ゼンマイ仕掛けの命時計
(登場人物)
・蓮美 譲太朗(はすみ じょうたろう):♂
元・蓮美研究所の所長。
世に普及する「生活補助用自律ヒト型アンドロイド」、
通称「i - Da(イーダ)」開発計画の最高責任者だった。
現在は病を患い、都会から離れた古屋敷に隠居している。
・エイダ:♀
「生活補助用自律ヒト型アンドロイド」の初期型。
とある理由により量産が見送られ、同型は存在しない。
容姿としては20代半ばの成人女性だが、造られてからそんなに経っていない。
現在は譲太朗と同居。
・佐伯 宗一(さえき そういち):♂
現・蓮美研究所の所長。
譲太朗の助手として名高い技術者だが、譲太朗が一線を退いた後は、あまり精力的に動けずにいる。
定期的に屋敷を訪れ、譲太朗との世間話やエイダの調整を行っている。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(役表)
譲太朗:
エイダ:
宗一:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
譲太朗:(M)
100年、200年、或いは、それより遙か未来の話。
月面開発を始めとして、太陽系は人類の住処として発展を続けていた。
しかし、地球の内外問わず進んだ、技術の爆発的な進展は、
人類の延命を引き替えに、その身体能力や頭脳に、著しい退化を齎した。
家事から乗り物の運転、作業現場の仕事まで、
その全てを、機械が担う事になった代償である。
そして、人間の日常生活において、良くも悪くも、最も貢献していたのが……
生活補助用自律ヒト型アンドロイド、通称・「i - Da(イーダ)」だった。
エイダ:おはようございます、譲太朗さん。
今日は特別、天気が晴朗ですよ。
譲太朗:うーん……もう少し……
エイダ:ふふっ、まだ寝ているおつもりですか?
ほらほら、早く起きてください。
こんな晴れ渡った日に、いつまでも寝ているだなんて勿体無いですよ。
(カーテンを開ける)
譲太朗:っ……おっと。
確かに今日は、また一段と、太陽が眩しいな……仕方無い。
よいしょっと……やれやれ。
雨天続きだったところに、久方振りに晴れたことを喜ぶのは分かるが、
もう少し、優しく起こしてくれても良いと思うんだがね?
仮にも、私は病人なのだから。
エイダ:まあ、こんな時ばかり病人を主張なさるなんて。
普段は、病人扱いしたら、お怒りになるではありませんか。
それに、中途半端な起こし方では、また直ぐに寝直されてしまいますし。
折角お作りした朝食が冷めてしまいますよ?
譲太朗:ああ……確かに、それは困るな。
悪かったよ。
明日からは、もう少し早く起きるよう善処しよう。
エイダ:ご理解頂けて何よりです。
譲太朗:……ふむ、そうだな。
朝食を摂ったら、軽く散歩にでも出掛けるとしようか。
エイダ:それは良いお考えですね。
……あ、でも、お体の方は大丈夫なのですか?
譲太朗:なに、今日は頗る調子が良い。
それに、閉じ篭もってばかりでも、快復するわけでもあるまいて。
エイダ:……そう、ですね。
譲太朗:どうした?
エイダ:あ、いえ。
それより、そうと決まれば、まずは早くお着替えを。
お手伝い致しますから、ほらほら。
譲太朗:はいはい。
全く、浮かれるとせっかちになるのは、いつまで経ってもそのままだな。
エイダ:(M)
こうして、今日も私達の一日が始まります。
未来都市へと発展した都会の中央区から、何区画も離れた、発展途上地区。
開発を拒否するかのように、其処に佇むこの屋敷には、近付く者も殆どいませんでした。
私達屋敷の住人と、この日、朝食の終わり時に訪ねてきた一人の技術者、宗一さんを除いては。
宗一:……あれ、珍しいですね。
譲太朗さんが外出なんて。
エイダ:あら、宗一さん。
おはようございます。
宗一:うん、おはよう。
譲太朗:エイダがあまりにも、外に出たそうだったからな。
私も偶には、体を動かさなければ、と思っただけのことだ。
宗一:そうでしたか。
だったら、僕もご一緒しますよ。
臨時出張という事になってますから、休暇と一緒です。
譲太朗:はは、つまりはサボタージュか。
私の後釜の所長ともあろう者が、そんな事でいいのかね?
