咲くや、さくら。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

(役表)

夏希(なつき)♂:

八重(やえ)♀:

​冬也(とうや)♂:

​━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


夏希:(M)

   懐かしい、匂いがする。

​   濁った空気、耳鳴りのような騒音、止むことの知らない、人波の流動。

   それら全てを絶った。

   ただそれだけなのに、ここまで安穏とした空気になろうか。

   いや、きっと、それだけではない。

   少なくとも、電車はおろか、バスですら直通では来れない、こんな集落のような村に、

   そのような俗物は、入る隙間など無いのだ。

   現に、ここの生まれでもなければ、きっと僕のような、都会の利便性という俗に塗れた人間は、

   こんな所に、好きで立ち寄ったりはしない。

   そんなことを、車通りどころか、人気すらまるで感じられない、ぽつりと佇む停留所で、

   かれこれ小一時間、迎え人を待っていた。


   ……ぬるい。


   熱くも冷たくもない風が、中途半端に伸びた髪を撫でて、走り去ってゆく。

   その中に、ひとひら、花びらが見えた気がした。

   まだほんの少しだけ、肌寒さが名残を留める季節の頃。

   これは、大学の長期休暇を利用して里帰りした時の、ほんの思い出話。


八重:(タイトルコール) 「咲くや、さくら。」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

冬也:悪い、お待たせ!


夏希:悪い、で済むか。

   一体どれだけ待たせれば気が済むんだ。

   連絡手段もまるで無い場所で、待ちぼうけ食らわされる身にもなれ。


冬也:いやぁー、ははは……悪い悪い。

   なにしろ、時計を見る習慣が無いもんでよ。

   気がついたら、約束の時間過ぎててさぁ。


夏希:ほほう。

   言い訳もしないとは、なかなか潔いじゃないか。

   ……相変わらずだな、冬也。


冬也:お前こそな、夏希。

   元々お堅いやつだったが、それにも増して、口煩くまでなったか?

   村を出る前は、陰気で無口で無愛想だったのに、変わるもんだなあ。


夏希:環境が変われば、人間も変わるさ。

   都会で過ごしていたら、自分から出ていかないと、置いていかれる一方だからな。


冬也:そういうもんかぁ。


夏希:そういうもんだ。


冬也:まあ、いつまでもここで立ち話をするのもなんだ。

   とりあえず、俺の家来いよ。


夏希:お前の家?

   なんで。


冬也:お袋に、お前が帰ってくるって言ったら、凄い嬉しそうにしてさ。

   もてなしてやるから、まずうちに呼べって。


夏希:相変わらず、豪放磊落な母親だな。


冬也:違いねえ。

   10年経ってもピンピンしてらぁ。

   んで、村までの道はわかるか?


夏希:まあ、なんとなくは。

   ……と、言いたいところだが、情けないことに、全然覚えてなくてな。

   悪いけど、案内してくれ。


冬也:はは、そんなこったろうと思った。

   物覚え悪いのも、相変わらずか。


夏希:ちぇっ、ほっとけ。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


夏希:(M)

   「知らないけれど、知っている道」。

   強いて言い表すなら、そんなところだろう。

   目が知らなくても、頭が覚えている。

   足が慣れなくても、体が憶えている。


   ……懐かしい。

   やっぱり、この言葉が、一番しっくりくる。

   帰ってきたのだ、と。

   言葉でなく、体に、そう感じさせてくれる。


冬也:おーい夏希。

   早くしないと置いてっちまうぞ。


夏希:邪魔しないでくれ。

   懐かしの土を今、心を込めて踏みしめてるんだから。


冬也:……はい?


夏希:真に受けるなよ、冗談だ。

   それより、どこに向かってるんだ?

   方角的に、村から少しずれてないか?


冬也:バッカ、お前。

   俺らの村に入る前に、絶対一度は拝まなきゃいけないものがあったろ?

   それすら忘れたのか?


