早矢仕さんの華麗なるミッタークエッセン
(登場人物)
・早矢仕(はやし):♀
早矢仕財閥の令嬢。
一般常識が通じない且つ、料理センスが壊滅的な、高飛車な女学生。
愛する相手には純粋で、目的の為には手段を選ばない。
専属のボディーガードがいる。
一人称は私(わたくし)。
・大森(おおもり):♂
早矢仕に恐喝まがいの告白を受け、付き合うことになった彼氏。
どこにでもいる一般人。
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(役表)
早矢仕♀:
大森♂:
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大森:あのさ。
早矢仕:はい?
大森:少し、状況を整理したいんだけど。
早矢仕:なんですの?
随分と藪から棒に。
大森:いや、あのね。
ちょっと今朝から、俺の目とか耳とかが狂ってるのかもしれない事案が立て続けに起きてるから、
念の為に、早矢仕さんに直接、確認を取りたくてさ。
早矢仕:はあ。
それは構いませんが、見た感じは普通ですわよ?
違和感や異常だと感じられるような何かは、特にこちらからは、確認出来ませんけれど。
大森:まあ、良いから良いから。
えっとね。
まず前提として、俺は昨日から、早矢仕さんと付き合う事になったんだよね?
早矢仕:ええ。
もうこの時点で、大森さんの人生は勝ち組の仲間入りをしたも同然ですわ。
この私とお付き合い出来るだなんて、
本来は、例え一国の主が札束をいくら積んだとて叶わない、
まして凡人では、夢で見るにも観覧料が発生するような絵空事ですわよ。
大森:うん……
記憶違いでなければ、告白されたのは俺の方なんだけどね。
早矢仕:違いますわよ?
大森:なにが?
早矢仕:私が告白したのではなく、大森さんに、私に告白されるという名誉を特別に差し上げたのです。
そこを履き違えてしまわれては困りますわ。
大森:ああ……そうだったんだ、それはごめん。
なんか、告白された時、黒スーツを着た人達に取り囲まれた状態だったから、
周囲からの形容し難い無言の圧に耐えながら、状況を把握するのに必死だったんだよね、俺。
いやまあ、断る理由は無かったけど、もし仮に断りでもしようものなら、
その場で即殺処分されるんじゃないかなって思って。
早矢仕:まさか。
流石にこの法治国家の中では、そんな乱暴な手段は取りませんわよ。
私のボディーガードは優秀ですの。
大森:ボディーガード。
早矢仕:ええ。
私付きの、専属のボディーガードですわ。
大森:へー、本物のボディーガードって俺初めて見たなあ、すごいなー。
でも、護衛と呼ぶにはあまりにも、何というか……殺意の塊みたいな人達だったような。
早矢仕:選りすぐりの腕自慢を採用していますので。
元傭兵、元軍人、元SP、などなど。
こと肉体の強さに関しては、全幅の信頼を寄せるに値しますわね。
大森:へえー……
甘酸っぱい筈のイベントの真っ最中に、そんな大変な集団に取り囲まれてたんだ、俺。
……それで、えーと、待ってね。
口振り的に、法治国家じゃなかったら殺ってたのかな?
早矢仕:いえ、せいぜいテーザー銃を撃ち込んで昏倒させた後、記憶の改竄を行うくらいですわ。
告白されたという客観的事実の隠蔽は簡単ですけれど、
人間の記憶そのものを消すのは、なかなか難しくて。
大森:おかしいな。
テーザー銃って銃刀法に抵触するから、使うどころか所持もしちゃいけない決まりだった気がするんだけど。
早矢仕さんだけ世界観がずれてるというか、サイエンスフィクションな未来に生きてないかな?
記憶の改竄なんて、漫画とかでしか見た事無いよ。
早矢仕:ええ、ですので今の所、成功率は五分五分といったところですわね。
大森:残りの半分どうなっちゃったのかな?
