
ちらりと覗くだけでも、まるで吸い込まれてしまうようだ。
浦島:なんだい、これは?
大亀:竜宮錠(りゅうぐうじょう)と言いまして、文字通り、竜宮城に招かれた者のみに呈される、海の秘薬です。
それを一粒服用しますれば、七日七晩の間、光も届かぬ海淵であろうと、
陸(おか)の上のように、悠々綽々と、存えることが出来るのです。
裏山:なんと、まあ。
それは、良いなぁ。
浦島:ああ、すごいな、それは。
ええと……因みに亀さん、これはその、
一粒を割って二人で飲む、というのは、出来たりするのかい?
大亀:は、なんと。
裏山:おいおい、浦島の?
大亀:いいえ、それは出来ません。
必ず一粒、おひとりだけです。
浦島様の御友人思いの器量は、十二分に伝わりますが、こればかりは。
浦島:そうか、残念だ。
そういうことなら、仕方が無い。
(浦島、竜宮錠を飲む)
裏山:どうだ、どんな感じだい?
浦島:……いや、別に……これといって、何も。
それじゃあ、行ってくるよ、裏山の。
裏山:ああ、極上の土産を、忘れずに頼むよ。
……良いなぁ、羨ましいなぁ。
語部:裏山の羨望の眼差しに見送られつつ、浦島は亀の背に跨って、竜宮城を目指し、海へと潜っていきました。
あなや、竜宮錠なる丸薬の効能は大したもので、どれだけ長く潜っても、どれほど深く進んでも、
ただの人の身でありながら、まるで屁の河童といった様子。
そんな己自身に感嘆の意を隠し切れない浦島をよそに、亀はぐんぐんと、底へ底へと泳いで行き。
……そして、やがて。
ひとりと一匹が、およそ人の智恵など決して届き得ぬ、水の深処に到った頃。
陸の華やぎなど児戯の如しか、思わず息も止めて、飲み消してしまえと、
言の葉で語り表すことすら許させぬ、魚介に珊瑚も舞い煌めく雅の御殿(みあらか)、
竜宮城へと、辿り着いたのでした。
浦島:へぇ……
此処が、かの。
大亀:乙姫様、浦島様をお連れしました。
乙姫:あら、お待ちしておりましたわ。
浦島様、此度は遥々、ようこそおいでくださいました。
聞けば先日、そちらの亀の危ないところを、助けて頂いたようで。
改めて、わらわからもお礼を申し上げます。
浦島:ああいえ、そんな。
本当に、そこまで感謝される謂れは。
乙姫:ふふっ、聞いていた通りのお人柄ですわね。
ですが、わらわ達に於いては、そんなことはありませんのよ。
わらわ達の棲まう海原の世では、弱き者は虐げられて当然、
喰らわれるのが常にして、摂理ですから。
奪うことを目的とせず、ただ他者を救うのみというのは到底、誰しもが成し得る善行ではないのです。
……いいえ、より端的に言い表すのならば。
成すか否かよりも、為そうとする、その心こそが肝要。
こう申し上げれば、貴方様を此処にお招きしたわらわの意も、少しは汲んで頂けるでしょうか。
浦島:は、はあ。
何と言うか、あんな些事から、ここまで話が膨らむとは、思ってもいなかったもので。
まだ聊か、夢中と霧中の狭間を彷徨っているような心持ち、とでも表せば良いのか。
乙姫:まあ、それならいっそ、そのままでいるというのも、
それはそれで、好いものかも知れませんわ。
さぁさ、慣れぬ水旅(みなたび)でお疲れでしょう。
どうぞ御存分に、身も心も解(と)き解(ほぐ)して、溶かし尽くしてしまって下さいましね。
七日七晩など、此処に居れば、小波ほどに儚いものですから。
浦島:そ、そうですか。
そう仰って頂けるなら、お言葉に甘えて……
裏山:ぶはぁー、着いた着いた。
此処が、夢にも見れぬと謳われる、かの竜宮城かぁ。
夢想に違わぬ浮世離れした華々しさ、まったく見事なものだ。
あいや、言葉で形容することすら、烏滸がましく感じるようだ。
浦島:えっ。
大亀:はっ?