夏希:ああ……あれ、か。


冬也:そうだ。

   あれ、だ。


夏希:(M)

   「あれ」。

   決して蔑ろにしている訳ではなく、ただ呼称が無いのだ。

   しかし、村の象徴たる存在として聳える「それ」は、僕が村を出て10年経った今も、

   どうやら、失われていないらしい。

   いつからそこにあるのか、一体どれだけの大きさがあるのか、誰も知らない。

   だが、村に住む者なら、誰もが知っている存在。


   小高い丘の頂上に立つ、凛然とした、巨木の一本桜。


   今の時期ならば、蕾を付け、来たる春に向けて、満開の準備をしている。

   ……はず、だった。


冬也:……ま、言葉を失うのも、無理は無いよな。


夏希:どういうことだ、これは。


冬也:さぁ、な。

   分からない。


夏希:分からない?


冬也:そうだ、分からないんだよ。

   けど、「こう」なったのは、2年か3年か、それくらい前からだ。

   ただ、いつからかこいつは、花を咲かす事も無く、葉を付けることも無く。

   呆然と天を仰ぐみたいに、枝を広げてるだけだ。

   この木が、茶色以外の色を付けるのを、もうずっと見てない。


夏希:……枯れた、のか。


冬也:最初は、みんなもそう思ったさ。

   どんなに立派な木でも、年を追えばいつかは枯れる。

   こいつにも、その時が来たのか、って。

   ……でも、な。

   それもまた、違うんだよ。


夏希:違う?


冬也:蕾もつけない、葉もつかない、花も咲かない。

   けど、枯れてるわけでもない。

   どういう事なのか、なんでそうなったのかも分かんないけどな。

   誰かが言ってたよ。

   「言い表すならまるで、眠っているようだ」、ってな。


夏希:眠っている……か。

   じゃあ、いつ起きるかも、誰にも分からないんだな。


冬也:まあ、そういうことだ。

   けど、誰も、不安がってる様子は無い。

   信じてるんだろうな。

   また、いつかの桜の大吹雪を、もう一度見せてくれるって。


夏希:そうであればいいけど。


冬也:さて、じゃあ挨拶も済んだことだし、今度こそ村に……

   ……ん?

夏希:どうした?


冬也:あれ。


夏希:……木の根元に……人影?

   えーと……僕の見間違いじゃなければ、倒れてるように見えるんだが。


冬也:ああ、俺の目にも狂いが無ければ、倒れてるように見える。


夏希:……行って、みるか?


冬也:おう。

   ま、大方、村の誰かが、昼寝でもしてるんだろうけどさ。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


夏希:……ちょっと、予想外だったよ。


冬也:ああ、俺も、せいぜい爺さん婆さん、よくてもおっさんだと思ってた。

   まさか、女の子とは、全く予想の範疇に無かった。

   ……で、やっぱり寝てるだけ?


夏希:みたいだな。

   どうする、ほっとくか?


冬也:まあ、こんな所で寝こけていようが、襲う輩なんていないだろうけど……

   さすがに、ほっとくのはまずいだろ。

   見たとこたぶん、15、6ってとこだろうし。


夏希:じゃあ、起こすのか?


冬也:そうするか。

   せっかくの安眠を、邪魔するのは悪いとも思うけどな。


夏希:………………


冬也:どした?


夏希:照れ臭い。


冬也:は?


夏希:冬也、頼んだ。

   僕はこういうのは奥手なんだ。


冬也:おいおい……

   なにも人工呼吸しろって言ってるんじゃないんだぞ?

   ただ寝てる女の子を起こすだけじゃないか全く……仕方ないな。


冬也:………………


夏希:………………


冬也:……照れ臭い。


夏希:だろ?


冬也:なんでだ?

   なんでこんないけない気持ちになるんだ!?

   別にやましいことを考えてるわけでも、わいせつな行為を働こうとしているわけでもないのに!


八重:……んー……


夏希:あ、起きた。


夏希:おはよう。


八重:……んー……?


冬也:思いっきり寝ぼけてるな……

   まだ半分くらい夢の中なんじゃないのか。


夏希:みたいだな。

   もしもーし?


八重:へっ?

   はっ、はい!?


