幻ノ涙ハ

(関連作品)

1・人狼投影症候群

2・幻ノ涙ハ


(登場人物)

・ルキナ=アルトマン:♀

国家直属特務調査部に所属するエリート。

普段は割と軽い性格だが、仕事に対しては冷淡な面も。

仕事に私情を持ち出さないはっきりしたタイプ。

特務調査部唯一の「人間と人外のハーフ」。

ただし、それを知る者はほんのひと握り。


・シャル=ハインシュタイン:♂

国家直属特務調査部に最近所属になった新人。

優秀なのだが、ルキナが優秀すぎてこき使われている。

誠実で、何事にも全力で取り組む真面目タイプ。

ルキナの助手として、常に行動を共にしている。


・マリオン=レインオッド:♂

ルキナの上司で悪友。シャルが来る前のルキナのパートナー。

何かにつけて、ルキナをイジりにかかる。

類稀な情報処理能力を持ち、経験を活かし事件を解決する敏腕調査員。


・クロエ/シロエ:♀

人外の少女。

クロエは自らの力を嘆き、シロエは自らの力を使い殺人狂となる。


モブA、モブB:♂

冒頭で死ぬ。


モブC:♂

自警団員。


N:♂

台詞は最後のみ。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

(役表)

ルキナ:

シャル/市長/モブA/モブC:

マリオン/モブB/N:

クロエ/シロエ:

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クロエ:……沢山の人が死んでいく……私のせいで……

    私が、いるせいで……


モブA:く、苦ッ……し……ァ……!!

    頼む、助け……てくれ……タス、ケ……ッ。

    (息絶える)


クロエ:私はこんな力なんて要らない……

    こんな力なんて……!

    ……いっそ……死んでしまえたら……


モブB:……なん……で…………

    俺が……そこにいるんだ…………俺、は……!?

    (息絶える)


クロエ:ごめんなさい……ごめんなさい……

    ごめんなさい……!

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(現在①)


シャル:ルキナさん、今いいですか?


ルキナ:ダメ。


シャル:何でですか!?


ルキナ:忙しいから。


シャル:クロスワードやってるだけじゃないですか!


ルキナ:冗談よ。

    で、なに?


シャル:これなんですけど。


ルキナ:人外事件ファイルナンバー0192……

    ……どっから見付けてきたのよ、こんなの。


マリオン:俺が見せたんだよ、ルキナちゃん。


ルキナ:マリオン……あんたまた余計な事を。


マリオン:だーってさー。

     シャル君がどうしてもー、自分が配属される前のルキナちゃんが知りたいって言うからさあ。

     仕方なーく見せてあげたってわけ。

     そしたら、本人からも直接話聞きたいって、止まんなくなっちゃってさあ。


ルキナ:ハァ……

    全くもう、仕事しなさいよ、仕事。


マリオン:まあまあ、たまには良いじゃん。

     それに、ルキナちゃんだってこの事件の事は、忘れたくても、忘れられないでしょ。


ルキナ:まあ……ね。

    ……分かったわよ、話してあげる。


シャル:ありがとうございます!


ルキナ:……そっか……5年も前のことなのよね、もう。


(現在①終了)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(5年前・特務調査部敷地内・調査課事務所)


マリオン:(イビキをかいて寝ている)


ルキナ:ちょっと! ねえ!

    起きろって言ってんのよ、マリオン!


マリオン:……んぁ?


ルキナ:んぁ? じゃない!

    なに真昼間から事務所で呑んだくれて、イビキかいて寝てるのよ!

    こっちはわざわざ遠出して、依頼の下見に行ってきたってのに!


マリオン:おーぅ……おかえりルキナちゃん。

     ご苦労さん。(欠伸)

     で、お土産買ってきてくれたぁ?


ルキナ:あのねぇ……

    私は遊びに行ったんじゃないの!

    そもそも、今回の依頼がどんな内容だったかって、あんた覚えてる?


マリオン:知らねえ。


ルキナ:ちょっとは考えなさいよ……


マリオン:えー、いいじゃんよ、依頼人にもう一回詳しい話聞いてからでー。

     それより、お土産は?


ルキナ:無いっつってんでしょ。


マリオン:えー……なんだよー。

     お土産も持たせねえ依頼人なんて、俺嫌だわぁ。

     ルキナちゃん一人でもいいんじゃねえのー?

     そろそろ一人立ちってことでさあ。


ルキナ:許可が下りるなら、すぐにでもそうしてるわよ。

    私達特務調査部は原則として、2人組での行動なんだから仕方ないでしょ。


マリオン:全く、上層部もルキナちゃんも石頭だよなー。

     融通が利かないんだから。


ルキナ:あんたが適当過ぎるんでしょうが。


マリオン:んー、いいねえ、その容赦無い物言い。

     やっぱり俺、ルキナちゃんのそういう所好きよ。


ルキナ:うっさい変態。


マリオン:いいねえ、もういっちょ!


ルキナ:永眠しろ!!(回し蹴り)


マリオン:おっと。

     おっかないおっかない。


ルキナ:……ホント、無駄に身のこなしは上手いわよね……腹立つわ……


マリオン:それほどでもー。


​(間)


​マリオン:……で、どんな内容だったっけ。


ルキナ:なにが?


マリオン:なにがって、依頼だよ。


ルキナ:嫌じゃなかったの?


マリオン:まあ嫌だけどー。

     やっぱりちゃっちゃと解決して、ちゃっちゃと帰ってきたほうが、サボれる時間も多くなるしさあ。

     「大都市グランバルト」だっけ、場所。


ルキナ:そうだけど……

    え、ちょっと、今から行く気!?


マリオン:そうだよ?

     善は急げって言うじゃない。

     ほらルキナちゃん、さっさと準備しなよー、置いてくよー。


ルキナ:あっ、ちょっと!

    せめてあと10分……ああぁっ、もう!!

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(大都市グランバルト中央区・市長室)


マリオン:怪奇事件?


市長:ええ。

   この街では、彼此2年以上、奇妙な殺人事件が頻発しているのです。


マリオン:殺人事件って分かってるんなら、俺らの出番じゃなくない?