宗一:何を言うんですか。
これだって、立派な務めの一つですよ。
元アンドロイド工学の名誉教授で、蓮美研究所所長だった方への定期報告。
それに、エイダの調整だって、僕の仕事です。
そう考えれば、臨時出張というのも、強ち嘘とは言えないでしょう?
譲太朗:ははは。
相変わらず、言い訳は一流だな。
まあ、現場から離れた私には、それを咎める権利も無いか。
エイダ:………………
譲太朗:ん?
エイダ、どうした?
エイダ:……あの、譲太朗さんは……
何故、一線から、自ら退かれたのですか?
譲太朗:……また、唐突に変な事を訊くな。
エイダ:譲太朗さんの、研究所での一部始終を見ていたわけではありませんが、
それでも、私のようなアンドロイドを造る事に対しての情熱は、人一倍強かったと……
宗一:それは、僕も気になってたよ、正直ね。
でも、きっと何か深い理由があるんだろうと思って、訊かずにいたんだが。
……譲太朗さん、この際ですから、聴かせてもらえませんか。
譲太朗:……下らない理由だよ。
私は人間だが、人間の欲の深さという物に、愛想が尽きた。
強いてまともっぽく聞こえる理由を付けるなら、そんなところだ。
エイダ:と、言いますと……
譲太朗:こうして都会に出てみれば、一目瞭然だろう。
航空バスを運転しているのも、リニアタクシーを操っているのも、
百貨店の受付をしているのも、ああして鞄を運ぶ事や、乳母車を押すことすら、
今や人の手が煩う事は無く、全てアンドロイドの仕事だ。
確かに私が造り上げたアンドロイドは、人の為に働き、人を助ける、という思考回路を元に創られている。
……しかし、あくまでそれは、支援に留まるはずだった。
本来ならば、人とアンドロイドが共存し、共に働き、共に生き、共に発展する。
そういうコンセプトで、創った筈の物だったんだよ。
だが、蓋を開けてみればどうだ。
彼らは恰も便利な道具のように扱われ、人は踏ん反り返って、必要最小限の事しかしない。
こんな事では、人が退化の一途を辿るのも、当然というものだ。
自業自得だよ。
宗一:……耳の痛い話です。
譲太朗:だから私は、自ら退職を選んだ。
……私はね、今頃になって、アンドロイドを、イーダを創った事を、心底後悔しているんだよ。
いっそのこと、イーダの設計図も、研究所から去る時に、廃棄してしまおうと思ったほどだった。
だが、それで彼女らが救われるわけでも、量産する工場が止まるわけでもない。
だから私は、そんな人間の絶対王政社会から離れた。
……いや、逃げた、と言うべきなのだろうな。
エイダ:……では、何故私などを、共に連れて行って下さったのですか?
私は、イーダと比べれば、性能では遙かに劣る試作型だというのに……
譲太朗:試作型、だからこそだ。
エイダ:え?
譲太朗:……その辺の事は、今は佐伯君の方が詳しいんじゃないか?
宗一:そこで僕に振るんですか?
まあ良いですけど、それなら少し、場所を移しましょう。
散歩がてらに話す内容にしては、ちょっと内容が濃過ぎますよ。
譲太朗:はは、それもそうだな。
エイダ:それなら、
……此処から300m程進んで、右折した所に、喫茶店があるようです。
今の時間帯なら、比較的混雑もしないようですから、其処にしませんか?
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
宗一:何か頼みますか?
譲太朗:昼食にはまだ早い。
とりあえず、コーヒーを3つで良いだろう。
宗一:3つ?