夏希:よし、醒めたな。

   おはよう。


八重:え、あ……

   お、おはようございます。


冬也:おはよう。

   女の子がこんなとこで、一人で寝てたら危ないぞ。

   まだ肌寒い日もあるし、時間と場所間違えたら風邪引いちまうよ。

   今日はまあ、あったかいからまだいいけどさ。


八重:は、はあ……


夏希:んで、冬也。

   この子、どこの家の子だ?

   観光客が来るような場所じゃないし、村の子なんだろ?


冬也:分からん。


夏希:……なんで?


冬也:いや、言っておくが俺は、あんな狭い村の中に一緒に住んでる人も知らないような、薄情な人間じゃないぞ?

   名前はもしかしたらごっちゃになってたり、多少は間違ってたりする人がいるかもしれんが、

   顔だけだったら、村民全員覚えてる自信がある。

   自分と歳の近そうな女の子なら尚更、下心を抜きにしても、そうそう忘れるもんじゃない。

   なんなら初めて会ったその瞬間に、最優先で覚える。

   しかし、そんな俺の記憶の中にも、この子の顔は、全く無いんだよ。


夏希:はいはい、長ったらしい言い訳どうも。

   君、名前は?


八重:名前……え、えっと……

   や、八重。


夏希:八重ちゃん、ね。


冬也:いきなりちゃん付けかよ……

   コミュ力の化物だな。


夏希:うるさいな。

   で、君はここの子じゃないなら、何処から来たんだ?

   道に迷って偶然ここにたどり着いた、っていうのも、無くは無さそうだけど。


八重:……分かりません。


夏希:え、分からない?


八重:はい……

   どうしてここで寝てたのかも、全然覚えが無くて。


夏希:……冬也、どうする。


冬也:どうする、って言ったってなあ……


八重:………………

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


夏希:(M)

   苦し紛れ、苦肉の策。

   まさしく、そんな感じだった。

   僕と、八重と名乗る少女は、取り敢えず、冬也の家にお邪魔した。

   冬也の母親が、失礼な表現だが、大雑把な人で助かった。

   僕はともかくとして、身の上をまるで覚えていないという、赤の他人の少女でも、

   一泊させることに、まるで躊躇いというものを持たずにいてくれた。

   とは言え、流石に最初は、少なからず誤解を招きかけた事は、言うまでもないが。


   ……しかし、当然の事ながら、これだけで物事が、何か進展するわけでもない。

   少なからず訳ありなのであろう少女が、一体何者なのかすら、皆目見当も付かないのだから。

   次の日、冬也の提案で、3人で同じ場所に向かった。

   薄い雲が漂う快晴の空の下、じんわりと背に湿り気を覚えながら、

   葉付かずながらも衰えない、大木の陰を借りる。

   少し、風の強い日だった。


八重:すごい……


冬也:だろ?

   この場所が村の住人から好かれてるのは、この桜の木があるからってだけじゃない。

   そこまで高さはないにせよ、村を上から一望できる、何物にも代えがたい絶景が、また良いんだ。


夏希:確かに、中にいるのとは全く違うように見えるな。

   都会じゃあ、ビルだのマンションだのばっかりで、こんな景色とは縁遠いよ。


冬也:そうだろうそうだろう。

   10年前と比べても、こっちは大した発展はしてないからな。

   景色も守られるってもんだ。


夏希:大した発展はしてないって表現は、どうかと思うけど。


八重:とかい……


夏希:ん? 何か言った?


八重:都会の人間は、きらい。


夏希:え?


冬也:あーあ、夏希。

   都会の色に染まっちまったばかりに……


八重:ち、違う!

   そうじゃなくて……


冬也:え、あっ、ごめん!

   八重ちゃんが反応するとは思ってなかった!


夏希:お前はなにがしたいんだ。


八重:夏希と冬也は、すき。

   だけど、都会の人間はきらい。

   いじわるばっかり言う。


冬也:だ、そうですけど。


夏希:なんでそう僕に振るんだよ。


八重:それに、私は……

   村も、この場所も、この眺めも、すき。

   なんだか、懐かしい感じがする。


夏希:……そっか。


   (小声)

   おい冬也、本っ当に知らないのかこの子?