乙姫:あら。
裏山:おう、御無沙汰じゃないか、浦島の。
浦島:え、いや、えっ。
きみ、どうやって。
裏山:どうやって、と、そんな百鬼を見たような形相で問われてもな。
何のことは無い、泳いでだが。
大亀:泳いでって、そんな莫迦な。
裏山:莫迦とはなんだ。
この裏山志太朗、我欲と水潜(みなくぐり)の深さは、この世に並び立つもの無し。
亀の後をこそりとつけて来れば、此処まで至るのも、存外容易かったぞ。
それに、どうやらこの中に入ってしまえば、陸と同じように、息だって出来るようだ。
竜宮錠とやらも、元よりおれには、必要無かったということだな、ははは。
浦島:無茶苦茶だな、きみは。
大亀:……乙姫様……
乙姫:……まあ、良いでしょう。
甚だ想定外であるとはいえ、来てしまったものは、仕方ありませんわ。
本来ならば人間如き……
こほん、人間様が此処に、わらわの許しも無く立入ることなど、あってはなりませんが、
浦島様の御友人ともあれば、そうそう邪険になど扱えませんでしょう。
どうせ、宴の料理は余るのですから、おひとりくらい増えても、まあ。
大亀:……そう、ですか。
乙姫様がそう仰るなら、わたしは、何も。
裏山:ほぉ、流石は乙姫様とやら、竜宮の主は、寛容で助かるなぁ。
流石に一発、尻でも蹴飛ばされる覚悟くらいはしていたんだが。
浦島:なんだか、本当に申し訳無い。
こいつが勝手に来てしまった所為で、要らぬ余計な気遣いを。
乙姫:いえいえ、構いませんわ。
それに浦島様とて、御身ひとつで未知の者らに饗されたとて、
なかなかお気も休まらないのが本音でありましょう。
流石に二度はありませんが、此度だけは、特別に。
浦島:有難う御座います、助かります。
裏山:いやいや、やはりここぞという時は、我は通してみるものだ。
おれも有難く、その慈悲に、目一杯心一杯と、甘えさせてもらうとしようかな。
乙姫:……では、立ち話も随分と長くなってしまいましたので、程々に。
どうぞ、奥へ。
語部:そんなこんなで、紆余曲折とありながらも、浦島太郎と裏山志太朗は、
一生分でも到底足りぬ程の、溢れるほどの極楽に溺れ尽くす、
竜宮城での一刻一刻を、たっぷりと堪能していました。
楽しい時ほど日が経つのは早い、とよく申しますが、
竜宮の泡沫に耽るふたりにとってのそれは、それはそれはもう、
大時化の荒波のように、瞬く間に流れ去って行く有様で御座いました。
裏山:なあ、亀よ。
大亀:はい?
裏山:ふと、気になったんだが。
竜宮城には、これまでも何度か、こうやって人が訪れているのか?
大亀:……何故、そのようなことを?
裏山:いやなに、ほんの興味本位よ。
おまえさんが浦島に飲ませた竜宮錠とやら、招かれた者のみに与えられる、と言っていただろう。
その口振りを見るに、先人がいるのかと思ってな。
大亀:……さぁ……
実の所、わたしは乙姫様に仕えてから、そう長くはありませんから、そこまで詳しくは。
ただ、陸の世で、本来知られざる筈の竜宮城の存在が、曖昧ながらも伝承されているのは、
その昔乙姫様が、入水し偶然流れ着いてきた若者を、お戯れでお助けになり、
その者が俗世に帰った後、口伝したのが始まり……
というような話は、聞かされたことはありますが。
裏山:ほぉ。
果たしてどれ程の昔の話か、突き詰めてみたくもあるが、今はそれは良いか。
因みに、あれの効能の七日七晩、それを過ぎたら、どうなるんだ?
大亀:ああ、それは……その。
わたしの口からは語るのは、憚られると言いますか……
裏山:んん?
怪しいな、何故そこで口篭る?
浦島:どうした、何の話だ?
裏山:いいや、ちょっとばかし二、三と、頭を擡げる些末な疑念めいたものがあったのでな。
取るにも足らない話だよ、気にするな。
浦島:なんだ、そうか。
しかし、此処に来てから、かれこれ三日、いや、四日も過ぎようかというくらいか。
未だ嘗て、これほど日の速さを恨んだ事は無いな。
裏山ほどに息が続く身であったなら、七日七晩という無粋な限りにも、縛られなかっただろうに。
裏山:ほほう、おまえが逆におれを羨むとは、何とも珍しい。
乙姫:それならば、本当に永劫、此処に棲まわれてしまえばよろしいのでは?