エイダ:あの、私に飲み物を処理する機能は無いんですが……
譲太朗:知っているとも。
だが、3人居るのに、2人分しか注文が無いのは変だろう?
喫茶店は、雰囲気を楽しむものだ。
エイダ:……はい。
宗一:なるほどね。
じゃあ、今回は僕が奢らせてもらいますよ。
譲太朗:そうかい?
それなら、お言葉に甘えさせてもらおうかな。
宗一:ええ。
譲太朗さんとこういう席で一緒になるなんて事、最近とんとありませんでしたからね。
……じゃあ、どこから説明したら良いですか?
譲太朗:一からで良いんじゃないか。
時間に制限があるわけでもないし、中途半端な説明ではエイダも理解が出来ないだろう。
私は、少し手洗いに行ってくるからな。
宗一:そうですね、分かりました。
……じゃあ、エイダ。
エイダ:はい?
宗一:君とイーダの決定的な違いは、主に3つだ。
それが何なのか、だいたい予想は付くかい?
エイダ:ええと……動力が違うというのは以前聴きましたが、
具体的には、よくは……
宗一:うん、その通り。
1つは動力だ。
エイダは、ゼンマイ式のギアの回転で、イーダは、バッテリーで駆動してる。
定期的にゼンマイを巻き直しさえすれば、ほぼ永久的に動けるエイダに対し、
イーダはバッテリーが切れてしまったら、もうそれで動かなくなってしまう。
これだけだったら、エイダの方が優秀に聞こえる。
それなら何で、エイダじゃなく、イーダの方が普及したんだと思う?
エイダ:……分かりません。
宗一:使い続ける為のコスト、さ。
それが2番目の、そして、2人の、最も大きな違いだ。
エイダ:コスト、ですか?
宗一:そう。
エイダの量産化を見送った最大の理由でもある、言うなれば、維持費。
少し考えれば、誰でも分かる話なんだけどね。
例えば、何らかの原因で、エイダとイーダが動かなくなったとするだろ?
イーダは簡単だ。
動力源がバッテリーで、制御は内蔵コンピュータがやってるから、
強力なウイルスでも入らない限りは、バッテリーを交換すれば復旧する。
バッテリーだけなら安上がりだし、技術者じゃなくても、すぐに直せる。
……だけど、エイダはそうはいかない。
ゼンマイを巻き直して解決するならそれで良いけど、それでダメだった場合、もうそれでお手上げなんだ。
何十万、何百万と複雑に絡み合ってるギアの、どこがおかしくなったかなんて、素人に分かるわけがない。
修理出来る者すら限られるし、それなら、本体を新しく買い直した方が手っ取り早い。
だけど、動かなくなる度に買い直していたんじゃ、コストなんて計り知れないだろ。
そういう問題が目に見えてたから、エイダは試作型の君1人の製造に留まり、
エイダより後の新型は、全てバッテリー駆動で創られる方針になったんだよ。
エイダ:……それでは、なぜ問題があると分かっていながら、私は創られたのでしょうか?
宗一:さあね。
そればかりは、譲太朗さんしか知り得ない事だよ。
エイダ:……そう、ですよね。
宗一:さて、じゃあ、あと1つの違いだけど。
エイダ:……?
宗一:エイダ?
エイダ:いえ、何やら向こうが騒がしいので……
宗一:ん……ああ、そうみたいだね。
何かあったのかな。
エイダ:確か、あっちは化粧室で……
……!!
宗一さん、私少し、席を外します。
(言い終わる前に席を立ち、奥へと走って行く)
宗一:お、おい、エイダ!?
