ハプニング・ハウジング
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(役表)
受付(不問):
客(不問):
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受付:いらっしゃいませー。
「とりかたハウジング」へようこそ。
客:えっ、……あれ?
受付:お客様?
どうかされましたか?
客:あ、いえ。
えっと、予約していた犬飼ですけど。
受付:ああ、犬飼様、お待ちしておりました。
どうぞ、そちらの席へ。
客:はい。
受付:お茶とコーヒー、どちらになさいますか?
客:あ、じゃあ、コーヒーを。
受付:砂糖やミルクは……
客:ブラックで、大丈夫です。
受付:かしこまりました。
どうぞ。
客:ありがとうございます。
受付:えー……と、犬飼様、犬飼様……は、
本日は、ご実家から離れて、一人暮らしを始められるにあたってのお部屋探し。
で、よろしかったでしょうか?
客:そうです。
受付:なるほど。
ご自分でお部屋を探されるのは、今回が初めてでいらっしゃると。
客:はい。
受付:ありがとうございます。
可能な限り、理想のお部屋をご提案出来るよう、尽力して参ります。
客:よろしくお願いします。
受付:こちらこそ。
では、早速なんですが、何かご希望のお部屋の条件はございますか?
客:希望の、条件。
受付:はい。
例えば、家賃はいくらぐらいを目安としているか、であるとか、
建物の新しさや広さ、駅、病院、スーパー、コンビニの近く、
オートロック等の厳重なセキュリティ、南向き、角部屋、などなど。
そういった、好みやこだわりと言いますか、
具体的な要望がぼんやりとでもありましたら、遠慮無く仰って頂けると。
客:ああ、えーと……そうですね。
立地とか間取りには、特にこだわりは無いんですけど。
実は、ペットを飼いたいなって、考えていまして。
受付:ほう。
良いですね、ペット。
ご実家では、飼うことが出来なかったとか?
客:いえ、そういう訳ではなくて、既に飼っている子はいるんですけど。
ちょっと、半ば強引に飼い始めてしまったのもあって、家族には最初からずっと猛反対されてしまっていて。
そのせいで、いつも家の中では、喧嘩が絶えないんですよ。
それで、私はともかく、その子のストレスになっちゃうのは避けたいな、と思って。
受付:それはそれは。
客:私、兄が一人いるんですけど、兄は兄で、別の動物を勝手に飼い始めちゃったものだから、
もう家族みんな、堪忍袋の緒が切れてしまって。
私も兄も意固地になって、喧嘩別れというか、家出半分みたいになっちゃったんですよね。
受付:そういえば、お兄さんからのご紹介でしたね。
客:そうなんです。
結構無茶な要望を出したのに、とても親身になって頂いたって。
受付:恐縮です。
私は第三者ですから、お客様のご家庭の事情には口出しは出来ませんが、
やはり仕事柄、どちらの言い分も分かりますよ。
特に、ワンちゃんや猫ちゃんは、新たに一人暮らしを始められる方が飼ってみたいとよく仰るんですが、
トイレの臭いが壁紙等に付きやすかったり、爪研ぎで壁や柱が大きく傷付いたりしますので、
言い方は少々悪いですが、選択肢は一気に狭まってしまうんですね。
地域や時期にもよりますが、例えば100件の物件があったとして、ペット飼育を条件に入れた途端、
件数が1桁近くまで減ってしまうことも、あまり珍しいことではありません。
客:そんなに。
受付:ええ。
当然と言えば当然の事ながら、生々しい話、貸主様からしても、慈善事業というわけではないので。
かく言う私も、昔は猫を3匹ほど飼っていたのですが、
引っ越す時の部屋探しには、とにかく難儀したものです。
客:3匹も。
動物、お好きなんですね。
受付:まあ、独り身の唯一の癒し、とでも言いますかね。
なので、お客様のお気持ちは、よく分かります。
客:大丈夫でしょうか、私の場合は。
受付:ご心配には及びません。
それを大丈夫にするのが、私の仕事です。
客:……これは、なんとも頼もしいですね。
受付:そう思って頂けたなら幸いです。
決して軽い買い物ではない以上、こういったご縁は、信頼関係が命ですから。
客:ええ、全くです。
受付:因みになんですが、その、今飼われているのは?
ワンちゃんですか、猫ちゃんですか。
それともハムスターとか、鳥とかの小動物?
客:ワニです。
受付:んっ?
客:………………
受付:………………
客:え?
受付:はい?
客:どうされました?
受付:あぁ、いや、うーん。
えー、おお……?
