丑刻カレー参り

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(役表)

男♂

女♀

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女:ピンポーン。


男:はーい。


女:ピーンポーン。


男:はーい?


女:ピンポンピンポーン。


男:はいはーい。


女:ピーンポーンピーンポーン。


男:はいはいはーい。


女:ピーン……


男:……あの。


女:ポーン……


男:あの。


女:なんですか?


男:いや、なんですか、は僕の台詞なんですけど。


女:ピンポーン。


男:正解したみたいに鳴らさないで下さい。

  もう出てるんだから良いでしょ、呼び鈴は。


女:ピーン?


男:……あのですね。

  確かに以前、他人の家の呼び鈴で遊ばないで下さい、とは言いました。

  それはどう意味を挿げ替えても、「呼び鈴の音を口で言えば許される」とはなりません。


女:ポーン……


男:相槌代わりに鳴らしてるみたいに、口で言わないで下さい、さっきから。

  うちの呼び鈴の音は、そんなにバリエーションありませんから。


女:何で電池抜いたんですか、呼び鈴。


男:自分の心に聞いてみたら良いんじゃないですかね。


女:だそうですが、どう思われますか、ココロさん?

  「うーん、ちょっと心当たり無いですねえ」

  ですよねえ。

  それじゃあ、ケケレさんはどうですか?

  (少年風に)「いやあ、僕に聞かれても」

  そうですよね、すいません。

  それじゃあククルさんは……

  (青年風に)「聞かなくても分かれよ、俺が知るわけねえだろ」

  失礼しました。

  じゃあちょっと、キキリさんとかも……

  (侍風に)「拙者にも、身に覚えは無いで御座る」

  ……うーん……ここまで4戦全敗ですか……

  あと頼みの綱は、カカラさんだけになってしまいましたが……


男:知らない人どんどん出してくるの、止めてもらっていいですか。


女:え?

  知らない人なんかじゃありませんよ。

  皆さん、私のお友達ですから。


男:そうですか。


女:順番に御紹介しましょうか?


男:いえ、結構です。


女:じゃ、簡単に御紹介しますね。


男:結構です。


女:まずココロさんは、私と同い年の女の子で、黒縁眼鏡を掛けたチャーミングな女性です。

  ケケレさんは男の子なんですけど、雰囲気が猫っぽくて、

  萌え袖パーカーがよく似合う、凄く可愛い子なんですよ。


男:へえー、そうなんですか。

  もう結構ですよ。


女:ククルさんは、ちょっと言葉遣いは乱暴ですけど、根は心優しい、任侠精神溢れる男性。

  そしてキキリさんは、


男:明らかに侍でしたよね。


女:ええ、黒船が初めて浦賀に来た時、ちょうど薩摩にいたそうですよ。


男:全然違う場所なんですけど。


女:で、カカラさんは、西郷隆盛です。


男:どういう事ですか?


女:どういう事、と言われましても。

  西郷隆盛なんですよ、カカラさんは。


男:名前がって意味ですか?


女:いえ、名前はカカラさんですよ。

  カカラさんの名前がカカラさんで、カカラさんが西郷隆盛なんです。

  分かります? この理屈。


男:いえ、申し訳無いですけど微塵も理解出来ないですし、

  理解しようという気概すら、欠片も湧いて来ないですね。


女:そうですか……

  じゃあ、この話はまた後日ですね。


男:そうですね。

  そんな日が来ない事を祈るばかりです。

  じゃ、おやすみなさい。


(男、扉を閉めようとする)

(女、体を挟み込む勢いで止める)


女:ちょっと待って下さい。


男:なんですか。


女:まだ私は、用件すら話してないじゃないですか。


男:あったんですか、用件。


女:当たり前ですよ。

  私が用件も無しに、他人様の家に上がり込む女に見えますか?


(女、言いながら土足で上がり込む)


男:靴脱いでもらっていいですか?


女:あ、すいません。

  それじゃ、お邪魔しまーす。


男:お邪魔されません。

  帰って下さい。


女:何でですか。


男:何でもなにもありませんよ。

  今何時だと思ってるんですか。


女:夜の8時32分ですけど。


男:早急に時計を直してもらって下さい。

  今は、深夜の1時35分です。

  相手が僕じゃなかったら、近所迷惑で通報されてますよ。


女:されてないじゃないですか。


男:してあげましょうか?


