アンハッピーシロップ

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(役表)

男♂:

♀:

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男:何飲む?


女:……いらない。


男:遠慮しなくていいよ、奢るから。


女:遠慮なんてしてない。

  さっさと用件だけ済ませて、帰りたいって言ってんの。


男:だとしても、気を紛らわす物は必要だろう?

  それに、此処は喫茶店だ。

  喫茶店に二人で入っておいて、連れの子が水しか飲んでなかったら、私が変な目で見られる。


女:今更じゃない。


男:少なくとも、今の所は君にだけ、だ。

  自分で選ぶ気が無いなら、私が勝手に二人分のカフェモカを頼んでしまうよ。

  珈琲はとびきり甘くないと嫌なんだろう?


女:……気色悪。


男:なんとでも。

  で、どうする?


女:……ミルクティー。


男:ん、ミルクティーね。


女:タピオカ入ってるやつ。


男:はいはい。

  今時っぽいね。


女:馬鹿にしてんの?


男:まさか。

  注文しておくから、席を取っておいてくれる?

  出来れば、隣がいない窓際の席。


女:そのまま帰るかもよ。


男:そうなったら、また明日出直すまでさ。


女:はぁ……分かったわよ。

  窓際ね?


男:そう、頼んだよ。


(間)


男:お待たせ。


女:……何、これ。


男:何って、ミルクティーじゃないか、タピオカ入りの。


女:違う、こっち。


男:ああ、ミルクレープだよ。

  この店のミルクレープは、高級店にも負けない逸品でね。

  折角だからと思って。


女:……あ、そ。

  で?


男:ん?


女:私は、どのタイミングで110番すれば良い?


男:出来れば、せめて話が一通り終わってからにして欲しいな。

  欲を言えば、して貰わないのがベストだけど。


女:無理な話だって分かるでしょ、逆の立場で考えたら。

  校門前で身内面して出待ちとか、今時、真性の不審者でもやらないわよ。

  明日学校中で一日かけて弁解しなきゃいけないって、考えるだけで嫌になるわ。


男:それは申し訳無いと思ってるよ。

  ただ、ああやって断れない場の中でもなければ、永遠に機会は訪れなかったし、作れなかった。

  私だけなら兎も角として、君にも少なからず……

  いや、極めて深く、関係がある話なんだよ。

  我が身の危険を顧みず、手段も選んでいられない程度には。


女:……そんな勝手に、切羽詰まられてもね。

  そうだとするなら尚更、さっさと話してよ。

  こんな所まで人に見られて、変な噂立てられたら、たまったもんじゃないわ。


男:……じゃあ、話すよ。

  ただ、その前に、心に留めておいて欲しい前提が一つ。


女:何よ。


男:私は今から、君にとって、極めて突拍子も無い話をする。

  ただ、それらは全部大真面目で、戯言でも酔狂でもない。

  これを踏まえた上で、聴いてくれ。

  良い?


女:……善処するわ。

  でも、あんまりにもあんまりな話だったら、頭では聴く気があっても、躰が勝手に席を立つかもね。


男:その時は仕方ない。

  止めないし、潔く諦めるよ。


女:そうしてくれると助かるわ。

  で、何?


男:うん……さて、何処から話したものかな。


女:決めときなさいよ。


男:話す内容は決まっていても、その順番と話し方次第で、いくらでも印象は変わるんだよ。


女:はいはい、そうですか。


男:……まあ、あまり回りくどく話しても仕様がない。

  単刀直入に言うよ。


女:ええ、是非そうして。


男:君はさっき、「身内面をして」と言ったね。


女:言った。


男:私がそうしたのは、それが強ち、嘘でもないからなんだよ。


女:……回りくどいんだけど。


男:ああ、ごめん。

  ………………

  ……私はね、本来は今、この時間の此処にはいない。

  正確には、いる筈の無い人間なんだ。


女:未来から来た、とでも言いたいの?


