ユーレイタクシー
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(役表)
A♂:
B♀:
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A:どちらまで?
B:……とりあえず、この道をこのまま、まっすぐお願いします。
A:畏まりました。
B:………………
A:……いやぁしかし、大変でしたねえ。
B:え?
A:ほら、急な雨でね。
すっかり土砂降りになっちゃってますし。
B:ああ……そう、ですね。
確かに。
……あ、次の信号を、右に。
A:はい。
……天気予報では、明日の夕方まで、ずっと晴れだって言ってたんですけどねえ。
あれですね、年頃の女と天気予報は信じるな、ってやつですかね、ははは。
B:そんな言葉があるんですか?
A:いえ、私の母がね、口癖みたいに言っていたんですよ。
まあ、当人はもう、他界してしまっているんですが……
娘……ああ、要は私の姉なんですが、彼女にそれはもう、よく騙されていたようでして。
B:騙されていた、ですか。
A:騙されていたと言っても、別に詐欺をやったとか、犯罪まがいなレベルではないですよ。
どっちかといえば、歳相応な感じの……
B:あ、この交差点を左です。
その後、突き当りまで走って頂いて、左へ。
A:はい、畏まりました。
……ああ、それでですね。
姉が吐いていた嘘なんてのは、可愛いものですよ、ほんと。
ほら、年頃の子なら、よくあるじゃないですか。
友達の家に泊まって勉強会とか、そういうの。
B:ああ、ありますね。
A:私の母は、たとえ些細な事でも、嘘が許せないタイプの人間でしたからねえ。
……まあ、今時そんな嘘に騙される人も、稀少なものですけど。
かと言って、正直に言ったら言ったで、不健全だなんだのって。
色んな意味で、時代遅れな考え方の持ち主でしたよ。
だから、姉の結婚が決まるまでも、母と姉だけは、いつまで経っても喧嘩が絶えなくて。
B:……きっと、誰よりもお姉さんの事を、大事に思っていたんだと思いますよ。
A:まあ、そういう事なんでしょうねえ。
何だかんだで、姉の結婚を誰よりも祝福していたのも、また母でしたから。
B:……お姉さんは、何をされてるんですか?
A:ああ、今は上京して、幸せな家庭ってやつを築いてますよ。
最近は忙しいのか、連絡も取れてないですが、きっと元気にやってることでしょう。
B:……そうですか。
……あ、そこの左の側道へお願いします。
A:はい。
……いやぁしかし、どんどん雨脚が強くなりますねえ。
街灯も少なくなってきたし……こんなんじゃあ、いつもこの道を通られるのは大変でしょう。
B:ええ……まあ。
A:……あ、今更ですけど、口煩かったらごめんなさいね。
何となく、話すか歌うかして口を動かしていないと、落ち着かない性分でして。
B:いえ……
A:あーあー、此処らへんの道は、だいぶ泥濘んじゃってますね。
立往生だけは避けたいなあ。
他の車も、全然通ってる気配無いし。
B:……あの。
A:ガードレールも設置されてないんですねぇ……
いやいや、こんな所からうっかり転げ落ちたら、助からないかもですね。
下が真っ暗。
B:あの。
A:はい?
B:……おかしいとは、思われないんですか。
A:おかしい?
何がでしょう、さっきから走ってる道が、ですか?
B:……それもですけど……その……
A:ああ……
貴女が、ですか。
B:………………
A:そりゃあ思いましたよ。
こんな深夜も深夜の時間帯に、あんな人気の無い場所に、
女性一人で手荷物も無しに、すぅーっと佇んでらしたらねぇ。
ああ、そういうお客さんなんだなって。
B:……それじゃあ、最初から、気付いていたんですね。
私が……この世の者ではない、と。
A:ええ、それはもう、姿をお見かけした時から、何となく感じてましたよ。
仕事柄、そういう方々に出会す機会が、幸か不幸か多いもので。
B:……そう、ですか。
A:ああ、そうだ。
そういう方面の話で思い出しましたけど、最近この近辺で噂になってる怪談、ご存知ですか?
……なんて、知るわけないか。
すみませんね、変な質問しました。
B:……いえ……
あ、もうすぐ分れ道があるので……そこを、右です。
A:はい、畏まりました。
……まあ、怪談というか、都市伝説めいた、稚拙な話ですよ。
何でも、ちょうどこれくらいの時間に、夜な夜な変なタクシーが、街を徘徊しているんですって。
B:……変な……ですか。
A:ええ。
誰か客を乗せているわけでもないのに、車内表示は「賃走」、若しくは「割増」のまま。
しかも、客が乗っていないどころか、運転席にすら、誰も居ないんですって。
B:………………
A:だから、生きた人間が、そのタクシーに乗る事は無いんです。
見えざる客に、見えざる運転手、しかし走り続ける、一台のタクシー。
それは、死んで成仏し損ねている者専用のタクシーで、
生きた人間が乗ってしまったら、どこか遠い所へ魂を連れて行かれてしまうんじゃないか。
……なんていう、全く根も葉もない噂話ですよ。
困りますよねぇ、ただでさえこの業界は、不況気味だっていうのに。
無闇矢鱈とおかしな話を広められたら、客足が益々減っていってしまう。
酷い話だとは思いませんか。
どう思います?
