アナタノオトシタ
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(役表)
男♂:
女♀:
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男:うーん、参ったなあ……ほとほと困った。
何処まで落ちて行っちゃったんだろう。
……あれ?
なんだ、こんな所に泉があったのか、知らなかった。
考えたくはないけど、この中に沈んだとかだったら、いよいよどうしようもないな。
女:ぶくぶくぶく。
男:ん?
女:ぶくぶく、ぶくぶくぶくぶく。
男:なんだ、でかい魚でも居るのかな?
女:ぶくぶくぶくぶくぶく、ざばぁー。
男:え。
女:もごもご、むぐむぐむー。
男:泉から、女の人が出てきた。
女:むぐむぐもご、もごもむん。
男:あなたは、もしかして、
女:もご。
男:女神様?
女:むぐぐ、もごもんももご、
男:シュノーケル取ってから喋ってもらって良いですか?
女:もご、……ぷはぁ。
失礼しました。
どうも、この泉の、女神です。
あまりにもこれを装着している時間が長過ぎて、
いつしか、顔の一部だと思い込んでしまっていました。
男:女神様でも、水の中では呼吸は出来ないんですね。
女:まあ、女神といえども、全知全能という訳ではないので。
男:というか、本当に女神様なんですか?
女:ええ、女神ですとも。
男:ずぶ濡れですけど。
女:はい、それが何か?
男:それが何か、と返されると、ちょっと。
女:水の中に潜っていたのですから、ずぶ濡れなのは、至極当然の事ではないですか。
男:濡れない、とか無いんですか?
女:逆に問いますが、そんな事が可能だと思いますか?
男:え、いや。
女:私は、女神です。
男:はい、それは聞きました。
女:しかし、水に沈めば、濡れます。
女神といえども。
男:そうですよね。
女:そうです。
男:水の中で呼吸は出来ないし、水に沈めば、濡れますよね。
女:はい。
男:女神様といえども、流石に。
女:女神といえども、流石に。
男:分かりました。
女:よろしい。
男:大変失礼致しました。
勝手な思い込みと偏見で、とんだご無礼を。
女:許しましょう。
何故なら私は、女神ですから。
男:ありがとうございます。
とても慈悲深く、寛大でいらっしゃる。
女:勿論です。
何故なら私は、女神ですから。
男:それであの、女神様。
女:はい、女神ですが。
男:お名前は、何と?
女:人に名前を尋ねる際は、まずご自分から名乗られるべきかと思いますが。
男:人なんですか?
女:いいえ、女神です。
言葉の綾の揚げ足を取らないで下さい。
男:大変失礼致しました。
つい人の身で、女神様の言葉の綾を、畏れ多くも反射的に指摘してしまいました。
どうか、お許しを。
女:許しましょう。
何故なら私は、女神ですから。
男:ありがとうございます。
なんとも情け深く、寛容でいらっしゃる。
女:当然です。
何故なら私は、女神ですから。
男:私の名前は、キショウといいます。
女:キショウさん。
男:はい。
女:とても良い名前です。
男:ありがとうございます。
女:まあ、名乗られずとも知っていますが。
男:えっ、知っておられたのですか。
女:はい。
男:それは、何故ですか?
女:当然です。
何故なら私は、
(同時に)女神ですから。
男:(同時に)女神様だから、ですか?
女:被せないで頂けますか?
男:大変失礼致しました。
女:人の身で、不敬にも女神の言葉を、阻害して良いとお思いで?
男:滅相も無い。
私の内なる悪が衝動的に、やんごとなき御言葉と合わせたい、という好奇心に駆られてしまったのです。
女:好奇心。
男:はい。
決してそこに、邪な意思は内包されていません。
女:本当ですか?
男:本当です。
女:本当ですね?
男:本当です。
女:女神に誓えますか?
男:女神様に誓うんですか?
女:なにか?
男:いいえ、なんでもありません。
女神様に、誓います。
女:よろしい、許しましょう。
何故なら私は、
………………
男:………………
女:女神ですから。
男:今、少し期待されてませんでした?
女:なにがですか?
男:いいえ、なんでもありません。
それであの、女神様。
女:はい、女神ですが。
男:質問を繰り返すようで誠に恐縮なのですが、
その、お名前は何と。
女:ああ、そうでしたね。
男:はい。
女:私の名前はですね、
男:はい。
女:この泉に住まう私は、何を隠そう、女神なんですが。
男:はい。
女:その、この泉を司りし、私の名前はですね、
男:はい。
女:女神というのは本来、いたずらに名を明かさないものなのですが、
男:はい。
女:敢えてこの場で特別に、泉の女神として、名を名乗るとするならば、
男:今考えてませんか、名前。
女:はい?