……つくづく、断らなかった過去の俺を表彰したいって思うよ。
早矢仕:おめでとうございます。
大森:ありがとう。
ここまで価値が不明瞭な栄誉は生まれて初めてだ。
……まあ良いや。
で、今日は、わざわざ俺の分の昼食も、作ってきてくれたんだよね。
早矢仕:ええ。
誰の手も借りず、私自らが手掛けた、極上の逸品ですわよ。
まあ、手を抜きたくなかったので、少しだけ、使用人にも協力を仰ぎましたけれど。
大森:へえ。
やっぱり使用人とかもいるんだね。
それは、工程のどの辺りで?
早矢仕:準備段階、ですわね。
世界中から、私が調理するに値する、最高級食材を集めさせましたの。
庶民の集まる百貨店に、無造作に陳列されている物なんて、
誰がいつ触って、どんな不純物が付着しているか分かりませんもの。
大森:なんて言うか、息を吐くようにあらゆる方面に失礼を働くなあ。
品質管理には、どの店も結構、ちゃんと力入れてると思うけどな。
早矢仕:信用出来ませんわ。
大森:あ、そう……
早矢仕:それとも、なんですの?
大森さんは、私のこの見目麗しい指が、得も知れぬ細菌に侵されて、
腐り落ちてしまっても構わない、と仰るのですか?
大森:例えが極端だし物騒だね。
そんな事が現実で起こり得たなら、その頃にはもうこの国全土で、
取り返しのつかない規模のバイオハザードが巻き起こってるんじゃないかな。
早矢仕:それを未然に防ぐという意味でも、最善の方法を取ったまでですわ。
大森:そうだったんだね。
とんだ救世主がいたもんだ、失礼しました。
……で、その結果出来たのが、この……えーと。
マグマ?
早矢仕:カレーですわ。
大森:ダークマター?
早矢仕:カレーです。
大森:ん?
早矢仕:はい?
大森:闇属性のスライム?
早矢仕:カレーです。
大森:ボコボコいってるよ?
早矢仕:はい。
大森:はい?
これ生きてない? 蠢いてるよね?
早矢仕:はい。
大森:はい?
早矢仕:紛うことなきカレーですわ。
ついさっきまで加熱してましたので、そうもなるでしょう。
大森:何を使って、何度で加熱したらこうなるの……
……ん、待って?
ついさっきまで?
早矢仕:ええ。
より味わい深く、出来上がりたてを召し上がって頂く為に、
昼休みに入る5分前まで、じっくり煮込んでおりましたの。
大森:授業中だよね?
早矢仕:何事にも、手は抜かない主義ですので。
大森:授業中だったんだよね?
早矢仕:メイドが代行して受講しておりますので、何の問題もありませんわ。
大森:授業中にカレーを煮込むのは、百歩譲って良いとしても、
メイドさんと早矢仕さんの役割逆じゃないかな?
早矢仕:何事にも、手は抜きたくありませんので。
大森:学生の本分に手を抜いてるのは良いんだ……
早矢仕:何か?
大森:いや、別に。
取り敢えず、授業中に、
事件性を疑いたくなるような、殺人的な異臭がしたのは、気のせいじゃなかったんだね。
俺の鼻は正常だったみたいだ。
早矢仕:食欲増進になりましたでしょう?
大森:うん……
どちらかと言えば食欲減退だったし、正直、新手のガス兵器か何かかなって思ったくらいだけども。
人って、匂いだけで生死の境を彷徨うとかあるんだね。
俺、救急車の順番待ちとか初めて見たよ。
早矢仕:庶民には到底理解出来ない至高の馨香、と言ってくださいませ。
美味なる物とて、不快な異臭を放つ物はありますでしょう?
ムロアジの干物や、ニシンの塩漬け等が挙げられますように。
大森:曲がりなりにもカレーを名乗ってる物体が、
くさやとかシュールストレミングと並び立っちゃいけないと思うんだ。
……まあ、この名状し難いカレーのようなものに関しては、この辺でいいや。
で、次の問題なんだけど。
早矢仕:まだありますの?
