倖せのデッドエンド

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(役表)

A♂:

B♀:

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A:おはよう。


B:……おはよう。


A:どうだい、気分は?


B:……あまり、良くはないわ。


A:何故?


B:過眠ね。

  まるで、何十年間も寝ていたみたい。

  今の今まで眠っていた筈なのに、寧ろ疲労している感覚だわ。


A:おや、まるでも何も、その通りだよ?

  それは、比喩でも何でもない。


B:え?


A:君が眠り始めてから、今こうして目を覚ますまでに、72年4ヶ月と22日、

  更に細かく計測すれば、14時間20分22秒が経過している。

  尤も、君自身はその間、ずっと眠っていたわけだから、

  体感時間はその何十分の一、何百分の一にも満たないかも知れないけれど、ね。


B:……どういう事?


A:どういう事も何も、それについて一番知っているのは、君自身の筈だ。

  それとも、眠り過ぎて、記憶の処々を廃亡してしまったのかい?


B:……難しい言葉を使うのね。


A:そうかな。

  そうだとしたら、申し訳無い。

  自覚の無さも含めて、生来の物だから。


B:そう。

  それで……ああ、そうね。

  何から、訊いたら良いのかしら。


A:何からでも。

  私に答える事が出来る事ならば、何にでも答えるよ。

  私に出来る事はそれのみなのだし、君には君自身の事を少しでも早く思い出し、理解し直してもらわなければ。

  一向に、私達の話は進展しない。

  夢の浮橋の旅路の過程で喪った物を、私が全て持ち合わせているかまでは、定かではないが。


B:過度な期待はしないでおくわ。

  それじゃあ、まず。

  ……私は、一体誰なの?


A:いきなり、核心的な所を訊くんだね。


B:他にも訊きたい事は、山程もあるけれどね。


A:例えば?


B:例えば……そうね。

  あそこの、カプセルみたいな物の中で浮かんでいる物体は何? とか。


A:見ての通り、人間の脳髄だよ。

  因みに、技術の進歩によって、あれ単体でも一応意識もあり、

  「生きている」と定義付けるに値するだけの状態を保っている。


B:知りたくもない予備情報まで、御親切にどうも有難う。


A:どう致しまして。

  他には?


B:他には、って。

  つい数十秒前に訊いたじゃない。

  私は一体誰なのか、って。

  あなたにも、話したい事が山程もあるのかも知れないけれど、順を追わせて。

  有限な時間を、無駄に消費したくはないもの。


A:……有限な時間、ね。

  君が言うと、当然の言葉の筈なのに、酷く滑稽だ。


B:どういう意味?


A:いいや、何でもない。

  ……いや、何でもなくもないか。

  ある意味では、これが最も分かりやすくて、最も結論に近い譬えかもしれない。


B:随分と、勿体付けるのね。


A:ああ、すまない。

  何せ、幾星霜振りにこうして、君と言葉を交わす事が出来ているんだ。

  それだけでも私にとっては、愉楽、佚楽、そんな単純な詞では言い表せない感情が有る。


B:……たいそう昂っているところ悪いけれど、質問には答えてくれないの?


A:不老不死だよ。


B:……ごめんなさい、よく聞き取れなかったわ。

  もう一度言ってもらえる?


A:いいとも。

  君は、不老不死者なんだよ。

  いや、不死かどうかまでは確信は無いが、ある一定の時点で、身体の成長・衰退が停止し、

  君が生誕してから、こうして私と君が対話を行っている今に至るまで、凡そ322年が経過している。

  もっと細かく計測したならば……


B:それはもういいわ。


A:それは残念。

  だがしかし、これで少しは、思い出せたんじゃないかな?


B:思い出した、というより、半信半疑ね。

  抑も、不老不死者なんて物の存在すら疑わしいというのに、私自身が、そうであるだなんて。

  それに、そんな非現実的な言葉を並べられたって、其処に根拠は、何も無いのでしょう?


A:ああ、残念ながら御尤もだ。

  私の言葉を信じてもらう以外に、根拠と呼べる物は、此処には何も存在しない。

  君自身が根拠そのものである、とも言えるが、

  それを証明するだけの材料もまた、私は持ち合わせてはいないからね。


B:外の世界は、どうなっているの?


A:外の世界、というと?


B:こんな、薄暗い監獄のような場所に閉じ込められていたんじゃ、信じられる物も信じられないわ。

  そうでしょう?

  あなたは全てを知っているかも知れないけれど、私はまだ、殆どを知れていないのよ。

  何も分からず慌てふためく私は、あなたから見たら、嘸や荒唐な事でしょうけれど、ね。

  それとも、あなたの目的はそれ?