エイダ:(M)
私は、無能でした。
私は……私だけはもっと早く、勘付くべきでした。
譲太朗さんは、化粧室の中で持病の発作を起こし、苦悶の表情で倒れていたのです。
辛うじて一命は取り留めたものの、本来、外出そのものが無茶だったと言われ、
お医者様からは、緊急入院を勧められました。
でなければ、もう、もって1年程度しか、生きられないと。
……しかし、譲太朗さんは、それを頑なに拒みました。
身体を起こせなくなるほど、急激に力が衰え、寝たきりの状態になってしまっても。
絶対に、お医者様の言葉には、耳を貸そうとはしませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
エイダ:……結局、帰ってきてしまいましたけど……
譲太朗さん、本当に、宜しかったのですか?
今の進展した医療技術なら、もしかしたら、譲太朗さんの病気を治すことだって……
譲太朗:大枚をはたいたのなら、或いは可能、なのだろうな。
……だが、私はそれは、真っ平御免なんだ。
エイダ:え……
譲太朗:人間は、生命は、いつか必ず死ぬ運命にある。
発展した技術に、金の力で縋り付いて、無理矢理に生きていても、
そうなってまで、生きている、とは言いたくない。
医療の進歩自体は、素晴らしい事だとも。
私はそれを否定したい訳でも、医師の進言を無碍にしたい訳でもない。
だが、全ての命に、繋がり、生きる権利と自由があるように、
自らの意志で、自由に死ぬ権利もまた、許されて然るべきではないか。
こうして都会から離れた屋敷に隠れ住んでいるのも、ひっそりと生涯を全うしたかったからだ。
死ぬことなど怖くはない、と言えば、無論嘘になる、が……
無限に生きていたいかと問われれば、誓って否、だ。
本来の人間らしく、生きられるだけ生きて死ねるなら、私はそれでいい。
宗一:……譲太朗さん……
譲太朗:……佐伯君。
エイダに、イーダとの違いはもう全て説明したかな。
宗一:え?
エイダ:……いえ、動力とコストに関しては聴きましたけど……
それ以外を聴く前に、私が席を立ったものですから。
譲太朗:そうか。
それなら、先にそれについて、説明しておいた方が良いかもしれないな。
エイダ:はい……?
譲太朗:佐伯君。
エイダとイーダの、決定的な違い。
動力とコスト、もう1つは、何だ?
宗一:えっ、ああ。
……AIです。
AIの仕組みが、根本的に違う。
しかし、僕が知っているのはイーダの物だけで、エイダに関しては、一部しか知りませんが……
エイダ:AI……
人工知能のことですか?
譲太朗:そう。
我々人間の、脳に該当するところだな。
宗一:イーダは、元々造られた時から、ある程度の知識や情報は、最初からAIに組み込んである。
いつ何処に行っても、すぐに、そこでの人間の生活に馴染めるようにね。
だけど、予め持ち合わせてる情報なんて、激流のような情報社会じゃ、あっという間に時代遅れになる。
だからイーダは、首都圏の電波塔から常に発信されている情報をAIが受信して、
自分の持っている情報の修正・更新を行い、その都度、OSも自動でアップデートしていくんだ。
譲太朗:それに対して、エイダのAIは、最初はほぼ何も入っていない。
自らの眼で視て、自らの耳で聴いて、自ら感じた世界を、AIに、記録、情報として……
もっと分かりやすく言えば、記憶として、学習していく。
……だが、この機能は、初期型のエイダにしか搭載されていない。
何故だと思う?
エイダ:……ええと……
宗一:簡単な話だよ。
完全で完璧な技術を求める現代社会で、そんなAIは、受け入れられなかったんだ。
人間は、何においても自分の手を煩わせたくないから。
最初から全てを、自分達が何もせずとも、完璧に熟してくれる物を望み続けた。
イーダが普及したのも、そういうエゴイズムに塗れた理由なんだよ。
……まあ、その彼女たちを創り続けている僕たちが、
何かを言える立場じゃあないけれど、ね。
エイダ:……そう、だったんですね。
譲太朗:……佐伯君、悪いが少しの間、席を外してくれないか。
宗一:え?