あーっと、すみません。
ちょっと、よく聞こえなかったと言いますか、予期せぬワードに思考が数秒停止してしまいまして。
大変失礼致しました。
客:はあ。
受付:それで、あの。
質問の繰り返しになるようで申し訳無いのですが、
飼われているのは、なんと?
客:ワニです。
受付:はっ?
客:………………
受付:………………
客:え?
受付:ウニ?
客:ワニです。
受付:バニー?
客:ワニです。
受付:……ポニー?
客:ワニです。
受付:あっ、ワニ。
客:ワニです。
受付:あぁ、ワニ……
客:はい、ワニ。
受付:ワニ……というのは、あれですか?
動物界脊索動物門(どうぶつかい/せきさくどうぶつもん)、
爬虫綱偽顎類(はちゅうこう/ぎがくるい)ワニ目(もく)に属する、
主に熱帯及び亜熱帯の水場等に生息している肉食性の、あのワニですか?
客:そのワニです。
お詳しいですね。
受付:デスロールとかする、あの?
客:デスロールとかする、あの。
受付:「ワニちゃん」という名前の、別の動物、という訳ではなく?
客:クロコダイルの、ダイちゃんです。
受付:あっ、クロコダイル。
正真正銘のワニですね。
客:正真正銘のワニです。
受付:なるほど。
……えー……ワニ。
そうですか、ワニ。
へぇー……ワニ……
ワニかぁ……ワニ……そっかぁ……
客:ゲシュタルト崩壊起こしてませんか?
受付:多少。
客:やっぱり、難しいですかね。
受付:そう……ですね、ワニは流石に……
想定のハードルを、戦車砲で根こそぎ消し飛ばされたような気分ですが……
客:そうですよね。
流石に、賃貸でワニは。
受付:……いや。
数分前に大見得を切った以上、何とかしてみましょう。
やりよう次第で、やれない事はありません。
無いはずです。
おそらく、たぶん。
客:真面目なんですね。
受付:ええ、自分の言葉には責任を持つ主義ですので。
客:とても素晴らしいことだと思います。
受付:ありがとうございます。
今は己のこの性分が、この世の何よりも憎いです。
客:はい?
受付:なんでもありません。
……ワニ……は、そうですね。
果てしなく広い視野で見れば、大型犬と分類することも、
血反吐が出る程度に無理をすれば、出来なくはありませんので。
客:ワニですけどね。
受付:承知しております。
ですがひとまず、今は大型犬として扱わせてください。
大型犬1匹なら、一人暮らしでは珍しいとはいえ、
まだ割とよくある、現実的なパターンのひとつですので。
希望というか、可能性はあるんじゃないかと……
客:あ、4匹です。
受付:ょぱォっ!?
客:すごい声出ましたよ。
受付:大変失礼しました。
4匹?
客:4匹です。
受付:家にワニが4匹いるんですか?
客:はい、放し飼いしてます、4匹。
変ですかね?
受付:……お客様のご家庭の都合ですから、変とまでは言えませんが。
1匹くらい、コモドオオトカゲとか混ざってませんか?
客:クロコダイルが2匹、
アリゲーターとガビアルが1匹ずつです。
受付:紛れもないワニちゃん達ですね。
客:紛れもないワニちゃん達です。
変ですかね?
受付:変ですね。
客:言っちゃいましたね。
受付:すみません、つい。
一応伺いますが、その、大きさはどれほど?
客:大きさですか?
受付:実はみんな、生まれたてで、そこまで危険は無いサイズ……
という話だったりは?
客:ああ、そうですね。
最後に測ったのが結構前なので、今の正確な大きさ、というのはちょっと……
あ、ただ、参考になるかは分かりませんけど、最近、ご飯が仔豚になりましたね。
受付:んん、えー、ッスーー……
仔豚……というのは、読んで字のごとく、子どものブタですか?
客:子どものブタですね。
受付:丸ごとですか?
客:丸ごとですね。
受付:死人が出ますよね?
客:死人は出てますね。
受付:出てますね?
客:あ、いや。
受付:既に死人出たんですか?
客:大丈夫です。
受付:大丈夫とは?
客:腕だけなので。
受付:腕いかれたんですか?
客:いえ、残ったのが。
受付:腕以外全部いかれたんですか?
客:いえ。
受付:なぜ目を逸らすんですか?
客:大丈夫です。
受付:死人出てますよね?