     自警団の仕事だと思うんだけど。


ルキナ:ただの殺人事件ならね。

    いいから、あんたは黙って話を聞いてて。


マリオン:ハイハーイ。


ルキナ:失礼、続けてください。


市長:は、はぁ。

   殺人事件、と一言に申せども、この都市で起きているそれは、不可解な点がかなり多く、

   自警団も、ほとんどお手上げ状態なのです。


マリオン:不可解な点ねえ……

     例えば?


市長:えーと……あ、あれ?

   確かこの辺に……


ルキナ:第一に、検死をしても、死因がどれも原因不明だということ。

    第二に、死亡時刻が全く合わないこと。

    第三に、加害者の手掛かりや足取りになる物が、欠片も現場に残っていないこと。

    第四に、被害者の身元を洗っても、殺される理由が見当たらないこと。

    第五に、被害者の死亡日前に、決まって「不可思議な現象」が相次いで起こっていること。

    そして第六に、現場の状況からして、明らかに不可能犯罪である殺人が多過ぎる、ということよ。

    既に何十人と殺されてるし、恐らく犯人は同一犯。

    にも関わらず、ここまでなんの手掛かりも残さずに、これほどの……


市長:あっ、いつの間に資料を……


ルキナ:ごめんなさいね、目ざとさと手癖の悪さが、取り柄みたいなものだから。


マリオン:………………


ルキナ:……マリオン?


マリオン:ごめん、もっかい最初から言ってくれる?


ルキナ:ぶっ飛ばすわよ、あんた。


マリオン:冗談冗談。

     まあ要するに、その不可解な点を全部解き明かせば、自ずと犯人ちゃんに辿り着くってわけだ。

     分かり易くっていいじゃねえの。


ルキナ:簡単に言ってくれるわね……


マリオン:今までの案件だって、同じようなのばっかだったろ、一緒一緒。

     ああ市長さん、とりあえず、資料全部コピーしたいんだけどさ。

     コピー機ってどこ? こっち?


市長:ああ、ちょっと! そっちは更衣室ですよ!


ルキナ:ハァ……

    あれさえ無ければ、それなりにまともなのになぁ。


シロエ:……ふうん……また、か。

    ……間の抜けた顔。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(夜・ホテルの一室)


マリオン:うーーーん……


ルキナ:マリオン、お風呂空いたわよ。


マリオン:んーー……


ルキナ:……なに、また被害者の写真と睨めっこしてんの?

    っていうか、散らかしすぎ。


マリオン:俺はルキナちゃんと違って、天才型じゃねーからさぁ。

     こうやって地道に、情報積み重ねてくしかねーわけ。


ルキナ:珍しく真面目ね。


マリオン:あら、俺いつも真面目よ?


ルキナ:ハイハイ。


マリオン:あー、やっぱりいいねー、その冷たさ。

     癖になっちゃいそう。


ルキナ:もう飽きたわよ、そういうのは。

    ……で? なにをそんな唸ってるの?


マリオン:いやねぇ……どっから手を付けたもんかなーってさぁ。

     死因に関しては、物理的な攻撃による物もあれば、

     急性心不全だの脳溢血だの、頚椎の開放骨折だの、明らかに人為的な力じゃない物も多数。

     かと思えば、首が捩じ切れてたり、内臓が全部引っ張り出されてたり、達磨にされてたり、

     丸っきりイカレ野郎みたいな手口で殺されてる時もある。

     しかも、そんだけド派手にやってるってのに、

     現場にゃあ手掛かりのての字も一切残さない、と来られちゃさあ。

     第一関門から難易度高すぎなんだよなー。

     死亡時刻も滅茶苦茶だけど、検死官は「間違いない」って譲らないし、

     被害者の周辺に、暴力団だのなんかの組織だの、そういうのに関与していた形跡も一切無し。

     不可思議な現象とやらも、何回観ても訳分からん。

     あーあー、ヤダヤダ。

     俺らに回ってくる仕事は、毎回毎回これだから肩が凝るわぁ。


ルキナ:……どこから手を付けるかとか言いながら、全部同時にやってるじゃないのよ。

    まさか、ここらへんに散らばってる資料の内容、全部覚えてるの?


マリオン:まあねー。

     あ、あと監視カメラの映像のビデオさ、特別にダビングしてもらったから、後で目通しといてね。

     一応全部見たけど、やっぱよく分かんないわ。


ルキナ:全部って、2年分の映像全部?


マリアン:うん。


ルキナ:全部観て、全部覚えたの?


マリオン:そう。


ルキナ:いつも思うけど、あんたの脳内処理能力どうなってんの?

    まさかとは思うけど、人外的な力とか使って、時間軸いじったりしてないでしょうね。


マリオン:してないしてない。

     ていうか、出来ないから、そんな事。

     効率重視で、一度に1ヶ月分を同時に観るってのを繰り返しただけよ。

     俺は、こういうのは得意だからねー。

     凡人は凡人なりに、頭働かせてるワケ。


ルキナ:あんたは普段から私のこと天才天才って言うけど、

    私からしたら、あんたも十分、常人の域を超越してるわよ。


マリオン:そうかなぁ。


ルキナ:少なくとも、私には真似できないわ。


マリオン:んー、なになにどうしたの、今日は妙に素直に俺のこと褒めるじゃん。

     あ、一緒に寝る? むしろする?

     シた上で一緒に寝る? 久し振りに。


ルキナ:しないし寝ないわよ!!

    シたことも無い!!


マリオン:えー、そうでなくてもやっぱり、ストレス溜まるじゃん?

     性欲も溜まるじゃん?

     そんなバスタオル一枚巻いただけの状態で俺の前に来るとかさ?

     やっぱり誘ってるのかな、って思うじゃん?

     だからさぁ。


ルキナ:死ね!!!


マリオン:死ななーい。


ルキナ:あー、もう!!

    いいからさっさと風呂入ってきたら!?