女:ごめんなさい。


男:よろしい。

  じゃ、おやすみなさい。


(男、扉を閉めようとする)

(女、体を挟み込む勢いで止める)


女:待って下さい。


男:なんですか。


女:だから、用件をまだ言ってないじゃないですか。


男:どうせろくでもない用件でしょう。


女:なんで分かるんですか。


男:同じ口実で、過去にあなたに、マルチ商法に巻き込まれかけたからですよ。

  それで縁を切られてないだけ、有難いと思って下さい。


女:とにかく、良いから話だけでも聞いて下さいよ。

  お互いの為になるかもしれない保証も、

  無くもないかも知れない感じのニュアンスのプロジェクトケースですから。


男:は?


女:だから、お互いの為にならなくないかもしれなくもない保証も無いかも知れなくもなくなくない感じの、

  アンニュイなプロフェッサーコースです。


男:………………


女:アンチョビのゴルゴンゾーラソース。


男:……分かりました。

  10分だけですよ。


女:はーい。

  じゃあ改めて、お邪魔します。


(女、言いながら土足で上がり込む)


男:だから、靴を脱いでくださいって。

  なんで意地でも土足で来ようとするんですか。


女:アメリカンプロフェッサーですから。


男:時間縮めますよ。


女:はい、すみません。

  ……えっとですね、私達、お隣さん同士じゃないですか。


男:違いますけど。


女:え?

  お隣さんじゃないですか?


男:此処は、101号室。

男:あなたの部屋は、502号室です。


女:階を隔てて、お隣さん同士じゃないですか。


男:それはお隣さんとは言いません。


女:この場においては、お隣さんという定義付けをさせて下さい。

  話進まないんで。


男:そんな無茶な定義付けをしないと進まない話、聞きたくないんですけど。


女:良いから良いから。

  お隣さんと言えば、お馴染みのイベントってものが、やっぱりあるじゃないですか。


男:お馴染みのイベント?

  「壁が薄くて、夜中に一人ビンゴしてたら怒られた」とかですか?


女:違います。

  そういうのじゃなく。


男:「隣の洗濯物が風でベランダに飛んで来て、下着泥棒扱いされて事情聴取された」

  とかですか?


女:違います。

  そういうのでもなく。

  というか、何で知ってるんですか、私の恥部を。


男:あなたが夜中に乗り込んで来て、一方的に愚痴ったんでしょうが。


女:そうでした。


男:で?

  じゃあ何なんですか。

  あなたの言うところの、お馴染みのイベントっていうのは。


女:あのですね。

  男の一人暮らしだと、どうしてもご飯が質素になりますよね?


男:まあ、そうかも知れませんね。


女:手料理が恋しくなりませんか?


男:そうかも知れませんね。


女:そうですよね?


男:ええ、そうかも知れませんね。


女:だから、この機会にやっておこうと思ったんですよ。


男:どの機会に何をやるんですか。


女:まずですね、私が明日の夜、カレーを作り過ぎるじゃないですか。


男:作り過ぎないで下さいよ。


女:作り過ぎる予定なんですよ。


男:そんな予定があってたまりますか。

  適量に留めておいてくれませんかね。


女:作り過ぎるんです。

  作り過ぎます。


男:そこはもう曲げないんですか。


女:ええもう、作り過ぎますよ。

  この為に寸胴まで買ったんですから。


男:寸胴?


女:ええ、寸胴です。


男:わざわざ?


女:ええ、わざわざ。


男:もはや手段が目的になってますよね。


女:どういう意味ですか?


男:いえ、別に。

  どうぞ話を続けて下さい。


女:で、私は、

  「すいません、ちょっとカレー作り過ぎちゃって、良かったら……」

  という感じで、あなたにカレーをお裾分けに来ます。

  寸胴で。


男:作った状態のまんまで持って来ないでくれません?

  鍋とかタッパーに分けるでしょう、普通は。

  僕の家が給食センターみたいになっちゃうじゃないですか。


女:男の人はそれくらい食べるでしょう。


男:食べませんよ。

  それに、5階から1階までどうやって持ってくるつもりですか。

  エレベーターも無いのに。


女:あ、そっか。

  じゃあ、こうしましょう。

  先に、空の寸胴と、材料こっちに持って来て、あなたの家で作りますよ。

  で、それをそのまま置いていきます。


男:おかしいでしょ。

  なんで僕がお裾分けされるカレーが、僕の家の台所で出来上がるんですか。

  あなたの家でやって下さい。

  そして願わくば、持っても来ないで下さい。


女:じゃあ、出来たら呼びますから、寸胴運ぶの手伝って下さいよ。


男:嫌ですよ、話聞いてました?