浦島:え。
乙姫:浦島様は、陸の上でその短過ぎる命を徒消するには、余りにも勿体無い御人ですわ。
甲斐も無く不浄な土に身を埋めるよりも、汚れ無きうちに水底に還ってみるのも、幽玄な命の在り方ではなくて?
大亀:お、乙姫様。
そのような言い方をなさらずとも……
浦島:……うーん。
それも良いかも知れないなぁ。
漁を生業にする生き方も悪くはないと思っていたが、こんな常世を知ってしまっては、
そんなものも、莫迦々々しいと嘲りたい気持ちにすらなってくる。
裏山:おいおい、浦島の。
そういう諧謔は寧ろ、いつもならおれが零して、おまえが諭すべきところだろう。
なんだ、お前らしくもないぞ、此処に来てからというもの。
甘言に唆されては、蜜壷に溺れるがままじゃあないかよ。
乙姫:まあ、戯言と一蹴するも、それもまた良し、ですわ。
時はまだまだ、たっぷりとあるのですから、来たる日までは、
何にも囚われずに、ゆぅらりと、揺蕩っていらして。
大亀:七日七晩が過ぎる前に、わたしがその旨をお伝え致しますので。
おふたりはどうぞ、刻限等はお気になさらず、お寛ぎ頂ければ。
浦島:ああ、言われずとも、というやつだ。
裏山:ああ、どうにも。
全くもって、らしくないねぇ、浦島の。
語部:一(ひ)の二(ふ)の三(み)のと過ぎ去りて、
四(し)の五(ご)の六(む)のと溶け行きて、
無上なる竜宮城での日々も、遂に七日目を迎えてしまい、
嫌々ながらも帰り支度を済ませたふたりに、乙姫は手土産と宣って、
これまた光輝を放たんばかりの装飾に包まれた箱をふたつ、差し出しました。
片や、童が二人ほども収まりそうな、大きな箱。
片や、掌を三つ並べたほどの、小振りな箱。
訝しみ半分の視線を受けつつ、乙姫が言うには……
あの、これ、似たような話が、他でありませんでした?
乙姫:何の話ですの?
語部:あ、いえ、別に。
兎にも角にも、中身は伏せつつ、好きな方を持ち帰るように、と勧める乙姫。
欲が海底ほどに深い裏山は、当然迷うべくも無く、
裏山:それじゃあ、おれは大きい方を貰おう。
語部:一方の浦島も、それに不満のひとつも漏らさず、にこやかに、
浦島:いいだろう、小さい方を頂くよ。
乙姫:どうぞ、どうぞ。
……ああ、そうそう、浦島様?
浦島:はい?
乙姫:そちらの玉匣、何があろうとも、決して開けないで下さいましね。
浦島:えっ、それは、どうして。
乙姫:それは、とても言えませんわ。
何故かを話してしまっては、きっと、開けずにはいられぬでしょう。
何も訊かず、何も問わずに、どうかただ、頷くのみでいて下さい。
宜しいですか?