マリオン:ハイハーイ。

     あ、そこのビデオデッキ、そのまま使えるからねー。


ルキナ:あっそう。

    じゃあ、遠慮無く使わせてもらうわ。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(同時刻・大都市グランバルト郊外)


モブC:ああ、そこの君、ちょっといいかな。


クロエ:えっ、あ……私、ですか?


モブC:うん、ちょっとだけごめんね。

    今、自警団で人を探してるんだけど、こんな顔の人知らないかな。


クロエ:あっ、あの……えっと……


モブC:えーっと、名前が「ラルフ=レーゲン」。


クロエ:!!


モブC:強盗犯で、今も逃走中なんだ。

    まだそんなに遠くには、行ってはいないと思うから……


クロエ:ご、ごめんなさい!


モブC:あっ、ちょっと君!

    どうしたんだ!?


シロエ:ふふふふ……あーあ。

    顔も名前も、聞いちゃったわね。


クロエ:ひっ!?


シロエ:知っちゃったなら……殺さなきゃ。

    ねえ?


クロエ:シロエ……

    ……お願い、やめて……これ以上は、私が耐えられない……!


シロエ:あら、それは無理よ。

    私は、その為だけに存在しているんだもの。

    だったら、それを全うしなくちゃ。


クロエ:そんな……


シロエ:……だったら、力尽くでも止めてみなさいな?


クロエ:………………


シロエ:尤も、貴女にそんな勇気は無いでしょうけど。

    ……ほら、分かったら早く代わって?

    私は、私の役目を果たすから。

    ふふふっ、あはははははは。


クロエ:……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ルキナ:……なにこれ……どうなってんのよ。

    もう一回……やっぱり、おかしいわ、これ……


マリオン:ふいー、さっぱりしたぁ。

     ……ん、どうしたのルキナちゃん、渋い顔しちゃって。


ルキナ:マリオン、このビデオ、本当に日付とかは間違ってないのよね?


マリオン:あー、間違ってないよ。

     ま、流石のルキナちゃんでも、最初はそう疑っちゃうよねえ。

     「同じ日付の同じ時間に全く違う場所で、同じ人物が映っている」なんて、さ。


ルキナ:そして、そこから24時間以内に確実に殺害されている……

    それまで2人いた被害者は1人分の遺体だけ発見され、もう1人は忽然と消える……と。


マリオン:おっかしいよねえ。

     明らかに、「人間の」常識を逸脱してる。


ルキナ:……確かに。

    「人間では」、こんな手の込んだ事はしないわね。


マリオン:お、分かってるみたいだねえ。

     ここまで非現実的な犯行なら、分かりやすい確定事項が一つあるでしょ。


ルキナ:そうね。

    一連の事件はほぼ確実に、人間ではない存在……人外のモノによる犯行。

    これだけは、間違いなさそうだわ。


マリオン:そういうこと。


ルキナ:……で、これからどうするの?

    人外のモノなら尚更、一筋縄じゃいかないわよ。


マリオン:どうするも何もねぇ。

     こっちから何か出来る事は、今んところ、なにも無いんじゃない?


ルキナ:何よそれ。


マリオン:2年間でこんだけ殺してる奴だしねえ。

     こっちからわざわざ出向かなくとも。


(マリオンの電話が鳴り響く)


マリオン:ホラ来た。

     はいはい、もしもし?


市長:ああ、マリオンさんですか、夜分に申し訳ありません!

   また新たに、被害者が出まして!!


マリオン:ですよねえ。

     で、場所は?


ルキナ:………………


(間)


ルキナ:で、現場がグランバルトの隅っこも隅っこ、

    こんな人気の無いスラム街の中だなんて……何考えてるのかしら。


マリオン:自警団の情報によれば、被害者は指名手配中の強盗犯。

     何らかの組織への関係性も疑われてたみたいだし、隠れ家にはちょうど良かったんじゃない?


ルキナ:そういうものかしらね。

    とにかく、急がないと……

    ぅわっ!?


クロエ:きゃぁっ!?


マリオン:わっと。

     どうしたの、ルキナちゃん。


ルキナ:あいたたたたたた……

    ご、ごめんなさい、貴女、大丈夫?


クロエ:あっ……こ、こちらこそ、ごめんなさい!

    ……わ、私……あの……私……私……


ルキナ:……どうしたの?


クロエ:……っご、ごめんなさいっ!!

    (走り去る)


ルキナ:あっ、ちょっと!?

    ……どうしたのかしら、なんか様子が変だったけど……


マリオン:……あの娘……


ルキナ:マリオン?


マリオン:……いやいや、何でもないよ。

     急ごう。


ルキナ:う、うん。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(都市外れ・古びた家屋内)


マリオン:えーっと、じゃあ被害者の情報を纏めると、だ。

     ラルフ=レーゲン、38歳。

     一ヶ月前に銀行に銃を持って押し入り、現金約320万を奪い、逃走。

     追跡していた自警団に発砲し、撃たれた自警団職員一人が軽傷。

     指名手配中で所在も不明だったが、今日こうして、殺害された状態で発見された、と。

     第一発見者は?


ルキナ:このアパートの管理人ね。

    アパートに住み始めたのは最近で、名前も変えてたから、

    管理人は、彼がラルフ=レーゲンだってことは知らなかったみたい。

    中から呻き声みたいな声が聞こえて、現場に向かうと、女の子が震えながら座り込んでた。

    で、その女の子に言われて中を覗いたら、この通り。


マリオン:首が180度捻れた状態で死んでる被害者を発見した……と。

     ……ていうか、ちょっと待って。


ルキナ:なに?


マリオン:それが本当なら、第一発見者はその女の子って事になるんじゃないの?


ルキナ:……そうね。

    でも、その子は管理人さんが怯えてる間にどこかに消えちゃってたらしいし、

    ほとんど特徴も覚えてないみたいだから……その子に話を聞くのは、ほとんど無理だと思うわよ。


マリオン:……ふうん。


ルキナ:…………?

    ねえマリオン、さっきから何を、


市長:マリオンさん、ルキナさん、お待たせしました!


マリオン:ああ、市長さん。

     どうだった? 映ってました?