男:なんでもありません。
女:良いですか、一度しか言いませんよ。
男:思い付いたんですね。
女:なにか?
男:いえ、なにも。
名前を、お願い致します。
女:私の、女神の名前は。
男:はい。
女:……ノシュケールです。
男:ノシュケール?
女:呼び捨てにしないで下さい。
男:大変失礼致しました。
女:不敬ですよ。
男:はい、申し訳ありません。
ええと、では女神様のお名前は、シュノーケル様と。
女:ノシュケールです。
男:すみません、間違えてしまいました。
シュノーケル様。
女:ノシュケールです。
男:シュノーケル様。
女:ノシュケールです。
男:シュノーケル、
女:ノシュケールです。
男:……シュノ、
女:ノシュケールです。
男:………………
女:………………
男:ノシュケール様。
女:シュノーケルです。
男:シュノーケルなんですか?
女:いいえ、ノシュケールです。
男:しかし今、御自身の口でシュノーケルと。
女:呼び捨てにしないで下さい。
男:え?
女:あっ。
男:では、シュノーケル様でよろしいですか?
女:違います。
私は、女神です。
男:はい?
女:私は、ただの女神です。
名乗る名前はありません。
男:ノシュケール様ではなく?
女:いいえ、女神です。
男:シュノーケル様でもなく?
女:違います、女神です。
男:今考えたんですか?
女:今考えました。
男:やっぱり。
女:やっぱりとは何ですか。
男:失礼致しました。
女:さっきから、どんどん不敬になっていますよ、貴方。
男:そんなつもりは。
女:まぁ良いです、許しましょう。
何故なら私は、女神ですから。
男:ありがとうございます。
……それでええと、シュノーケル、
女:(咳払い)
男:女神様。
女:はい、女神ですが。
男:此度は何故、わざわざ私めの前に、その御姿を晒されたのですか?
女:ああ、そうでした。
危うく、本来の目的を忘れるところでした。
男:本来の目的、と申しますと。
女:少し、待っていて下さい。
男:はあ。
女:ざぶん、ぶくぶくぶくぶく。
男:………………
(間)
女:ぶくぶくぶくぶく、ざばぁー。
もごもごむぐむぐ。
男:シュノーケル取ってから喋ってもらって良いですか。
女:もご、ぷはぁ。
お待たせしました。
男:いえ、私もちょうど、今来たところです。
女:それは無理があるでしょう。
男:これは無理がありましたね。
それで、その手にお持ちになっている物は、一体?
女:こほん。
お尋ねします。
男:はい?
女:貴方が落としたのは、こちらの、金の斧ですか?
それともこちらの、銀の斧ですか?
男:……ええと。
すみません、なんですか?
女:貴方が落としたのは、こちらの、金の斧ですか?
それとも、
男:いえあの、もう一度言って欲しかった訳ではなく。
女:はい?
男:斧、ですか?
女:はい。
此処に金の斧と、銀の斧があります。
貴方が落とした方をお選び下さい。
男:私が、落とした方。
女:そうです。
男:選んだら、どうなるんですか?
女:どうなる、と問われましても。
元々貴方の物なのですから、お返ししますよ。
男:貰えるんですか?
女:いいえ、差し上げるのではありません、お返しするのです。
無論、貴方の物でないのなら、お渡しは出来ませんが。
男:………………
女:何をお悩みに?
どうぞ、お選び下さい。
金の斧ですか、それとも、銀の斧ですか?
男:女神様。
女:はい、女神ですが。
男:一つ、伺ってもよろしいでしょうか。
女:どうぞ。
男:その、金の斧と銀の斧、本物ですか?
女:本物、とは?
見ての通り、正真正銘、金色の斧と、銀色の斧ですが。
男:いや、色の話ではなく。
女:では、どういう?
男:金の斧は純金製であり、銀の斧は純銀製である、
と、解釈してよろしいのでしょうか。
女:………………
男:………………
女:それを訊いて、どうするおつもりですか?
男:どうする、という訳ではありませんが。
純粋に、気になりまして。
女:まさか、愚かしくも女神である私に嘘を並び立てて、
この斧を不当に手に入れ、大金をせしめよう、とでも?
男:いえ、そんなつもりは。
女:なんと浅ましい。
そのような下賎極まりない欲に取り憑かれている人間に与える物など、何もありません。
哀れな人の子よ、今すぐに、此処から立ち去りなさい。
貴方に与える予定だった斧は、私が没収させて頂きます。
自らの軽骨な行為を悔いるのですね。
男:あの、女神様。
女:はい、女神ですが。
男:その斧、手作りですか?