客:いえいえ、まさか。
今のは、あれですよ。
ほんの、クロコダイランジョークですよ。
受付:クロコダイランジョーク。
存じ上げない文化が出てきた。
客:とても大人しくて、いい子たちですから。
私が家族と喧嘩してる時だって、身を呈して止めに入ってきてくれたんですよ。
受付:そうなんですね。
それはなんとも、飼い主思いなことで。
客:デスロールで。
受付:え?
客:とても大人しくて、いい子たちですから。
受付:なぜ目を逸らすんですか?
客:大丈夫です。
受付:なにがですか?
客:飼い主として責任は、全て私が取りますから。
絶対に、家からも出しませんから。
受付:………………
客:………………
受付:……分かりました。
客:はい?
受付:取り敢えず、ダメ元で、「大型犬2匹以上」という条件で探してみましょう。
もしかしたら、犬でもワニでも良いと言う、正気を疑うレベルの物好きが、中にはいるかもしれません。
客:……あの。
受付:はい。
客:私が言うのも何なんですけど、親身になるにしても度が過ぎるというか、聞き分けが良過ぎるのでは?
他の所では、ワニと言った瞬間に追い出されたくらいなのに。
受付:でしょうね。
失礼を承知で申し上げてしまうと、それが正常な対応だとは思うのですが。
実は以前、何の因果か、バッファローのつがいを飼いたいと仰るお客様がいらっしゃいまして。
その対応を死に物狂いで達成して以来、私は、
どんな無理難題を提示されても、そうそう心が揺らぐことは無くなり、
こと部屋探しに関しては、ある意味、無敵に近い存在になってしまったのだと思います。
客:バッファロー。
受付:はい、バッファローです。
変わってるでしょう。
客:それ、私の兄ですね。
受付:でしょうね。
ワニとか言い出した時点でもう、そんな気はしておりました。
条件に合う物件を検索しますので、少々お待ち下さい。
客:はい、よろしくお願いします。
(間)
受付:お待たせしました。
客:どうですか?
受付:何件か、見付かりましたよ。
客:何件か見付かったんですか?
受付:ええ、何件か見付かってしまいました。
私は今ひとえに、この街の治安が心配です。
客:どういう意味ですか?
受付:いえ、まあ。
取り敢えず、順番にご紹介していきますので、気になる所があったら仰って下さい。
客:分かりました。
受付:まず1件目。
築年数はそこそこ経っていますが、かなりの駅近です。
客:駅近。
どれくらいですか?
受付:徒歩ゼロ分。
客:ストップ。
受付:はい、ストップ。
どうされました?
客:徒歩ゼロ分?
受付:徒歩ゼロ分です。
客:それはもはや駅近というか、駅なのでは?
受付:はい。
客:はい?
受付:駅員の宿舎が、一部屋空いているそうなので、そこで良ければと、駅長から直々に。
客:あそこ賃貸なんですか?
受付:みたいですね、私も初めて知りました。
駅員じゃなくても住めるそうです。
客:駅でワニ飼って良いんですか?
受付:向こうは大型犬で日頃の疲れを癒す心づもりだと思いますので、
蓋を開けたらワニでも良いのかと問われると、ぶっちゃけ、たぶんダメでしょうね。
間取りは、六畳一間だそうですが。
客:あ、却下ですね。
受付:却下ですか?
交通の便は、この上無く良いと思いますが。
客:いや、確かにそこに住んでいる間は、そういう面で不便を感じる事は皆無でしょうけど。
それ以外の全てを犠牲にしている、とでも言えばいいのか。
六畳一間に人間1人とワニ4匹は、いくら飼い主でも死にますよ。
蠱毒じゃないんですから。
受付:博識ですね、どう転んでも呪われそうだ。
客:次行って下さい。
受付:かしこまりました。
では、次。
住宅街の一角にある物件でして、各施設からは少し離れていますが、
そのぶん静かで、加えて、日当たりがとてつもなく素晴らしいと。
客:とてつもなく、とは?
受付:えー、まず間取りは、25畳のワンルーム。
同じくらいの範囲の庭もあります。
客:おお、広さは結構ありますね。
ワンルームっていうのは気になるけど、それなら工夫次第では、
みんなで暮らしていても、多少余裕がありそう。
庭をそのまま水場にしたりとか……
受付:家賃が、1万円。
客:ストップ。
受付:はい、ストップ。
どうされました?
客:家賃1万円?
受付:1万円ですね、敷金礼金もありません。
客:確実にそこ、いわくとかありますよね?