市長:ええ……やはり、マリオンさんの見立て通りでした。

   ラルフ=レーゲンと思しき人物が、中央区からスラム街の方向へ移動する様子が、

   街中の監視カメラにしっかりと映っていました。

   今から2時間ほど前の映像です。


ルキナ:……は?


マリオン:やっぱりね。

     これで少なくとも、犯人が何者なのかははっきりしたかな。

     たぶんだけど。


市長:えっ!?


ルキナ:マリオン、どういうことよ。


マリオン:あら、ルキナちゃんまで分かってない?


ルキナ:……分かるわよ、明らかにおかしいってことまでは。

    でも、犯人の正体って……


マリオン:被害者がアパートに帰ってきたのは、いつだったっけ?


ルキナ:……なによ、いきなり。


マリオン:いいからいいから。

     いつ?


ルキナ:……2日前よ。

    その後は、外出した形跡も無い。


マリオン:そう、2日前。

     にも拘わらず、2時間前には、アパートから出た形跡も全く無いのに、

     中央区からスラム街へ移動する、被害者本人が映っている、と。

     人相や背格好からしても、まあ本人である事は間違いない。

     つまり、犯人は本人、って事になるわけだ。

     今回だけでなく、おそらくこの件で殺された他の人も、同じく自分に殺されたんだろうね。


ルキナ:……それで?


マリオン:まだ分かんないかなー。

     ルキナちゃん、この事件は何者による犯行の可能性が高いって言ったっけ?


ルキナ:人外のモノでしょ、それが何の……

    あっ!


マリオン:おっ、分かった?


ルキナ:分かったわよ!


マリオン:さっすがー。

     だから、俺が察するにー……

     ……何してんの、そんな慌てて。


ルキナ:……マリオン、特務調査部の情報管轄課の番号、知ってるわよね。


マリオン:うん、知ってるけど。

     どうすんの?


ルキナ:あんた馬鹿じゃないの!?

    条件が少しでも該当する人物のリストを、片っ端からデータで送ってもらって調べんのよ!

    人間、人外問わず、隅から隅まで!

    さっさと帰るわよ、急いで!!


マリオン:えー!?

     それ絶対疲れるやつじゃん!

     俺嫌だよ、これ以上資料と睨めっこすんのー!


ルキナ:黙って手伝いなさいよ!

    あんたの得意分野でしょうが、この木偶の坊!!

    いいからさっさと来る!!


マリオン:ワーオ、いつもより容赦無いねー、ルキナちゃん……

     ……あー、まあそういうわけだから。

     また何かあったら教えて。

     じゃっ。


市長:は、はぁ……忙しない人達だなぁ……

   ああ、いけない、また資料がこんなに……秘書に何か言われる前に、片付けなくては。

   ……しかし、なんて量だ……

   特務調査部とは才能は素晴らしいが、逆に恐ろしくもあるなぁ……

   あの歳で、ここまでの解析をやってのけるとは。

シロエ:……ねえ。


市長:!?


シロエ:今の人達、だぁれ?


市長:あっ……えっ!?


シロエ:ねえ、誰なの? あの人達。

    ねえってばあ。


市長:……なんだ……なんだこれは!?

   一体、なにがどうなって……!


シロエ:……ああ、まあ後でもいっかぁ。

    まずは……私を見ちゃった貴方は、死ななきゃ……ね。

    うふふふふふふふっ……


市長:ひぃっ!?

   やめっ、た、助けッ……ギャアアッ!!?


シロエ:ふふふっ、ふふ、あはははっ!

    死んだ死んだ……また死んじゃった、また殺しちゃったぁ。

    アハハハハ、ハハハハハハハッ!!

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(都市内・裏路地)


ルキナ:私としたことが、迂闊だったわ……

    こんなのが相手なら最初っから、被害者の方を調べても、なにも出てくるわけ無いじゃない……!


マリオン:まあねー。

     しかしルキナちゃん、なんでそんな焦ってんの?


ルキナ:あんた、犯人の目星は付けたクセに、そっちには気付かないの?


マリオン:いやー、なんのことやらさっぱり。


ルキナ:いい?

    確かに被害者自身には、全員誰かに殺されるような深い理由は無かったし、

    被害者同士にも、これといって接点は無かった。

    ……でも、一つだけあったのよ。

    ほぼ9割近い被害者に通じる、共通点が。


マリオン:というと?


ルキナ:この大都市グランバルトの中で発行された雑誌、新聞、ポスター、広告、看板、エトセトラ。

    これまでの被害者は、何処かで大なり小なり、

    顔と名前が、誰でも知る事が出来るメディアに掲載される機会があった。

    それこそちょっとした有名人から、ラルフ=レーゲンみたいな指名手配犯まで、多種多様に。

    勿論、中には本当にたまたま知られてしまっただけの、不運な人もいるでしょうけどね。


マリオン:あー、言われてみれば確かに。

     でも、それが何で、そんなに焦る理由になんの?


ルキナ:まだ分からない!?

    この大都市グランバルトの中で、一番の有名人って言ったら誰よ!


マリオン:そりゃあ……

     ……ああ、そういう事か。

     こりゃあ、確かにまずいね。


ルキナ:寧ろ、これまで殺されていなかった事の方が不思議なくらいだわ。

    しかも、もし奴が、あの人の下に辿り着いてしまったら……


マリオン:結構、個人情報の資料の宝庫だったからなあ。

     今までとは比べ物にならないペースで、被害者が増える可能性があるってわけか。


ルキナ:そういうことよ。

    だから、一刻も早く犯人を炙り出さないとヤバイの!

    今回ばかりは、洒落にならないレベルで!