譲太朗:エイダと、2人で話がしたい。
……大事な、話だ。
宗一:……分かりました。
エイダ、何かあったら、すぐに呼んでくれよ。
エイダ:はい。
宗一:じゃあ、僕はリビングにいますから。
譲太朗:うん、悪いな。
(宗一、退室)
エイダ:……それで、あの、譲太朗さん。
大事なお話、というのは……?
譲太朗:……エイダはさっきの話、納得いったか?
エイダ:納得……とは、違いますが……
理解は、出来ました。
譲太朗:そうか。
……元はと言えば、イーダは確かに人間の生活を支援、補助するために創ったものだ。
だが……エイダ、お前だけは違う。
もっと、個人的な理由で……
言い方は悪いが、私の、趣味の延長……
より端的に言ってしまえば、ほんの些細な、下らぬ欲を実現したいが為に創ったアンドロイドだ。
エイダ:欲……ですか?
譲太朗:……恥ずかしい話だが、私はアンドロイド工学を取り払ったら、何の能も無い男でね。
とりわけ、女性との交際というものは、気が動転してしまって、からっきしだった。
いつまで経っても克服出来ないまま、とうとうこの歳になるまで、
女性に対しては奥手なまま生きてきてしまった。
エイダ:そういえば、そうでしたね。
研究所で働いている頃から、譲太朗さんは、女性の研究員の方が相手でも、
あまり長く一緒にいることは無かった。
普段は厳格なのに、女性が絡んだ途端、いつもの剣幕が無くなってしまって。
譲太朗:おそらく今でも、いざ女性を目の前にしたら、緊張で縮こまってしまうだろうな。
……だが、それでも私は、どうしても諦めきれない事があった。
エイダ:なんです?
譲太朗:笑ってくれるなよ。
エイダ:はい、勿論。
譲太朗:……娘が、欲しかったんだ。
気立てが良く、私に懐いてくれる、愛娘が欲しかった。
養子や孤児などではなく、血の繋がった、れっきとした「私の娘」が、ね。
エイダ:………………
譲太朗:何とも醜く、利己的極まる話だろう?
異性と碌に世間話も出来ぬ冴えない男の、妄想めいた戯言だよ。
なまじ自意識ばかりを拗らせたばかりに、選んだ未来の果ての有様が、これだ。
……お前たちの開発計画が、こんな下らない願いが発展したものだと考えると、
申し訳ない気持ちで、胸が張り裂けてしまいそうになる。
そんな感情を、抱かなかった夜は無いよ。
エイダ:……それでは、譲太朗さんは私を、生活支援用のアンドロイドとしてではなく、娘として……?
譲太朗:そうだ。
勿論、表向きは、生活支援用だと言わざるを得なかったよ。
そうでもしなければ、エイダは創られる事も無く、私が嘲笑の的になるのは想像に難くなかったからな。
だが、私はお前を諦めたくなかった……
手放したく、なかった。
たとえアンドロイドでも、な。
いや、人間だのアンドロイドだのは、どうでも良かったのだ。
エイダは間違い無く、私から生まれた娘だったのだからな。
……自らの欲望の為に、自分の為だけにアンドロイドを創った。
こんな私に、現代の人間がどうだこうだ言う権利等、到底無いのかも知れないな。
エイダ:そんな……
譲太朗さんが私を創って下さったからこそ、アンドロイド技術も進歩して、
私と譲太朗さんも、今こうして、共にいられるのです。
感謝こそすれ、誰も譲太朗さんを責めたりはしませんよ。
譲太朗:ありがとう。
……そうだ。
君の言う通り、君を一人創り上げたことによって、
あっという間にアンドロイド技術は発展した。
それこそ、簡単に、新型であるイーダを量産出来るほどに、だ。
……だが、だからこそ尚更、エイダを量産なんてさせたくはなかった。
私にしか創れず、私や、限られた者にしか調整出来ないような複雑な仕組みにして、
生半可な技術者には、手も出せない代物にしたんだ。
敢えて言うのなら、親馬鹿……なんだろうな。
エイダ:あら。
そんな言い方、今の研究所の方々が聞いたら怒られますよ?