  僕が手伝ったら、いよいよ絵面が給食だし、意味分からなくなるでしょ。

  意味は最初から分からないですけど。


女:意味は分かるでしょう。

  親交を深めたいんです、私は。

  あなたとの。


男:だったら、もっと別のやり方があるでしょうに。


女:「同じ寸胴の飯を食う」って言葉があるじゃないですか。


男:ありませんよ。

  釜で事足りるでしょ、炊き出しじゃないんだから。


女:炊き出し?

  あ、豚汁の方がお好きですか?


男:いや、カレーも豚汁も好きですけど。


女:ええっ、それを早く言って下さいよ。

  もう一個寸胴買い足さないといけないじゃないですか。


男:まず寸胴を使うなって言ってるの通じません?

  お裾分けしてくれるのは、まあ、素直に有難いですけど、

  平均的な成人男性どころか、一般家庭ですら、そんな量のカレーも豚汁も、作らないし食べませんから。


女:そんな事言われても、もう材料準備しちゃったんですよ?

  今もう、食材で部屋が埋もれてて、足の踏み場が無いんですよ。


男:準備し過ぎでしょ。

  一体何人前作るつもりなんですか。

  それに、それこそそんな事言われてもですよ。

  ただの自業自得じゃないですか。


女:あーあ、良い作戦だと思ったのになー。


男:……親交を深めたかったんですか、僕との。


女:そうですよ。

  その為に練った、最善且つ最高の作戦がこれだったんですよ。


男:もっと良い案は、星の数ほどあると思いますけど。

  親交を深めるって、だいぶ今更じゃないですか。


女:え?


男:いや、だって。

  これまで散々、急に押し掛けて来ては、我が家と言わんばかりに入り浸って、

  勝手にお菓子持ってったり、洗濯機勝手に使ったり、風呂勝手に使ったり、ベッド勝手に使ったり……

  あとは、えーっと……


女:合鍵を、勝手に作ったり?


男:合鍵勝手に作ったんですか?


女:まさか。

  流石の私でも、そんな事まではしてませんよ、いくらあったら便利だなって思ったからって。

  あ、でも、それとは何の関係も無いですけど、スペアキーお返ししますね。


男:やっぱり通報しましょうか?


女:いえ、大丈夫です。

  合鍵は作ってないので、未遂なので。


男:……まあ別に、あなたの度が過ぎた破天荒には慣れてるので、今更良いですけど。


女:良いんですか、合鍵作っても?


男:良いわけ無いでしょ、そっちじゃなくて。

  だから、お裾分けとか、そんな回りくどい事しなくても、

  あなたとは何だかんだ、仲良くしてたんじゃないかって。

  少なくとも、僕はそう思ってましたよって言いたかったんです。

  それこそ、普段顔も合わせないような赤の他人ならともかく、何回も一緒に酒飲んだりもしてるでしょうに。

  順番がおかしいんですよ、そういう事をするにしたって。


女:そうですかね……


男:そうですよ。


女:本当にそう思ってます?


男:思ってますよ。


女:本当ですね。


男:本当ですとも。


女:じゃあ……

  寸胴カレー、受け取ってくれますよね。


男:ええ。

  嫌ですね。


女:え?


男:嫌です。

  それとこれとは、話が別ですからね。


女:……なんでですか!?

  受け取る流れだったでしょう、今!!


男:そんな流れを作った覚えはありませんよ。


女:受け取ってくれなきゃ、カレーの行き場が無いでしょうが!!


男:途中から気になってましたけど、何でお裾分けどころか、

  丸ごと全部こっちに寄越す感じになってるんですかね!?

  だから、そもそもあなたが最初から、作り過ぎなきゃ良いだけの話でしょう!


女:それはぁ!

  だからあ……えーっと……

  ……んぁーもう! 面倒臭い!!

  「作り過ぎちゃった」っていう、大義名分が必要でしょうが!

  そこが無いと、全ッ然自然じゃないってのが分かんない!?


男:あー! 面倒臭いって言いましたね今!?

  いーよ、分かった!

  そっちがそう言うなら上等だよ!!

  あんたに敬語使うのとか、いい加減馬鹿馬鹿しかったんだよ!!

  何が寸胴カレーのお裾分けだよ!

  やる事為す事極端過ぎなんだよあんたは!!


女:はぁ!?