マリオン:なるほど、同感。

     ……んじゃ、久し振りに。

     このマリオン=レインオッド様の本気ってもんを、お披露目しちゃうとしましょうかねー。


ルキナ:真面目にやりなさいよ。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(現在②)


マリオン:いやー、今思い出してみても、この時のルキナちゃんが、一番生き生きしてたなあ。


シャル:そ、そうなんですか……

    聞いてる限りだと、生き生きというより、追い込まれてたって印象のほうが強いんですけど。


ルキナ:実際そうよ。

    本当、とにかくスピード命だったから、形振り構っていられなかったもの。


シャル:ルキナさんでも、そういう時あるんですね……


ルキナ:5年前だからってのもあるけどね。

    でも、あの時はマリオンも、珍しく全然軽口叩かなかったわよね。


シャル:ええっ、意外。


マリオン:んー。

     あんだけ追い込まれてるルキナちゃんの前でふざけた真似すると、本気で殺されそうだったからねー。

     自粛したのよ。


ルキナ:普段からそうしてなさいよ。


マリオン:それは無理。


ルキナ:……(舌打ち)


シャル:そ、それで、その後はどうなったんですか?

    犯人は、見付けられたんですか?


マリオン:うん、3日くらいで。


シャル:3日!?

    え、でも、情報管轄課からもらった資料って、相当な量だったんですよね!?


マリオン:だから言ったでしょ、本気を見せるって。


シャル:は、はあ……


ルキナ:……ほんと、普段から、それを出して欲しいもんだわ……


(現在②終了)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(都市外れ・スラムの一角)


マリオン:さーて、いよいよ、愛しの犯人ちゃんとのご対面って訳だ。

     大丈夫? ルキナちゃん。

     びびってない?


ルキナ:誰に向かって言ってんのよ。


マリオン:んー、良いね、いつも通り。


ルキナ:こんな時までふざけた事言ってないで……

    ……って、何持ってんのよ、それ。


マリオン:何って、見ての通り、銃だけど。


ルキナ:持たない主義じゃなかったっけ?


マリオン:そうなんだけどね。

     ……なんか、嫌な予感がすんのさ、なんとなくね。

     使わずに済むなら、それに越した事は無いよ。


ルキナ:……あ、そう。

    まあいいわ。

    兎に角、奴との鼬ごっこは、今日で終わらせるわよ。

    取り返しのつかない事になる前に。


マリオン:合点。


ルキナ:……ああ、その前に、マリオン?


マリオン:ん、なに?


ルキナ:一個だけ、約束して欲しい事があるんだけど。

​(間)

シロエ:……ああ、この人も違ったかぁ。

​    あーあ、早く見付けないと……早く見付けて……殺さないと……

    ふふっ。

    ねえ、次はもっと、人が多いところへ行きましょう?


クロエ:いや……もう、嫌……

    もう、許して……お願い……!


シロエ:……もう、野暮ねえ。

    ま、良いわ。

    どうせまた、直ぐに私に代わる事になる……

    その時を楽しみにしておくわ、ふふふふっ……        


クロエ:ま、待ってシロエ、私は、……!

    いけない、早くここから逃げなきゃ……


マリオン:はーい、通せんぼ。

     残念でした。


クロエ:!?


ルキナ:そこまでよ、大量殺人犯の人外さん。

    ……ああ、お久し振り、と言ったほうがいいかしら。

    いつぞや、スラム街でぶつかった子よね。


クロエ:……どうして……


マリオン:市長さんの部屋からごっそり無くなってた住民票の住所が、この辺に集中してたからねえ。

     ちょいと張ってりゃ簡単に、ハイ鉢合わせってわけ。


ルキナ:……残念ながら、こうやって向かい合うまでに、何人もの犠牲者を出してしまったけれどね。

    私達は特務調査部からの命令で、この大都市グランバルトにおける大量殺人犯の確保を任務としてるの。

    悪いけど、力尽くでも一緒に来てもらうわよ。


マリオン:抵抗するようなら、最悪の事態も想定しといてね。

     一応、銃も持ってきちゃってるからさ。


クロエ:だっ、ダメです、私に近付かないで!!

    ……わたし、私は……私のこの……力は……


ルキナ:知ってるわよ。

    「ドッペルゲンガー」でしょ。


クロエ:っ!?


ルキナ:本来は、単なる超常現象の一つでしかないドッペルゲンガー。

    定説としては、自分そっくりの分身だとか、同一人物が複数の場所に同時に出現する現象だとか。

    「自分のドッペルゲンガーを見ると死ぬ」、なんてのは、あまりにも有名な話だわ。

    ……まさか、人外の一個人として、独立してるとは想定外だったけど。

    気付いてしまえば、単純な原理だったわ。


クロエ:……っ……


ルキナ:貴女のドッペルゲンガーとしての能力は、「他者の顔と名前を知ることで、その者の分身となる」、

    そして、「オリジナルを追跡し、確実に殺害する」こと。

    言葉だけで聞いたら、反則級の能力だわ。

    ……でも、そんな馬鹿げた能力にも、最大の弱点があった。

    それが、「自らの意思で制御できない」ということ。

    何人、何十人、何百人と殺しておきながら、貴女がそんなにも怯えているのもそのせい。

    ……違う?


クロエ:……私……は……

    ……これ以上……殺したくないんです……

    誰も……誰にも! 死んで欲しくなんかない……!

    わたし……


ルキナ:……分かってる、任せて。


クロエ:……え……?


ルキナ:ルキナ=アルトマン。

    それが私の名前よ。


クロエ:!!!

    駄目、どうして……! 嫌……!

    もういや、殺すのは嫌ぁ!!


マリオン:ルキナ! 無茶だ!!


クロエ:逃げて! 早く逃げてぇ!!


ルキナ:無茶でもやるのよ!

    そうでなきゃ、この子は救われないの!


シロエ:(姿がルキナそっくりに変わる)

    ……あーあ……せっかくいいとこまで来てたのに、残念だわぁ。

    ルキナ=アルトマン……いい名前ね。

    殺しちゃいたいくらい……ふふふふっ。


ルキナ:……出たわね、諸悪の根源。


シロエ:あら、人聞きが悪いこと言わないで頂戴。

    私は、私以外にしかなれないのよ。

    だから、私が私でいる為に、邪魔者を殺すの。

    そうすれば、そうすることでだけ、私は私でいられる。

    それだけの事なのに、なにがおかしいの?


ルキナ:一から十まで全部おかしいわよ、この真性の狂人女。

    それだけの為に、その子の精神を蝕む理由が、どこにあったっての!?