譲太朗:はは、今更だよ。
私の性格が、弩が付く偏屈なのは、自他共に認めるところだ。
周囲からの正論に満ちた雑言は、最初から右から左だったさ。
……なあ、エイダ。
エイダ:はい?
譲太朗:私が以前から口癖のように言っていた言葉、覚えているかね?
エイダ:『人間とアンドロイドは、共存し、共栄すべき、等しい一つの命達だ』
……ですか?
譲太朗:そうだ。
イーダを発表した時から、私はそれを唱え続けた。
……だが、その言葉が人々の耳に、心に、届くことは無かった。
恐らく、これからも無いだろう。
……だからこそ、エイダには、理解して欲しい事がある。
エイダ:はい。
譲太朗:お前は、私の大切な娘だ。
だが、お前の命は、最期まで、お前のものだ。
……私はもう、そう長くない。
半年も経たない内に、お迎えが来るだろう。
だが、私が死んでも、私に縛られる事はない。
エイダは、エイダの生きたいように、生きていきなさい。
1台のアンドロイドとしてではなく、一人の女性として。
エイダという、一つの命として……な。
エイダ:……はい。
譲太朗:話は終わりだ。
……今日はもう、休ませてくれ。
エイダ:はい……おやすみなさい、譲太朗さん。
……いえ、お父様。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
エイダ:お待たせしました。
宗一:ああ。
……話は、終わったのかい?
エイダ:はい。
……宗一さん、お願いがあります。
少し、お時間を頂戴しても宜しいでしょうか。
宗一:うん?
エイダ:……此処ではなんですから、地下に、小さいですが、ラボがあります。
そちらで。
宗一:お、おい、エイダ?
(二人、移動)
宗一:……で、なんだい、お願いって?
わざわざ、こんな所に連れてきてまで。
エイダ:……そろそろ、私のゼンマイが止まります。
申し訳ありませんが、また、巻き直しをお願いしたいのです。
宗一:……?
ああ、それなら、改まって言わなくても。
エイダ:そして、
それを最後に、巻き直しが、ゼンマイが次に止まる、その時まで、
……もう二度と出来ないように……して、頂きたいのです。
宗一:……え?
エイダ:………………
宗一:……エイダ、自分で言ってる事の意味、分かってるのかい?
エイダ:分かっています。
宗一:二度と巻き直しが出来ないようにするってことは、君は、動力の補給源を失うってことだ。
バッテリー式のイーダと違って、君は、自力ではそんなに長くは動き続けられないんだよ?
エイダ:……分かって、います。
宗一:なんで、そんな事を、急に……
エイダ:(M)
私は、全てを話しました。
譲太朗さんに教わった事、言われた事。
そして、私自身の決意も、全てを。
宗一:……なるほど。
話は、分かったよ。
エイダ:譲太朗さんは、「私が死んでも、私に縛られるな」と仰いました。
でも、私にとって譲太朗さんは、お父様であると同時に、
……最愛の、旦那様なのです。
譲太朗さんが亡くなっても、一人で生きていくだなんて事、とても私には、出来そうにありません。
だから、……だから、共に生き、共に逝けるなら。
私は、本望です。
宗一:……それが、君の……
エイダの、選択なんだね?