   明らかに、生まれた時からこの村に住んでますって感じの口振りじゃないか。


冬也:(小声)

   残念だが、本っ当に知らないのだよ、夏希君。

   お前と違って、俺は村から出てないし、見るからに俺より年下だから、

   村民なら知らない筈は無いんだけど……


八重:……?

   なに、こそこそしてるの?


冬也:え、いや別に?

   何でもアリマセンヨ?

   今日はトテモー、いい天気デスネー。


八重:え、う、うん……そうだね?


夏希:誤魔化すのヘタクソか。


八重:でも、この景色が、もうすぐ見れなくなるって思うと、

   ……さみしい。


冬也:っ!


夏希:今……なんて?


冬也:……八重ちゃん、知ってるのか?

   どうして?


八重:わからない。

   ……でも、記憶の中に、ぼんやりと、ある。

   この景色は、もうすぐ二度と、見られなくなるって。


冬也:………………


夏希:……なあ、どういうことなんだよ。


冬也:出来れば夏希には、黙っておきたかったんだけどなあ……

   そうだよ、八重ちゃんの言う通り。

   この場所は、もうじき、無くなるんだ。


夏希:なんだよ、それ。

   もうじき無くなるって……二度と見られなくなるって、どういうことだよ。

   ちゃんと説明してくれ。

   意味が……分からない。


冬也:……今、国が各地で都市開発計画を立ち上げて、田舎のあちこちが合併してるっていうのは、

   度々ニュースにもなってるだろうし、お前も知ってるだろ。


夏希:ああ。


冬也:それの一環だよ。

   この村だって、確かに山に挟まれてるとはいえ、そこまで山道がきつい訳でもないから、

   人の手が入ろうと思えば、そう難しい事じゃない。

   実際、道の舗装とか、山の整地程度なら、もう何回か工事がされてる。

   お前も、バスで村に着くまでに、いくつも見たろ、工事現場。


夏希:ああ、そういえば。

   昔と比べたら、妙に道のがたつきとかが少なかったし、景観に違和感はあったよ。

   でも、それだけだったらむしろ、良いことじゃないのか?


冬也:それだけだったらな。

   まあ、続きを聞けって。

   ……この村も、いつまでも孤立化してるってのは駄目だ、って言われてな。

   村の更なる発展の為にって唆されて、大きめの都市と合併するって要求を、呑んじまったんだ。


夏希:だからそれの、なにがいけないんだよ。


八重:その代償が、この場所と、この桜の木。


夏希:……え?


冬也:この村に来るのまでにも、この場所に来るまでにも、結構な上り下りしただろ?

   この丘の周囲は特に、かなり複雑な地形をしてるし、道を均してもないから、

   俺たちみたいに、ずっとここに住んでて、それに慣れてる人間ならともかく、 

   コンクリできっちり舗装された道を歩きたい都会人にとっちゃ、疎ましいんだろうさ。

   観光地ってわけでもなけりゃ、何か珍しい物がある訳でもない、

   ただ馬鹿でっかい木が立ってるだけの、歪なデコボコ道なんてな。


   ……ぶっちゃけて一言で言っちまえば、邪魔なんだよ。

   この丘も、この桜も、な。


夏希:……だから、都会人は嫌い、か。


八重:そう。

   咲く咲かないは別にしたって、こんな立派な木は、後にも先にも、ぜったいに無い。

   だからこそ、ずっとずっと、ここに残しておくべきだって、

   みんな、村のみんな、そう思ってる。


   ……でも、都会の人は、冷たい。

   別の場所に、しっかりしたレプリカを作りますから、って。

   レプリカ。

   つまりはニセモノでしょ、そんなもの。

   そんなものがあったって、なんにもならないじゃない。


冬也:もちろん、みんなだって二つ返事で了承したわけじゃない。

   散々悩んだよ、何回も話し合ってな。

   ……けど、薄々思ってはいたんだよ。

   向こうの言い分だって、筋は通ってる。

   もっと、外に出るべきだ、って。

   それに、待てども待てども、桜は咲かない。


   だから、天秤にかけて、揺らして、何度も揺らして……

   発展と、レプリカを選んだんだ。


八重:……咲くよ。


冬也:え?