シロエ:仕方がないでしょう?

    この子は私で、私はこの子なんだもの。

    生まれついた時から、こう出来ちゃってたのよ。

    ……尤も、この子が私を自覚したのは、つい最近だけれどね。

    それまでは、とてもとても窮屈な物だったけれど、今は違う!

    生きたいがまま、殺したいがまま!

    したい事は全て出来る!

    この子の臆病な心のお陰で、私は何でも出来るのよ!

    誰に成り代わろうが、誰も私に気付くことなんて出来やしない!!


ルキナ:……いつまでも、何もかも思い通りになると思ったら大間違いよ、井の中の蛙風情が。

    あんたは何も分かっちゃいない。

    私の事も、その子の事も……自分自身の事すらもね!


シロエ:……あ、そう。

    もういいわ、貴女と喋るのも飽きたし、そろそろ死んで頂戴?

    本当はあっさり殺す事も出来るのだけれど、どうせだから、ゆっくり縊り殺してあげる。

    じっくりたっぷり、見えない縄にもがき苦しんで死になさいな。

    見た目によらず頑丈そうだし、どれだけ耐えられるか楽しみね。

    ……そぉれ。


(シロエがルキナに向かって手を翳すと、ルキナの首が強烈に締め付けられる)


ルキナ:ッ!?

    ……あっ……ぐゥ……!


マリオン:ルキナ!!(銃を構える)


ルキナ:……駄目……マリオン……!

    この子は殺しちゃ……私が……なんとかする……ッ!!

    手を、……出さないで!!


マリオン:ルキナ……!!

     ……分かったよ。

     約束通り、君を信じる……!


シロエ:あはっ、どうしたの?

    せっかく銃を持ってきたのに、撃たないの?

    死んじゃうわよ、この娘!

    まあ、私の姿を見た時点で、どのみち死んじゃうけれどね!!


マリオン:……クッ……!


シロエ:悔しい? 悔しいでしょう?

    そうよねえ!

    あと一歩の所まで来ているってのに、相方が今にも死んじゃうんだものね!

    それなら私を殺してご覧なさいな!

    そんな勇気が、貴方にあるのかしら!

    ほら、貴方の相方とそっくりの、この私を撃てる!?

    撃てないでしょ!

    そんな事、辛いものね! 耐えられないものねえ!!


ルキナ:……黙れ……(少しずつシロエに近付いていく)


シロエ:さあさあ、苦しいでしょう? 辛いでしょう!?

    もっと泣き叫んで見せてよ!

    声も出せず、息も出来ず!!

    ただただ虫みたいに這う事しか出来ない、無様な醜態を晒して見せてよ!

    ふふふふっ、アハハハハハハハハハハハッ!!


ルキナ:黙れって言ってんのよ……

    この……臆病者……ッ!!(シロエを抱き締める)


マリオン:!!


シロエ:なっ……!?

    何を……放しなさいよ!

    ッ……この……! どこからこんな力が……!!


ルキナ:ッ……クロエ、聞こえる?

    聞こえたら返事をして!


シロエ:!!


マリオン:……クロエ……だって?


ルキナ:いつまでこいつの殻に怯えて隠れている気なのよ!

    聞こえてるんでしょう!?

    クロエ! クロエったら!!

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(クロエの深層心理)


クロエ:(M)

    ……誰かが叫んでいる声がする……遠い、遠い所で……

    誰を呼んでいるんだろう……私は、そこにいないのに……

    そこにいるのは……シロエなのに……

    ……私は……私の名前は……?

    ……分からない……

    私は誰なのかすら……私には分からないんだ……

    物心付いた時から、シロエには名前があったのに、私には名前が無かった……

    ……羨ましかった。

    どんなにシロエが恐ろしくても、疎ましくても。

    「シロエ」という、人から呼んでもらえる名前があることが。

    名前があるからこそ、そこにいる事が許されたんだ。

    憎んでもらえる、怯えてもらえる、

    ……存在を、認めてもらえる、どのような形であれ。

    それは、「シロエ」だから。

    ……私には……「私」には……何も無いんだ。

    それならいっそ……私なんて消えてしまえたらいい。

    自分の名前すらも知らない……私なんて……誰に認めてもらう事すら……


ルキナ:……エ……! ……ロエ……!

    ク…………!


クロエ:(M)

    まただ……また……聞こえる……

​    ……どうしてだろう……なんで、私は……この声に……導かれているんだろう。

    導かれて、どうするというんだろう……信じるのだろうか。

    信じて……また、裏切られるのだろうか。

    誰かも知らない……声なのに。

    知らない人の……知らない……

    ……違う。

    ……この人は……さっき聞いた……


ルキナ:クロエ!!


クロエ:……ルキナ……さん?


シロエ:!!

    嘘……そんな、そんな馬鹿な!

    そんな馬鹿なことって……あの子が今、出てこられる筈は無いのに!?


ルキナ:クロエ、よく聞いて。

    貴女がシロエに怯えて、自分にすら怯えているのは、自分自身が分からないから。

    誰にも見られず、誰にも聞かれず、誰にも知られず、誰にも教えてもらえない……

    それがどれだけ苦しいのか……私には分かる。

    痛いほどに、ね……


クロエ:…………!


シロエ:まやかさないでよ!

    そんな……そんな理屈!

    綺麗事を並べただけの、汚らしい理屈は聞き飽きたんだ!

    そう言う奴こそ、心の中じゃ、指を差して嘲り笑ってるって知ってるんだ!!

    私も! この子も!!

    人の世界でぬくぬくと生きてるあんたに、あんたなんかに!

    私達の事が分かるもんか!!


ルキナ:分かるわよ!!

    ……私だって……そうだったもの……


クロエ:……え?


ルキナ:人としてでもなく、人外としてでもなく生まれた私は最初、戸籍すらも無かった。

    ……何もかもを恨んだわ。

    自分も、親も、他人も……世界すらもね。

    ……けど、そんな事をしたって、何も得られやしなかった。

    誰をどれだけ殺そうが、自分の存在意義の証明になんて、なりやしないのよ……!


