アイスパイ
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(役表)
ミノリ♀:
ウツロ♀:
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ミノリ:おっすー!
ウツロ:あ、おはようございます、ミノリ先輩。
ミノリ:……ん。
ウツロ:え?
ミノリ:おっすおっすー!
ウツロ:おはようございます。
ミノリ:……うーん。
ウツロ:はい?
ミノリ:ウツロちゃんさあ。
ウツロ:はい、なにか?
ミノリ:もうちょっと、元気良くなれない?
ウツロ:元気良く、ですか?
ミノリ:うん。
ちょっと試しに、今の挨拶やってみてよ。
ウツロ:おっすおっすー。
ミノリ:………………
ウツロ:こうですか?
ミノリ:ごめん、忘れて。
ウツロ:はあ。
ミノリ:入って来てから、ずっとそんな感じだもんねー、ウツロちゃんは。
ウツロ:そんな感じ、というのは?
ミノリ:いや、えっとね。
やっぱり私たちって、肉体労働者なわけじゃない、名目上は。
ウツロ:まあ、ほぼほぼそうですね。
ミノリ:でしょ。
だから何と言うかね、朝くらいエネルギッシュな空気に包まれていたいわけよ。
「今日も一日頑張るぞー!」って。
みんなで活力をこう、分けつ分けられつみたいなね?
ウツロ:エネルギッシュな、活力を。
ミノリ:そう。
たとえそれが、空元気だったとしても。
ウツロ:ミノリ先輩のそれは、空元気なんですか?
ミノリ:……ぶっちゃけ、そう。
はぁーー……
ウツロ:一気に落ちましたね。
ミノリ:この間凡ミスしちゃったのよー、超簡単な仕事で!
聞いてくれる!?
ウツロ:……まあ、まだ時間に余裕あるので、ちょっとくらいなら。
ミノリ:ありがと……
ウツロ:それで、何を失敗したんですか。
ミノリ:あのねえ。
最近の私の仕事っていうのが専ら、新米政治家の動向調査だったのよね。
ウツロ:ああ、最近出馬表明してきた、あの。
ミノリ:そうそう、もの凄い汗っかきで気分屋で、あとケッペキの、あの。
ウツロ:バレたんですか?
ミノリ:いや、完全にバレた、とまではいかないけどさ。
元を辿れば、調査を始めてから数週間経ったある日にね、
このままちまちま尾行していたんじゃ埒が明かないと思ったから、
思い切って留守中に忍び込んで、盗聴器を仕掛けたのよ。
ウツロ:随分と思い切りましたね。
それって私たちの中では、割と最終手段の部類では?
ミノリ:そう?
私は割と頻繁に使うよ、バレなきゃ一番手っ取り早いから。
やっぱり、人に見られていないと思っている時っていうのが、
誰しも自分の根深い素の部分みたいなのが、露呈しやすいからね。
ウツロ:……そういうものですかね。
ミノリ:そういうもの、そういうもの。
まあ、結論から先に言っちゃうと、その盗聴器が見付かっちゃったワケなんだけどさ。
でもさ、あんなの予想出来るわけないって!
ウツロ:あんなの、とは?
ミノリ:はい、じゃあここで突然のミノリクイズ!
ウツロ:はい?
ミノリ:次のうち、ウツロちゃんなら、どこに盗聴器を付けますか。
①机の下
②コンセント
③蛍光灯の中
④ベッドの下
⑤ソファの背
⑥ウォークインの天井
⑦テレビの後ろ
⑧エアコンの中
⑨本棚の上
⑩花瓶の裏
ウツロ:選択肢多くないですか?
ミノリ:これだけあったら、付け放題でしょ。
ウツロ:数があれば良いってものでもないかと。
ミノリ:ほほう、言うじゃない。
それで、どこに付ける?
ウツロ:選択肢には無かったです、私の場合は。
ミノリ:え、無いの?
ウツロ:はい。
ミノリ:なんで?
ウツロ:私、ペン型の盗聴器をよく使うので。
それを、ターゲットのペンとすり替えるんです。
ペンに対してそこまで意識を向ける人って、そういないので。
普段から警戒心が強いターゲットなら、また話は別ですけど。
ミノリ:なるほどね。
ウツロ:はい。
ミノリ:つかぬ事を訊くけど、ちょっと前に私の誕生日にくれた、あのペンもそう?
ウツロ:あ、はい。
よく覚えてましたね。
ミノリ:んー、そこは否定して欲しかったな。
ウツロ:別に、他意は無いですよ。
ちゃんと本来の用途のペンとして使ってくれているなら、それで良いです。
たまに盗聴はしてますけど。
ミノリ:うん、してるのね。
それを世間一般では他意って言うんだよ、ウツロちゃん。
ウツロ:そうなんですか?
ミノリ:……まあいいや。
それでね、私はさっき言った10箇所、全部に付けたの。
ウツロ:全部?