夏希:八重、ちゃん?


八重:わかってる。

   そんな選択、みんなの本心じゃない、って。

   この桜が咲いて、それでみんなの目が覚めるなら、咲く。

   思いっきり、両手を伸ばしたみたいな枝いっぱいに。

   ぜったいに。


冬也:……そりゃあ、俺だって……

   いや、みんなだって本当はそう信じていたいさ。

   けど、


八重:咲く。

夏希:今の時期に蕾も付けてないんじゃ、な……


八重:咲くもん。


夏希:八重ちゃん、そんな意固地にならなくても……


八重:時間がないから。


夏希:時間が、無い?

   ……まさか。


冬也:……本当に、八重ちゃんは全部、知ってるんだな。

   ああ、お前の考えてる通りだよ。

   春が来る頃にはもう、この木を先に撤去する工事が、始まる予定が立ってるんだ。

   お前があっちに戻ってから、ちょっと後になるな。


夏希:なんてこった……

   そんな短期間で桜なんて、いくら何でも……


八重:咲く。

   ぜったいに。


冬也:なんで、そこまで。


八重:私にはわかるの。

   この桜は、特別だって。

   人が望むからこそ、人が信じるからこそ、咲くんだって。

   誰も望まなきゃ、信じなきゃ、咲くこともやめる。


夏希:まさか、そんなことが……


八重:だから、望んで。

   信じて。

   咲くって。

   咲いてくれるって。

   そうじゃなきゃ、絶対に咲かない。

   ……私も、ふたりのこと、きらいになる。


夏希:八重ちゃん……


八重:お願い。


冬也:……よっし、分かった。


夏希:冬也?


冬也:踏ん切りがついたよ。

   この桜を失うのも絶対に嫌だけど、それと同じくらい、

   八重ちゃんに嫌われるのも、絶対にごめんだからな。

   この桜が本当に咲くってんなら、本当に咲いて、あの桜の雨を見せつけてくれるってんなら、

   工事を止めさせることだって、出来ちまうだろ。

   なんたって、この村一番、いや、この国一番の、桜の王様なんだからな。

   そいつを蘇らせられるのが、俺たち次第って言うんなら、

   毎朝毎晩、お祈りでもしてやろうじゃないか。

   何ならお袋も、村の皆も、全員まとめて巻き込んでな。


夏希:……それもそうだな。

   僕も、腐ってもこの村の生まれだ。

   その象徴が失われるんじゃないかって時に何もしないんじゃ、末代まで恨まれそうだ。


八重:夏希、冬也……


冬也:任せときなって。

   こう見えても、有言実行には定評があるんだ。

   そうと決まれば、今日はもう帰ろうぜ、日も暮れてきたし。


夏希:ああ、そうだな。


八重:……私、もうちょっと、ここにいる。


冬也:へ?


八重:先に帰ってていいよ。

   私、もうちょっとだけここにいる。


夏希:いや、でも……


冬也:……帰るぞ、夏希。


夏希:あ、冬也!


八重:………………


夏希:いいのか?

   あんなところに、八重ちゃん1人残して……


冬也:……俺な、分かったかもしれない。


夏希:なにが?


冬也:今に分かるさ、お前にも。

   八重ちゃんもきっと、分かったからこそ、あそこまで頑なになったんだ。


夏希:……?


(間)


八重:思い出した、よ。

   ううん、あなたが気付かせてくれた。

   きっと、これが、私の役目なんでしょう?

   あなただけの力じゃ、どうしようもなかったから。


   ……わかってる。

   役目は果たすよ……うん。

   それだけが、私がここで、こうしている理由なんだものね。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


夏希:(M)

   それから、僕と冬也は、信じた。

   信じ続けて、望んだ。

   あの桜が、もう一度咲くことを。

   過程なんて見ない。

   結果さえ出ればいい。

   だからこそあえて、この日以来、桜の丘へは行かなかった。

   行けば、見ればきっと、どうしても現実的な考えを、持たずにはいられないだろうから。


   僕達を見る村人の目も、やがて変わっていった。

   冬也と、冬也の母親の説得もあって、というのもあるが、

   なにより、事情を知らない人間など、村にはいないのだから。

   信じ、望む人は、1人、また1人と増えていき、

   数日も経つ頃には、まさしく文字通り、村一丸といった様相を呈する程になっていた。


夏希:改めて思うけど、お前ってすごいんだな。


冬也:なんだよ、今更だろ?