早く召し上がらないと、冷めてしまいますわよ?
大森:うん、何ならむしろそれが狙い。
なんか、スプーンが赤熱するレベルで煮え滾ってるからさ。
まだこの若い身空で、自分の消化器官とお別れはしたくないんだ。
早矢仕:はあ……分かりましたわ。
で、お次は何ですの?
大森:まあ、これはもしかしたら見間違いかもしれないし、聞き間違いかもしれないから、
間違ってたら否定してくれて全然構わないんだけど。
欲を言えば、見間違いで聞き間違いであって欲しいし、否定して欲しいまであるんだけど。
早矢仕:ええ。
大森:早矢仕さんさ。
早矢仕:はい。
大森:本当、間違ってたらごめんね。
早矢仕:はい、どうぞ?
大森:今朝、登校してた時さ。
炊飯器持ってなかった?
早矢仕:持ってましたわ。
大森:やっぱり持ってたよね?
早矢仕:持ってました。
大森:俺の見間違いじゃないよね?
早矢仕:ええ、見間違いではありませんわ。
大森:鞄じゃなくて炊飯器持って、校門くぐったよね?
早矢仕:はい、間違い無く。
大森:早矢仕さんが今朝持ってたのは、
(同時に)炊飯器。
早矢仕:(同時に)炊飯器。
そうです。
大森:そっかあ。
俺の幻覚っていう希望は、儚くも露と消えたかあ。
残念だなあ。
早矢仕:何を残念がっているのか分かりかねますわ、大森さん。
お米は炊きたてでないと、美味しくありませんでしょう?
大森:うん、その意見には賛同するんだけど、そこじゃないんだ。
全くもってそこじゃないんだよ、早矢仕さん。
そこじゃない。
早矢仕:何故3回言いましたの?
大森:とても大事なことだからかな……
……あ、だから炊けた状態で持ってきたんじゃなくて、わざわざ学校で炊いたの?
早矢仕:いかにも、ですわ。
大森:廊下の静寂を打ち破るかのように唐突に響き渡った、
「ご飯が炊けました」っていう機械音声は、俺の聞き間違いじゃなかったんだね?
早矢仕:はい。
授業終了15分前に炊き上がるよう、設定しておきましたので。
大森:蒸らし時間まで考慮に入れる徹底ぶりには感服するけど、何故それを学校で……
早矢仕:それは、私が何事にも、
大森:手を抜きたくないから……
早矢仕:はい。
そういうこと、ですわ。
大森:誇らしげにされてもなあ。
その台詞は本来、免罪符として使う物じゃないんだけど。
……でね、この炊飯器の中身にも疑問があってさ。
早矢仕:はい、何でしょう?
大森:これさ、何合?
早矢仕:3升です。
大森:……何合?
早矢仕:3升です。
大森:3合?
早矢仕:3升です。
大森:単位揃えてくれないかな?
早矢仕:ああ、すみません。
30合ですわ。
大森:そうだよね、それくらいあるよね。
「何か、炊飯器が異様にでかく見えるな……」
「でも、俺の遠近感が狂ってるだけかもしれないしな」って、自分に言い聞かせてたんだけど、
やっぱり炊飯器、実際でかいよね?
早矢仕:ええ、特注品ですので。
大森:特注品。
早矢仕:はい。
大森:わざわざ、この為に?
早矢仕:ええ。
わざわざ、この為に。
大森:俺一人の為に?
早矢仕:ええ、大森さん一人の為に。
食べ盛りの男児の食欲たるや、ブラックホールの如きと聞き及んでおりますので。
大森:うーん、何て言えば良いんだろうな。
それはあくまで比喩表現であって、イコールが成り立つわけじゃないんだよ、早矢仕さん。
確かに俺も、食べ盛りの男児に該当する年頃だけど、限界容量って物がちゃんとあるから。
早矢仕:そうなんですの?