女:何の話ですか?
男:いや、それ2本とも、普通の斧の上から、金色と銀色の紙を貼っただけですよね?
濡れてるせいでクッシャクシャになってますけど。
女:何を言っているんですか?
それは違いますよ。
男:そうですよね、そんな訳ありませんよね。
私の見間違いですよね。
私としたことがまたしても、女神様にとんでもない失礼を働いて、
女:金の斧は、金色の紙ではなく、銀紙の上から黄色のセロファンを貼り付けた物です。
男:手作りじゃないですか。
女:手作りですよ。
男:金の折り紙の作り方じゃないですか。
女:金の折り紙が足らなかったんです。
男:手作りなんですね?
女:手作りです。
男:純金製でも純銀製でもないんですよね?
女:逆に問いますが、純金製、ないし純銀製の斧が本当に存在したとして、
貴方、要りますか?
男:いえ、正直要りません。
扱いに困りますし、斧として使用するには憚られますし、
かと言って、それほど莫大な価値がある、という訳でもなさそうですし。
あげると言われたとしても、断ると思います。
女:それみなさい。
男:それみなさいとは?
女:一時の感情や欲求の赴くままに行動しても、碌な結果は得られません。
という事を私は、この金の斧と銀の斧を模した物を使って、貴方に教え示したのです。
男:無理があるのでは?
女:無理がありますね。
男:しつこいようですが、手作りなんですよね?
女:ええ、紛れも無く、女神の手作りです。
まあ、今のはほんの、メガミアンジョークですよ。
男:メガミアンジョーク。
女:はい。
純金製と純銀製の物は、ちゃんとあります。
ご心配には及びません。
男:さっき要らないって言ったと思うんですけど。
女:持ってきますので、待っていて下さい。
ざぶん。
ぶくぶくぶくぶく。
男:……帰ろうかな。
(間)
女:ぶくぶくぶくぶく、ざばぁー。
もごもごむぐむぐ。
男:シュノーケル取ってから喋ってもらって良いですか。
って言わせてくるの、そろそろやめてもらって良いですか。
女:もご、ぷはぁ。
お待たせしました。
男:いえ、ちょうど帰ろうとしていたところです。
女:まだ帰らないで下さい。
男:いや、だってもう、えーっと。
あの、女神様。
女:はい、女神ですが。
男:その、お持ちになっている物は、一体なんですか。
女:こほん。
では、改めて問いましょう。
貴方が落としたのは、こちらの、金の「父」ですか?
それともこちらの、銀の「斤(きん)」ですか?
男:「斧」を分解したんですか?
女:「斧」を分解しました。
男:縦に?
女:縦に。
男:オブジェじゃないですか。
女:オブジェですね。
男:それを貰って、私に一体どうしろと言うんですか。
女:それは、貴方の自由です。
さあ、お選び下さい。
金の斧ですか、それとも、銀の斧ですか。
はたまた金の「父」ですか、それとも、銀の「斤」ですか。
男:どれでもありません。
女:どれでもない?
男:はい、どれでもありません。
女:本当ですか?
男:本当です。
女:本当ですね?
男:本当です。
女:素晴らしい。
貴方は、とても正直な方ですね。
男:ありがとうございます。
お褒めに預かり光栄です。
女:では、そんな正直者の貴方にはご褒美に、こちら4点、全て差し上げます。
男:要りません。
女:え?
男:要らないです。
女:要らない?
男:要らないです。
女:何故?
男:何故と言われましても。
女:本物の、金の斧と銀の斧ですよ?
男:手作りじゃないですか。
女:貴方のお望み通りの、純金製と純銀製の、「父」と「斤」ですよ?
男:だからそれを貰って、私は一体どうしたら良いんですか。
女:だからそれは、貴方の自由ですよ。
玄関先に、重ねて飾るなどして下されば。
男:して下されば、と言われましても。
女:さあどうぞ、お受け取り下さい。
女神の、力作ですので。
男:いや、要らないんですけど。
女:まあ、そう言わず。
男:いやいや、要りませんって。
女:まあまあ、そう言わず。
男:いやいやいや。
女:まあまあまあ。
男:いやいやいやいや。
女:まあまあまあまあ。
男:いやいやいやいやいや!
女:まあまあまあまあまあ!
男:……あー、もう!!
こんなに微塵も自由の利かないゴミ要りませんよ!
お返しします!
女:ゴミとは何ですか、不敬な!