夏希:ただ、その態度はむかつく。


八重:うん、すごい。

   すごいよ、冬也。


冬也:いやー、はっはっはっはー。


夏希:なんかもう最近、露骨に鼻伸ばすようになったよな……


冬也:あー……

   しかし、お前ももうすぐ、向こうに戻っちまうんだなぁ。


夏希:まあな、大学も始まるし。

   なんだ、寂しいのか?


冬也:はぁ?

   こちとら桜を守るために、粉骨砕身の思いで努力してんだ。

   悪いが、寂しがってやれるほどの余裕は無いね。

   今生の別れって訳でもあるまいし。


夏希:あー、そうかい。


八重:……私は、さみしいよ。

   すごく、さみしい。


夏希:ありがとう。


冬也:じゃあ俺も寂しい!


夏希:やかましいわ。


冬也:くそ……情緒の無い奴め……


夏希:どの口が言うか。


八重:大丈夫。

   きっと咲くよ、きっと。


冬也:きっとじゃない、絶対だ。

   そんでもって、咲くんじゃない。

   咲かせるんだよ。


八重:うん。


夏希:ああ。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


夏希:(M)

   時の流れは、呆れるほどに早かった。

   気が付けばもう、僕の里帰りも、終わろうとしている。

   結局、今日が終わるまで、花びらは一枚も見られないまま、都市へ戻る日を、明日に控えていた。

   そんな日だったからか、いつもは見ない、夢を見た。


   夢にしては鮮明で、そして妙に意識がはっきりしている、

   現実のような、夢。

   そこには僕と、その正面に、八重ちゃんが立っていた。


八重:……ありがと、ね、夏希。

   私の言葉、信じてくれて。

   望んで、くれて。


夏希:お礼は、冬也に言いなよ。

   僕はただ、何も力になれずに終わる、っていうのが嫌だっただけさ。


八重:……同じだね。


夏希:同じ?


八重:冬也も、同じこと、言ってた。

   お礼は、夏希に言えって。

   自分はただ、やりたいからやっただけだ、って。


夏希:はは、あいつらしい言い草だよ。


八重:……お別れ、なんだね。


夏希:うん。

   でも別に、大したことじゃない。

   また時間が出来たら、ひょっこり戻ってくるさ。


八重:……そうじゃ、ないの。


夏希:そうじゃないって、なにが。


八重:……夏希、ありがとう。

   桜は、咲くよ。

   絶対に。

   まるで、桜の雨が降ってるみたいに、思いっきり咲く。

   役目を果たせて……ううん。

   それ以上に、ふたりと一緒にいられて、本当によかった。


夏希:役目?

   さっきから、なにを言って、


八重:……さよなら、夏希。

   何回言っても足りないけれど、……本当に、ありがとう。


夏希:八重ちゃん?

   八重ちゃんっ!


   ……夢……か。

   なんだったんだ……夢なのに、なんであんなにはっきり……


冬也:夏希!

   おい、夏希!!


夏希:っ、なんだよ、朝っぱらから騒がしい。


冬也:んなこと言ってる場合か!

   外見ろ、外!


夏希:外?

   ……!!

   桜の……雨……!?


冬也:さっさと着替えろ!

   丘行くぞ!


夏希:あ、ああ!