食べた物が胃袋に収められた傍から、無制限に消滅していく訳ではなく?
大森:うん、そうなんだよ。
俺の胃袋にも、物理法則は働いてる。
早矢仕:それは、誤算でしたわね……
でも、もう炊いてしまいましたし……
大森:いや、別に今この場で全部食べなきゃいけない訳じゃないんだしさ。
余った分はおにぎりとかにして、他の人に配ればいいんじゃないかな。
早矢仕:それは妙案ですわね。
流石は大森さんですわ。
大森:それほどでも。
早矢仕:じゃあ、お話はこれで終わりですわね?
大森:いや、ごめん。
あとひとつだけ。
早矢仕:あら、まだありましたのね。
これは失礼致しました。
大森:うん、ごめんね、食事前に時間取らせちゃって。
早矢仕:いえ、構いませんわ。
心に疚しい事があっては、純粋な気持ちで食事を楽しめませんし。
それで、何です?
大森:味見した?
早矢仕:………………
大森:早矢仕さん。
早矢仕:………………
大森:早矢仕さん、こっち見てくれないかな?
早矢仕:………………
大森:早矢仕さん、味見……
早矢仕:あら、程よく温度も下がったようですわ。
もうスプーンを持っても大丈夫そうですわね。
大森:早矢仕さん。
早矢仕:さぁさ、大森さん?
せっかく恋人として初めての、2人きり水入らずの昼食ですし、
私自らが、「あーん」をして差し上げます。
大森:早矢仕さん。
早矢仕:さあ、目を閉じて、口を大きく開けてくださいまし……
(大森、早矢仕の手首を掴んで止める)
早矢仕:あ。
(以降、しばらくお互い猛烈に、相手の方にスプーンをやり合おうとしながら)
大森:早矢仕さん、まあ一旦待とうか。
早矢仕:何ですの、大森さん。
手を離して下さいません?
零れてしまいますわよ。
大森:いやね、差し出された彼女の手料理を押し返すのは失礼極まりないのは重々承知なんだけど、
やっぱり料理において、味見って凄い大事だし、
それを忘れてる、もしくは怠ってしまっているなら、今からでも遅くはないと思うんだ。
取り敢えずこの一匙は、このまま早矢仕さん自身の口に運んでくれないかな?
早矢仕:心配には及びませんわ、大森さん。
何せ先程も申し上げました通り、このカレーに使った材料は、
どれも品質が完全保証された、最高級品ですから。
わざわざ味見などせずとも、頬が落ちる絶品である事は自明の理というもの。
ならば、その栄光の一皿の一口目は、大森さんが召し上がってこそ、
大森さんの彼女たる私の本懐とも言えるでしょう。
大森:頬が落ちるっていうか、物理的に頬肉が刮げ落ちる恐れが見え隠れしてるんだよね。
だいぶ冷めてる筈なのに、未だに何かが泡立ってるしさ。
材料が最高であったとしても万が一、早矢仕さんに限ってそんな事は無いとは思うけど万が一、
少しばかり料理が不得手だったとしたら、その過程で不測の事態が起こる事だって有り得るでしょ。
早矢仕:億が一にも有り得ませんのでお気になさらず。
確かに、これまで料理を試みた際に、多少なりとも大なり小なり失敗はありました。
でもそれは、何事においても、誰しもが通る登竜門でしょう?
むしろ、失敗を重ねてこそ、より目指すべき高みへと昇華するものです。
何度かケアレスミスで、厨房を建て替えたり、コックを数名新規雇用する事になったりはしましたが、
気に病むほどの事ではありませんわ。
大森:料理中に一体何が起こったらそんな事態になるのか、気に病み過ぎてカレーが喉を通りそうもないから、
事細かに説明してもらっていいかな?