何がなんでも、絶対に、です。
裏山:いやいや、乙姫様よ、そうは言われてもだ。
秘め事は、隠されれば隠されるほどにやはり、明かしたくなってしまうのが人の性、というものだぞ。
浦島:……まあ、土産を開けるな、なんてのは随分とおかしな話ではあるが、
乙姫様が直々に、そこまで念を押すんだ、従わない訳にもいくまい。
竜宮城を訪れた証の宝として、大事に取っておくこととするよ。
乙姫:ええ、是非に。
裏山:良いなぁ、羨ましいなぁ。
浦島:お前の分は、きちんとあるだろう。
これは流石に、いくら頼まれたとて譲れないぞ。
乙姫:では、口惜しいですがこれにて、お別れの時ですわ。
いずれ、また逢う時があれば、その折には……
……あぁ、いいえ、止めておきましょう。
あまり、別れの際に言の葉を綴り重ねては、心を締める荒縄にも、成りかねませんものね。
ごきげんよう。
心優しき、おふたり様方。
裏山:ああ。
きっと、此処での日々は、例え死して地獄に落ちたとしても、有り余るお釣りがくることだろう。
浦島:さようなら。
語部:こうしてふたりは、麗しき乙姫と、美しき竜宮城に別れを告げ、
今度はふたり共に亀の背に乗り、陸の世へと上がり立ちました。
……しかし、ふと、ぐるりと景色を見渡してみれば。
七日ぶりの変わらぬ浜の砂を踏み締め、七日ぶりの衰えぬ陽の光に目を眩ませつつも、
どうにも拭い切れない違和感がひとつ、水泡のように、ゆらりと頭の内を過ぎりました。
大亀:それでは、わたしの役目は、ここまでとなります。
浦島様、裏山様、どうぞ此度の件は、嬉々として他言などなさってしまわぬよう、お願い致します。
尤も、仮にそうしたとて、耳を貸す物好きがいくら居ようか、というところではありますが。
裏山:ああ、それもそうだ。
浦島:気に病まずとも、あれを語り尽くせる程の立派な舌は、持ち合わせてはいないよ。
……しかし、何か……
なにかが、おかしいな。
裏山:ああ、何かは分からないが、なにかが、変だよな。
確かに元居た地に帰って来た筈なのに、まるで、形だけよく似た異国に、迷い込んでしまったような。
大亀:……大層羽目を外しておられましたし、まだ疲れが随分溜まっていらっしゃるでしょうから、
その所為で、頭もまだ上手く、回り切ってはいないのではないでしょうか。
なにぶん、竜宮城と俗世では、何もかもが掛け離れておりますゆえ。
浦島:そう……なのかな。
そういうことにしておこうか。
裏山:ああ、何はともあれ、先ずは帰って、ぐっすりと寝ることだ。
文字通り、寝る間も惜しんで、遊楽三昧だったからな。
恐らくは、亀の言う通りなんだろうよ。
大亀:はい。
それでは、おさらばです。
良き日々を。
浦島:ああ、きみもね。
裏山:ご苦労さん。
浦島:……さて、じゃあ、帰って泥のように眠るとしようか。
言われてみたら、何だか疲れが、波濤の如く押し寄せてきた気がするよ。
裏山:そうだな。
土産の話は、また後日に回すとしよう。
浦島:ああ。
語部:そして、各々に賜った土産箱を抱えて、各々の帰路についたふたりは、
寝床に入るや否や、一考を巡らせる間も無く、深い眠りへと落ちた訳ですが……
……え、落ちは知っているから、もう良い?
いやいやいや、まあまあまあ。
そう仰らず、ここまで来たのですから、最後までお付き合い下さいよ。
歪にでも一度広げてしまった風呂敷は、どのような形であれ、綺麗に畳んで、しまっておかなければ。
(咳払い)
さて、そんなこんなでそのまま日を跨ぎ、陽が昇り直した翌朝。
七日七晩が経ち、浦島の飲んだ竜宮錠の効能も、切れてしまった頃合ですね。
朝方から裏山が、浦島の家へと騒々しく、飛び込んで来ました。
……ですが、そこには。
裏山:おぉい、浦島の。
聴いておくれよ、あの大仰な箱の中身。
なんとなんと、活きのいい大振りな魚や貝が、これでもかと鮨詰めみたく……
って、あれ、浦島の?
語部:そこには、浦島の姿は無く、
代わりに何故か、亀が一匹と、例の小箱がひとつ、開かれずに置いてあるのみでした。
裏山:なんだ、また来ていたのか、亀よ。
おまえさん、浦島を見なかったか。
……と、んん?
なんだ、よくよく見たらおまえさん、あの亀とは違うやつだな。
大方、産卵に上がったまま戻れなくなって、此処まで来てしまったのかな?
仕方の無いやつだ、よいしょっ、と。
語部:裏山は亀を抱え込み、浜辺まで運んでやると、
亀は裏山に頭を下げると、いそいそと海へと潜り、すぐにその姿は見えなくなりました。
欲の深い裏山志太朗はそれを見て、こんなことを考えます。
裏山:うーん……
あの亀が、今の礼にともう一度、竜宮城に招待してくれないかなあ。
流石に、招かれずに二度も押し掛けては、門前払いされるが落ちだろうからな。
……しかし、おれのもそうだが、やはり浦島の家も、やたらと朽ちて、草臥れていたな。
七日も空けていたから、賊や童に、荒らされでもしたんだろうか。
それに、肝心の浦島は、一体何処に行ったんだ。
まさか、もう漁に出掛けたのかな、全く律儀なやつだ。
……んん、待てよ?