エイダ:はい。
宗一:……分かった。
君の願いを叶える為なら、僕も最期まで、君に付き合おう。
それじゃあ、一度電源を落とすよ。
ほんの少しだけだけど、ギアの配置を動かさないといけないからね。
エイダ:……よろしく、お願いします。
エイダ:(M)
そして、宗一さんは私の希望通り、譲太朗さんには内緒で、
ゼンマイを目一杯巻き直し、二度と巻き直すことが出来ないようにして下さいました。
宗一さんが言うには、もって1ヶ月で、ギアは止まるとの事。
つまり、私はこの日を以て、余命1ヶ月という宣告をされたのです。
この時初めて私は、死というモノを、うっすらと理解した気がしました。
自らの身体の全てが停止し、やがて意識も、何処か、知らぬ所へと消えていく。
そんな、漠然とした概念を。
……でも、不思議と、怖くはありませんでした。
その時間を共有してくれる、最愛の、お父様がいてくれたから。
譲太朗:(M)
病は日に日に、私の身体を蝕んでいった。
脳髄と神経が切り離されたかのように、最早まともに機能するのは、思考回路だけ。
定期的に襲い来る発作に苦しむ度に、一歩、また一歩と、
死というモノが歩み寄ってきている事を、嫌でも実感する事になった。
普通ならきっと、死にたくない、死にたくないと喚いている所だろう。
……だが、私はそれに、恐怖を感じている暇など無かった。
最愛の娘が、毎日のように、懐いてくるようになったから。
宗一:(M)
……そして、ちょうど1ヶ月が過ぎようとしていた、その矢先。
譲太朗さんの病状は、結局快復に向かう事は無く、
けれど、まるで自分が死ぬ日を知っていたかのように、
驚く程に静かに、そして、羨ましく感じる程に安らかに、息を引き取った。
最期の最後まで看取っていたエイダは、やはり、毅然とした態度を崩さなかった。
でもきっと、心の中では、僕たちと同じように、大粒の涙を流しているのだろう。
或いは、彼女もまた、自らの死期を悟っているからこそ、
共に生き、共に逝けると、知っているからこそ、悲しむ必要は無いと。
そんな事を、考えていたのかもしれない。
間も無く、エイダの命も、止まろうとしている。
僕は最期の日にもう一度、エイダを訪ねてみた。
……彼女は、一ヶ月前のあの日に使ったラボで一人、その時を待っていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(以降、エイダの台詞は、徐々に途切れ途切れになるのが望ましい)
宗一:君が生まれた場所? このラボがかい?
エイダ:はい。
譲太朗さんが遺していた手紙に、そう書いてありました。
宗一:それを、君は今まで知らなかったのか?
エイダ:知らなかった、というより、忘れてしまっていたんだと思います。
でも、こうして思い出してから此処にいると、凄く……懐かしい感じがするんです。
安心、するというか。
……ええと、どう表現するべきか、分からないのですが……
宗一:はは、大丈夫。
言わんとしてることは分かるよ。
エイダ:宗一さん。
宗一:ん?
エイダ:実は私、もう、こうして話しているのが、精一杯なんですよ。
全身がもう、自分の意思で、動かす事も、出来なくて。
死ぬって、こういうこと、なんでしょうか。
宗一:……そうだね。
僕にもまだ分からないけれど、それは恐らく、死そのものだ。
君は一人の女性として、今この瞬間まで、その命を立派に全うしたんだ。
……譲太朗さんも、君を創った者として……
いや、父親として、喜んでると思うよ。
きっと、ね。
エイダ:………あは……は……
そう、だと……いい、な。
………………
宗一:エイダ?
エイダ:(発声不能)
……『ーー・ーー』『・ー』…………
『ーー・ー・』……『・ー・ーー』
……『・ー』……
『ー・・ー』……
……
宗一:……逝ったんだね。
さようなら、エイダ。
君は、下手な人間よりも……
よっぽど、人間らしい、女性だったよ。
エイダ:(M)
今、私もお側にゆきます。
……お父様。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
宗一:(M)
数箇月後、僕は、譲太朗さんの墓を訪れていた。
墓参りをしてする事は、いつも決まっている。
墓石を拭いて、花を交換し、お参りの後、仕事の多少の愚痴を、墓前で零す。
ただその日は、もう一つだけ、する事があった。
あの日、エイダのゼンマイを封印した日から、ずっと預かっていてしまったモノ。
エイダの命の巻き直しに使っていた、小さな小さなハンドルを、そっと供えた。
嘗て、ゼンマイ仕掛けのアンドロイドが生きていたという、
確かな、命の証を。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━