早矢仕:いいえ。
大森さんが知る必要は無い、取るに足らない出来事ですので、本当にお気になさらず。
大森:うーん、知りたいなー、否が応でも知りたいなー。
今まさに眼前に差し迫ってる、その事案の一因と思しき料理(?)の危険性を追究する意味でも。
早矢仕:危険だなんて、そんな大袈裟な。
なんの変哲も無い、ただのカレーですわよ。
一般的にはあまり馴染みの無い材料も、隠し味程度に使っているので、
ほんの少し変わって見えるだけです。
大森:馴染みが皆無だったとしても、隠れてるべき物の影響で、
変哲を凝縮したような変異体にはならないと思うんだよね。
大袈裟だと思うなら、まずは一回だけでも、この場で味見してみてくれないかな?
そうしてくれたら、俺も抵抗なんてせずに、「あーん」でも何でもしてもらうからさ。
早矢仕:味見なら、しましたわよ。
大森:え?
(スプーンの押し付け合い、終了)
大森:え、したの?
早矢仕:ええ、しましたわ。
大森:ん、え?
じゃあ、なんでさっき。
早矢仕:味見は、メイドがしましたから。
私自身では、していないんです。
なので、嘘を吐いてしまう事になるのではないかと、つい口を噤んでしまったのですわ。
大森:そう、だったんだ。
早矢仕:ええ。
メイドも何故か大森さんと同じで、頑なに味見を推奨してきたものですから……
味見をさせて貰えないのなら、今この場で、自ら命を絶つ、とまで言われてしまって。
大森:自ら命を絶つ。
早矢仕:こめかみに拳銃まで構えられてしまって。
大森:こめかみに銃。
早矢仕:右手に拳銃、左手にカレーという、鬼気迫る出で立ちでしたわ。
大森:思い浮かぶ絵面のシュールさが凄い。
早矢仕:……そして、遂に私は、彼女のその気迫に負けて、ゆっくりと、首を縦に振りました。
それを見た彼女はやがて、大粒の涙を流しながら、
安堵の表情で拳銃を捨て、カレーを口へと運んだのです。
大森:最後の一文で、一気に緊張感が瓦解するんだよなあ。
……それで、どうなったの?
早矢仕:「あと、ほんのひと味加えたなら、
これに比肩する料理は、あらゆる意味において、この世に存在し得ないでしょう」
そう言ってその後、何か手を加えたらしいのですけれど……
「見られたら死ぬ」と凄まれて、その過程は見させて貰えませんでしたの。
でも、明らかにその前後でカレーの色が変わっていましたから、
よほど不思議な手を加えたんだろうな、というのは、想像に難くないですわね。
大森:よほど不可思議な量の手を加えないと、もはやどうしようも無かったんじゃないかな……
それにしても、メイドさんのその、軽率に死に走ろうとする気概が怖い。
早矢仕:……なので、誰の手も借りず私自ら……というのも、どのみち嘘になってしまいますわね。
少しでも大森さんに良く見られたくて、つい、見栄を張ってしまいました。
大森:早矢仕さん……
早矢仕:……私、こんな性格ですし、望む物が手に入らなかった試しが無くて、
それこそ、何もかも、誰も彼も私の一言で思い通りになると、そう信じてしまっていました。
でも、私とてちゃんと、分かっているんです。
そう出来るのも、そんな傍若無人が許されるのも、
全ては私ではなく、早矢仕の財力があって成せる業であり、
私は、その威を借りているに過ぎないと。
……この学校でも、入学当初から、
同級生だろうと、先輩・後輩だろうと、教師ですらもが、
私ではなく、早矢仕という私の大きな影に竦んで、わざとらしく傅いていました。
時には、不躾にもそれに肖ろうと、私との不浄な交際を申し出てきた下民もいましたわ。
大森:しれっと下民って言っちゃうんだね……
早矢仕:……でも、大森さんは違いました。
早矢仕の娘としてではなく、早矢仕という私として見てくれている。