男:ゴミをゴミと言って何が悪いんですか!
女:曲がりなりにも女神から貰った物を、よりにもよってゴミ扱いする事無いでしょう!
男:じゃあ逆に問いますが、これらは女神様から見て何なんですか!
女:だから見ての通り、金の斧と銀の斧と、
純金製の「父」と、純銀製の「斤」ですってば!
メイド・イン・女神!
メイド・バイ・女神!!
男:一言で!!
女:ゴミ!!
男:ゴミなんじゃないですか!!
女:ゴミですよ!!
見たら分かるでしょう!!
男:開き直ってんじゃねぇシュノーケル!!
女:ノシュケールだって言ってるでしょうが!!
男:並び替えただけだろ!!
女:並び替えただけよ!!
女神の名前とか知らないもん!!
男:だったら散々勿体付けてまで名乗るな!
そもそもアンタ、女神ですらないだろうが!!
女:えぇそーですよ!
女神じゃないですよ!!
……あっ。
男:やっと認めたか。
女:バレてた?
男:当たり前だろ。
女:いつから?
男:最初からだよ。
泉の女神が、シュノーケル付けて、ずぶ濡れで出て来る訳無いだろ。
女:分かんないじゃん。
男:分かるわ。
それを抜きにしても、顔見たら流石に一発だっつの。
女:何だ、覚えてたんだ。
久し振りだから、てっきり忘れられてると思ったのに。
はい、じゃあ、私の名前は?
男:女神様。
女:違う。
男:ノシュケール。
女:違う。
男:シュノーケル。
女:違ーう。
男:シラミズ。
女:だから違、……わ、ない。
男:違わないだろ。
女:合ってたわ。
男:元カノの名前忘れるかよ。
女:それは失礼しました。
……あのさ。
男:なに。
女:取り敢えず、上がっていい?
寒い……
男:だろうよ。
さっさと上がって来いって。
女:あーもー、服がめっちゃ張り付いてくる……
男:何処で買ったんだよ、そんなドレス。
結構するんじゃないのかよ、勿体無いな。
女:古着屋で2千円。
男:やっす。
女:超雑な作りだけどね。
ちょっと濡らそうもんなら、ほら、全身透け透けよ。
男:ちょっとは恥ずかしがれよ。
女:こっちの台詞だわ。
タオル持ってる?
男:そんな都合良く持ってるわけあるか。
上着くらいなら貸してやるよ。
女:こりゃどうも。
男:………………
女:………………
男:……で?
女:え?
男:なんで、こんな馬鹿な事してんの、こんなとこで。
女:馬鹿な事とは失礼な。
男:馬鹿な事だろ。
暫く音沙汰無かったから、何してるのかと思ったら。
女:ははーん。
さては、あんた信じてないね?
男:何を?
女:ちょっと、何か貸してみ。
男:何かってなんだよ。
女:何でも良いから。
男:……?
じゃあ、このペンで良いか。
女:うわ、ばっちい。
男:うるせぇな、使い古してんだよ。
これがどうした。
女:あはは、ごめんごめん。
じゃあはい、このペンを、泉に投げ込みます。
男:捨てただけじゃん。
女:まあまあ、見ててみなって。
男:……え。
なんか、浮いてきたら増えたけど。
なんだこれ、どうなってんだ。
女:はい。
これがまず、今投げ入れた、元のペンね。
で、こっちが、同じペンだけど、新品未使用状態のペン。
そして、これが純金製のペンと、こっちが、純銀製のペン。
男:え、手品?
女:そんな訳無いじゃんって。
本当にそういう泉なの、此処が。
男:……マジかよ。
女:マジもマジよ、嘘みたいでしょ。
男:いや、正直、夢だとしか思えない。
現実味が無さ過ぎる。
女:ほっぺつねってあげようか?
男:いや、良い。
女:そんなマジトーンで返さなくても。
男:……これ、何でもいけるのか?
女:何でもはいけないよ。
物だったら大体いけるけど、元と新品の2種類しか出来ない時もあるし、
新しいものだけ浮かんできて、古いほうは沈みっぱなしってパターンもある。
男:例えば?
女:……さあ、知らない。
私も、そんなに何でもは試してないし。
男:あ、そう……
でも、マジで凄いな、これ。
こんな物の存在が世間に広まったら、空前絶後の特大ニュースだろ。
女:広めないよ。
男:え、なんで?