………………
ああ、絶好の好機じゃあないのか、これは。
語部:そう零して、にやりと唇を歪ませると、こそりこそりと、浦島の家へと戻る裏山。
そこから何かを持ち出して、抜き足差し足で自分の家へ帰った裏山の手には、
乙姫より開けてはならぬと釘を刺され、浦島に手渡された、あの玉匣が。
意地汚くも裏山は、我慢出来ずにとうとう、許しも得ずに浦島のものを、盗んで来てしまったのです。
裏山:知っている、知っているぞ。
こういった代物は、小さい方に値打ち物が入っていると、相場が決まっているものだ。
浦島にせがもうとも思ったが、当の奴が居ないのならば、仕方の無いことだよな。
浦島:……あれ、おかしいな。
どうしてぼくは今、海を泳いでいるんだっけ。
ええと、確かぼくは……
虐められていた亀を助けて、竜宮錠とやらを飲み、竜宮城に招かれたんだよな。
その後に、おかしな箱を渡されて……
ああ、しまった。
結局あの箱は、開けずに置いてきてしまったなぁ。
まぁ、いいか。
どうせ、……ええと、誰だったかな。
そう、欲の強い、あの、あいつあたりが、ぼくが居ないのを良いことに、勝手に開けてしまうだろう。
中身がどんなものかは気になるが、乙姫様に直接訊けば……
……あぁ、そうだ、乙姫様だ、竜宮城だ。
乙姫様の元へ、竜宮城へ、一刻も早く、戻らなければいけないのだった、そうだった。
急がねば、そうだ、急がねば。
乙姫様は、怒らせてしまうと怖いのだ。
……しかし、そう言えば、さっきぼくを助けた漁師。
どこぞでみた、かおだった、ような。
………………
まあ、いいか、いいのだ、そんなことは。
かえらなければ、ぼくは。
いっこくもはやく、りゅうぐうじょうへ。
裏山:どれ、何が入っているんだ、どうだ。
空よりも澄んだ真珠の玉か、天日よりも眩しい金の珊瑚か。
はたまた、乙姫様が召していたような、天の羽衣、いや、海の羽衣かもしれないな。
ああ、思い巡らせるだけで、垂涎で溺れてしまいそうだ。
ええい、装飾がもどかしい。
………………
……おぉっ、開いた、開いた。
さぁて、では、満を持してのご開帳だ。
なんだ、なんだ。
語部:期待に胸を膨らませつつ、いよいよもって、玉匣を開いてしまった裏山。
それに入っていたものは、やれ真珠の玉でも、やれ金の珊瑚でも、まして、海の羽衣などでもありませんでした。
裏山が箱を開けるや否や、真っ白な煙が、獣のようにぶわりと飛び出しては、
瞬く間に、彼の身一つをすっぽりと、包み込んでしまったのです。
時を同じくして、もはやその身に心も在らず、招かれるがまま、導かれるままに、
白妙の泡波の中を漂い泳ぎ、沈み行く浦島、らしきもの。
やがて、そして。
蒼白の幕を抜けた暁に在ったふたりの姿は、疾うに、変わり果ててしまったものでした。
大亀:……ああ、あぁ。
乙姫様、待ち焦がれたお客様が、おいで下さいました。
乙姫:ええ、まあ、まぁ。
存外、早く来て下さいましたわね、浦島様。
貴方様のまたのお越しを、いいえ、お帰りを、今か今かとお待ち申し上げておりましたわ。
やはり、わらわの案に違わず、貴方様は人の形よりも、そうであった方が一層凛々しく、相応しいですわ。
……ああ、そうそう。
浦島、などという低俗な名も、もう要りませんわよね。
貴方様ももう、無限永劫にわらわのもの、それだけのものなのですから。
さあさぁ皆のもの、何をぼんやりとしているのですか。
久方振りに、新たな眷属を迎え入れるのですよ、饗宴の準備をなさい。
人如きを饗した粗鬆なものよりも、もっともっと、燦爛たる祝宴を。
大亀:……はい、乙姫様。
浦島:おおせのままに、乙姫様。
裏山:ぶわっ、うわっ。
ぺっ、ぺっ、何だいこりゃあ、何が起こった。
どんな仕掛けか分からんが、なんてたちの悪い悪戯だ。
奇々な趣向があったもんだな、たまったもんじゃない。
まったく、ええっと……
……ありゃ、そもそもおれは、なんでこんな箱を欲しがって、開けようと思ったんだっけか。
うぅん……んん?