​夏希:(M)

   歓喜、困惑、感動、驚愕、

   達成感、非現実感。

   ありとあらゆる感情が、興奮状態の頭の中を駆け巡る。

   花びらの風を掻き分けて、桜の下へと辿り着いた時、


   ……意識の全ては、眼前の桜の巨木に奪われた。


   僕達を覆い尽くしてしまいそうな、或いは、無限に見える桜を翼に変えて、

   大きく羽ばたいて、飛び去っていってしまいそうな。

   花びらを舞わせるこの風でさえ、この樹が操っているのではないか。

   そんな、絶対的な存在感。

   僕たちの心は、それに呑み込まれていた。


   ……だが、その片隅で、たった一つだけ、何かが欠けていた。

   昨日まで、ついさっきの、夢の中まで笑っていた、一人の少女の面影が。


夏希:冬也……八重ちゃんは?


冬也:……八重ちゃんなら、目の前にいるだろ。


夏希:え?

   目の前って……


冬也:お前、夢を見なかったか?

   自分がいて、八重ちゃんがいてさ。

   夢なのに、意識がはっきりとしてる、夢みたいな現実みたいな、そんな夢。


夏希:ああ、見た。


冬也:やっぱりな。

   ああ、これで確信したよ。


夏希:やっぱりって、何が。


冬也:八重ちゃんは、言わば分身だったんだよ。

   この桜の。


夏希:分身?


冬也:付喪神、って言ったほうがいいのかもな。

   いつからあるのかも分からないような代物だ。

   そういうのが宿ったって、不思議でも何でもないだろ。


   ……この桜は、いつからかずっと、俺達を見ていたんだ。

   勿論、今回の件だって、最初から見ていたんだろうな。

   言われるがままになって、この桜……

   つまり、自分を見殺しにしようとしていた俺達を見かねて、

   八重ちゃんとして、俺達の前に現れた。

   せめてもう一度、目一杯咲いてやるために。


夏希:……で、でも、咲かなくなったのは、数年前からって言ってなかったか?


冬也:あれだけ頑固な子なんだぞ。

   一回へそ曲げたら、そう簡単に直してくれるもんかよ。

   あれだけ意固地になって、そんで今こうやって、ここまで見事に咲いたんだ。

   きっと今頃、こう言ってるよ。


八重:どんなもんだ、どんなもんだ。

   私は思いっきり咲けば、こんなにも綺麗になれる。

   都会の勝手な言い分で、切り倒されたりなんてしてやるもんか。


冬也:ってな。


夏希:ははは、違いないね。

   ……なあ、冬也。


冬也:ん?


夏希:ありがとう……って、言ってたろ、彼女。


冬也:……ああ、言ってた。


夏希:ありがとう……だってさ。

   ははっ……


冬也:……っああ、全く。

   こっちの台詞だってんだよなぁっ……

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


夏希:(M)

   これが僕の、里帰りでの、一生忘れられないであろう思い出。

   何日、何箇月経とうとも、まるで昨日の事のように、はっきりと思い出せる。

   そして、今。

   僕の手元には、冬也から届いた、一通の手紙と、写真がある。

   その手紙に書かれていたのは、


​冬也:そういえば、結局あの後、どうなったかなんだがな。

   工事は結局、中止になったよ。

   桜の……いや、八重ちゃんの勇姿を思いっきり見せ付けて、

   ぐうの音も出ないくらいに言い負かしてやった。

   傑作だぞ。

   初めてあれを見たやつらがどんな顔してたか、お前にも見せてやりたかったくらいだ。


   そんでまあ、記念に一枚、桜の写真を撮ってみたんだが……

   その写真がまあ、なんというか、な。

   ……言葉で説明するのは苦手だから、自分の目で見ろ!

   以上!


​夏希:(M)

   とのことだった。

   全く、せめて少しくらいは言葉を付け加えてくれてもいいだろうに、と思ったものだが、

   一目見て、感じた。

   ……なるほど。

   確かに、これを言葉で語るのは、無粋というものだな。


   ただ、強いて一つだけ語るならば、

   僕にはこの、凛然と咲き誇る桜の木の下で、笑顔で手を振っている少女が写っているように見える。

   という事くらいか。


   だが、これを冬也に言うのは止めておこう。

   きっと、いや、絶対。 

   冬也にも、「それ」は……彼女は、見えていただろうから。


八重:……さよなら、夏希、冬也。

   何回言っても足りないけれど、……本当に、ありがとう。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━