  もしもそうだとしたなら、私はあなたに、惜しみない罵詈讒謗の限りを贈るわよ。


A:まさか。

  悲しい事を言わないでくれよ。

  私だって、君と面と向かって対話がしたい。

  君の瞳を見据えて、有り余る時間の全てを惜しみなく使って、会話がしたいさ。

  だが、それは叶わないんだ。

  私は、君に姿を見せるわけにはいかないんだよ。

  私の今のこの姿は、君への誓いを無碍にし、ただ悪戯に、嘗ての君を傷付ける。

  例え今の君が、その理由を覚えていないとしても、

  過去の君がこれを知ったなら、きっと大いに落胆し、私に失望することだろう。

  私の腑甲斐無さ故に、君が黯然と、銷魂としてしまうのは、私にとって、耐え難い悲痛なんだ。


B:………………


A:……すまない。

  今の君にとっては、何を言っているか、分からないだろうね。

  だが私は、


B:……心外ね。


A:え?


B:過去の私がどうであれ、今の私がこうであれ。

  何十年何百年と経とうが、私は私以外の何者でもないわ。

  あなたが知っている私は、あなたを安易に振り捨てるような人間だったの?

  もしそうだったなら、そんな私は疾うの昔に、こんな場所から逃げ出して、

  あなたの知らない場所で、生きも死にもせず、時剋の一刻一刻を、水泡に帰させて過ごしているわ。

  それでも私がそうしないのは、そうさせないだけの理由を、あなたが持ち得るからでしょう?


A:それは……つまり。


B:ええ、思い出してきたわ。

  曖昧で、しかも断片的に、だけど。

  やっぱり、駄目ね。

  眠る期間があまりにも長いと、色々と、抜け落ちていってしまうみたい。

  退化という概念が無くても、記憶の喪失は起こり得るのね。

  ……けれど、あなたのその、卑屈なのか自尊なのか分からない模糊な性格は、忘れようが無いわ。

  今更になっちゃうけど、久し振りね。

  名前までは思い出しきれていないから、今はまだ、あなた、としか呼べないけれど。


A:……ああ、それでも十分だよ。

  だが……すまない。


B:どうして、謝るの?


A:これを告げれば、君はきっと、全てを思い出すだろう。

  だから私は本来、これを最初に、打ち明けるべきだったんだ。

  ……だが、過去の私がそれを望んでいたとしても、今の私自身は、それをしたくはなかったんだよ。

  全てでなくとも、断片的にでも、自身の境遇を自覚し直した、今の君に。

  ……いや、過去であろうと今であろうと、君は君、だったか。

  君という存在に、事実の有りの侭を告げる事によって落胆される事が、私は何よりも嫌なんだ。


B:我儘の極みね。

  あなたは全てを理解しておきながら、それを私には教えたくないだなんて。

  あなたって、そんなに幼稚なエゴイストだったかしら。


A:ああ、分かっている。

  今の君にどれだけ今の私が貶されようとも、仕方の無い事だ。

  だが、これは過去の私ではなく、今の私の自己満足なんだ。

  それだけは、分かってくれないか。


B:そんなに釘を刺して強調しなくても、分かってるわよ。

  でも、今のあなたは過去のあなたと比べると、少し……

  いいえ、大分に、迂闊なのね。


A:何が?


B:だって、知られたくないのでしょう?


A:ああ、そうだよ。


B:それなら、抑もそれを、口に出すべきじゃなかったわ。

  そうすれば、私がそれについて追求する事も、理解に至るまでも、起こり得なかったのに。

  いくら欠片を散蒔いたって、其処にピースが全て在るのなら、いずれパズルは完成してしまうのよ?


A:………………


B:だから、ほら。

  今のあなたとやら。

  もう、小芝居はやめたら?

  此処に居るのは、過去の何も知らない私でもなく、

  数分過去の、断片しか知らない私でもなく、

  全てを知り、全てを悟った、今の私なのだから。


A:……その、ようですね。

  御見逸れしました。

  まさか、こんなにも早く、暴かれてしまうとは。


B:それはどうも。

  無駄に長く生きてるからか、頭の回転は早くって。

  因みにあなたは、何代目のあなた?


A:12代目、です。


B:あら、入れ替わりが早いのね。

  それに、丁寧口調だなんて。

  私が眠っている間に、方向性を変えたのかしら。


A:所詮、我々は多少の個性が個体によって違うとはいえ、クローンの未完成体ですから。

  完全な人体とも、神秘的なる生命とも程遠い。

  成熟するのが早ければ、朽ち果てるのも、また早い。

  あと10年もすれば、13代目が、お目にかかる事になるかと。


B:……クローン?


A:ええ、クローンです。

  Deus Creator(デウス・クレアートル)……

  貴女にとっての「あなた」なる存在の、かの御方は未だ、ご自身の肉体を創るにまでは至っていません。

  私を含めての我々はあくまで、こうして貴女が、時折目覚めた時の為の説明役、

  兼、貴女と、かの御方、そしてこの場所を、永劫に近い時間、保持する事。

  貴女と、かの御方、御二人の今生の夢が、満願成就の日を迎える、その時まで。


B:……ちょっと待って。

  つまり、貴方は、あの人ではない……って事?