いかんいかん、どうしたことだ。
今の煙が、おれの全部を持って行っちまったのか、何も思い出せんぞ。
村人:えっ、あれ、おい。
あんた、此処で何をしてるんだ。
裏山:あん?
村人:いや、驚いたな。
此処にはもう随分と、人っ子一人住んじゃいなかったはずなんだが。
裏山:……なんだ、そりゃ。
何を言ってるんだ、どういう意味だい。
村人:いやな、なんでもこの辺りにゃ、漁師がふたりばかり、住んでいたらしいんだが。
ある日から突然ぱったりと、音沙汰が途絶えちまったんだとよ。
噂によっちゃあ、海の物の怪に誑かされて、拐かされただのなんだのって。
それ以来、みんな怖気付いちまって、ここいらに近付く漁師なんてとんといやしねぇんだ。
彼此もう、何十年前も分からねぇくらい、昔っからの話だけどな。
裏山:へぇ、聞いた覚えも無い話だが。
そりゃあ何とも、おっかない厄事もあったもんだな。
くわばら、くわばら。
村人:ところで、爺さん。
此処いらじゃ見掛けない顔だが、あんた、一体何処から来たんだい。
裏山:……何だって、爺さん?
爺さんってのは、誰のことを言ってるんだ。
村人:おいおい、他に誰が居るよ。
頭でも打ったんじゃねぇのか、爺さん。
いくつのつもりか知らねぇが、そのなりを見たら、誰だって爺さんって呼ぶさ。
裏山:……なんだぁ、そりゃぁ。
おかしいじゃねぇか、だって、おれは……
村人:もしかしてあんた、海から流されでもしてきたんじゃあねぇだろうな。
自分の名前くらいは、分かるかい。
裏山:おれの、なまえ?
村人:そうだ、お前さんの名前だ。
なんていう?
裏山:ああ、それくらいは覚えてるよ、莫迦にするない。
俺の名前は、うらましっ……
ん、あれ、うらまゃっ……
えーと、んん?
ちょっと待っておくれよ、ここまで出ているんだ。
うらまっ、うらやぁ、うるっ、うらやぃしっ……
ありゃ、あれ?
村人:おいおい、悪ふざけはその辺に……
裏山:……あ、ああ、あぁ。
そうだそうだ、思い出した。
いやいや、忘れる筈が無いだろう、己の名前くらい。
おれの名前は、浦島だ。
浦島太郎。
それが、おれの名前だ。
語部:……斯くして、この物語はおしまいです。
片や、嘗て浦島太郎と呼ばれた心優しき漁師は、
青海の底に棲まう乙姫の企みによって、永劫に近い時を漂う、あぶくの一片と成り果てて。
片や、嘗て裏山志太朗と呼ばれた心卑しき漁師は、
歪に喰い違い続ける、時の歯車の狭間に置き去りにされ、
最早自身の名も思い出せぬまま、羨み続けた友の名を遂に奪い騙ったものの、
生来のその性格では、救いの手を差し伸べる者も居らず、
白眼視に晒される余生を送ったのち、独り寂しく、亡骸も骨も、全てを波に、攫われてしまったそうな。
……って、あれ。
あーあ、気が付けばお客様も、すっかりがらんどうになってしまわれた。
いやまぁ、此処まで曲がり狂ってしまっては、無理もありませんがね。
それじゃあ、下りた幕はさっさと仕舞って、次なる御話を考えましょうか。
此度お送り致しました御伽話は、「浦島太郎」……
いや、「浦島らしき太郎」、とでも題して、綴じておきましょうか。
では、何時か、何処かの皆々様方。
いずれ、陽も海へと沈み逝く、誰そ彼時の舞台にて、
またのお越しを、心より、お待ち申し上げております。
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