私の言葉に異を唱え、私の行動を妨げ、
あまつさえ、私からの施しを拒絶するなど、
どれもこれも、これまで経験した事の無い、大事件でした。
だからこそ、私は大森さんに果てしない興味を抱き、
貴方を私の人生のターニングポイントにしようと、心に決めたのです。
……おかしな話だとは、私も思います。
けれど、今日のこのやり取りを通して、私はより一層、貴方に惚れ込んでしまったのですわ。
大森:……そんな……
早矢仕:とは言え、大森さんが仰った通り、恐喝めいた方法で交際を強要したのも、また事実。
なので、今この場で、改めて問わせて頂きます。
大森さん、私と、お付き合い……して下さいませんか。
大森:早矢仕さん……
早矢仕:嫌と言いたいのであればこの際、この場ではっきり、そう仰って下さいませ。
今なら、貴方の命を脅かす、屈強なボディーガード達も居ませんから。
……その時は、私は結局変われはしないのだと、勝手に思い知るだけのこと、ですわ。
大森:………………
早矢仕:………………
大森:……ずるいなあ。
早矢仕:え?
大森:そこまで言われて、嫌だって言える男はいないよ。
早矢仕:……では……
大森:うん。
……こちらこそ、よろしくお願いします、早矢仕さん。
早矢仕:大森、さん……!
大森:考えてみたら、たかがちょっと量が多めで、
見た目が少し知ってる物と違うカレーを食べるだけだっていうのに、
何でここまで意固地になっちゃったかな。
ちゃんと味見した人がいるなら、安全性は保証されてるわけだし。
彼氏として、彼女の手料理を無碍にするのは良くないよね。
早矢仕:……ええ、本当ですわ。
これは、大幅な減点対象ですわよ、大森さん。
大森:はは、ごめんごめん。
……さて、じゃあ、せっかく作って貰った珠玉の最高級カレー、頂くとしようかな。
早矢仕:はい。
たんと召し上がって下さいませ。
大森:……あ、その前に、一ついいかな。
早矢仕:はい?
大森:その、例のメイドさんも、呼んでくれないかな。
結果としてその人のお陰で、こうしてカレーが完成してる訳でしょ。
早矢仕さんの努力も勿論だけど、メイドさんの功労も大きいだろうし。
早矢仕:……確かに、それもそうですわね。
大森:うん。
だから、一言お礼が言いたくてさ。
早矢仕:成程ですわ、分かりました。
……ただ……その……
大森:あ、やっぱり、そんな理由で呼ぶのはまずいかな?
早矢仕:いえ、そういう訳では、ないのですけれど……
大森:他に何か、問題が?
早矢仕:彼女、カレーの仕上げをしてから、もう一度味見をしたらしいのですけれど、
その後間も無く、よく分からない言語を唱えながら卒倒したそうで。
先程、順番待ちしていた救急車のうちの1台で、緊急搬送されてしまいましたの。
大森:は?
早矢仕:付き添いが言うには、未だに意識が朦朧としているそうで……
本当、美味も極致に至ると、いとも容易く人を壊してしまいますのね。
私、やっぱり自分の才能が怖いですわ。
大森:……えーと……
早矢仕:さあ大森さん。
どうぞ、存分にご堪能くださいましね。
見ての通り、文字通り、おかわりは山ほど御座いますわ。
時間の許す限り、ごゆるりと。
大森:早矢仕さん。
早矢仕:はい。
大森:別れよっか。
早矢仕:………………
大森:………………
(2人、同時に携帯電話を取り出す)
早矢仕:もしもし、ボディーガードかしら?
大森:もしもし、119番でしょうか。
早矢仕:ええ、緊急よ。
大森:はい、救急です。
早矢仕:殺処分を、一匹。
大至急。
大森:救急車を、一台。
大至急。
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