ミノリ:全部。
ウツロ:そんなに要ります?
ミノリ:あれよ、いっぱいあれば、いくつか見付かっても問題無いだろうって精神で。
ウツロ:ひとつでも見付かった時点で、駄目だと思いますけど。
ミノリ:はい、ごもっとも。
たぶん疲れてたのよ、その時の私は。
ウツロ:はあ。
それで、なんで見付かったんですか。
発見機でも使われたんですか?
ミノリ:違うのよ。
気分屋でケッペキって言ったじゃない?
ウツロ:はい。
ミノリ:アイツのそれはなんて言うか、常軌を逸していたのよ。
週に1回、3日に1回、何なら次の日には、家具の位置がまるっと変わってんの。
しかもその度に、業者まで呼んで、隅々までハウスクリーニングなんてするもんだから、
そりゃあ、盗聴器も全部見付かるわよね。
幸い、誰が付けたのかまではバレてはいないけど、それでも当然大目玉よ。
ボーナスも大幅に減額だって。
はぁー、へこむわー……
ウツロ:ご愁傷様です。
ミノリ:前調べが甘かったと言われたら、それまでなんだけどねー。
色々と見通しが外れたわ。
ウツロ:それで、結局どうしたんですか?
ミノリ:ん、どうって?
ウツロ:政治家の家から10個も盗聴器が出て来たら、騒ぎになりそうなものですけど。
ミノリ:騒ぎになってた?
ウツロ:……なってませんね。
え、殺りました?
ミノリ:そんな訳無いでしょ。
ボーナス減額どころか首が飛ぶわ。
その場で咄嗟に業者に変装して、全部回収したのよ。
事実があっても物的証拠が無いから、公に大騒ぎされてないってだけね、今は。
ウツロ:そうですか。
ミノリ:なんでちょっと残念そうなの。
ウツロ:殺ってたら、オチとしては面白かったなって。
ミノリ:ウツロちゃんの新たな一面を見た気がするわ。
オチとしては面白くても、仕事としては最低でしょうよ、それ。
私たちの生業はヒットマンじゃなくて、スパイなんだからさ。
ウツロ:それもそうですね。
ミノリ:はあ……
全く掴みどころが無いというか、なんというか。
それで、そっちは?
ウツロ:はい?
ミノリ:どうよ、最近の塩梅は。
ウツロ:ぼちぼちです。
ミノリ:うーん、当たり障りも取り付く島も無い満点回答。
もしかしてだけどウツロちゃん、私の事嫌いだったりする?
ウツロ:いえ、そんな事は。
私、誰に対してもこんな感じなので。
ミノリ:それは確かに、そうかもしれないけど。
ウツロ:正直なところを言えば、苦手意識程度は、多少あります。
ミノリ:正直でよろしい。
まあね、スパイらしからぬ性格なのは自負してるつもりよ、これでも。
どちらかと言えば、ウツロちゃんみたいな、冷徹な感じの方が、
世間一般で言うところのスパイのイメージには近いのかもね。
ウツロ:冷徹、ですか。
ミノリ:うん。
精密機械のように淡々と、着実に任務をこなす凄腕スパイ、ウツロ。
その様相はさながら、氷枕(ひょうちん)の如し。
ウツロ:………………
ミノリ:あ、ご、ごめん。
氷枕はちょっと言い過ぎたかな。
ウツロ:いえ。
……なんというか、苦手なんです、私。
他人と合わせたり、同調するっていうのが。
それと、そうしないと許されないという、社会全体の風潮、暗黙のルール、みたいなものが。
ミノリ:あー……何となく分かるわ。
ウツロちゃん、社交辞令って苦手なタイプ?
ウツロ:苦手ですね。
なんなら嫌いです、そういうの。
心にも無いことを、わざわざ口に出さないで欲しいんですよ。
言葉を額面通りに捉えてしまう私も、悪いとは思いますけど。
ミノリ:いつになく熱入るねえ。
昔、なんかあった?
ウツロ:……私がまだ幼かった頃、父が死んだんです。
父は、いわゆるエリートというタイプで、若くしてどんどん昇進し、
企業の幹部にまであっという間に上り詰めて、極めて順調に出世街道を突き進んでいました。
幼いながらも、自慢の父親だ、と思っていたことは、鮮明に覚えています。
ミノリ:羨ましい限りだわ。
そのお父さんは、なんで亡くなっちゃったの?
って、訊いてもいいなのものかな、これは。
ウツロ:分からないんです、未だに。
ミノリ:分からない?