  隣に住んでる女の子が、健気にわざとカレーを多く作って、

  勇気を振り絞ってお裾分けっていう名目で渡しに来るっていうシチュエーションの、

  一体何処が馬鹿馬鹿しいってのよ!

  萌えるでしょ!

  滾るでしょ!?


男:それ自分で言っちゃダメなやつだし、そもそも1階と5階は隣じゃねえって言ってんだろ!!

  あと健気な女の子は寸胴なんて使わねえし、よしんば使ったとしても、寸胴ごと持っては来ねえよ!!

  鍋を使え、鍋を!!


女:鍋なんてうちには無いわよ!!


男:なんでだ、普段どうしてんだよ!!

  無いなら買え!!

  寸胴返品して、その金で鍋を買え!!


女:嫌よ!

  重いもん!!


男:あんたが自分で蒔いた種だろうが!!


(玄関の扉が強めに叩かれる)


女:あっ。


男:あっ。

  ……あー……やっべ。

  ちょっと待ってろ。


女:う、うん。


男:……はーい……

  はい、すみません。

  ……2時……そうですよね、はい、分かります。

  はい、はい……いえ、なんでもないんです。

  えーっと……その、ちょっと馬鹿話してたら、ヒートアップしちゃって、つい……

  ああはい、すみません。

  はい……気を付けます。

  はい、どうも……

  ……ハァ。


女:……怒られた?


男:当たり前だろ、もう2時近いんだぞ。


女:だよね。

  ……なんか、ごめん。


男:……良いよ。

  俺も、ちょっとムキになり過ぎた。


女:………………


男:………………


女:俺、なんだね。


男:なにが?


女:その……一人称。


男:そうだよ。


女:猫被ってたんだ。


男:猫被ってたよ。


女:ふーん……

  ……今更なんだけどさ。


男:なに。


女:……何歳?


男:23。


女:えっ、嘘!

  タメだったっけ!?


男:前に宅飲みした時に教えただろ。

  つっても、あんたベロンベロンだったから覚えてないか。


女:あー……そう。

  そっか……


男:……で、結局どうすんだよ。


女:え、何が?


男:カレー。

  作るのか、作り過ぎるのか。


女:えー……

  いや、作るよ。

  作るけどさ……


男:よし。

  じゃあ、作り過ぎるぞ。


女:は、なんで?

  食べきれないでしょ?


男:俺が一人で食べきるのは無理だよ。

  いや、作る以上は食べるけど、余った分はタッパーとかに入れて、

  「夜中に騒いだお詫びです」って言って、配っちゃえば良いんだよ。

  ていうか、今回のは連帯責任だからな?

  俺だけじゃなくて、あんたも食えよ。


女:うん……それはまあ、良いんだけどさ。

  え、配るの?

  カレーを?


男:配るんだよ、カレーを。


女:炊き出しじゃん。


男:どっちかと言うと、軍隊だな。


女:馬鹿じゃないの。


男:あんたにだけは言われたくない。


女:ああそうですか。

  ……ていうか、なに、手伝ってくれるの?


男:なんだよ、不満か?


女:いや、別にそういうわけじゃないけど……

  なんか、そうなるといよいよ、当初の計画から、何から何まで狂ってきちゃうなーって。


男:だから、その当初の計画がおかしいんだっつの。


女:はいはい、すみませんでした。

  ……それじゃ、今日は帰るわ。

  ごめんね、いつもいつも夜遅くに。


男:全くだよ、俺明日も出勤だぞ。


女:私だってそうだっての。

  あーあ、寝る前に食材なんとかしなきゃ……


男:だから自業自得だろ、それは。


女:うるさいなー。

  分かってるって、言われなくても。

  ……ふふっ。


男:ん?


女:んーん。

  なんか、これくらいの距離間の方が、ちょうどいいわ、今までより。


男:そうかい。


女:うん。

  ……あ、そうだ。


男:なんだよ、まだ何か?


女:明日作るカレーは、一緒に食べる用と、配る用になるとしてさ。

  今度ちゃんとしたお裾分けで渡すなら、どっちが良い?


男:一緒に食うの?


女:なに、不満?


男:いや、別にそういうわけじゃないけど……

  ……じゃあ、まあ、豚汁で。


女:りょーかい。

  その時こそ、寸胴で持ってくわ。


男:だから止めろって。


女:冗談冗談。

  ちゃんとお鍋買って、それに入れて持ってくって。

  ……じゃあね、おやすみ。


男:ああ、おやすみ。


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