男:そう。

  まさに、それだ。

  私が元々いる時間は、今から凡そ、10年後になる。

  生憎、過去に戻りたいと考えた覚えはあっても、どうやって戻ってきたのかの記憶は無いんだけど。


女:……へえ。

  で、あんたは10年後からやって来た、何処の何方なわけ?


男:フユキ。


女:は?


男:私の名前だよ。

  フユキという。


女:……あ、そう。


男:そりゃあ、驚くだろうね。

  君の名前もそうなんだから。

  何で、自分の名前まで知ってるんだ、って思ったんだろ?

  でも、赤の他人と名前が同じなのは、何ら不思議な事じゃあない。

  日常の偶然として、そこら中に有り触れている事だ。

  だから、君は安心した。


女:………………


男:けど、残念ながらこの場に於いては、そういう単純な理屈ではないんだ。

  ……それが何故なのか、薄々感付いてるだろ、君なら。


女:……帰る。


男:駄目だよ。


女:どうして。

  あんたさっき、自分で言ったじゃない。

  私が席を立ったら、潔く諦めるって。


男:言ったよ。

  だから引き止めてるんだよ。


女:意味が分かんない。


男:私が諦めると言ったのは、「頭では聴く気があっても、躰が勝手に席を立った」場合だからさ。

  君は今、頭では聴く気が無く、躰も明らかに意識的に席を立った。

  だから、私が潔く諦める理由にはならない。


女:……屁理屈じゃない。


男:だけど、正論だ。


女:例えそうだとしても。

  これ以上、あんたの話には聴く価値が一切感じられないから、帰るって言ってんの。

  当ててあげましょうか、次にあんたが、何て言うつもりなのか。


男:どうぞ。


女:「私は、未来から来た君自身だ」。


男:正解。


(女、テーブルを叩く)


女:馬鹿じゃないの!?

  誰がそんな事信じるって言うのよ。

  百歩、千歩譲って、未来から来たって所までは、信じてあげなくもない。

  けど、何?

  あんたが、私? 10年後の?

  そこまで信じて欲しいならせめて、もう少し信憑性のある姿で来なさいよ。


男:だから最初に前置きしたじゃないか、突拍子も無い話をするって。


女:限度があるって言ってんのよ。


男:そんなに信憑性が無いかな、今の私は。


女:当たり前でしょ。

  あんたは明らかに男じゃない。


男:そう誤解して貰えたなら、努力した甲斐もあったというものだね。


女:……何言ってんの?


男:話を続けようか。

  座りなよ、みんなが見てる。


女:………………


男:まあ、もう結論から言ってしまうよ。

  私……いや、君は、今日から極僅かな期間の間に、ある不幸に見舞われる。

  それをきっかけとして、女という性別そのものを捨て、

  10年経つまでに、周囲が男としか認識出来ないくらいの変貌を果たすんだ。

  過去の、今の君が、君自身ですらが見紛い、

  そして私が男であるという事に対して、微塵の疑念さえ持たなかった程に。


女:……証拠は?


男:ん?


女:今あんたが言ってる事の、証拠。

  それも無しにただ信じろだなんて、虫が良いにも程がある話じゃないの?


男:此処で脱げって言うのかい?


女:そこまでは言ってないでしょ。


男:言ってるも同義だよ。

  悪魔の証明って言うんだよ、それは。

  例えば今此処で、君に関するあらゆる個人情報を提示したとする。

  例えば今此処で、私の10年間の変遷を、一字一句欠かさず語ったとする。

  ……でも、じゃあそれらの真偽を、どうやって証明する?

  証明のしようが無いんだよ。

  そんな物達は幾らでも捏造出来るし、幾らでも偽証出来るから。

  だったら、せめて最も信頼性の高い視覚情報から出そうとするのが、自然且つ合理的な選択じゃないか。


女:……あんたの言葉は全部が全部、ムカつく位に正論だけどね。

  今この場に於いては私の反応が一般的で、

  あんたは頭っからおかしい事を、延々と宣ってるだけの変人なんだからね。


男:百も承知だとも。


女:一応訊くだけ訊くけど、見たら分かるの?