B:……いえ……すみません。
私にはちょっと……何とも……
A:ですよねえ。
でも、これだけは言わせて下さい。
この話が出回るようになってから、本当にタクシーの利用者が、この辺の地域一帯で減りましてね。
特に僕なんて、貴女が一体何時以来のお客さんなのかも、覚えていないくらいなんですよ。
そろそろ潮時かなぁ、なんて、考えちゃったりもしましてね。
B:……そうですか。
A:ええ、ほんと、大変ですよ。
……調子狂うでしょう。
こんなに積極的に、霊の方に話し掛ける変人なんて、そうそう居やしないでしょうからね。
B:……ええ、まあ……
それだけでも、ないんですが……
A:……折角だし、お名前とか、教えて頂いても良いですかね?
B:え?
A:こうして出逢ったのも、何かの縁かも分かりませんし、
恐らく、同じ霊の方に二度も出逢う事なんて、まず有り得ないでしょうしね。
ああ、勿論、一介のタクシードライバー如きの戯言だと、一蹴して貰っても良いですよ。
何せ、こんな変人ですから。
B:……いえ……別にそこまでは……
私は、生田 麗(イクタ・レイ)といいます……
A:イクタさん、ですか。
僕は、まあそこにも書いてありますけど、新田 勇(シンダ・ユウ)と申します。
以後……があるかどうかは分かりませんけど、よろしくお願いしますよ。
B:……はあ。
ニッタさん……ではないんですね。
A:ええ、よく間違われますよ。
さて……じゃあ、早速ですけど、生田さん?
B:はい……?
A:そろそろ、教えてもらってもいいですかね?
B:何を……でしょうか。
A:一体全体、貴女は僕を、何方へ案内されているのか、って。
タクシードライバーが、お客様の行先を二度聞くのは野暮ってもんですが、
流石に、こんな穏やかじゃない道を長々と走ってたら、いくら僕でも、不安になってきちゃいますよ。
雨も強くなる、周りの灯も全く無くなってる、山奥突っ切ってひたすら崖道を走って行くときたら、
生きてらした頃の帰り道、ってわけでもないでしょうに。
B:……ああ……いえ、帰り道は帰り道ですよ。
実際、この先にちゃんと、小規模ですが、住宅地がありますから……
……それに、新田さんも、ご存知の筈ですよ……この道は。
A:え?
それは、どういう……
B:心配されなくても、あともう少しで着きますよ……
この坂を登り切ったら……すぐです。
A:坂を、登り切ったら……?
……あれ?
いや……え、あれ……?
まさか……いや、でもそんな……そんな事が……
B:着きました……此処です。
……ほら、よく見て下さい、新田さん。
この道を、この景色を、この天気を、このタイヤ跡を……
そして、あそこに添えられた、花を。
貴方は知っている筈です。
憶えている筈です。
……そして今、初めて理解も、出来た筈です。
A:……ああ……此処は……
そうだ、あの日は、若い女性が一人で乗って、その時も……
貴女は……生田さん、貴女は……まさか……
B:……ほら、思い出したでしょう?
ちょうど1年前の今日、貴方は私を乗せて、今走ってきた道を……
全く同じ道を、走ったんですよ。
その時も今みたいに……こんな雨が降っていた。
そして……
A:そうだ……
そして、坂を登り切ってすぐに、無灯火運転の対向車が突っ込んできて、
そのまま躱し切れずに、正面衝突したんでしたね……
今更、思い出しましたよ。
道理で、見覚えがある筈だ。
貴女が此処に案内したのは……思い出させる為、ですか。
……それとも……
B:思い出させる、だなんて、とんでもない。
寧ろ、忘れさせてあげたくて来たんですよ……私は。
A:忘れさせる……?
どういう意味ですか。
此処に添えられたあの花は、貴女を弔う為の物でしょう?
貴女が僕を、恨んでいない筈が無いんだ。
この場で僕を呪い祟り殺したって、理屈が通りますよ。
……それに……忘れる、だなんて。
此処は、絶対に忘れてはいけない場所だった。
貴女は、絶対に忘れてはいけない人だった。
あの事故は、絶対に忘れてはいけない、出来事だったのに……
……僕は今、この場で死ぬべきなんじゃないか。
いや、貴女に殺されるべきなんじゃないか、って。
そんなことまで、思ってるんですよ。
B:……物騒な事を仰いますね。
確かに、私がこんな有様になっているのも、あの事故のせいです。
仮に、私でなくても……私と同じ境遇で、こうして此処に立っていたなら。
きっと、誰であっても、貴方をこの場で、殺しているでしょうね。
A:それじゃあ。
B:……けれど、新田さん。
貴方は一つ、大きな勘違いをしています。
A:大きな、勘違い?