女:此処は私の、秘密の場所だから。
それに、いくらでも悪用出来るんだから、教えない方が人類の為。
男:人類って。
話の規模がでかいな。
女:大袈裟じゃないでしょ。
実際、神様の力としか思えないよ、こんなの。
使い方によっては、本当に何でも出来ちゃうんだからさ。
男:……まあ、確かにな。
でも、俺は知っちゃったぞ。
女:たまたま来ちゃったんだから、こればっかりは仕方無い。
男:さいですか。
女:絶対に、誰にも教えちゃ駄目だからね。
男:分かってるって。
女:よろしい。
男:おう。
女:………………
男:………………
女:……で、さ。
男:ん?
女:こんな所まで来て、何探してたの?
私が言うのもアレだけど、斧なんて落としてないでしょ。
男:あ、いけね!
そうだ、そうだった!
指輪落としたんだよ、指輪!
女:指輪?
指輪って、私があげたやつ?
男:いや違う、それはもっと前に失くした。
女:うわ、ひっど。
え、じゃあ指輪って何?
男:結婚指輪。
女:は?
男:ちょっと大きめのサイズにしたら、知らない内に取れててさ。
基本的に毎日同じ道しか通らないから、あるとしたらその道のどっかか、
そこからちょっと外れた所くらいしか無いよなって、虱潰しに探してたんだよ。
で、探しながら適当に下って来たら、此処に着いたってわけ。
やばいな、すっかり忘れてた。
もう結構いい時間だよな、早いとこ見付けて帰らないと。
女:いやあの、ごめん、ちょっと待って。
男:なに。
女:結婚指輪?
男:結婚指輪。
女:結婚してたの?
男:してたよ。
女:へ、へえ。
そうなんだ、知らなかった。
おめでとう。
男:ありがとう。
女:え、いつ?
男:3年……
……じゃない、去年。
女:なに?
男:なんでもない、間違えた。
去年だよ、去年の春頃。
女:なんで今、3年から言い直したの?
男:いや、別に。
女:別にじゃないじゃん。
3年前って、まだ私達が別れる前だよね?
男:違うんだよ。
女:何が違うの?
私達が別れたのって、貴方が「結婚とか重いし、面倒臭いから」って言ったからだよね?
私にはそう言って、一方的に無理矢理諦めさせたのに、
その頃にはもう、別の人と結婚してたって事?
そういう事だよね?
男:いや、あのな。
女:ふーん、そう。
私はずっと理由も訳も分からないまま、此処で一人で寂しく、寒い毎日を過ごしてたのに、
貴方は悠々と温かい家庭作って、笑って生きてたんだ、へえ。
良かったね、楽しかった?
楽しかったよね、幸せだったでしょ?
男:おい、落ち着けって。
女:だったらさぁ、もう良いんじゃない?
男:良いって、何がだよ。
頼むから、俺の話も聞いてくれって、
女:元の私と一緒に、死んじゃってもさ。
男:……は?
女:ざぶん。
男:ッ!!?
女:ぶくぶく、ぶくぶくぶくぶく。
男:……っ!?……!!ッ、
!?!、!?…………
………………
…………
……
(間)
女:ぶくぶくぶくぶく、ざばぁー。
男:……ん……?
女:おはよう。
男:……おは、よう……?
俺は……あれ……?
女:どう、気分は。
男:……俺は、此処は……
ああ、そうか……そういう事か。
お前は、シラミズ……だったっけか。
女:そう、シラミズ。
ちゃんと覚えてたね、偉い偉い。
じゃあ、答えてみて、キショウ。
貴方が落としたのは、こちらの、金の指輪ですか?
それともこちらの、銀の指輪ですか?
……それとも、こちらの、結婚指輪ですか?
男:なんだ、それ?
女:覚えてない?
男:覚えてない……というか、指輪なんて、落としてないぞ。
結婚指輪って、誰と、誰のだ?
女:覚えてない、だなんて。
まあ、それもそうよね。
酷い人だわ、本当。
私と、貴方との、よ。
男:お前と、俺?
女:そう。
男:………………
女:思い出した?
男:……そう、か……?
そうだったっけな……
確かに、そうだったかも、しれないな。
女:そうよ。
まだ目覚めたばかりだし、これからゆっくり、思い出していけば良いわ。
男:ああ……
……それも、そうだな。
女:うん。
だから……ね。
今度こそ、2人でずっと、一緒にいましょう?
汚らしい、浅ましい外の世界なんて、放っておいて。
男:ああ、そうだな。
かえろう。
女:ええ、かえりましょう。
静かで、寒くて、寂しくて……
……暗くて昏い、深い、ふかぁい、泉の底へ。
男:ざぶん。
女:ぶくぶく、ぶくぶくぶくぶくぶく。
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