受付:いえ、いわくはありませんよ。
事故も事件も全く起きていませんし、霊的な何かもありません。
というか、既に同じ生活空間にワニが4匹いる状況なのに、それ以上何か恐ろしいことが?
客:一理ありますけど、そういう問題ではなくて。
なんでそんなに安いんですか、いわくは無いんですよね?
受付:いわくは無いですし、屋根も無いです。
客:ん?
受付:天井も屋根も無いんですよ、ここ。
俗に言う、吹きさらしというやつです。
更に綺麗な言い方をするなら、青空物件。
客:そんな、「そういう家たまにあるよね」みたいな感じで言われても。
え、屋根が無くて、何があるんですか。
受付:何が……えーとですね。
お風呂、洗面所、キッチン、トイレ、クローゼットに玄関……
客:いや、その辺は家として、無い方がおかしいでしょう。
そうじゃなくて。
受付:が、無いです。
客:更地ですよね?
受付:いえ、公園です。
客:却下です、次。
受付:家賃無し。
客:ストップ。
受付:はい、ストップ。
どうされました?
客:投げやりになってません?
受付:なっていませんよ、大真面目です。
客:家賃無しが、大真面目?
受付:はい。
新築一軒家の借家で、家賃を支払う必要がありません。
家具家電が一式揃っていて、インターネットも、大手の高速回線が通っていますし、
勿論、いわく付きでもないです。
客:身一つ、鞄一個分の荷物で、すぐに住めるってタイプのやつですか。
それだけの好条件が揃っていて、何がどうなって、家賃無しなんてことに?
受付:ただ1点だけ、ちょっと特殊な注意事項があるからですね。
客:嫌な予感しかしない。
なんですか、注意事項って。
受付:既に住んでいるご家族が居ます。
客:んん、それは、えっと?
入れ替わりとかではなく?
受付:同居して頂きます。
客:ホームステイをしろと?
受付:いえ、二世帯住宅ですよ。
客:私の知ってる二世帯住宅と違う。
受付:あと、契約される際は、契約書や借用書ではなくて、
誓約書を書いて頂くことになります。
客:誓約書? なんのですか?
受付:連帯保証人の。
客:闇しか感じないんですけど。
受付:却下ですか?
客:却下です。
あの、そんなのしか無いんですか?
受付:そんなの、とは。
客:大人しく聞いていれば、ふざけた提案ばかりして。
確かに、私が要求する条件も、世間一般から見たら、相当無理があるのも重々承知ですよ。
でも、それにしたって、あまりにも対応が杜撰過ぎますよ。
無理なら無理って、はっきりそう言って下さい。
いっそ最初からそう言われた方が、こうして時間を無駄に潰しているよりも万倍マシです。
もう帰ります。
他のところをあたってみますから。
受付:他のところは、軒並み追い出されたのでは?
客:探せばここよりは、幾分か良い対応してくれるところがあるんじゃないですか。
それでは、失礼します。
受付:待ってください。
客:……なんですか。
受付:あと1件だけ、選択肢があります。
客:もう良いですよ、どうせろくでもないんだから。
受付:まあまあ、騙されたと思って、最後まで聴いてください。
ここなんて、どうですか。
客:…………?
ここ、とは?
どれですか?
受付:ですから、ここですよ。
客:いや、ここと言われても、資料も何も無いじゃないですか。
からかうのもいい加減にして下さいよ。
受付:からかってなどいませんよ。
ここです、ここ。
客:……え、ここって、ここ?
もしかして、この店舗のことを言ってるんですか?
受付:はい。
客:それは……あの、どういう?
受付:実はここ、弊社の事業の経営難から、
店舗数の削減に伴って、今月いっぱいで閉店する事になりまして。
従業員は今、支店長の私しか居ないんですよ。
客:……ああ、どうりで。
受付:おかしいと思ったでしょう、入店された時。
客:ええ、それは、まあ。
清潔感があるとかいう次元じゃなくて、なんかもう、あまりにも何も無いから。
夜逃げ前なのかと思いましたよ。
受付:で、この機会ですし、私も今の会社を辞めて、
この建物を丸ごと買い取って、賃貸業で独立しようかと考えてまして。
客:へえ。
それはまた、随分思い切ったご決断で。
それで、私にどうしろと……?
受付:それで、どうでしょう。
度重なる失礼のお詫びの形としては、少々不十分かも知れませんが、
私の今の仕事の、最後のお客様、
兼、次の仕事の最初のお客様となって頂けるのであれば、
この物件を、家賃半額以下の格安でご提案しますよ。
客:ええ?