  あんたが、男じゃないっていうのは。


男:見ただけじゃ分からないかもね。

  今の私には、男性器は勿論、子宮も無いし、胸もそこまで発達しなかったから。

  自分で言っておいてなんだけど、脱いで見せても、十分な証明にはならないかも知れない。


女:……え?


男:何?


女:子宮が無い……って言った?


男:言ったよ。


女:……どうして?


男:………………


女:あんたは、私なんでしょ?


男:10年後の、ね。


女:仮にそれが本当だったとして、何で私は、子宮を無くしてんのよ。

  ねえ。

  説明してよ。


男:……するよ、ちゃんと。


女:まさか、さっき言った、不幸っていうのと関係があるの?

  ねえって、


男:強姦だよ。


女:……ごう、かん?


男:そう。

  君は今から数日後の下校途中、数人の男に集団で強姦される。

  全員、面識も何も無い奴らだから、不運にも偶然、特に理由も無くターゲットにされてしまったんだろうね。

  その最悪な時間は、誰からの助けも得られないまま、凡そ三時間にも亘り、

  更に付け加えて最悪な事に、それの所為で、身篭りまでする羽目になる。


女:……なによ、それ。


男:そして、そんな事を周囲に明かせる筈も無く、只独りで、昼も夜も無く、飽きもせず懊悩に喘ぐ。

  被害届も出せなかったお陰で、犯人は捕まりもせず、君だけが徒に、絶望に溺れる日々を過ごすんだ。

  ……結果として、飛び降り自殺を図るんだが、生憎と打ち所に恵まれて、それも失敗。

  尤も、幸か不幸か、それで生き残ったのは私だけだったけども、ね。


女:……やめて。


男:……こういう事なんだよ。

  君が女を辞め、私が母にも成り損なって、

  私達の歯車の全てが狂ったまま、また動き出してしまったのは。


女:やめてよ!!


男:………………


女:……創り話だとしても、趣味が悪過ぎるわ。

  そんな話、それ以上聴きたくもないし、信じたくもない。

  ……十分でしょ、もう。

  私、帰るから。


男:……そうだろうさ。

  君はここまでの話を聴いても、結局、欠片も信じなかった。

  そして、理解する事すらも、拒絶した。

  ……だから、私がまだ、此処に居るんだ。


女:……どういう、意味?


男:もしも、君が少しでもこの話を信じたなら。

  もしも、君が一縷でも、この話を憶えていたなら。

  或いは、少なからず違う未来があった筈なんだ。

  そしてもし、もしもそうであったなら。

  過去の君の未来が、未来の私の今が、変わっている筈なんだよ。

  ……でも、私は何も変わらず、私は私のまま、此処に居るままだ。

  とどのつまり、この一連の今の出来事は、今の君にも、起こり得る未来の私にも。

  何ら影響を与えていない、という事に他ならない。


女:……意味分かんない。

  兎に角、二度と私の前に現れないで。

  次にその顔見せたら、


男:だから、諦めたよ。


(男、懐からナイフを取り出し、女の胸に突き刺す)


女:……は?

  ……な、に……なんっ……ぇ……?


(女、力無く倒れる)


男:……いや、最初から、諦めてたんだろうな、きっと。

  もう良いんだ、こんな躰は。

  もう要らないんだ、こんな命は。

  だからせめて、あの日ごと君を、私を、無かった事にしてしまう。

  君が居なくなれば、私もまた、居なくなれる。

  結局、そういう因果だろ、私達は。


(男、血塗れのナイフを自分の胸に突き刺し、吐血、倒れる)


女:……ッ……!


男:……他人の不幸が、蜜の味なら……此処に溢れ、染み出していく不幸は……

  はは、はははッ……!

  鉄の味しか……しやしない、とんだ猛毒じゃあないか。

  ……全く以て、嫌な……


女:嗚呼、本当……嫌な名前、だわ。

  ……ねえ、ふゆき……


(騒めきと悲鳴の中、二人、息絶える)


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