クロエ:……でも、それじゃあ私は……!


マリオン:…………!

     さっきの、人格が……!?


シロエ:なんで……どうして出てくるのよ!!

    こんな奴の言うことなんか……! ねえ!!


ルキナ:……私の所に、おいで、クロエ。


クロエ:えっ……


ルキナ:貴女はまだ、何も知ることが出来ていないだけなの。

    誰にも知られなかったから。

    誰からも、何も与えられなかったから。

    ……だったら、私が責任を持って、何もかもを与えてあげるから。

    この世界で生きる事は、素晴らしい事なんだって。

    人であろうがなかろうが、そんなことは関係無い。

    貴女は存在していてもいいんだって、私が全存在をかけて、証明してあげるから!

    貴女の痛みも、貴女の苦しみも!

    もう、シロエに託す必要は無い!

    シロエの影に怯える日々から、貴女を救いたいの!!

    ……だから……おいで。


クロエ:……でも……でも、私には……名前すら無いんです……

    名前すら無い私に……存在意義なんて……!


ルキナ:だから……言ってるでしょ、何回も。


クロエ:……え?


ルキナ:……クロエ。

    クロエ=ミライン。

    それが、貴女の名前よ。

    貴女には名前がちゃんとある。

    ご両親が遺した、ちゃんとした名前が……ね。


クロエ:……クロエ……クロエ、ミライン……

    私の、名前……私の……?


ルキナ:そう、貴女の。


クロエ:……シロエじゃない……私……

    ……私の、名前……!


ルキナ:おかえり、クロエ。


クロエ:……ただいま……ルキナ、さん……!

(間)

マリオン:やれやれ、これで一件落着……か。

     全くもー……ちょっと!

     肝が冷えるどころの騒ぎじゃないよ、ルキナちゃん!

     いくらなんでも無茶し過ぎだって!​

     見てよ、この手汗の量!


ルキナ:あーあー、煩いわね、悪かったわよ。


クロエ:……あの、ルキナ……さん。


ルキナ:ん?


クロエ:その……一つ、お願いがあって。


ルキナ:なに?

    なんでも言って。


クロエ:私、……鏡が、欲しいんです。


ルキナ:鏡?

    良いけど、どうして?


クロエ:……私はずっと、自分が誰なのかすら、よく分かってなくて。

    「シロエじゃない誰か」……でしかなかったんです。

    だから……

    「クロエ」としての、私の姿を……この眼でちゃんと、視てみたくて。


ルキナ:……そうね、分かった。

    ウチの事務所に戻ったら、立派な姿見があるわ。

    気の済むまで、その眼に焼き付けておきなさい。

    貴女自身を……ね。


クロエ:……はい!

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(現在③)


マリオン:……とまあ、これが通称【ドッペルゲンガー事件】の全容だ。

     どうだった? シャル君。


シャル:いや、どうしたもこうしたも……言葉が出ませんよ。


マリオン:そうだよなー。

     まさか俺も、ルキナちゃんがあんな無理するとは、思ってなかったもんな。

     流石に冷や汗ダラダラだったよー、全く。


ルキナ:だからそれは、悪かったって言ってるでしょ。


シャル:……あ、そういえば、その後そのクロエさんはどうなったんですか?

    やっぱり、違う人格の仕業とはいえ、彼女は彼女だったし、

    完全に許して貰った、とまでは思えませんけど……


マリオン:………………


ルキナ:………………


シャル:え?

    ど、どうしたんですか?


ルキナ:……知りたい?


シャル:え、ええ……まあ。


ルキナ:……じゃ、こっちよ、ついてきて。


シャル:え、こっちって……

    この施設にいるんですか?


ルキナ:直ぐに分かるわよ。


シャル:…………?

(間)

ルキナ:……さ、着いたわよ。

    クロエ、お客さんよ……私の後輩の、シャル。


シャル:……あの、これは、どういうことですか。


マリオン:どうしたもこうしたも、見たまんまだよ、シャル君。

     ……クロエは、もう、この世にはいないんだ。


シャル:どうして!?


ルキナ:……私の不注意だったのよ。

    あの子は生まれてこの方、自分の名前はおろか、自分の姿すら知らなかった。

    鏡を見た事が無かったんでしょうね。

    だから、まずは自分の姿を見てみたいと言ったの。

    ……それが仇だった。

    シロエは、言わばクロエの分身みたいな物だったから、

    自分で自分の姿を見ることによって、具現化してしまったのよ。

    押さえ込んでいたシロエそのものを……その能力でね。


マリオン:自分のドッペルゲンガーを見たら、必ず死ぬ。

     それはドッペルゲンガー自身も例外じゃあない、って事だ。

     シロエはその場で俺が射殺したけど、クロエもまた……助からなかった。


シャル:……そんな……


ルキナ:……いいのよ、今となっては。

    言ったでしょ、忘れられない事件だったって。

    他の誰が忘れたって、私は一生忘れない。

    それが、せめてもの手向けだもの。


シャル:……ルキナさんは、それでいいんですか。


ルキナ:余計なお世話よ。


シャル:だけど!


マリオン:シャル君。


シャル:……なんで、止めるんですか。


マリオン:あの事件で一番辛かったのは無論、クロエだろうさ。

     でも、それと同じくらい、ルキナも辛かった筈なんだ。

     クロエの痛みも、悲しみも、憂いも。

     全てを取り除いてやると決めていたから。

     ……だから、ああやって割り切りでもしないと、ルキナもきっと、壊れてしまう。

     ああ見えて、まだまだ弱い部分があるからね、彼女は。


シャル:………………


マリオン:……この墓標は、ルキナの誓いの場所でもあるんだよ。


シャル:誓い?