ウツロ:はい。
少なくとも、自殺なんてするような人ではないと思っていました。
今言った通り、将来への不安なんかとは、全く無縁と言って良い人でしたから。
……でも、後から聞いた話では、同期や同僚に妬まれて、
悪質な嫌がらせや、度を超えたパワハラを受けていたとか。
死因についても、急性心不全と言われたものの、
その実、遺体には他殺のような痕跡も残っていて、不審な点も多くありました。
でも、証拠不十分でろくに捜査もされず、結局全てが曖昧なまま火葬され、
父の存在も、有るかも知れなかった誰かの悪意も、完全に無かった事にされてしまったんです。
ミノリ:……どーにも仕事柄、裏の匂いを感じずにはいられない話ね。
それでウツロちゃんは、その仇を探す為に、この仕事に?
ウツロ:いえ。
証拠が残っていない以上、追求なんてしようがありませんし、
ただの勘違いから来る逆恨みの可能性も、全くのゼロではありませんから。
その件についてはもう、今更どうこうするつもりは無いんです。
……ただ、その父の葬式だけは、どうしても嫌な記憶しかなくて。
ミノリ:葬式?
ウツロ:そうです。
葬式には、嫌がらせやパワハラを行っていたとされていた者達も、何食わぬ顔で、
さも残念そうな、悲しそうな雰囲気を醸し出して、参列していました。
それが、今となっては屈辱的でならなくて。
それに加えて、「死」という概念自体がまだよく分かっていなかった私を、
もっと悲しそうな顔をしろ、嘘でも親族なら泣いていろと、
周りの大人が怒鳴り、叱り付けてきていた事も相俟って、
余計にトラウマめいた思い出になってしまっているんですよね。
今考えたら些細な話ですけど、幼子にとっては、
身近なひとつひとつの出来事が、世界の全てですから。
私が「氷枕」と揶揄されるほど歪んだのも、その日が始まりだったのかも知れませんね。
ミノリ:……ふぅん、なるほど。
ウツロ:すみません、つまらない話を長々と。
ミノリ:いやいや、私も愚痴聞いてもらったし、おあいこってことで、ね。
むしろ、このたかだか十数分で、私の中のウツロちゃんの印象が一気に色々変わったわ。
ウツロ:氷枕から、ですか?
ミノリ:……根に持ってる?
ウツロ:ふふ、まさか。
ちょっと意地悪してみただけですよ。
ミノリ:あ。
ウツロ:はい?
ミノリ:笑ったら結構かわいいんじゃん、勿体ない。
ウツロ:そうですか?
ミノリ:そうよ。
それ、新しい武器にしたらたぶん、上からもクライアントからも、評価が鰻登りになるんじゃない?
ただでさえ口数少ないんだし、そういうさりげない仕草でオトしていくのもアリかもよ。
ウツロ:大丈夫ですよ、今のままで。
特別、不便も無ければ、困ってもいないので。
ミノリ:さいですか。
喋るのが嫌いってわけじゃなさそうだし、使わないのは宝の持ち腐れだと思うけどなあ。
ウツロ:「口は災いの元」が信条ですから。
極力言葉を交わさない方が、あとあと面倒事にもなりにくいですし。
……まあ、そこまで言うなら、せっかく褒めて貰ったことですし、善処はしてみます。
ミノリ:うん。
……さて、そろそろ私も着替えて準備しなきゃ。
そういえばウツロちゃん、今日から長期任務だっけ?
ウツロ:はい、潜入調査で。
ミノリ:そっか。
無愛想過ぎて、不審がられたりしないようにね。
ウツロ:心配要りません。
性格を偽るのは得意分野なので。
ただの氷枕だと思わないでください。
ミノリ:はいはい、失礼しました。
気を付けてね。
ウツロ:ミノリさんも。
ミノリ:ありがと。
戻ってきたら、2人で飲みにでも行こ。
ウツロ:はい、是非。
それじゃ、お先に。
ミノリ:ん、行ってらっしゃい。
(間)
ミノリ:……口は災いの元、ね。
誰の教えか知らないけど、よく言ったもんだわ。
ウツロ:……そう。
だって、私の名は、ウツロなんだから。
口を出してしまったら、そこにあるのはウソ八百だけ。
……もっとも、ミノリ先輩にはもう、バレてるかな、これは。
こんなもの、いつの間に仕掛けられてたんだか。
意趣返しって言うのかしら、こういうの。
ミノリ:ま、それも良いんじゃない?
騙し騙され、騙り騙られが、人の世の常。
スパイだなんて仕事なら殊更、尚更なことよ。
そうでしょ、ウツロちゃん。
ウツロ:全く、掴みどころが無いのはどっちだか。
「昨日の敵は今日の友」なんて言うけれど、
今日の友が明日の敵じゃないなんて、誰も言ってないものね。
ねえ、ミノリ先輩。
ミノリ:さあ、どうでしょうね。
ウツロ:やっぱり私、貴女は苦手だわ。
調子狂っちゃう。
ミノリ:ふふっ、それはどーも。
さーてと。
それじゃ、今日も張り切って。
ウツロ:おしごと、おしごと。
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