A:はい。

  かの御方の記憶、人格の一部が入ってはいますが、それ以外は、紛い物にも成り得ない、贋物です。


B:それじゃあ、あの人は今、何処に?


A:……恐れながら、先程一度、申し上げたかと。


B:……ああ。

  は、あはは……そういう事。

  そこまでして、あの人は……本気、だったのね。


A:貴女は、本気ではなかったのですか。


B:本気だったわよ。

  ええ、貴方に言われるまでもなく、本気だったわ。

  何十年、何百年と生きて、この先何千年と生きたとしたって、あの人以上に愛せる人なんて、見付からない。

  そう盲従するくらいには、本気だった。

  今だって、あんな姿になっても、あの人であるなら、綺麗で、愛おしさだって感じられる。

  ……でも、これじゃあ……

  まるで私が、彼を、薄命の牢獄に、縛り付けているみたいじゃない……


A:……何故、泣いているのです?


B:だって、私がほんの微笑混じりで願った事を、鵜呑みにして……

  私があんな事を言わなければ、あの人は……

  ……今なら、かぐや姫の気持ちが、少し分かる気がするわ。


A:………………


B:……貴方、名前は?


A:私個体の……ですか。


B:そう。


A:有りません。

  名付け親もいませんし、私は先述の役目を、先代のクローンから継承し、

  また次代のクローンを生み出し、朽ち果てる前に、役目を引き継ぐ。

  その為だけの存在ですから。


B:……そう。

  私達の夢が叶うまで、大体あとどれくらいかかるか、分かる?


A:……申し訳ありません。

  未だに、見当も……


B:そう……よね。

  私が世の理から外れているのは、私が一番良く分かってるもの。

  たかが数百年で、どうこう出来るだなんて……ね。


A:………………


B:……でも、それでもやっぱり、彼は凄い人だわ。

  だって、貴方達のような、クローンを生み出す技術だって、あの人が考えたのでしょう?

  それだけじゃない。

  此処にある技術、全てを、あの人が。


A:ええ。

  外界の目に触れれば、瞬く間に騒乱沙汰になってしまうでしょうから、全てを秘密裏に。

  人が人になりきれぬ命を量産するだなんて、倫理的に、許される筈がありませんから。


B:まあ、そうでしょうね。

  不老不死者の私が倫理がどうだなんて言ったら、嗤笑の的になりそうだけれど。

  ……それでも、そこまでの境地に立っていても、夢を叶えられるまでには、至れないのよね。

  ただひたすらに待つ事くらいしか出来ない私こそ、腑甲斐無さで潰れてしまいそうよ。


A:……私に、一つだけ提案があります。


B:え?


A:確証も、根拠も、何一つ有りませんが。

  懦弱な我々でも、御二人の夢の手助けが、出来るかも知れません。


B:それって……


A:ただ……

  かの御方にすらお伝えしていない、禁忌の方法になってしまいますが。


B:いいわ、聞かせて。

  責任は、私がとってあげるから。


A:しかし……私は……

  私個体の意思で、身勝手な事をして、計画を狂わせるわけには……


B:私は、クローンの個体という、過去の貴方と話してるんじゃない。

  今の、貴方個人と話してるのよ。

  それに、一生に一度くらい、身勝手な事をしてみたっていいじゃない。

  一生が短い、儚い存在だって言うのなら、尚更。


A:………………


B:ね?


A:……恐れ多い物言いですが、かの御方が、貴女の為にここまでする理由、分かった気がします。


B:なによそれ。


A:では、お伝えします。


B:うん。


A:その方法は、御二人の……

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B:おはよう。


A:……ああ、おはよう。


B:どう、気分は?


A:何だか……不思議な感覚だな。


B:どんな?


A:何か……何て言うんだろうな。

  自分の体……じゃないような。

  意識が体に馴染まない……みたいな感じ。


B:何それ、変なの。

  折角久し振りに、こうして直接言葉を交わせるのに、情けないわね。


A:仕方ないだろ、私は今まで……


B:なに?


A:……いや、何でもない。

  君こそ、気分はどうなんだ?

  随分と長い間、眠っていたんだろう。


B:あら、そうでもないわよ?


A:え?


B:私はあなたよりも、先に目を覚ましていたし、もう慣れたもの。


A:慣れたって、何に?


B:さあ、何にでしょう。


A:何だい、それ。


B:さあ、ね。

  何だっていいじゃない。

  あなただって、私が知らない所で、ありとあらゆる手段をとってきたんでしょう?

  私達の夢を、叶える為に。

  共に生きて、共に逝く。

  そんな当たり前の事を、当たり前にする為に。


A:……ああ、そうだ。

  今度はきっと、成功させてみせるよ。

  君を、いつかちゃんと、死なせてあげられるように。


B:ええ、期待してるわ。

  今回が駄目なら、いつかまた、きっと、ね。


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