マリオン:そう。

     「人なる者、人ならざる者、永久(とわ)に友なれ」。

     そんな世を、実現させる為のね。

シャル:友……ですか。

​    ……でも。

マリオン:ああ、言いたい事は分かるよ。

     今はまだ、人外という存在は、俺達特務調査部によって世間には秘匿されている。

​     ……が、いつまでもそれが続くかと問われれば、答えはノーだ。

     人々が気付かないだけで、既にこの世界に、人外は星の数程いる。

     身を潜めている者もいれば、或いはルキナのように、人に紛れて生活している者だっているだろうさ。

     俺達がいくら隠そうとしようが、世間にその存在が認知されるのも、

     ほんの少しのきっかけさえあれば、すぐだろう。

     ……けど、そのほんの少しのきっかけは、この上なく脆く、そのくせ、あまりにも重い。

     互いに共存共栄するか、はたまた、どちらかが滅びるまで啀み合い続けるのか。

     どちらの道を歩む事になるのかは、極論でも比喩でもなく、俺達次第なのさ。

     ……後者になった場合、どちらが先に滅びるのかなんて、火を見るより明らかだけどね。

     人外達の力に対して、あまりにも人間は脆弱過ぎるから。

シャル:……出来るんでしょうか……そんな事が。

    ルキナさんの誓いに異を唱える訳ではないですけど、

    人外達は人間の社会に対して、あまりにも不慣れじゃないですか。

​    中にはクロエさんや、クロエさんの中にいたシロエさん達のように、

    人を傷付けたり、殺めたりする事でしか、自らの存在を感じられない人外だって、いるかもしれない。

​    そんな人外達が、人ですら生き難い柵が溢れる人の世で、

    生きていけるのか、共存出来るんだろうかって。

​    そう考えてしまう僕は……特務調査部の一員として、間違ってるんでしょうか。

マリオン:間違ってる、と一笑に付すのは簡単だよ。

​     けど、少なくとも今の世では、まだそれが正論で、ルキナの誓いは、只の理想論でしかない。

     それはルキナ本人だって、分かってるだろうさ。

     ……世に2人といない、人と人外のハーフなんだから、ね。

​     それでも尚、その意志は曲げない。

     特務調査部に配属された時から、微塵も心は変わってない。

​     だからこそ、俺は彼女を笑えないし、その誓いも、馬鹿馬鹿しいだなんて貶せないのさ。

シャル:………………

マリオン:いずれ分かるよ、シャル君にも。

     君はまだ、ルキナのパートナーになって、日が浅いからね。

     加えて、彼女は変人揃いの特務調査部の中でも、

     指折りの天然高飛車娘で、才色兼備の完璧超人ときてる。

     俺だって、彼女の事を理解するのに、始めは難儀したもんさ。

シャル:……善処します。

マリオン:うん。

     ……ああ、それはそうと。​

     ちょいと昨日、調査総監からお達しがあってね。

     本当は、準一級以上の調査員にしか、まだ知らされてない事なんだけど。

​シャル:え?

マリオン:どうも最近、妙な人外のモノが出て来てるんだとさ。

シャル:妙な……って、どういう事ですか。

マリオン:今回話したクロエも、そうだったんだけどね。

     これまで俺達が調査してきた人外ってのは、人間以外の生物や物質が何らかの原因で変異したモノとか、

​     抑も生物としての種族が異なるか、そういうのが大多数だったろ?

​     ……ところが、ドッペルゲンガーのクロエ、シロエのような、

     生き物や無機物じゃなく、超常的な現象そのものが、人外化する例がある。

     それが明らかになった途端、というか、恰もクロエの一件が皮切りだったかのように。

     そういう特殊過ぎる、過去にも例を見なかった類の人外が発生するケースが、

     各地で増加し始めてるらしいんだよ。

​     まるで……

シャル:……まるで? なんですか?

マリオン:……いや、何でもない。

     兎に角、気を付ける事だね。

​     ルキナに割り当てられる任務は、只でさえ一癖も二癖もあるやつばっかりだからさ。

シャル:はあ……

N:人外事件ナンバー0192、通称・ドッペルゲンガー事件。

  クロエ=ミラインによる大量殺人事件。

  被害者の数は、確認されただけでも200人を超える。

  「大都市グランバルト」にて死因不明の遺体が次々と発見された。

  死者が大量に出ているにも関わらず、被害者が複数のカメラに同時に映っているという怪現象が頻発し、

  加えて、現場に加害者の物と見られる痕跡が一切無いこと、被害者同士にまるで関連性が無いこと、

  状況的に不可能犯罪である件がいくつもあり、迷宮入りしていたが、

  特務調査部所属一級調査員マリオン=レインオッド、

  並びに、準一級調査員ルキナ=アルトマンが解決。

  しかし、犯人であるドッペルゲンガー、クロエ=ミラインは……

​  ………………

シャル:(M)

    ……この世界には、まだまだ知らない事が多すぎる。

    そう、僕の目の前にいる一人の女性のことですら、僕には、何も分からないに等しいのだ。

    そんな独り言を零した時、彼女は一笑に付し、こう言っていた。

ルキナ:瑣末な事よ、そんなもの。

    無知は無力だけど、無能じゃない。

    知らないなら、知る事が出来るまで足掻けば良い。

    知らない事は、罪じゃない。

    知ろうとしない事、それこそが、最大の罪だ、ってね。

シャル:……勉強になります。

マリオン:それ、俺の受け売りでしょ。

ルキナ:うっさいわね!!

シャル:あははは。

    「人なる者、人ならざる者。永久に友なれ」……か。

    ……僕も、頑張りますよ、クロエさん。

​――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

N:……しかし、犯人であるドッペルゲンガーの人外、クロエ=ミラインは、調査員が目を放した隙に自害。

  自害の方法、及び被害者の全ての殺害方法は報告されておらず、謎のままである。

  この事件に於ける全ての回収し得た遺体は、施設内集団墓地の一角に手厚く埋葬し、

  人外に関する情報統制プロトコルに従い、秘匿を遵守すること。

シロエ:私はあなた……あなたは私なのよ……クロエ……?

    だったら、……ねえ?

    あなただって、私に殺されなくちゃ、いけないわよね?

    ……だって、私は、あなたの幻。​

    あなたが作った、あなた自身の、ドッペルゲンガーなんだもの。

    おかえり……クロエ。

    ……そして、さようなら……私。


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