B:そうです。
私は、それに合わせて、嘘を吐きました。
……私は、実際には、死んでなんかいないんです。
きっと貴方には、報されていなかっただろうけれど、
私は辛うじて……本当に辛うじて、という程度ですが。
即死を免れて、一命は、取り留めていたんですよ。
A:……!?
それは……どういう事、ですか?
それじゃあ、この花は、どういう……
B:……けれど、生きても、いない。
まだ死んでいない、というだけで、どのみち私は、もうすぐ死ぬ。
いいえ、もしかしたら、自覚が無いだけで、既にもう、死んでいるのかもしれない。
だから私は……この1年間、私は貴方を、探し倦ねていました。
そして、今。
ただの偶然ではあったけれど、今の貴方を見付けられた。
漸く、目的を果たす事が出来るんです。
やっと、この宙に浮いた存在から、解き放たれる事が。
A:……すみません、言っている意味が、全く。
結局貴女は……貴女の目的は、一体何なんです?
僕を恨んでいないのなら、どうしてもう一度、僕の前に……
……僕をわざわざ……この場所に……
B:……本当に、分かりませんか?
A:え……
B:貴方はこの1年間、どうやって過ごして来ましたか?
A:なんですか、突然……
B:今日この日まで、一度でも、この場所の事を、忘れた事がありましたか。
こうして私と二度目の邂逅を果たすまで、私の顔と名前を、忘れた事がありましたか。
今此処に、こうして立つこの時が来るまで、この場所に来た事は、ありませんでしたか。
……いいえ。
本当に、この場所に来るのは……2回目、ですか。
A:………………
B:私は貴方を探し倦ねていた、と……先程言いましたよね。
貴方が何処の誰で、何時何処でタクシーを運転して、何処まで行っているのか……
そんな事、いち一般人に過ぎない私が、知る由もありません。
手掛かりも情報も何一つ無しに、日に日に弱まっていく私自身に怯えながら、貴方を探し続けました。
……きっと、その時の私はまだ、憎悪の念に満ち満ちていたことでしょう。
今の貴方を見付けずに死んでしまっていたなら、本当に怨霊なる存在に、成り果てていたかもしれません。
……けれど……そうならなかった。
いえ、そうなれはしなかった。
その理由は、薄々貴方も、こうして聞きながら、気付き始めているはずです。
A:……ああ……
ああ……そうか……
……そうかそうか……はは、そういう事か、そういう事ですか。
そういえば、そうでした、そうでしたね……
B:……貴方は私の事も、この場所も、あの事故も。
一瞬たりとも、忘れた事なんて無かった。
後悔に煩わされ、憾みに怯え、自らを責苛み続けていた。
……そして、取り憑かれたかのように、毎日毎日何度も何度も何度も、
同じ時間、同じ場所へと、足を運んだ。
ある日を境として、変える人もいなくなって、すっかり朽ち果ててしまったこの花は……
……他でもない、貴方が、置いていた物じゃないですか。
A:ええ……
ああ、そうでしたね……そうでしたよ。
貴女の容態を確かめる事もせず、遺族と顔を合わせて、頭を下げる事すら出来ない自分に。
会社に責任問題も、慰謝料含め、全ての諸問題を丸投げして、ただ膝を抱えて、震えていた自分に。
何をしているんだ、こうではない。
何をすべきなんだ、そうではない。
何と向き合えば……ああではない、と、無益な自問自答を繰り返して、
行き着いた一つの答えが、此処に花を、欠かさず添え続ける事、だけだった……
……大人として……いや、一人の人間として。
自分はこうも情けなく、無様で、無責任だったのかと……そんな事しか、考えていなかった。
……それすらも今日の今日、今の今まで忘れていたのは……そういう事、だったんですね。
それで貴女は、その為に……
僕を今度こそ、連れて行く為に、もう一度来られたんですね。
B:……連れて行く、だなんて、人聞きが悪い。
せめて、迎えに来た……と、表現して下さい。
A:はは、意味にそう、大差も無いでしょう。
B:受け取り方に、齟齬が生まれます。
A:……ああ、でも。
二つだけ、やり残した事がありますんで、それだけ良いですか。
B:なんです?
今更謝る、なんて無しですよ。
何度でも言いますが、私は今はもう、貴方を恨んでいるわけではないんですから。
A:あらま……読まれてましたか。
たとえ今更でも、些細でも罪滅ぼしをしたいと思ったんですがね……
B:駄目です。
A:駄目ですか。
それじゃあ、もう一つ。
……無賃乗車ですよ、お客さん。
B:何を言い出すかと思えば……ふふっ。
……ツケておいて下さい。
出世払い……いえ、逢瀬払い、とでも申しますか。
A:ははは。
あるんですかねえ……
あれば幸い、ですね、そんな事が。
B:です、ね。
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