受付:駅からは徒歩10分圏内ですし、各施設へのアクセスも良好。
警備会社と契約しておりますので、セキュリティも申し分無く、
築年数だって、決して古くはありません。
それどころか、来年には、一度まるっとリフォームするつもりなので、新築並みに綺麗になる予定です。
元は小さな事務所用のビルということで、1階丸ごと1部屋となって、隣人という概念も無いですし、
勿論管理人は私ですから、何を何匹飼おうが、完全にお客様の自由です。
それこそ、ワニであろうが、バッファローであろうが。
客:……えーっと、それは……
受付:どうですか。
自分で言うのもなんですが、ここまで完全、完璧にお客様のご要望を叶えていて、
且つ融通が利き過ぎる、管理人お墨付きの理想の物件なんて、
世界中のどこをどれだけ探そうとも、ここぐらいのものですよ。
客:……一応、確認して良いですか。
受付:はい、どうぞ。
客:仮に、その条件で、この場で即決したら……
家賃は、いくらぐらいになるんですか。
受付:6万円です。
客:管理費込みで?
受付:管理費含め、諸々込みで。
客:敷金礼金は?
受付:頂きません。
客:いわくも?
受付:ありません。
客:……本気ですか?
受付:徹頭徹尾、本気です。
自分の言葉には、責任を持つ主義ですので。
客:大概、変わってますよね。
受付:お客様に言われるとは、光栄です。
客:……騙されてませんよね?
受付:万が一嘘だったら、その時は、ワニの餌にもなりましょう。
客:………………
受付:………………
客:……じゃあ、それで。
受付:ここをご契約で、宜しいですか?
客:はい、よろしくお願いします。
受付:ありがとうございます。
これで私も、幸先のいい再スタートが切れそうです。
客:それは、どうも。
だけど……あの、本当の本当に、そんな出来過ぎた条件で良いんですか?
散々駄々こねた身で聞くのもあれですけど、ここまでしちゃったら、
そっちは利益なんて、全然出ないんじゃ?
受付:ええ、もちろん、超大赤字ですとも。
でも、別に良いんですよ。
独立と言っても、趣味といいますか、慈善事業みたいなものなので。
客:お金持ちだったりします?
受付:それなりには。
客:ですよね、やっぱり。
じゃあ、それならいっそもう、ここ譲ってくれません?
賃貸とかじゃなくて。
受付:おっと、途端に一歩踏み込んできましたね。
正直、そういう図々しさ嫌いじゃないです、私。
ですが生憎、流石にそこまで、世の中は甘くありませんよ。
今のここまでが、私に出来るギリギリですから。
それに、所有するよりも賃貸の方が、何かと気楽ですよ?
客:ちぇっ、残念。
私以外に、新しく住む人っているんですか?
受付:ええ、下の階に、おひとり。
ですので、お客様がご入居になるのは、2階になりますね。
客:なんだ。
全く、都合のいいこと言って。
受付:はい?
客:私が最初の契約者じゃあないんじゃないですか。
ちゃっかり口車に乗せましたね?
受付:いえいえ、そんな。
ここが私の所有物として賃貸物件になるのは、随分前から決まっていたことですから。
下の階は、以前よりご契約頂いていたお客様です。
私が退職届を出して、心機一転を決めてからのご契約は、お客様が最初ですよ。
客:さいですか。
受付:ええ。
早い方が良いのであれば、来月の頭には鍵のお渡しが出来ますが。
どうなさいますか?
客:それじゃ、そうしてください。
早いところ、ワニちゃん達だけでも移動させないと、犠牲者が増えるので。
受付:ああ、なるほど。
はははははは。
客:あははははは。
受付:増える?
客:ん?
受付:やっぱり死人出てますよね?
客:いえ?
受付:なぜ目を逸らすんですか?
あっ、そうか。
今のがあれだ、クロコダイランジョークですね。
客:まあ、はい。
それですね、そうそう。
受付:お客様?
客:じゃ、また契約書が出来たら、連絡下さい。
今日は、これで失礼します。
受付:あの、お客様?
客:どうも、ありがとうございました。
受付:お客様ァ!?
(間)
客:数ヶ月後。
受付:そういえばあのお客様、そろそろ引越しも済んだ頃かなぁ。
騒ぎになってないということは、上手くやってくれているんだろうか。
客:プルルルルル、プルルルルル。
受付:ガチャ。
お電話ありがとうございます。
「とりかたホームズ」でございます。
客:下の階にバッファローがいるんですけど。
受付:でしょうね。
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